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第十二章

閑話 家宰と辺境伯

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 《鉱山都市グリーク》のほぼ中央に位置する小高い丘の上には、領主が暮らす居城が聳えている。
 その居城の内部にある執務室では、今日もいつものようにグリーク領の領主である、アーガス・バルトロン・グリークが書類仕事に追われていた。

 コンコンコンッ……。

 そこへドアをノックする音が聞こえてくる。
 アーガスが「入れ」と促すと、入室してきたのは大分白髪も目立ってきた、人族の老齢の男性だった。

 所謂執事服と呼ばれるものをビシッと身に纏い、正しい姿勢の見本のようにキッチリと背筋を伸ばし入室してくる老齢の男。
 年の割にその歩きはしっかりとしており、年齢による衰えなど見せてたまるかといった気概のようなものも感じられる。


「アーガス様。《ジャガー町》で活動しております『黒髪隊』より報告書が届いております」

 入室して数歩入った位置で立ち止まった老齢の男は、その場で用件を伝え始める。
 彼の名はジェイガン・ジムフェルトといい、グリーク家の家宰を務めている男性だ。

「ふむ、して内容は?」

「『勇者』シルヴァーノに声を掛けられたので潜入を試みた、との事です」

「……ベネティス、か」

「はい。先日の報告でも奴らの手によるものと思われる、アーガス様を誹謗する噂を流していた者がおりました。最も偶然居合わせたホージョー殿の機転で、全く逆効果となったようですが」

「うむ。ホージョーにもホージョーなりの打算はあったのだろうが、俺としては助かる。それで、『勇者』は単独で活動しているのか?」

「いえ。ベネティス領準男爵、アレクシオス・ブールデルの護衛としてやってきたようです」

「ブールデル……聞き覚えのない名だな」

「いつものシッポ切り用の子飼いの準貴族かと思われます」

「フンッ! 相変わらず小賢しい手を使う」



 『ロディニア王国』の東には三つの辺境伯領があり、北から順にバルトロン、グリーク、ベネティスと続いている。
 『ロディニア王国』は、《ヌーナ大陸》の北西部にある半島一帯を治める国だ。
 北、西、南の三方を海に囲まれているので、東にあるこの三つの辺境伯領は王国防衛の要であり、砦なども幾つか築かれていた。

 しかし、山脈をまたいでの隣国である『パノティア帝国』は、『ロディニア王国』建国以来、一度も兵を差し向ける事はなかった。
 帝国は帝国で、大陸北東部との戦が長年続いていて、『ロディニア王国』にまで手を伸ばす余裕はない。

 そもそも辺境の田舎国であるとみなされているので、ガリアント山脈という天然の要塞に守られている『ロディニア王国』は、わざわざ攻める価値もないと判断されている。

 そういった背景があり、初めのうちはそうでもなかった東の三つの辺境伯領であったが、敵がこないと分かると関係が変化し始める。
 中でもグリーク領とバルトロン領は、領主の気風が近い事もあって良好な関係を結んでいる。
 当代のグリーク辺境伯アーガスの母ラウリアは、先々代バルトロン辺境伯の三女であり、血縁関係もあって今では更に関係は強固になっていた。

 この両辺境伯家と、最早敵対関係といっていい程に関係が悪化しているのが、南東部に位置するベネティス領だ。

 三領のうち王都に最も近く、南の海沿いに大陸中央部へと続く交易路を抱え、南の『タロォク連合国』とは海路を利用して貿易も行われており、三つの辺境伯領の中では一番力を持っている。

 そのベネティス領の領主が代々目の敵にしてきたのが、エルドール自治領のエルフと、隣領のグリーク領であった。
 昔から質実剛健なグリーク家は、真正面からの戦いは得意だったが、謀の類は苦手としていて、これまで幾度かベネティス家には辛酸を舐めさせられていた。

 しかし代を重ねるにつれ、グリーク家も対処法というものを見出していった。
 その一つが、謀の得意なものに丸投げするというものだった。
 そこそこの規模の貴族であれば、自前の軍隊や諜報組織などは持っているのが一般的だ。

 かつてのグリーク家の当主は、ベネティス家との応酬で自身に謀の才がないというのをきっちり理解していた。
 なので、特に諜報組織については力を入れて築き上げていった。

 アウラに救われ、今も常にアウラに付き従っているカレン。
 彼女がアウラの役に立とうと、隠密としての腕を磨いたのもその諜報組織である。

 そして諜報組織とは別に、市井の者や冒険者などと密かに盟約を結び、情報を集める事もあった。
 Cランク冒険者パーティー『黒髪隊』もそうしたアーガス子飼いの冒険者パーティーの一つだ。

 彼らは昔、苦境に立たされていた所をアーガスに救われた過去があり、それ以降盟約を結んでアーガスの為に尽くしてきた。
 といっても、表向きにはアーガスとの関係など微塵も見せていない。
 それに盟約といっても、主従関係とはまた別なので、普段は普通に冒険者活動をメインに行っている。

 ダンジョンが公開された比較的初期の頃、《ジャガー村》に活動拠点を移したのも、悪魔討伐の際に名乗り出たのも、彼らが自ら進んで起こした行動だ。
 アーガスから頼まれたのは、『サムライトラベラーズ』と『プラネットアース』に接触して、情報を探ってほしいという事だけだった。



「……で、奴らは冒険者を雇用して何を企んでいるのだ?」

「そちらは今の所存じませぬが、一先ず『黒髪隊』にはブールデル準男爵の護衛を任せ、『勇者』はダンジョンに潜っているとの事です」

「ダンジョンに潜るだけならば、わざわざ準男爵が同行する理由もあるまい」

「はい。なんでも『黒髪隊』からの報告では、『勇者』は他にも《ジャガー町》に集った冒険者の中でも、有望な者について調べていたようでございます」

「冒険者……? 確かに今あそこは各地から冒険者が集ってきてはいるが……」

 アーガスは、ブールデル準男爵の背後にいるベネティス辺境伯の事を見据えて思考を巡らせる。

「末端とはいえ、準貴族を派遣したくらいだ。いつもの嫌がらせのような規模のものではないのかもしれん」

「その辺りも加味しまして、《ジャガー町》には追加の人員を派遣してはどうかと思うのですが、如何致しましょう?」

「うむ、それで構わん」

「ハッ! それではそのように指示を出しておきます」


 アーガスの許可を得たジェイガンだが、まだ話は終わっていないようでその場にとどまり続ける。

「ふむ? まだ話があるようだな」

「左様でございます。エスティルーナ様に依頼していた例の件なのですが……」

 そう言いながら懐から取り出した封書を、ゆっくりとアーガスに手渡す。

「…………これは」

 初めは瞳を左右に走らせて、先を急ぐように読んでいたアーガスは、一度最後まで読み終えると、もう一度最初から読み返す。

「む、むうう…………」

 低くうなりながら、もう何度目かになる内容の見直しをするアーガス。
 そこへ遠慮がちにジェイガンが声を掛ける。

「……こちらはエスティルーナ様から私が直々に受け取ったものでございますが、その時に引き続き調査は続行すると仰ってました」

「つまりここに記された以外に、まだ他にもいる、と?」

「恐らくは」

「ふううぅぅぅ……」

 ジェイガンの返事を受け、大きく息を吐くアーガス。
 持っていき場のない憤りから、政治的にどう動くかまで、様々な思いや考えがアーガスの中を巡る。

(少なくとも最悪の事態は免れたと思いたい所だが、一体どこまで手が伸びていたのやら)

 この件について深く考えても頭が痛くなるばかりであると、アーガスは一度頭を振り余計な考えを頭の中から一緒に振り落とす。
 そしてまず最初に取るべき行動から考え始めた。

「……これはアウラにも知らせておいた方が良さそうだな。それとトライヴの奴にも、何やらきな臭い事が裏で進行していると警告した方がよさそうだ」

 トライヴというのは、現バルトロン領主であるトライヴ・カールセン・バルトロンの事だ。
 アーガスとは縁戚関係にあり、アーガスより年下であるトライヴは、アーガスの事を兄貴分として慕っている。

「でしたら伝令の者には気を使った方が宜しいかと」

「うむ。トライヴの元にはバルを派遣するとしよう。そしてアウラの方だが……」

「僭越ながらアーガス様。アランは如何でしょうか」

「アランというと、お前の孫か」

「はい。執事としての基本は既に叩き込んでありますし、実際にこの居城で奉公について三年になります。アウラ様も居を構えた事ですし、そのまま向こうで使って頂けたらと思っております」

「良いだろう。では早速手配を進めてくれ。他に伝達事項はないな?」

「はい、以上でございます」

「では頼んだ」


 用事を済ませたジェイガンが部屋を退室していく。
 一人執務室に残されたアーガスは、執務机に肘をつき、もたれかかるようにして顔を左手で支える。

「まさか……な」

 そして小さく、誰に掛けたのでもない声で呟くと、もたれかかっていた顔を上げて姿勢を正す。
 それから席を立ちあがると、窓際まで移動する。

 部屋の大きさと比較すると小さなものだが、部屋の窓には丸いガラス窓が嵌められていた。
 しかし透明度は低く、不純物の混じった半透明なガラスが使用されていて、窓の向こうにある景色はぼんやりとしか映らない。

 それでも、外が晴れているか曇っているか位の区別は十分つく。
 アーガスが見上げた窓の先の空には、どんよりとした雲が敷き詰められていた。
 それがまるで自分の心境のようだと感じたアーガスは、胸の心臓のある辺りをそっと手で触れる。

「……フッ」

 直後、感傷的になっている自分に気づいて思わず苦笑いを浮かべたアーガスは、再び執務机に向かって座ると、溜まっていた執務を再びこなし始めるのだった。



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