グリンフィアの夜

明日葉智之

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5.生きる意味

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 たまに、どうして私は生きているんだろうって考えることがある。

 親に捨てられて世界にも見放された私は、なぜ生かされているんだろう。なぜ生きていたいんだろう。

 この気持ちが一体何なのか、よく分からない。分からないから、私はその理由に形が欲しいと思った。

 私は……私を拾ったゾーラ牧師を許さない。

 あいつと同じバレンティノという名前も、汚らわしくてたまらない。あの顔を殴って、絶対にここを出て行くんだ。

 そして自由になれたらきっと…………。

「ジル、いるかい?」

 その声で私は目を覚ました。慌てて手を見るが緑色の火は影も形もない。ここは、自分の部屋のベッドだ。

「ジル……ジル」

 扉の向こうから、しわがれた声が聞こえる。

「はい……」

 扉を開けるとそこには私と同じ、赤い瞳のイシュマの老女がいた。

「クレッツさん」

「昨日は食べていないだろ。食事をとりなさい」

「いい、いらないわ」

「他の子供はいないよ。私と二人だけさ」

 彼女は手の甲をさすりながら優しく微笑んだ。
 
 他の子供がいないのは悪くない条件だったが、断った手前、私はバツが悪くなりうつむいて口を閉ざした。

「さあ、顔を洗っておいで」

 私は首だけでこくりと返事をかえす。

 彼女の名前はクレッツ・シュタルマ。トリシアーノ教会のシスターの一人だ。クレッツさんも私と同じイシュマである。ここで唯一まともに接してくれる人だ。

「それからジル、今日からこれを着なさい」

 差し出されたのは修道服だった。普段シスター達が来ているものと同じに見える。

「なんで?」

「ゾーラ様からのご指示だよ」

「どういうこと?」

「おまえは今日からシスターとして働くんだよ」

「そんな……いやよ!」

「この服を着て礼拝堂へ行きなさい」

「いやっ!私はここを出ていくの!働く気なんてないわ!」

「そんなことを言わないでおくれ。お前の里親が決まるまでの辛抱だよ」

「いやだ!ならなんで他の子たちはそうならないの?」

 クレッツさんは困惑の表情を浮かべた。

「ずいぶん騒がしいね」

「ゾーラ様……」

 クレッツさんの後ろには朝から見たくもない顔があった。忌々しい昨晩の事を思い出す。

「ジル、とっとと食事を済ませな。そのあとは仕事だよ」

 鋭い声でゾーラ牧師は吐き捨てる。

「ふざけないで!私はこんな服着るつもりはないわ」

「クレッツ、一体何をしてたんだい?こいつを着替えさせるように言っただろう」

「申し訳ございません」

「謝罪なんていらないね!クレッツ、頼まれた仕事ができない者には責任をとってもらうよ」

「っ……!なんでそうなるのよ!クレッツさんは関係ないわ!」

「黙ってな!私はクレッツに話をしているんだよ!」

 クレッツさんは縮こまり、お辞儀をするみたいに体を前後に揺らす。そして手の甲をさすりながら弱々しく答えた。

「申し訳ございませんでしたゾーラ様。責任はお取りいたします」

「ジル!なら、お前はいつも通りみんなと教会の掃除だ。クレッツは後で私の所へ来な」

 乱暴にドアを閉めるとゾーラ牧師は去っていった。静まりかえった部屋には二人のイシュマが残される。

「ごめんなさい、クレッツさん」

「いいんだよ。さあ、食事にしよう」

「でも……」

「心配しなくても大丈夫さ。先に食堂で待っているよ」

 そう言うとクレッツさんも部屋を後にした。
 
 私は顔を洗って身支度を整える。鏡を見るとそこには細面のイシュマの少女が映っていた。無力で小さい、痩せたイシュマの子供だ。

「クレッツさんは何も悪くないのに……」

 なぜイシュマというだけで私たちは不当な扱いを受けるの?

 部屋に残された修道服は奇麗に折りたたまれていて、その上には新しいロザリオが置いてある。昨日引きちぎったロザリオを思い出して首をさすると、ひりついた痛みが走り肩が跳ねた。

「くそっ!くそっ!」

 私を引き取ってくれる人が現れるまでと言われても、この服を着ることで、私は教会に縛り付けられているような気持ちになるのだ。

 でも従わなければクレッツさんが罰せられてしまう。

 髪をくしゃくしゃにして考えた末に、修道服を着た私は食堂へ向かった。

 子供達のいない朝の食堂はいつもよりずっと広く見える。それに静かで変な感じだ。今はクレッツさんが食器を洗う音だけが響いている。
 
 彼女は私を見ると驚いた顔を見せた。

「おやおや……ジル、いいのかい?」

「屈辱だわ」

「なら、どうして」

「これでクレッツさんは悪くないでしょ?」

 私は口を尖らせてクレッツさんから目を逸らした。クレッツさんは何も言わずに、鍋に手を伸ばす。

「ありがとうよジル。さあ、おあがり」

 スープとパンがテーブルに用意されている。私は席に着くと、ごくりと唾を飲んだ。

「神よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意されたパンを祝福し、私たちの心とからだを支える糧としたまえ」

 昨日ろくに食事をしていなかったので、祈りを捧げている時間がとても長く感じる。

 私はパンを割り、口へ入れた。急いで飲み込んだせいで、パンが胸につかえて苦しい。とろりと煮込まれた野菜のスープが噛み締めるごとに甘く、体に染み渡っていく。

 鼻の奥にツンとしたものを感じながら、私は夢中になって食べた。ゆっくりと、体の緊張が解けていく。

「おいしいかい?」

「……うん」

 
 食事を済ませると私は昨晩の事をクレッツさんに話した。自分の手に灯った緑色の火の事だ。

「それはイシュマの火と言うんだよ」

「イシュマの火?」

 クレッツさんはそう言うと自分の手のひらを上に向け、緑色の炎を灯して見せた。

「私も昨日、同じようになったわ!」

 目の前で難なく灯される火に私は安堵する。

「驚いたかい?これは呪われた火だと言われているからね。人前では出さないんだよ」

「危ないの?」

「そんな事はないよ。ただ、沢山の人がそう信じてしまっているのさ」

「ふうん……灯りに使う以外、役にたたなそう。私にもできる?」

「練習すれば、できるようになるよ」

 クレッツさんは手のひらの火を握るようにして収めた。

「さて、そろそろ時間だけど……。ゾーラ様のところへ行けるのかい?」

「うん、行くわ」

 不本意だけど今は耐えるしかない。私はコップの水を飲み干してゾーラ牧師の元へ向った。
 
 

 今この教会の孤児で修道服を着ている子供は私だけだ。ハルマの子達が私の姿を見てひそひそ話をする。
 
「ねぇ、見てあれ。あのイシュマの子、修道服なんて着ているわ」「かわいそう。きっと引き取り先が見つからないのね」「あいつ一生ここから出られないんだぜ」
 
 露骨に隠されていない陰口は嫌でも私の感情を逆撫でる。今すぐあいつらに飛びかかって、あの憎たらしい顔を引っ掻いてやりたい。

 でも、もう騒ぎは起こさないわ。なんとでも言いなさい。あんた達より先に私はこの教会を出て行く。

 集合場所の礼拝堂へ行くと、既に数人のシスターとゾーラ牧師が支度を整えていた。

「ゾーラ牧師。ジルが来てますが一体どういうことでしょうか」

「ああ、すまない。準備を続けてくれないか」

 シスターの反応からするに、私が来ることは伝えられていなかったのだろう。

「なんだい?その格好は」

「言われた通り着てきたわ」

「今更来てどうするつもりだ?この仕事をやるのかい?」

「……」

「まあいいさ。ならさっきの事をここで謝罪しな」

「なっ……!」

 瞬間的な衝動が自分の中に走るのが分かる。

「なんだその目は」

 そうこうしている間にシスター達の準備が完了してしまっていた。

「ゾーラ牧師、準備ができました」

「ありがとう、では出発しようか」

 悲しいことに、葛藤する時間すら神は与えてくれない。私は覚悟を決めて口を開いた。

「……ごめんなさい」

 皆の注目が私に集まる。

「聞こえないね」

「わ、私が悪かったわ」

「それが謝る態度かい?」

 準備を終えたシスター達は固唾を飲んで私とゾーラ牧師のやりとりを見ている。視線の塊が右へ左へと忙しなく行き来した。

「じゃあどうしろってのよ!」

「自分で考えな」

「悪魔め!」

「悪魔はお前だ」

「なんだと!」

「お前がここに来た目的は一体何なんだ。そのクソみたいな意地を見せるためかい?」

 呆れた顔で見下ろすゾーラ牧師を見て反射的に私は答える。口を突いて出た言葉は自分でも意外なものだった。

 たぶんそれは自分の性格からして想像できないような答えだったのだろう。やけくそで叫ぶと礼拝堂は静まりかえった。

「さっきは……っ申し訳ございませんでした!……だから……私を連れてってよ!!」
 
 ぷるぷる震えながら私はゾーラ牧師を睨み付ける。するとゾーラ牧師はシスターの一人から布袋を一つ受け取り私に持たせた。

 ジャガイモが入ったずしりと重たい袋だ。

「あんたはこれを持ちな」

 彼女は二度手を叩き、皆に合図を送る。

「みんな待たせたね。出発しよう」

 呆気にとられる私を無視してシスター達はぞろぞろ移動を始める。これは、一緒に来いということなの?

「何ぼさっとしてるんだい。早く来な」

 ゾーラ牧師が素っ気なく私に言う。私はシスター達に追いつくために急いで歩数を重ねた。

「じゃあ、クレッツさんは悪くないって事でいいの?」

 抱えたジャガイモ袋の影から顔を覗かせて私は口をもにょらせる。

「そんなこと考えていたのかい」

「それと……言うことは聞くから私の引き取り先は探して」

「全く、小賢しいガキだね」

「おねがい」

 ゾーラ牧師は面倒臭そうに頭を掻きながらため息をついた。

「こんなことは今回限りだ。次は無いよ」

「わかったわ。ゾーラ」

「ゾーラ牧師だ。呼び捨てるんじゃないよ」

 私は『いやだね!』と心の中で悪態をついた。


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