グリンフィアの夜

明日葉智之

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1.グリンフィアの朝

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 眠たい目を擦りながら出窓に向かうと、眼下には開発途中の町が広がっていた。
 また新しい建物ができるのだろうか。聖堂の鐘の音とは違う鈍い音がこだましている。

「朝も早よから元気なことで」

 大きく深呼吸をして私は、日頃から溜め込んでいたストレスを窓の外に振り撒いた。

 誰かが聞いてるからやめた方がいい?心配ないわ。どうせ騒音で分かりやしないんだから。

「毎日毎日、工事!工事!工事!うるさいったらありゃしないわ!」

 ……ほらね、私に気がついた近所のおじさんが笑いながら手を振ってくれた。

 数年前から始まった都市開発はとどまるところを知らない。線路が引かれたと思えば、工場が乱立。

 私はこの町の景色がとても気に入っていたのに、今や視界に入るのは屈強な汗まみれの男ばかり。

 風に微かに紛れるパンの香りや、昼にかけて少しずつ賑やかになっていく爽やかな喧騒は消え失せた。この国は一体どうしてしまったのだろうか。

「もはや、心の拠り所はこれだけね」 

 げんなりしてカーテンを閉めると、本棚に置かれている分厚い本の背表紙を撫でる。背表紙には『カナトラビットの物語~上巻~』というタイトルが印刷されていた。

「負けてはだめよハンナ、この小説みたいに、私もいつか真実の愛を手に入れるのよ!」

 顔も洗えば気分も多少はマシになる。癖のある赤毛を束ねて、鏡でそばかすのチェック。

「よし、増えてないわね」

 頬をぺちぺち叩いて一階へと向かうと、おはようの挨拶を待たずして、父親の野太い声が飛んできた。

「おいハンナ!いつまで寝てんだ。とっとと食っちまえ」
 
 がっしりとした体格に髭を蓄えた作業着姿のゲイル・アンバートの声は今日もよく頭に響く。

 これよ、これ!こいつの仲間が町中にいるわけだ。うるさいはずね。
 我が父親ながら、なんて厳ついおっさんなのだろう。

「おはようございます。お父様」

 ぷいっとそっぽを向いたまま、ストンと席に着くと、父は眉毛をハの字にして眉間に皺を寄せた。

「お父様だと?寝ぼけてるのか?」

「起きてますわ」

「……また要らん知恵をつけたみたいだな。隣のガキとは遊ぶなって言っただろ?あいつは昨日も日が暮れるまで鳩を追いかけていたぞ。ああちくしょう!」

 どうやら、ラジオの調子が悪いらしい。父がラジオをバシバシ叩く。

「マルコの事?あの子は別に友達なんかじゃございませんわよ」

「嘘つけ。しょっちゅう遊んでたじゃねぇか」

「いつの話よクソオヤジ!」

「なんだと!さっきの『お父様』はどうした?素が出てんだよ!素が!」

 パンを手に取り、ジャムを塗っていると、母さんが水の入ったコップを差し出してくれた。

「やめなさい二人とも!ゲイル、あなたが悪いわ」

「おはよう、母さん」

「それに、マルコのことを悪く言うのは感心しないわね。別れるわよ」

 母さんがチクリと刺すと、父は両手を上げて白旗を振った。

「あー、わかった!わかった!俺が悪かった!」

 母さんは腰に手を当てて父をたしなめる。私と同じ赤毛なのにクセはなく、そばかすも無い。
 いいなぁ。大人になったら私も母さんみたいになりたい。
 バツが悪くなった父は、鼻を鳴らして新聞を片手にコーヒーを啜りだした。
 
 私はいい気分で父が読んでいる新聞の裏面に目を走らせる。そこには、小さな見出しで『新法律制定へ』という記事が記載されていた。

「ねえ、その新法律ってなんなの?」

「ん?ああこれか……」

 父は読みかけの新聞を裏返し、見出しを確認する。

「イシュマとハルマを明確に区別する為、イシュマには規定で定められた腕章を身に着けるよう法で定める……か」

 顎に手を当て何やら考え込むように呟く。父は本当に真面目な顔が似合わない。

「それで、イシュマと警察が揉めたみたいだな。なんでもイシュマが新しい法律に対する抗議をするために集まったらしい」

「ふーん」

「なんだお前、法律に興味があるのか?」

「別に」

 法律に興味は無い。私が興味があったのは、その記事の横に添えられているイシュマの女の子の写真だった。

 この国で差別の対象となっている人種の女の子が数人、身を寄せ合って抗議運動を眺めている。
 ああ、私もこんな美少女と戯れたいわ。いや、戯れたいですわ。

「こいつは珍しい記事だな」

 父の声にハッと我に返る。

「なんで?」

「揉め事の原因が書かれているからだ。最近はイシュマへの風当たりが強いからな。普通なら 『イシュマ暴動を起こす』と書くに違いない」

「新聞ってそんなんなの?」

 そんな風に書いたら勘違いしちゃうじゃない。最低のやり口ね。

「そういうもんだ」

「お金を払って読むものとは思えないわ」

「そりゃあ、これだけ読んでもだめだな。新聞の情報ってのは形だけだ」

「あなた、そろそろ仕事じゃないの?」

「おお、いけねぇ」

 そう言うと父は残りのコーヒーを飲み干し、カップを豪快にテーブルに置いた。
 うるさいうるさい。酔っ払いか。

「じゃあいってくら。ゾーラ牧師も大変になるな……」

「そうね」

 母さんがため息をつくと、父は仕事に向かった。

 ドアを閉める音が響く。外は工事の音でうるさいのに、騒々しい父が居なくなると急に静かになったような錯覚を起こしてしまう。

「ハンナ。今日は学校休みでしょ。ちょっとお使いお願いしてもいいかしら」

「ええ!」

 私は食器を片付けている母さんの後ろ姿をうらめし気に眺める。

「せっかくの休みなのに~!」

 いくら母さんの頼みと言えど、せっかくの休日の朝はゆっくりしたいんですけど。

 カナトラビットの物語を読み返しながら物思いにふけっていたいのだ。

「いいじゃない。本ばかり読んでいないでたまには外に行きなさい。前はよく遊んでいたじゃないの」

「この町の黒煙に心が蝕まれましたの」

「蝕んでるのはあの本よ」

「母さんまでそんなこと言う」

 ここで私は名案を思いつく。

「あっ、そうだ!新しい服買ってくれたら外に行くわ!」

「だめ」

「ちぇ~っ。いい考えだと思ったのに~」

「その服もかわいいわよ」

「サスペンダーなんていやよ!男の子みたいじゃない」

 私だって今流行りの服が欲しい。そして美少女と一緒に野山を駆け回りたい。

「はい、行った行った!」

 私の意見は却下され、母さんは手を叩き私を玄関へと追い詰める。

「うう、日の光が眩しい……」

「悪魔じゃあるまいし」

 そう言うと、母さんは封筒と小さな財布を私に渡した。

「封筒をトリシアーノ教会のゾーラ牧師へ。それと帰りにパンを買ってきてちょうだい」

「……はーい」

 あの牧師さん苦手なのよね。

「お釣りは使っていいわよ」

「えっ!ほんとに!?やったー!」

 お小遣い?それなら話は別である。服は無理でも新しい本が買える。
 運が良ければ非売品となった「カナトラビットの物語~下巻~」が手に入るかもしれない。帰りは古書店に寄って帰ろう。
 
 私は母に見送られ、家を後にした。



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