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第二章
閑話 それぞれの夜
しおりを挟む◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うっ……ううぅん……」
寝苦しそうな声が辺りに響く。
信也は自分の宿直の順番が朝方になっていたことで、一足早めに睡眠を取っていた。
しかし、悪夢にうなされていた信也は当番の時間がくる前に目を覚ましてしまう。
「まだ……そんなに時間が経っていないのか」
少し離れた場所で、所在投げに焚き火を眺めているメアリーの姿が見える。
どうやらこちらにはまだ気づいていないようで、あくびをこらえながらも真面目に周囲を警戒しているようだ。
ダンジョンから脱出したことで、それまで二人一緒に行っていた当番は一人ずつになった。
無論陽子の結界は今も健在で、万が一物理的な攻撃を受けても、即座に危険という事はない。
信也はそのまま横になった状態で、ぼんやりと今までの事を思い返す。
「まだ三日……なんだよな」
余りにセンセーショナルなこの三日間は、その数倍もの時間間隔を信也に与えていた。
「それを考えれば、北条さんの言っていたようになるかもしれないな」
未だ嫌悪感はあるものの、ゴブリン相手にためらって攻撃できない、などという事は流石になくなっていた。
この調子でどんどん慣れていってしまうんだろうか。
この世界で生き抜いていく為には必要な事なのかもしれないが、僅か数日で自分が変えられていくような気がして、信也は思わず身震いをしてしまう。
「しかし、脱出できたのはいいとしても、この後どうするべきだろうか」
一応夕食時に軽く今後の方針については、すでに話し合っている。
それは、ダンジョンの入り口があった崖の上の高所から、周囲を観察してみようというものだ。
人の生活の痕跡でも見つかればいいのだが、と思いながらも考え事をし続けていると、段々と気持ちも落ち着き始め、睡魔が再び信也を襲う。
「ハハ、俺も……案外、図太いの……かもな」
微かな笑い声をあげながら、信也の意識は闇へと落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メアリーはぼんやりと焚き火の炎が移りゆく様を見つめていた。
ふと、笑い声が聞こえたような気がして、周囲を見回してみるが声の発生元は特定できない。
「張りつめすぎ……かしら」
思わず独り言ちるメアリー。
今まで何度かやってきた当直だが、一人で行うのは今回が初めてだ。
まだ少し緊張しているのかも……。
いや、ただ単純に不安を抱いているのかもしれない。
"回復魔法"は便利ではあるが、メアリー自身には直接の戦闘手段がない。
傍には他のメンバーが寝ているので、すぐに起こせば何かあっても問題はないはずだ。
そう思い込もうとするも、完全に不安を取り除くことができない。
「何か別の事でも考えましょうか」
そうして記憶の中から気になっている事をピックアップ……するまでもなく、メアリーの脳裏にはとある人物の事が思い浮かぶ。
「似ている……とは思うんですけど」
メアリーの記憶の中にある人物と、今この即席キャンプにいるとある人物。
それは確かに共通部分はあるのだが、どうもその記憶の糸が上手く結びつかずに、もどかしさが募っていく。
何故こうも同一人物だと断定できないのか。
それには幾つかの理由があった。
まずは、そもそもこちらに来る前――日本にいた頃の話だが、実際に会った回数が少なく、言葉を交わしたことも一、二度しかないという点。
なのにメアリーがその人物の事を覚えていたのは、何もメアリーの記憶力が抜群に良いという訳ではない。
接触こそほぼ無かったものの、特別な間柄ではあったのだ。
声もうっすらと覚えており、記憶と照らし合わせてみても、違和感は特にない。
だが、容姿のほうだけがどうもぼやけている。
それと確信が持てない理由は他にもあって、名乗っていた名前が知っている名前と違っていたという点。
これは初対面の人間が多い中で、本名を名乗らなかった可能性もあるので、まだ分かる。
だが、自分を見ても何ら反応を示さないというのには、メアリーは引っ掛かっていた。
確かに日本にいた頃も接触は少なかったのは確かだ。
しかし、あの異常な事態に陥っているときに、少しでもそこに顔見知りを見かけたら普通は声を掛けてくるのではないか?
でも、今の所そういった素振りは全く見せていない。
本当に全くの別人なのか、或いは……知らぬ振りをしているか。
そっと、メアリーは視線をその人物へと送る。
視線を向けた相手は、焚き火から少し外れた場所で静かな寝息を立てて眠っており、ここからは顔はよく見えない。
「……さん」
小さく呟くその声は、本人ですら聞き逃してしまうような微かなものだった。
やがて、起こすまでもなく時間だから、と起きてきた次の当番の人に見張りの引継ぎをして、メアリーは一旦この事は棚に上げて、大人しく寝る事にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜も更け、月が周囲を明るく照らす中、石田は見張りの間する事もないので、じーっと考え事に耽っていた。
「チッ、気に入らねーな」
石田の脳裏に浮かぶのは北条や信也など、目立った活動や活躍をした者達の姿だ。
「俺がやるのが当然だ」とばかりに、最初からリーダーづらしてる信也の事も、俺は何でも知ってますとばかりにしゃしゃり出てくる北条も、忌々しくて仕方なかった。
だから、信也がゴブリン相手にビビってる姿を見たときには、心の奥からスッとしたものだ。
しかし、てっきりあのままフェードアウトしてくれるのかと思ったら、北条のクソ野郎が余計な事を言ったせいで、またリーダーに戻りやがった。
石田は内心で毒づきながら興奮してきたのか、思わず口に出てしまう。
「ゴブリン如き殺すのに躊躇うような甘ちゃんの癖しやがって、リーダーなんか務まるかよ」
ゴブリンとの初戦で、信也以外にも戦いづらそうにしてる者は幾人かいたが、石田は全くといっていいほど気にはしていなかった。
寧ろ石田はなんでそんな事を気にするのかが理解できなかった。
「ようやく数日前までのクソみたいな状況から抜け出せたんだ。今度こそは俺の優秀な所を見せてやる」
そう呟く石田の目は暗く淀んでいる。
それは夜の暗闇のせいだけではない。
決して表面に出る事のない、石田の心の中のどす黒い何かがそう見せるのだろうか。
当の本人はそのような自分自身を全く認識しておらず、またぶつくさとぼやき始めた。
「……にしても、さっきのアレは何だったんだ?」
それは石田が前の当番の人と交代する時の事だった。
体を揺すられて眼を覚ました石田は、ジッとこちらを見つめるあの視線を直に受けていた。
「交代の時間か」とすぐに認識は出来たものの、何故か何も言葉を発さずジーッとお互いを見つめあう、なんとも奇妙な沈黙の時間があった。
どれくらいそうしていたのかは分からないが、結局無言で石田が交代する旨を行動で表すと、相手も何も言わず地べたに座り込み、大人しく寝息を立て始めた。
「アイツも何考えてるか分からねーしな……」
その脳裏に浮かんでいたのは前の宿直の当番のアイツのことだ。
言っている言葉だけを切り取って他の面子が聞いたら「お前が言うなよ!」と総ツッコミされそうな、そんなセリフ。
普段極端に口数の少ない石田の方こそ、そう思われていたりするのだが……。
その後も止めればいいのに、他のメンバーの事を考えては鬱憤を募らせていった石田は、交代の時間が訪れると、さっさと交代してさっさと床につくのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
石田とはまた別種の陰気さを漂わせ、楓は一人じっとたたずんでいた。
その様子はまるで楓の周囲だけ気配が薄いような、存在感が薄いような、そんな妙な感覚を見る者に与える。
楓の"影術"には自身の気配を薄める術もあったが、そんなものを使用するまでもなく、楓は元から影の薄い人物だった。
その原因は彼女の子供時代に端を発する。
楓は昔、大人しくて人見知りのする性格ではあったが、今ほど極端に他人との接触を拒む程ではなかった。
そんな楓の元に、とある兆候が表れ始めたのは、小学校の高学年になった辺りからだ。
母親の特徴をよく受け継いだ、可愛いというよりは美人系の楓の顔立ちは、まだ幼い同年代の男の子には刺激的だったようだ。
口では楓をからかいつつも、何人もの男子が楓に惹かれていったのだ。
そして、そうした状況を快く思わない者達も現れ始めた。
元々社交的ではなく友達も少なかった楓は、一部の女子が放つ視線の意味を捉えきれず、またそういった状況を教えてくれる友達もいなかった。
そして楓に対して向けられるものが、"視線"から"行動"に変わるのにそう時間はかからなかった。
最初はまだ可愛いものだった。
グループ決めの時に仲間ハズレにされたり、ちょっとした事で皆にからかわれたりと、その程度だった。
だが、その度に楓に気のある男子が庇い建てをするので、ますます女子たちの火に油を注ぐ結果となってしまった。
そしてそれは小学校を卒業し、中学に入ってからもまだ続いていた。
それも内容は更にエスカレートしている。
先生や男子の目には触れない所で、陰湿に……狂気すらも感じられる程に一部の女子は"楓弄り"に熱中していった。
楓も周囲にSOSのサインは送っていたが、先生や参加していない女生徒は見てみない振り。
両親ですらまともに取り合わず、楓は完全に孤立していた。
そのような地獄の日々の転機となったのは、とある動画がネットを通して拡散し、広まってしまった為だった。
女子トイレ内で、汚物入れの中身を口に咥えさせられた楓。
更にホースで水を浴びせかけながら、「綺麗にしてやるよ、ギャハハハハ」と嘲笑され、掃除用具入れにあったモップで顔を拭われている。というそれは悲惨なものだった。
本来外部に流出するはずのなかったこの動画は、転校する事が決まっていた女生徒が、密かに流したものだった。
元々イジメには参加せず、かといって止める勇気も持てず、見て見ぬ振りをしてしまっていたその生徒は、転校前の最後に大きな爆弾を残して学校を去っていった。
定期的に報道されるこの手のニュースだが、その頃丁度他に大きなニュースがなかったこともあって、このイジメ動画は大いに炎上した。
その事によって、楓は地獄の日々から解放されはしたが、騒ぎになってしまった事で父親からは「俺に恥をかかせやがって」と散々詰られる結果となった。
母親は母親で「イジメなんて、男に取り入って何とかしてもらえばよかったのに。せっかく私そっくりな美人に産んであげたんだから」と素っ気ない態度だ。
楓はここに至り、完全に両親に対しての期待を全て捨て去り、以降はひたすら目立たないように、目立たないようにと、それだけを注視して生きてきた。
あの事件以降学校に通っていなかった楓は、通信制高校で卒業資格を獲得し、しっかりと勉強も進め、大学への進学も果たした。
しかし、結局このような場所に流れ着いてしまい、不遇な状況に慣れている楓ですら流石にこれは酷い、と感じていた。
「…………」
だからといって、自ら命を絶つという選択肢は楓にはなかった。
それはあの地獄の日々の時も同様だ。
もっと追い込まれていたらどうなったか分からないが、死という事に対して非常に強い恐怖心を抱いている楓は、あの辛い日々よりも自殺するという事により強い恐怖を抱いてしまう。
焚き火の炎に照らされる自分の手をじっと見つめていた楓は、改めてこれから先も無事に生き延びたい、と心の底から願うのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふふっ、最初はどうなる事かと思ったけど、無事になんとかなりそうね」
そう一人呟いたのは、いつになくご機嫌な表情の長井であった。
不機嫌顔がデフォルトであったこの二~三日の間では一度も見せたことのない、ソレは邪悪と形容するのにふさわしい笑顔だ。
「この能力は……使えるわ」
石田や龍之介らも完全にスキルを明かしてはいないが、長井に関してはまるっきり周囲には明かしていない。
ただ戦闘向けではない、というのだけは知らされており、それは事実ではあった。
「けど、何か行動を起こすにしても、まだまだ先になりそうね」
そう呟く長井の目には危険な光が宿る。
しかし、その光が何を意味しているのか、現時点でそれを把握できるものは一人しかいないのだった。
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