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第10話 怒りのチェーザレ

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アンジェロ殿下はそう語り終えると涙を流し始めた。

「あんな女に騙されなければ良かった。君のようなちゃんとした婚約者がいたのに、俺は本当に子供だった。幸運に恵まれていただけなのに、君がどんなに価値があるものかを分からず、自分で投げ捨ててしまったんだ。それも傷つけるようなひどい言葉で。本当にごめん。君はいつも俺に笑いかけて、色々と話をしてくれた。俺を本当に大切にしてくれた。それなのに、そんなことにちっとも気が付かなかったなんて」

「いいよ、もう。終わったことだから」

「全てを失った俺にはもう、生きている資格はないのかもしれないな」

寂しげに彼はこうつぶやいた。

「そんなことないよ絶対。私が、私たちが必ず助けるから。だから、その時まで、頑張って。お願い」

「ふっ。君はいつもそう言って俺を励ましてくれる。なんてことだ。こんなみじめな俺に。ははは。全てを失って初めて分かることがあるんだな。君みたいな女性こそ、本当に貴重で得難い女性なんだと」

彼は自嘲気味にそう言った。顔には翳りが見えている。本当は元気になるまで励ましてあげたかったけど、だいぶ時間がすぎていることに気がついた。

「もう時間になるから行くね。怪しまれてもいけないし。でも、絶対に助けるから。諦めないでね」

彼は無言で頷いた。

私は後ろ髪を引かれるような思いで、彼の閉じ込められている檻から立ち去った。



今、私はネスタ公爵邸にいる。

チェーザレ様がかなり忙しく、王宮に直接出向くよりも都合がいいということ、王宮内だとどこで誰に聞かれているか分からないと言うこともあって、こっちの方に来てくれと彼の方から誘いがあったのだ。

彼のタウンハウスは王宮にほど近いところにあったので、馬車であればすぐにいくことができた。従者たちと一緒にいくことが条件だったが、彼らには別室を用意されたので、公爵邸に着いてしまえば彼らに監視されることはない。

ラザロ・ネスタ公爵は奥さんと共に自領にある本邸に住み、現在は療養に専念しているので、タウンハウスでの主人はチェーザレ様だけだった。

2階の奥にある彼の部屋に通された。落ち着いた色調の部屋で、華美な調度品、装飾品は一切ない。その代わりに、仕事に使うようなデスクや椅子は機能的でかつ高価な素材をふんだんに使われているものを採用し、彼の性格が現れているような気がした。

私はソファーの一つに座った。適度な硬さでしっくりくるような感じ。座っているとその存在感を忘れてしまいそうになるけれど、確実に疲労を減らし心地よさが自然に伝わってくる。それに比べれば、いつも座っているソファーは柔らかすぎて、ふわふわする感触を楽しめるけど、不自然に演出された心地よさのように感じた。

「おう、待ったか」

チェーザレ様は部屋に入ってきたけれど、そのままこちらの方に来ることはなく、仕事用の椅子に座って少しワイシャツの襟元を緩め、デスクの上にある書類を取り上げた。

「もう少しだけ待っててくれ、書類に目を通して署名したら終わりだから」

「大丈夫」

彼は机にあるメガネを取り出してかけると、書類に熱心に目を通し始めた。真剣な顔つきは端正でまるで美しい彫像のようだ。アイスブルーの瞳が鋭く光り忙しなく動く。ややうつむいた顔に、輝く銀色の髪が数条かかっている。緩めた襟から少し胸元が見えていた。

あまりジロジロと見るのは良くないと思って、私は思わず顔をそらした。でも、仕事をしている彼の姿は少し新鮮で、意識しないようにすればするほど気になってくる。

すると、いきなりチェーザレ様が私の隣に座ってきた。

「終わったぞ。早速聞かせてもらおうかな」

きょ、距離が近すぎる。時々、肩が触れ合っちゃう…… チェーザレ様は見かけはほっそりしていたが、意外とがっしりとした体つきをしているのが分かった。

私は緊張感で固くなりつつも、ティナ(中身はアンジェロ王太子殿下)の様子や、その時話した内容を簡単に説明した。チェーザレ様は黙って聞いていたが、ロザリア伯爵令嬢の話になると、激しく怒りの表情をみせ、体を震わせた。

話終わるとしばらく彼は黙っていたが、やがて口を開いた。

「俺は学校内で誰か見ているものはいないか確かめてみるよ。それと、あの雌ギツネがその日どうしていたかを調べてみる。色々と話を突き合わせれば手がかりが掴めるかもしれない」

「うん、分かった。ごめんね。そっちにばかり頼んじゃって。まだ、僕の方は監視が厳しいんだ」

「気にするな。俺はやりたいからやっているんだ」

「仕事忙しいの?」

「まあな。でもやりがいがある。自慢じゃないが領民の生活は以前と比べてかなり良くなっている。貧しい人や困っている人たちにも恩恵が与えられるように、今、色々な政策を実行しているところだ。これから、もっともっと、領民が幸せで豊かに生きれるようにな」

「なんだか、すごいね」

「それもこれも皆、ティナさんのおかげだ」

え、私関係ある?

「そうだ、どうして俺がこんなにティナさんのことが好きなのかをお前にちゃんと教えてやらないとな」

「え、え、いいです。遠慮しておきます」

また、あの時みたいに延々と称賛されることは目に見えていた。正直、そんなに持ち上げられても、とても困るしすごく恥ずかしい。それに自分に見合わないような賞賛はすごく複雑な気持ちになる。

「まあ、そういうな。これを見てくれ」

彼はいきなり襟元に手をやると、ネックレスを取り出した。銀色の鎖に、ペンダントトップに青い宝石をあしらったものだ。どうやらサファイアのようだ。そして、なんだか見覚えのあるものだった。

「俺が前に公爵家の養子だった時の話をしたけど、実は養子になったばかりの頃、ティナさんに会っていたんだ」

何かモヤモヤとしたものを感じる。大切なことを忘れていたような。

「俺はランベルト王の愛人の子供として、無理やり公爵家に養子にされたんだ。周りの人間には全然認めてもらえなかった。そりゃあそうだろうな。知らない子供がいきなり公爵家の跡取りなんてな。だけど、俺はその時、実の母親から引き離された5歳の子供に過ぎなかったんだ。何も分からず、ただ言われるがままに、他人ばかりのところに無理やり連れてこられた子供。でも、周囲はわかってくれるどころか、陰で愛人の子供だと言われ蔑まれていじめられていたんだ」

彼は淡々としゃべっている。まるで他人事のように。でも、こう言えるまで、彼にはいったいどれだけの時間が必要だったのだろう。そして、それまでどんなにつらかったんだろうと思うと私は何も言えなかった。

「どうしていいか分からず。ただ、生きていた。そして、次第に周りの人間全てが敵に見えてきたんだ。そんな時に、彼女に会った。ちょうど、王宮でパーティがあった時だな」

私の頭の中に、昔の記憶が蘇ってきた。ある日のパーティ。大広間で大人たちが大騒ぎをしている。子供たちは子供たちで、昔から知っているもの同士で仲良く遊んでいる。遠くから歓声が聞こえる場所、咲き誇る花壇の前、一人座り込みうつむいている銀色の髪の少年がいた。

「あの時。色々と話しかけてくれた。一緒に笑い、そして泣いてくれた。これはその時もらったペンダントだ。俺の宝物。いつもこれを見て俺は頑張ってきた。つらい時、悲しい時、いつも俺と一緒だった。だから、今の俺がある。だからこそ彼女をどうしても助けたいんだ」

あの時、渡したペンダント。なくしたと嘘を言って両親に結構怒られたっけ。でも、今その時の少年は大きく成長し私の前に姿を表した。そして今、一緒に協力しあっている。なんだか、おかしい気がした。

「まあ、そう言うわけだから、絶対にティナさんを助けような」

「うん、分かった」

するといきなり、チェーザレ様は両手で私の肩を掴んで、私に迫ってきた。真剣な眼つきで私を見る。

えええ。いきなりどうして。

「そういえば、ロザリアとはもう縁を切るんだろうな」

「も、もちろん」

「そうか、良かった」

チェーザレ様は安心した様子で私の肩から手を離した。けれど、私はしばらくの間、心臓の鼓動が止まらずにいた。
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