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第一章

第2話 厄介者

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 ……ぴちょん。
 …………ぴちょん。

 どこからか微かに水の滴る音が聞こえてくる。
 もの静かなこの空間の中で、聞こえてくるのはどこからか響くこの水の音だけと思われた。
 だが、更に耳を澄ませてみれば、微かに呼吸音が聞こえてくる。
 それも自身の吐いた息だけでなく、周囲からも同様の吐息が幾つか聞こえてくるのが感じられた。

 虚ろだった信也の意識は、そこで急速に覚醒し始める。
 地面に寝転ぶようにして倒れていた信也は、まず立ち上がると周囲の様子を確認する事にした。

 そこには信也と同じように地面に倒れている者や、既に意識を取り戻したのか同じように周囲を見渡している者もいる。
 次に目に付いたのは自分がいる場所についての視覚情報だ。
 そこは目算でおよそ二十五~三十畳ほどの長方形の部屋となっており、長辺の片側にだけ外へと通じる道が開いている。

 日本の住宅事情を考えると相当広い空間になるのだが、この部屋に住みたいと思う者はほぼいないだろう。
 何故ならば、地面はむき出しの土の状態であり、壁も同じ土壁。両者共に水平な作りではなく、でこぼこしており窓のような物も一切ない。

 それも当然であろう。
 ここはどう見ても洞窟の内部であったからだ。
 だが、ただの洞窟ではないのは一目瞭然だった。それは何故こうも容易に周囲を確認出来たのか、という疑問の答えにも結び付く。
 部屋に一つだけある出口の先は、洞窟からの出口ではなくその先は廊下のような通路となっている。
 
 ――つまり、本来ならこの場所は暗闇に閉ざされているはずなのだ。
 それがこうして周囲を確認できているのは、土壁の所々が薄い青色のぼんやりとした光を放っているせいだった。
 それは蛍光灯のような直接的な光というよりも、蝋燭やランプの灯火のようにゆらゆらと撓むような、優しい光。
 光の強さ自体はさほどでもないのだが、濃淡の差はあれど全体的に土壁の半分以上の部分が光っている為、このそこそこ広い空間でも端まで見渡す事が可能だった。

 そしてもう一つ、ここがただの洞窟ではないと思える点があった。
 それはこれみよがしに壁際に並んで配置された木製の箱。
 日常生活で見るようなタイプではないが、多くの人がその形状を見てどういった物なのかを推測できる……いわゆる宝箱っぽいのが陳列しているのだ。

 大きさはそこそこ大きく、横幅は一メートル近く。縦幅と高さは五十~六十センチはありそうだ。
 一列に並んだ木箱は中央部分に丁度木箱1つ分のスペースが空いており、そこを基準に左右に六個ずつ、計十二個の木箱が規則的に並べられている。


(洞窟内イメージ図)

 信也がそうして周囲の観察をしている間、どうやら倒れていた他の人たちも目覚めるなり、他の人に起こされるなどして全員意識を取り戻したようだ。
 しばし周囲に奇妙な沈黙が訪れる。
 辺りを観察する者、何やらぶつぶつと呟きながら考えこんでいる者、一人一人を確認するかのように目線を送る者……。

 一度定まった沈黙という壁は、現状の特異な状態とも相まって、そう易々と打ち破れそうにはない雰囲気を生み出していた。
 実際、普段リーダーシップを自然と取る傾向にある信也ですら、それは同様だった。

 実は、その時の信也は自身の体に対する違和感を感じていたのだ。
 どうにも体の調子がいつもより良いというか、力が溢れてくるというか。
 そういったなんとも言えない違和感は、意識すればする程感じられ、それと同じくして急速にその違和感にも慣れていく。

 その過程で信也は気づいたのだが、どうも違和感は体だけではなく、頭……具体的には脳の機能の一部にも影響があったようだ。
 現在のこの奇妙な静寂は、各人が自らの内に発生した違和感を咀嚼しているのだろう、と判断した信也は沈黙の壁を破るべく発言する事にした。

「皆、ちょっといいか? こうして黙ったままでは事態は動かない。問題を解決する為に、まずは情報交換をしたいと思うのだが、どうだろうか?」

 そう言い放つと、信也は周囲の人を見まわした。
 皆一様に口をつぐみ、信也の次の一言を待っている。そう思って、次の言葉を繋げようとした信也に、女の声が割って入った。

「……ちょっと、あんた何いきなり仕切りだしてんの?」

 と、口をはさんだのは二十代と思われる女性だ。吊り目がちな眼と、濃い化粧がキツイ印象を与えている。
 体格は日本人女性の平均からそう外れていない位。
 信也と同じく仕事中だったのか、スーツを着用しているのだが、暑かったせいか大分着崩していた。
 あのむわっとした熱さの中、それでもスーツをびっしり着こなしていた信也とは真逆である。

「……特におかしな事を言ったつもりはないのだが、貴女には他に意見があるという事なのかな?」

 日本人にしては、少し大げさなジェスチャーを交えながらそう答える信也に、一瞬眉をぴくっと揺らした女性は、信也に無遠慮な視線を投げかけながら答える。

「なんで私がわざわざあんたの言う事に従わなきゃならないのよ。大体問題を解決って何のどんな問題を解決するっていう訳?」

「そうだ。我々は問題が明確に何なのかすら分かっていない。さしあたってはこの陰気な場所を脱出し、元の場所に戻ることだろうが……」

 と、思案気な顔で答える信也に他方からの声がかかる。

「あ、あの! 問題でしたら一つありますよ!」

 緊張の混じった声で話しかけてきたのは、制服を身に着けた女学生だった。
 見た目の年齢からして恐らくは女子高校生であろうと思われるその少女は、周囲の注目を一斉に浴びて少し動揺を見せながらも、その問題・・について語りだす。

「えーと、問題というのはですね。携帯がないんですよ。確かにポケットに入れておいたはずなんですけど……」

 改めて自分のポケットを探りつつ少女が更に話を続ける。

「それだけじゃなくて、お財布とか……それから髪をまとめていたゴム紐なんかもなくなってるんです。残ってるのは着ていたもの位だけで……」

 その言葉を聞いた者達は一斉に身の回りをチェックし始める。
 やがて「あぁっ! 私の携帯もないっ! 今年になってようやく買ってもらったのにぃー!!」といった声や、「ほんとだっ! 俺の腕時計も無くなってる……」などと、嘆きの声が聞こえてくる。

 信也も改めてチェックしてみると、確かに言われた通りに一切の持ち物が消え失せている事に気付いた。

(これは、まずいかもしれないな……)

 思わずそう考えてしまうのは、現代人にとって日常生活において携帯の占める割合の多さを示しているだろう。
 何せ、携帯がなければ連絡を取ることも助けを呼ぶこともできないのだ。

「……まあ、とにかくそういった訳で即座に行動に起こすべきだと思う。といっても、何をすべきかも定まっていないので、まずは情報交換から入ろうと思う。異議がある者はこの場を立ち去るなり自由にするといい」

 先ほど突っかかってきた女性を見ながらそう発言する信也に、状況の変化を感じたのか、先ほどの女性は黙ったまま立ち去る気配も見せずに、遣る方無いといった様子で信也から視線を外す。

「ではまず発起人である俺から話そう。俺の名は和泉信也。仕事先の案件を片付け駅へと移動していた所だった。突然視界が真っ暗になったかと思えば、頭の中に妙な声が聞こえてきた」

 そこで一息つくと、何かを思い出すかのように続きを語りだす。

「一語一句正確には憶えていないが、なんでもスキルを二つ選べ。三十秒後にティルリンティへと転送する。といったような内容だったな。すると真っ暗だった視界の中に、スキルと思わしき一覧が残り時間と共に表示され、俺は慌ててその中からスキルとやらを選んだ」

「何のスキルを選んだんですか?」

 と、先ほどの女子高生が訪ねてきた。

「俺が選んだのは"剣術"と"光魔法"というものだ。そして制限時間が切れると共に、どうやら意識を失ったようで、気づけばこの部屋に倒れていたという訳だ」

 自分が倒れていた辺りを指で指しつつ話す信也。
 対して聴衆は特にこれといった反応は見せていない。その様子を見てやはり皆大体一緒か、と思っていた信也の耳に再び女子高生の声が聞こえてきた。

「へぇー、大体私と同じみたいですねー。私が選んだスキルは"神聖魔法"と"エレメンタルマスター"って奴です」

 緊張も少しほぐれてきたのか、初めより大分落ち着いた口調の少女。
 だが何かに気付いたのか、慌てた様子で言葉を繋げる。

「あ、私の名前は今川咲良です! さくらは花の桜ではなくて、花がさくの咲くに良いの良で咲良です」

 咲良の発言を切っ掛けに、次々と自己紹介をしていく面々。
 次に話しだしたのは元気の良い中学生の少女で、武田由里香。選んだスキルは"身体能力強化"に"筋力強化"。一部ぴょんと飛び出たアホ毛が特徴的だ。
 そして隣にいた少女は由里香の親友で、同じ学校の同じクラスに所属している長尾芽衣。選んだスキルは"召喚魔法"と"雷魔法"。

 続いてこの面子の中で最年少となる少年、足利慶介。まだ十一歳の小学生で、スキルは"水魔法"と"ガルスバイン神撃剣"というなんだか大仰な名前のスキル。
 その慶介少年をさりげなく凝視していた女性の名は里見陽子。スキルは"アイテムボックス"と"結界魔法"。
 "アイテムボックス"という言葉が出た瞬間、幾人かがちょっとした反応を示したのに信也は気づいたが、一先ずその事は心の内に潜め、次の人物に集中する事にした。

 これといって順番が決められた訳ではなかったが、信也の発言後にすぐ傍にいた咲良が続いた事で、流れ的には傍にいる順にここまで話してきている。
 その流れに沿うと、次に話すのは最初に信也に突っかかった、あのキツイ女性の番である。
 また何か言いがかりをつけられるのではないか、と密かに警戒する信也の予想は的中する事になる。

 注目を浴びたその女性は当初話す気もなかったのか、しばし沈黙が場を支配したが、周囲の視線が集まりだすと、鬱陶し気な口調で話しだした。

「ちょっと、その視線は何よ? 私は特に言う事は何もないわよ」

 その言葉に、場は一瞬硬直した。

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