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第十章

閑話 転移前 ――メアリー編――

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 日本人男性「細川孝義」と、英国人女性「アリスン・ミルワード」との間に生まれた一人娘、メアリー。
 彼女は英国人の母を持ちつつも、家の中でも日本語で話す母のせいで、別段英語が得意という事はない。

 顔の作りで言えば少し彫りが深く、真っ黒ではなく少し茶色の交じった髪色に、母方の遺伝子が現れているのだが、見た目的には他の日本人とそう大きな違いはない。
 その為、名前を名乗って自分がハーフだと言うと、信じてもらえないことも何度かあった。
 一時期はその事にもどかしい思いを感じていた事もあったが、今ではそういうものだと受け入れている。

 そんな彼女が結婚相手に選んだのは、母と同じ日本の男性であった。
 日本で生まれ育ち、日本人に囲まれて育ったのだから、それは当然の流れとも言える。
 もちろん両者が出会い、結婚するまでにはそれなりの紆余曲折もあった。

 メアリーが夫と出会ったのは大学の構内での事だった。
 奇しくも相手も同じ細川姓であった事から、二人はすぐに意気投合して……という訳でもなく、初めはただの仲のいい異性の友人でしかなかった。
 それが共通の友人とのいざこざがきっかけで、将来の夫となる男性と付き合い始める事になる。

 こうして大学在学中に付き合い始めた二人だが、一度大きく仲たがいをして別れる寸前にまで行ったこともあった。
 きっかけはささいな事だったが、互いに引っ込みがつかなくなってしまい、連絡を取る頻度も減ってしまう。

 二人ともこのまま別れるのは嫌だと思いつつも、恐れや不安から携帯に手が伸びない。
 そんな状況を救ったのも、二人が付き合うきっかけとなった共通の友人、根建であった。

 彼は大学の図書館で司書をしており、読書好きであったメアリー達ともよくお勧めの本や好きな作品について、仕事の合間を縫って語り合っていた。
 年はメアリーより上だが、大きく離れている訳でもなく話も合った。
 メアリーは未だにその時の事を感謝している。


 その後、大学を卒業すると同時に二人は同棲を始めた。
 保健師を目指す男と、看護師を目指すメアリーの生活は、当初は大変なものだった。
 資格取得の為の勉強をしながら、日々の生活費も稼がなくてはならない。
 そうした誰もが抱くような辛い事も、二人で励ましあい、時には相手を支え、時には甘える。

 そうして育まれていった二人の愛情は、学生時代のものから少しずつ変化していく。
 やがて国家試験に合格し、輝かしい未来が現実となり、二人の生活は次なるステージへと移行した。

 初めのうちは慣れぬ仕事に一杯一杯だった二人も、やがては職務に慣れていく。
 そうなってくると、二人の脳裏に浮かんだのは子供の事だった。
 小児科のように、専門的に子供と関わることはなかった二人だが、仕事的には子供と接することもある。
 いや、仕事などを抜きにしても、休日の公園で遊んでいる子供を見れば、自然と子供が欲しくなるのは人の摂理と言えよう。

 しかし、なかなか子宝に恵まれないまま時は残酷にも過ぎていく。
 妊娠の適齢期はまだまだ問題ないとはいえ、こうも子供が出来ない事にメアリーは不安を抱いていた。
 激務が続いている、という訳でもないのだが、時期的にきつい時というのはある。
 そうした仕事の影響で月経不順をきたしたこともあったので、それが原因なのでは? などと不安が募っていく。


 結局二人して、不妊治療のために医療機関に訪れる決心をした二人。
 世の中にはもっと長い期間、子供が出来ずに悩んでいる人がいるというのに、私たちのように数年子供が出来ないだけで訪れてもいいのだろうか。
 などといった思いもありはした。
 それでも子供が欲しいという二人の……特にメアリーの強い思いによって、医療機関で診断を受けることを決める。

 その結果は妙々たるものではなかった。
 両者ともに、子供が作りにくいという結果が出てしまったのだ。

 フラフラとした足取りでクリニックを出る二人。
 互いに慰めの言葉も出ず、無言のまま家にたどり着く。 
 その日一日どころか、しばらくの間二人はショックから立ち直れずにいたが、このままではダメだ! と、男が決心する。


「メアリー、僕と結婚してくれ」


 静かでありながら、心の奥にまで響くような低く、優しく、真摯な声でプロポーズをする男。
 それはクリニックでの診断結果とは関係なく、元々近いうちに考えていたことであった。
 二人ともに仕事も軌道にのりはじめ、余裕もでてきた昨今。
 メアリーの方も、心のどこかしらで彼からのプロポーズの言葉を待っていた。

 例えそれが、沈んでいる自分をどうにかしたいという理由であったとしても、ずっと待ち続けていた彼の言葉は、底なし沼にはまりかけていたようなメアリーの心を軽くしてくれた。

「はい……。私も貴方と同じ気持ちでいます」

 こうして晴れて夫婦となった二人は、新婚旅行に海外ではなく国内を選んだ。
 子宝の湯として有名な温泉旅館に泊まり、同じくその手で有名な神社にもお参りにいった。
 二人で過ごすゆったりとした時間は、これまで蓄積されていった邪気を払うかの如しだ。

 そのせいだろうか。

 それから一年もしない内に、ついに念願の子宝に恵まれた。
 もちろんその間も不妊治療にかかっていたので、その結果が出たというだけかもしれない。
 それでも二人にとって、結婚を機に運気が上回ってきたのは確かだった。



 こうして二人の間に長男である「圭吾」が生まれる。
 そして待望の赤ちゃんに喜んでいるのは、なにも二人だけではない。
 二人のそれぞれの両親にとっても圭吾は初孫であり、頻繁に夫婦の家に遊びにきては、赤ん坊の世話を見てくれた。

 毎年夫の実家では、新年に親戚一同が集まる場があったのだが、そこでも圭吾は引っ張りだこだった。
 今も夫の従弟であり、昔から夫とは家族ぐるみの付き合いをしてきたという男性が、慣れない手つきで赤子をあやしている。

 近しい家族以外には顔見知りをする圭吾だったが、その男性はどうもお気に入りのようで、男性の差し出した人差し指をちっちゃな手のひらで必死に「あぅあぅ」と言いながら追っている。

 そんな日常的とも言える幸せな光景を見て、思わずメアリーの目から涙がこぼれる。
 ……ふと、メアリーの肩に誰かが触れる。振り返るとそこには優し気な表情をした夫の姿があった。

「あの子は絶対に幸せにしてやらないとな」

「えぇ……勿論。あの子は私の宝物ですから……」

 この二人の誓いは、当面の間守られることとなる。




 育児休暇の期間が終わり、すくすくと。そしてあっという間に圭吾は成長を続けていく。
 新年に親戚たちが集うたびに、圭吾の成長には驚かれる。毎日一緒にいるメアリーであっても、子供の成長の速さというものは驚かされるものだ。
 それが一年も期間を開ければ、まるで別物といってもいい位だろう。

 こうして無事に初の七五三のお祝いも終え、保育園に通うようになってくると、時折子供が思いもしない言葉などを言うようにもなってきた。
 仕事に子育てに、忙しい毎日を過ごすメアリーにとって、そうしたちょっとした子供に関する驚きが、一種の生活のスパイスになっていた。

 そして更に時は過ぎ、圭吾は目に入れても痛くないほどに、メアリーにとってはかけがいのない存在へとなっていく。
 圭吾も五才になり、あと半年ほどもすれば、また七五三のお祝いに行くことになるだろう。

 気の早い両親が「圭吾の袴着を用意しなくていいのか? なんならじいちゃんが出してやるぞ?」などと、すっかり"おじいちゃん"になってしまった父に、思わずメアリーも困ったように笑顔で返す。

「もう、父さんったら。七五三のお祝いまではまだ半年もありますから」

 子供の成長というのは、例え半年という期間であっても馬鹿にできないものだ。
 まあある程度余裕をもって、大きめに作ってもらえばいいのかもしれないが、今度は逆にそこまで成長しなかった場合に困ってしまう。

 前もって用意しておくのは悪いことではないが、せめてもう少し後になってからの方がいいだろう。
 その時のメアリーはそのように思っていた。
 まさかその時の父の申し出を断ったことを、後悔する事になろうとは予想もつかなかったのだ。


 そして運命のあの日……。


 大雨が振るでもなく、梅雨の時期に訪れたとある晴れの日のこと。
 何の前触れもなく、メアリーは職場から……いや、この世界から姿を消した。

 楽しみにしていた、息子の晴れ姿を見ることも叶う事ないままに……。


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