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第一章

第1話 プロローグ

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 ソレ・・は何の前触れもなく発生した。
 いつもと変りない日常。いつもと変りない街の光景。いつもと変りない人の流れ。そんな変わり映えのない日常風景が営まれる中、極々一部にその日常を覆すような現象が起こっていたのだ。

 現象の効果範囲は極々一部であったが、発生個所は複数に上っていた。
 その現象は一言で表せば、
 
 ――人体消失――

 ある者は自室において、ある者は横断中の交差点において。
 消失した者達にこれといった共通点は見当たらない。発生場所も北は青森から南は福岡まで。見る者が見れば発生場所に法則性を見出せるかもしれないが、そもそも発生件数は僅か十数か所である。
 母数が膨らめばそれこそ法則性も見出しやすくなるだろうが、それは単に人口密度を表すだけの結果となるだけかもしれない。

 人体消失など通常起こりうる現象ではないが、今回発生した事象の奇怪さはそれだけにとどまらない。
 自室など人目のつかない場所で消えた者もいるのだが、消えた者の内何名かは人の目のある場所で突如として消えたのだ。
 しかし周囲にいた人達は特に関心を向けることはなかった。
 それはまるで目の前で起こった事を認識していないかのようだ。

 突然目の前を歩いていた人物が消える。
 そんな都市伝説のような出来事があったのに、気づく人もいないという不可思議な現象。
 そんな異質さも"日常"という荒波が洗い流していき、やがては完全に押し流されてしまうのだった……。



▽△▽△▽


 その男――和泉信也はクライアントとの交渉を無事まとめ、安堵と共に契約先の会社から最寄りの駅へと向けて歩いていた。
 今回取り交わされた契約は大口のものではなかったが、盛衰の激しいその業種において、コツコツと実績を重ねていくことの大切さを信也は理解していた。やがてはそれが信頼に繋がり、次の仕事へも繋がるのだと。


「にしても……暑いな」


 梅雨の合間の晴天模様の青空は、先日までの雨による湿気を過分に含んでおり、温度計に表示された温度以上の不快さを振りまいていた。
 じっとりと浮かぶ汗を拭いつつもつい独り言を呟いた信也は、ようやく見えてきた駅前の交差点に歩を進めた。
 すでに頭の中では、エアコンの効いた電車内で涼んでいる自分の姿を思い浮かべていた信也だったが、突然視界が真っ黒に覆れてしまい、激しい混乱が信也に訪れた。


「なっ、なんだ!? 立ち眩みか?」


 これといった持病もない健康体であった信也は、立ち眩みなどはほとんど経験がなかった。
 それこそ猛暑の中敢行された学生時代の朝礼においても、何人か倒れた生徒がいた中で、信也は暑さに辟易していた程度で、意識が朦朧とした事などはない。

 それ故に、こうした立ち眩みのような症状に耐性がある訳でもないのだが、昔から冷静沈着であった信也は、すぐさま冷静さを取り戻し状況の把握に努め始めた。
 ……いや、努め始めようとしていた。
 だが、そこに追い打ちをかけるかのように、唐突に信也の脳内に男の声が響き渡ってきた。
 その声は若者のようであり、老人のようでもあった。威厳があるようでもあり、なのに印象に残らないようでもあった。


「唐突であるが、お前たちは選ばれた。これよりランダムに抽出されたスキルの中から二つを選べ。制限時間は三十秒。三十秒後にお前たちをティルリンティへと送還する」


 そのなんとも形容しがたい声は、そう一方的に切り捨てるように言い放った。
 信也がその言葉の意味を斟酌しようとした直後、黒一色だった視界に文字の羅列が浮かび始めた。
 それは視覚野から送られてきた情報というよりは、脳に直接情報を送り込まれているような、そんな感覚だった。
 息もつかせぬ事態の推移に、さしもの信也もついていけなかったが、文字の羅列の上部に大きく表示された数字は三十から徐々に減っていく。
 どうやら考える時間もなさそうだ、と思い至った信也は表示された文字列に目を通していく。

ルヴェンダの嘆き 清掃 発火 剣術 火魔法 操髪 SP自然回復強化 以心伝心 腹話術 園芸 魔物学 シードバルドの目 風読み 光魔法 馬耳東風 短剣術 視覚強化 アシモフ ルャブョス 確時 麻痺耐性 石頭 26325032 深淵 幸運 暗送秋波 すくりむ 敏捷強化 ラムガスイツト 不死再生 イェンダーの眼 モーシェルディアロン 56403148 罠感知 ろくろ 血の覚醒 縲絏 エンダイラの糸 厭離穢土 ひなた カテドラルベル 土魔法 盾戦闘 大車輪 薬品知識 二剣術 木こりの心 悪魔の肌 オイリースキン 剛旋…………。

 ずらーっと並ぶ"スキル"の一覧。
 それは一度の表示ですべてを表示しきる事は出来ず、イメージする事で一覧表示をスクロールさせて行くことが可能なようだった。

 それら無数の『スキル』達は、一目見て効果が予想できるものから、知らない固有名詞の混じったものまで、多種多様に存在していた。
 しかしそれらを吟味する余裕は、既に信也には存在していなかった。
 そこで刻々と迫るタイムリミットを前に、目に付いた無難なスキルを信也は選択した。

 こういった状況に於いて、その人間の本来の性格が出る、とは時折耳にする事であるが、信也はまさしくその典型ともいえた。
 彼が短い選択の間に考えたのは、まず効果の微妙そうなスキルの排除。次に聞いたこともない固有名詞の含まれたスキルの排除。

 結果として残ったスキルの中で、この先待ち受けているであろう場所に適応
出来ると思われるもの……。
 スキルの一覧を見る限り魔法なども存在しているようで、他には魔物など物騒な存在もいるらしい。

 そして信也が最終的に選びだしたのは、以下のふたつのスキルだった。 
 直接的に自分の身を守れるであろう"剣術"。
 魔法という力へと対抗する為、或いは遠距離の相手に対する攻撃手段や、魔法そのものへの憧憬を込めての"光魔法"。

 信也としては剣よりも槍の方がいいだろうと思い、一覧の中から探してみたのだが、生憎と目に付く範囲には見当たらず、仕方なしに剣を選択。
 魔法に関しては"火魔法"や"土魔法"もリストにあるのを把握してはいたのだが、最終的に"光魔法"を選んだのは特にこれといった深い意味は本人にはなかった。
 だが実の所、信也の深層意識が"光魔法"を選ばせていた。
 それは信也の光に対する漠然としたイメージに由来するもので、和泉信也という人間性を表す一助ともなるものだ。

 スキルの選択を終えた信也であったが、残り僅かとなったカウントは継続して続いており、どうやら選択したからといってすぐに次のフェイズに移行する訳ではないようだ。

 それはつまり、三十秒以内にふたつ選べなかった場合、獲られるはずであったスキルを欠いた状態で先に進む可能性を示唆していた。
 無論、冒頭の声は『制限時間』と告げていたのだから、それも当然の事ではあるのだが、あのような奇天烈な状況では冷静に「じゃあこれとこれね」とはいかない事もあるだろう。

 改めて無難に選択できた事に安堵していると、カウントがゼロを迎えたのか眼前に表示されていた数字や文字列が、徐々に薄れていく。
 気の利いたガイド音声やシステム音などは一切ない、非常に不親切な設計であると言える。
 やがて、完全に文字が消え周囲は元の真っ暗な闇へと戻る。

 「次は何が起こるのか?」と思いつつ、推移を見守る信也。
 真っ暗な闇の中にいるためなのか、体感時間も曖昧になっており、その間が数秒だったのか、或いは数時間も経っていたのか、それすらも区別が付かない。
 そんな茫漠たる玉響の間が経過し、信也の体は徐々に薄れていく。
 と共に、意識も夢現となっていくのを信也はうすぼんやりと認識しながら、やがてその意思は完全に途絶える。

 数瞬後、派手な魔法陣のエフェクトなどが発生する事もなく、ただただ静かに信也を始めとする十数人の異邦人が、異世界「ティルリンティ」へと招かれたのだった。

 


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