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第九章

第195話 Re:プロローグ

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△▽△▽△▽△▽


 ……ぴちょん。
 …………ぴちょん。

 どこからか微かに水の滴る音が聞こえてくる。
 もの静かなこの空間の中で、聞こえてくるのはどこからか響くこの水の音だけと思われた。
 だが、更に耳を澄ませてみれば、微かに呼吸音が聞こえてくる。
 それも自身の吐いた息だけでなく、周囲からも同様の吐息が幾つか聞こえてくるのが感じられた。

 虚ろだった男の意識は、そこで急速に覚醒し始める。


「ここ……は……?」

 男の目に飛び込んできたのは、壁の部分が青く発光している洞窟の内部のような部屋だった。
 周囲には他にも幾人かの人の姿や、宝箱のようなものも目に入ってきたが、それよりもまず男を襲ったのは強烈な不安感だった。

(俺は……一体……)

 胸の奥にぽっかりと穴が開いたような強烈な感覚。
 しかしその理由にさっぱり心当たりもなく、周囲の風景もまた不可思議なことばかりで、しばし男の心中を明瞭しがたい感情が吹き荒れる。

 だが男の性格なのか、別の理由からなのか。
 そういった心の中のアレやコレはすぐになりを潜めていき、冷静になった男は改めて周囲を見回しつつ、自身の記憶を探っていく。

「あ……。そう、いえば……スキルを選んだような……」

 ここに飛ばされる直前の、自分が何をしていたかの記憶については、何故かやたらと曖昧だった。
 どこか散歩をしていたような……気もするし、室内でパソコンに向かい合っていた……ような気もする。どうもその辺がさっぱりしていない。
  ただ、麦わら帽子なんぞを被っている事から、外に出ていたのでは? という事が予想は出来た。

 そういった、直前の記憶が曖昧である事とは反対に、飛ばされる前に聞こえてきた"声"とその内容だけはハッキリと覚えていた。
 早速、男はあの時選択したスキルを、身近に倒れていた人に対して使用・・してみた。

「これは……なるほど、なるほど」

 そうして何度かスキルを試していくが、未だに男以外に目を覚ます者はいなかった。
 それは五人目か、或いは六人目だったか。
 男がスキルを使用した結果として、中々に興味深い情報を得ることに成功する。

 その情報について考えを巡らせた男は、自分なりに納得のいく答えを思いつき、引き続き他の倒れている人物にスキルを使用していく。
 そうして全員にスキルを使用し終え、これからどうしたもんかと男が悩み始めた直後。


 洞窟内に男の大きな叫び声が響き渡った。




▽△▽



「うわああああああああああぁぁぁぁっ!」

 目を見開いた若い男は、突然手足をジタバタとさせ、もがき苦しむような動作をして大声を張り上げる。
 鬼気迫る表情でしばし暴れていた若い男は、すぐ近くで男が自分を観察している事に気づくと、改めて驚きの声を上げた。

 それから周囲をキョロキョロと忙しなく見渡すと、何やら納得した様子で、

「ここはっ…………つまり、そういう事か」

 と呟いた。

 男と同じように、若い男も突然の異常事態に巻き込まれたようであるが、周囲を見渡してからは一度で理解が進んだかのように、落ち着きを取り戻していた。
 ただ、"現状"に関しては何か掴めたようだが、精神的には落ち着いていないようだ。

 男は若い男の揺れ動く瞳に、一言では到底表せない程の感情の揺れを感じ取っていた。

「一体何が『そういう事』なんだ?」

「あ、え……ああ……」

 男の問いに、若い男は曖昧に口を濁す。
 その目は忙しなくあっちこっちをうろちょろとし、眉を潜めて色々な事を考えているようだった。
 やがて、答えが出たのか慌てた口調で男にお願い・・・をする。

「頼むっ! 俺はすぐにこの場を離れるが、俺の事はここに倒れてる奴らには内緒にしてくれないか?」

 と何やら訳知り顔で男に頼み込んだ。
 その口調は必死そのもので、迂闊に事情を尋ねることもはばかられた。

「……まあ、別に構わんが……一つだけ聞かせてくれ。何やら事情を知っていそうだが、ここは安全なのか?」

「あ、ああ。この辺ならそう問題はないハズ。それと、進むなら下じゃなくて上の方へ向かうといい」

「分かった」

 男の返事を聞いた若い男は、急いだ様子で部屋に幾つか置いてあった箱のうち、中央部分にある箱を開け放つ。
 そして、中身を幾つか取り出し、これまた慌てた様子で身に着けると、そのまま部屋を出ていこうとする。

 しかし、部屋を出る直前、中央にあった箱が、開かれた状態のままである事に気づいた若い男は、ダッシュで再び箱の傍へと駆け寄った。
 そしてどうやったのかは知らないが、箱そのものをマジックのように一瞬で消し去ってしまう。

「それじゃあ……」

 それでこの部屋での用事は済んだのか、一人部屋を立ち去ろうとする若い男。
 その背に男が別れの言葉を告げる。

「ああ。また、会えるのか?」

「それは……分からない」

 男の言葉に対し、逡巡する様子を見せる若い男。
 その口からでたのは、結局そのような曖昧な言葉だった。
 これ以上足止めするのもなんだと思った男は、「そうか」と短く答えると後は黙って若い男を見送った。


 この時、二人の様子をこっそり隠れて窺っている者がいるという事に、結局二人は最後まで気づくことはなかった。




▽△▽△▽△▽△▽


 それから時が過ぎ、ムルーダらが《ジャガー村》へと新しい仲間を連れてやってきた日の事。 


(この辺りだと聞いたんだが……)

 キャンプが幾つも立ち並ぶ場所を、歩いていく北条。
 あちらこちらから人々の喧騒が聞こえてきて、こんな場所で夜眠れるのか? なんて、どーでもいい事を気にしながら、北条は目的の人物を探していた。
 すると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてくるのを、北条の耳が捉える。

「あー、ちょっと俺、出店の方をみてくるよ」

 それは北条が探していた目的の人物の声だった。
 ダンジョンでも活躍している並外れた聴覚でもって、探していた人物の声を聞き分けた北条は、フラリとこちらに向かってくる若い男の姿を捉えた。
 どうやら向こうは先に気づいていたらしい。

「いよぅ、久しぶり・・・・だな」

「はは、は……。そう、ですね」

 若い男は乾いた笑いを浮かべる。
 その顔はどこか困ったような、焦っているような。一言で言い表せない複雑な表情を浮かべていた。

「まぁ、とりあえず場所を移すかぁ」

「誰にも話を聞かれない場所、あります?」

「あぁ。ついてこぉい」

 そう言って北条は背を向けて歩き出す。
 その後を慌てたように追う若い男――ツヴァイは、しばし無言のまま北条の後ろをついていく。
 開発が著しい新村地区の方から、元々あった本村地区の方へと抜け、更にそこから北の門をくぐる北条。

 村の北部分は、緩やかな丘陵部が途中から少し急な坂道へとなっており、地形の起伏も激しくなって、ところどころ小さな崖のようになっている箇所が存在した。
 その内の一か所。村が一望でき、近くに一本の大木が生えている場所まで移動していった北条は、ようやくそこで足を止めた。

「ここなら、内緒話にもってこいだろぅ」

「そうですね。昼間だったら景色はもっと良さそうだ」

 二人は、少し地面が盛り上がって小さな崖になっている場所、その先端近くで互いの様子を窺っていた。
 昼間の拠点予定地で、北条に時間をとってもらう約束までしていたツヴァイだが、余程言いにくいことなのか、なかなか口を開く気配がない。

 暦の上では暗水の月を迎え、すっかり春らしくなってきた時期ではあるが、夜にもなるとまだ肌寒い風が吹くことも多い。
 北条は外套を纏っているが、ツヴァイの方はキャンプに置き忘れたのか、外套は身に着けていなかった。

 体を僅かに震わせ寒そうにしているツヴァイは、寒さに耐えかねた……という訳でもないだろうが、沈黙を打ち破ってようやく話し始めた。

「……みんなのあの様子だと、俺の事は内緒にしてくれたようですね?」

「ああ。気づいた者はいない、と思うぞぉ。お前さんのプレゼントボックスが、丁度中央にあったのも良かったのかもしれん」

 あのスタート地点に配置されていた、本人にしか開けられない箱。
 例えばそれが、中途半端に左から三番目だけ抜き取られ、そこに箱一つ分のスペースが空いていたとしたら、疑問に思う者もいたかもしれない。

 しかし、元々十三個あった内の、一番中央の箱だけ取り除いたとしても、中央のスペースを起点として、左右に対称に六個ずつ箱が並んでいるように見えないこともない。

「ああ……なる、ほど。そこまでは考えてませんでしたが、確かに」

「それと、お前さんの言った、下じゃなくて上へというアドバイスも助かった。感謝するぞぉ」

「それは……。本来、俺のアドバイスなんかなくても問題はなかったはずです。それよりも…………」

 そこでツヴァイは一旦言いよどむ素振りを見せるが、首を左右に振って、自分に活を入れるように続きを話す。

「北条さん。あなたも承知の通り、俺もあの時あの場所にいて、そしてその少し前には全く別の世界……日本の九州地方のとある街にいた」

 これまで『ムスカの熱き血潮』の仲間にも伝えていなかった事実を、北条に告白するツヴァイ。
 彼の言っている「あの時あの場所」というのは、無論、北条らが最初にこの世界へと訪れた場所……サルカディア三層のあの始まりの部屋の事だ。

 その言葉に対し北条は、神妙な表情のまま黙っており、話の続きを静かに待っていた。


「俺の本当の名前は『ツヴァイ』ではなく毛利頼人もうりらいと。そして、転移時に選択したスキルは、"コピー"というスキルと"リバースファイア"というスキルです」


 そこまでツヴァイ……いや、頼人が打ち明けた時、二人の間を一陣の風が過ぎ去っていった。
 その少し肌寒い風は、頼人の乱れる心をも僅かに覚ましてくれるようであった。 





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