蜜月

西崎 仁

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第9章

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 コクリ、とリズは息を呑みこむ。それから、ゆっくりと口を開いた。

「あなたがお望みになるか、あるいはあの子自身が希望するのであれば、あの子の肉体を女性化することは可能です」

 挑むような眼差しと、なにかを決意するような表情。
 わずかに目を瞠ったシリルは、一瞬呼吸を止める。だが、やがてなにも言わずに視線を落とすと、息をつきながら手にしていたカップをテーブルの上に戻した。

 語られた内容がなにを意味しているのかは、あらためて聞くまでもなかった。

 先程より、遙かに重い沈黙が場の空気を支配する。
 しばしの時を経た後、その沈黙を破ってシリルは低い声を発した。


「いまの話は、聞かなかったことにする」

 硬い声音同様、その表情からも穏やかな笑みが消えていた。
 話の流れとしては予想できない提案ではなかったが、それでも実際に、リズの口から語られてしまうと到底受け容れがたい内容だった。

「リズ、俺はあいつにそんなことは望まない。決して」
「陛下」
「あいつ自身がそれを望むのであれば、俺にとやかく言う権利はない。だが、少なくともいまのところ、あいつが自分の性別について不満や違和感をおぼえていると感じたことは一度もない。だとすれば、いまの提案は、今後もあいつが周囲の目を気にせず俺の傍にいるための最終手段として、という趣旨が含まれていたことになる。違うか?」
「――違いません。おっしゃるとおりです」

 リズもまた、硬い表情のまま答えた。その様子を見やって、シリルの口から深い吐息が漏れた。

「リズ、俺たちはすでに特別な存在として互いを認め合ってる。それが周囲の目にどう映ろうが、そんなものは関係ない。俺たち自身がわかっていればいいことだからだ」
 言って、シリルはわずかに口調と表情をやわらげた。

「たしかにあいつはあの見てくれだ。この先もずっとこの関係が変わらないとしても、邪推したがる奴はいくらでも出てくるだろう。だが、そういう奴には好きなように下世話な想像をさせておけばいい。いまだって俺は、歴代君主とは毛色の違う、問題だらけのお騒がせ国王だからな。そこにゲイ疑惑がひとつ加わったところで、国民のだれも驚かないだろうよ」
「陛下、そんな――」

 シリルはそれでいいんだと笑った。

「あいつはいまのままでいい。いまの姿のまま傍にいてくれれば、それで充分だ」

 硬張こわばっていたリズの表情がゆっくりと崩れていく。それはやがて、泣き笑いに変わっていった。

「ありがとうございます。いまのお言葉で充分です。すみません、余計なことを申し上げて。あの子のこと、これからもよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしく頼む。あいつを、一人前の研究員にしてやってくれ」

 当事者がいないからこそ交わすことのできた会話。
 この先の人生が、豊かで、穏やかな光に満ち溢れたものであるように――

 無垢なる存在に対してそれぞれの立場で願うことは、ただひとつだった。
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