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プロローグ
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しおりを挟むリディアは父である伯爵が言い放った言葉に耳を疑った。
深呼吸を二、三度繰り返して、十分に心を落ち着けてから口を開いた。そうでもしないと絶叫するに違いなかったから。
「お父様、ごめんなさい。もう一回言ってくれる?」
「あぁ、何度だって言ってやるとも。お前はこれから王都へ行って、ジョエル君と婚約しなさい」
「だからっ! なんでそう、なるのよっ!」
聞き間違いであって欲しいと願った言葉は、真実正しいものだったとこれで証明されてしまった。
同時に、寸前のところで我慢できていた心の底からの言葉が遠慮なしに叫ばれた。
「なんで私があんな奴と婚約しないといけないわけっ!? そもそも、一人娘の私と一人息子のあいつが結婚なんてできるわけないじゃない! 寝言ならちゃんとベッドに行って目をつむってから言ってよね!」
「あーうるさいうるさい。お前はどうして昔から自分の気に入らないことがあると大声でまくし立てるんだ。母さんはあんなにお淑やかだったっていうのに」
伯爵は耳を両手でふさぎ、やれやれと首を左右に振った。
今は亡き妻であり母である女性が二人の脳裏にふっと浮かぶ。
しみじみとした空気が一瞬流れかけたけれど、リディアの方が気を取り戻すのが早かった。
「大声出させるような父様が悪いんでしょ!」
再び大声を出すリディアに呆れた顔を見せた伯爵は、先程リディアが入ってきたばかりの入り口のドアの方へ目を向けた。不服感満載で顔をしかめるリディアもその視線の先を追いかけた。
すると、そこには今まで身じろぎもせず壁に寄りかかっていたと思われるジョエルの姿があった。まるで彫刻のように立ち尽くしているものだから、リディアが部屋の調度品と見間違えてしまうのも無理はない。
「ジョエル君、すまないね。うちの娘が毎度うるさくて」
「いえ、慣れてますから」
伯爵の言葉にジョエルはちらとも表情を変えずに淡々と返した。ちなみに通常仕様である。
そこは、そんなことは、とか言って言葉を濁すものだが、彼はそんな人間関係を円満にするような常套手段は使わない。いつだってその時その時思ったことが口からなんの遠慮もなしに放たれるのだ。ある意味正直者と言えなくもない。
そんなジョエルにリディアは口元をヒクリと動かしたが、その話題についてはこれ以上触れないでおく。自分に関してのことは逆に藪蛇になりかねないことを経験で知っているからだ。代わりに今一番気になることを聞いてみることにした。
「……なんであんたがここにいるのよ。一年中帰る暇もないほど忙しいんじゃないの?」
腕を組み、家庭教師からははしたないと言われる仁王立ちをしてジョエルを睨みつける。そして、さらに言葉を続けた。
「だいたい、あんたみたいに顔がよければ婚約者になりたいなんて女の人、星の数ほどいるでしょ」
「うん」
まるでごくごく日常的な、それこそ今晩のメニューはなになにでいいかと尋ねた時に頷いて答えるような簡単な返事が全く自慢げもなく返ってきた。
リディアは再び口元をヒクリと動かした。
確かにジョエルの見た目は、見た目だけはいい。ここで注釈をつけるとすると、“だけ”という部分が非常に重要であるということだ。
淡い金髪にエメラルドの双眸をもつ端正な顔立ちに、王宮で近衛士官として出仕しているだけあってすらりとした体躯で颯爽と歩く姿は、物語から出てきた王子様のようだと表現されているのは何度も見聞きしている。子供の頃からこんな感じなので、そりゃあ女の子達にモテてもいた。
ただし、その女の子達のジョエルへの恋慕も、ジョエルのある意味真実の口を知るまでのことだ。なかにはそれでもという猛者がいることにはいたが、それでもジョエル自身が自分のことを何とも思わないことを悟った時、泣く泣く諦めていった。
リディアはこの容姿は良くともその正直すぎる口のせいで老若男女ほとんどの人に嫌われまくっている幼馴染にほとほと困らされていた。なまじ頭の方もずば抜けていいせいで、語彙や知識の豊富さで大抵の会話で三回は相手を怒らせることができる。ここまで来ると一種の才能だと、リディアは割と真剣に思っている。
そんな幼馴染と婚約。不安しかない。
「……それなら、その中から選べばいでしょ? わざわざ私じゃなくてもいいじゃない」
「美人はすぐに飽きるっていうけど、その点、リディアは昔っから一度も飽きたことがないから。君のその単純ですぐ感情を表に出すところも、裏表がほとんどないところも、病的なまでにお人好しなところも、全部ひっくるめて好きだよ?」
「……一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「それは私の良い所を並べてるのよね?」
「そうだよ。あ、あと一つ。嫌なことをすぐに忘れて、また同じようなことに遭う馬鹿さ加減も」
真顔で続けられる言葉に、彼が本当にそう思っていることが見受けられる。
苦言を言われた父の手前、一度は冷静につとめようとしたリディアの努力は泡と消えることになった。
「死んでも婚約なんてしてやるもんですかっ!!」
本日一番の怒声が伯爵の執務室だけでなく、屋敷中に響き渡った。
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