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第二章
15. お食事と食後のクッキー
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とんがり屋根の家の内部は、素晴らしく、小さくまとまっていました。
研究所とキッチンは共用、ダイニングテーブルは2人で使うのにちょうどいい、こぢんまりサイズ。梯子で上がる半二階にはベッドが置かれており、天井には薬草とかキノコが干されています。
「さあ、食べましょう! いっぱい作ったので、たくさん食べてね」
魔女さんは鍋つかみを装着して、小躍りするようなルンルン気分で、いい匂いのする鍋をテーブルの真ん中に置きました。
「わぁ、美味しそうです」
献立はキノコのシチューでした。
キノコの旨味が染みて丁寧に灰汁をとったであろうスープに牛乳と小麦粉でとろみをつけた素晴らしい食べ物、ホワイトシチューです。お肉もゴロゴロ入っています。
私は、お皿にシチューをよそってくれるのをそわそわしながら待っていました。
「召し上がれ!」
そう言った彼女は、メシアでした。飯だけに。
くだらない親父ギャグを思いつきました。もはや私には恥も外聞もないのです。思考は限定化され目の前のシチューだけに意識は集中します。
実食です。
しかし、スプーンを手に取って、むさぼろうとしたとき、大事なことを忘れていた事に気がつきました。
「あの、自己紹介が遅れて申し訳ございません。私はロゼ・ノワールといいます。この度は行き倒れそうになっていたところ助けていただき、ありがとうございます」
武士は食わねど高楊枝、お腹はぐーぐーと泣き叫んで礼儀知らずですが、筋を通さなければ侍さんが怒ります。
人は誰しも心の中に侍さんを飼っているのです。
でも、偽名なので筋を通したのかは諸説あるでしょう。
「こりぇはごへいねいに、もぐもぐ」
魔女さんはすでにシチューを食べていました。
私も自己紹介が終わったのでシチューに口をつけます。辛抱はもうたまりません。
「いただきます!」
丼ぶりみたいに、かきこみたい気持ちですが貴族教育をひととおり受けているので、品性を気にします。しかし、そんなものは2秒でゴミ箱行きでした。
結論。シチューはとてもとても美味しかったです。
空腹は最高のスパイス。この世のものとは思えない味わい。精神がぶっ飛びます。
ハッとするとお皿は空っぽになってしまいました。
「……」
私はモジモジしながら空っぽのお皿を見て、シチューが入った鍋にチラリと目線をおくりました。我ながら、いやらしい態度だったと思います。
「遠慮しないで、食べて食べて。おかわりはいくらでもあるのでっ!」
察してくれた魔女さんは追加のシチューを盛ってくれました。
「わぁい!」
無邪気に嬉しさを表します。
その後、このいやらしい行動をあと2回繰り返したところで私のお腹は、いっぱいになりました。
満腹感と幸福感に包まれます。
素晴らしいお味でした。シェフを呼びなさい! と以前の私なら高慢に言ったでしょう。かつては主に文句のためでしたが、今は尊敬と賞賛で溢れています。
偉大なシェフは目の前に。
「ごちそうさまです! 何でこんなに美味しいんですか?」
「キノコは専門分野なの。あと干し肉は味気ないけど、煮込むと美味しくなるのです」
「はえー」
私は関心しました。
「にゃー」(おい、僕にも食わせろ)
シピは私の足元で鳴きました。夢中で食べていたので足元にすり寄っていた黒猫を無視していたようです。
「ダメですよ、シチューには玉ねぎが入っています」
「まあ! 私ったら気が利かなくて、ごめんなさい。猫ちゃんには干し肉を食べてもらいましょう」
「……意地汚い猫で、申し訳ございません」
「にゃー!」(干し肉なんて食えるか、シチューを要求する!)
彼のわがままが理解できる私はイライラします。尻尾を踏んづけてやろうか悩みました。
我慢しなさい、という視線を送ります。
「にゃー、にゃ!」(ずるいぞ、君ばかり!)
彼は駄々をこねる子供のようでした。
聖職者だと威張っていたのに、威厳は一欠片もありません。
……さて、悩みどころです。
食べれない食べ物を要求しているのなら、私も微妙な気持ちにはならず、迷わず外に放り投げているところです。
しかし、彼が怒っている理由を、私は理解していました。
猫は本来、肉食動物ですが、なんと、この猫は不思議な力で人間と同じ物を食べることが出来るのです。そして人間と同じ寿命が与えられているのだと彼は言いました。
たしかに15年以上、生きているのにヨボヨボじゃないのは納得です。傍観者に与えられた能力なのだと思います。
なので、たとえばカレーライスに玉ねぎのサラダ、ドリンクは牛乳、デザートはチョコレートケーキ……名付けるなら「好奇心、猫を殺すセット」を出されても彼はペロリと平らげて、すやすやと昼寝するでしょう。
なんでも食べる黒猫を見た大貴族のローゼリアは、自分と同じものを食べさせていました。つまり彼の舌は肥えに肥えているのです。
でも、事情を知らない魔女さんの前で、猫への禁止食べ物を与えるわけにはいきません。
説明のために、猫が喋れるなんて主張したら私の頭がおかしいと思われかねないです。せっかく泊めてくれるというのに(あ、この子ヤバいやつだ……)と思われたら「そ、そういえば用事があったんだった!」と、やんわりと追い出されてしまうかもです。
私は杞憂していました。
贅沢暮らしだった黒猫には我慢を覚えてもらう必要があります。
これ以上、騒ぐようなら……。
「躾が必要ですね……」
ずるい、ずるい、と連呼するシピをギロリと私は威圧を込めて睨みました。凍えるように冷たい美少女の眼光は全ての者の動きを止める……、一部の貴族サロンで好評だったらしい、という実績あり。
「……ちぇ、後で食わせろよ」
気圧された黒猫は、捨て台詞を言って渋々、干し肉を食べ始めました。
とはいえ、遭難中に食べ物を分け合った仲です。満腹の罪悪感は多少ありますので、いつか私が作ってあげようと思います。
いつか。
☆
魔女さんは、食後にハーブティーを出してくれました。
お茶請けはクッキーと世間話。
「サーカス団が火事で全焼……苦労したのねぇ。それで、どんなところを旅したの?」
「それが……恥ずかしながら、王都を出て、まだ3日目なんです」
「王都は今、ゴタゴタしてるらしいわね」
「そ、そうですね」
王都で起こった内乱の首謀者はローゼリアの両親なので、私はもちろん「一族郎党皆殺し」の主要メンバーでありメインターゲット。ゴタゴタの当事者です。
素性を明かすわけにはいかないので、魔女さんには、先日思いついた「悲劇の美少女」設定を話しました。
彼女は同情してくれたばかりか、ハンカチで涙を拭きながら話を聞いていました。
なんだか騙しているみたいで罪悪感が湧き上がります。実際、でまかせ成分100%なので、騙しているみたいではなく、騙しているので胸がきゅっとなります。
「あの、拙い芸なのですが……。食事のお礼にでもなれば……」
「まあ! 見せてくれるの?」
私は、罪悪感を振り払うためにパフォーマンスをすることにしました。一宿一飯の恩義を返そうと思い立ったのです。
実は先ほど、魔女さんに見えないように物陰で「言うことを聞かないと、二度と身体を洗わないぞ」という脅しという名のミーティングを彼と済ませていました。
私の裸を見たことを思えば、当然の労働でしょう。
「ではでは!」と私は元気に椅子から立ち上がり、ドヤ顔で口笛を吹きました。
「私の特技は猫使いです!」
高らかに宣言しました。
内心、前口上に慣れていないので、照れ臭いのは隠さなければいけません。それに仮に自信がなくとも自信満々な態度でやりきらなければけないのです。
(by前世の自己啓発本)
口笛に反応してシピがテーブルに飛び乗りました。
「3回まわって、にゃん!」
私が指をさして命令すると、彼はくるくるその場で回ります。
「にゃー!」
そして彼は鳴きました。ちなみに、「僕にこんな屈辱、後で覚えてろよ!」と文句を垂れています。
だまれ! と私は心の中で思いつつ、笑顔で右手を差し伸べます。すると黒猫は私の手をつたって肩まで駆け上がって、反対の手から降ります。何度か同じ動作を繰り返しました。
ちなみに技名は『爪を立てたらぶっ飛ばしますからね!芸』です。
その後は、お手とか、伏せとか、数種類の芸を披露しました。
やがて時間を見計らった私は最後の命令を出します。
「ちんちん!」
「にゃー」(おい)
シピは何やらツッコミました。しかし私は彼を睨みます。
この言葉がいやらしいと思うのなら、ちんちん電車と、イタリアの乾杯の音頭Cin Cin、に謝るべきです。
「ちんちん!!」
私は催促します。
黒猫はしぶしぶ、ちんちんの体勢をとりました。
前足を宙にあげて、後ろ足と尻尾でバランスを取り、人間のように二本足で立ちました。
それから、てくてく歩きます。
長靴を履かせてやりたい愛嬌が、どことなくありました。
これが今の私たちに出来る最大の芸なのです。
「ど、どうですかね? ……恥ずかしながら、これで生計を立てようかと思っているのですが……」
芸が終わったので、恥ずかしさが湧き上がってきました。恐る恐る魔女さんの様子を伺います。
「すごい! すごい!」
魔女さんはパチパチと手を叩いてくれました。
「えへへ」
私は調子に乗って、照れ臭そうに頭をかきました。
「すごいわ! 日銭を稼ぐことぐらいは絶対出来ると思う」
あれ? 褒められてますよね? 私は不安になりました。たぶん彼女に悪気はないのだと思います。
でも、芸が終わって一安心なのは変わりません。
ひと仕事終えた満足感に包まれました。
おそらく、その時、私の緊張の糸は緩み切ってしまったのでしょう。
「そういえば、気になっていたのですが……」
ふと、脈絡なく疑問だったことを彼女に尋ねようと思いました。
テーブルを囲むように置かれた棚には、瓶詰されたクッキーが大量に並べられています。クッキーはそれぞれ別の瓶に小分けにされて、違う文字のラベルが張られていました。
「あの、何故こんなにクッキーがあるんですか?」
お皿で提供されたクッキーはとても美味しかったので、文句などありませんでした。だから、本当に些細で単純な疑問のつもりだったのです。
「ああ……これ? これはですね……」
しかし、ニコニコだった魔女さんの笑顔に陰りが落ちました。
何故だか部屋の空気感が変わった気がします。
「魔女だから」
ぽつりと呟いた言葉が、はっきりと聞こえました。
そして怪しげに吊り上がる口元。ぞくりとする妖艶な微笑みは不吉をはらんでるよう。
「えっ」
私には彼女が豹変したように見えました。
「どういう意味……」
くらり。
足元が歪みました。
「あ、あれ? なんだか……すごく眠いです……」
ふらふらとした私は、魔女さんに抱きとめられました。
「効いてきたみたいね……ゆっくり休みなさい」
うふふ……と意味深に笑う魔女さんの顔が見えた気がします。
寝てはいけない‼︎ と必死に思いました。
しかし抗えない瞼の重みを感じて私は意識を失ったのです。
研究所とキッチンは共用、ダイニングテーブルは2人で使うのにちょうどいい、こぢんまりサイズ。梯子で上がる半二階にはベッドが置かれており、天井には薬草とかキノコが干されています。
「さあ、食べましょう! いっぱい作ったので、たくさん食べてね」
魔女さんは鍋つかみを装着して、小躍りするようなルンルン気分で、いい匂いのする鍋をテーブルの真ん中に置きました。
「わぁ、美味しそうです」
献立はキノコのシチューでした。
キノコの旨味が染みて丁寧に灰汁をとったであろうスープに牛乳と小麦粉でとろみをつけた素晴らしい食べ物、ホワイトシチューです。お肉もゴロゴロ入っています。
私は、お皿にシチューをよそってくれるのをそわそわしながら待っていました。
「召し上がれ!」
そう言った彼女は、メシアでした。飯だけに。
くだらない親父ギャグを思いつきました。もはや私には恥も外聞もないのです。思考は限定化され目の前のシチューだけに意識は集中します。
実食です。
しかし、スプーンを手に取って、むさぼろうとしたとき、大事なことを忘れていた事に気がつきました。
「あの、自己紹介が遅れて申し訳ございません。私はロゼ・ノワールといいます。この度は行き倒れそうになっていたところ助けていただき、ありがとうございます」
武士は食わねど高楊枝、お腹はぐーぐーと泣き叫んで礼儀知らずですが、筋を通さなければ侍さんが怒ります。
人は誰しも心の中に侍さんを飼っているのです。
でも、偽名なので筋を通したのかは諸説あるでしょう。
「こりぇはごへいねいに、もぐもぐ」
魔女さんはすでにシチューを食べていました。
私も自己紹介が終わったのでシチューに口をつけます。辛抱はもうたまりません。
「いただきます!」
丼ぶりみたいに、かきこみたい気持ちですが貴族教育をひととおり受けているので、品性を気にします。しかし、そんなものは2秒でゴミ箱行きでした。
結論。シチューはとてもとても美味しかったです。
空腹は最高のスパイス。この世のものとは思えない味わい。精神がぶっ飛びます。
ハッとするとお皿は空っぽになってしまいました。
「……」
私はモジモジしながら空っぽのお皿を見て、シチューが入った鍋にチラリと目線をおくりました。我ながら、いやらしい態度だったと思います。
「遠慮しないで、食べて食べて。おかわりはいくらでもあるのでっ!」
察してくれた魔女さんは追加のシチューを盛ってくれました。
「わぁい!」
無邪気に嬉しさを表します。
その後、このいやらしい行動をあと2回繰り返したところで私のお腹は、いっぱいになりました。
満腹感と幸福感に包まれます。
素晴らしいお味でした。シェフを呼びなさい! と以前の私なら高慢に言ったでしょう。かつては主に文句のためでしたが、今は尊敬と賞賛で溢れています。
偉大なシェフは目の前に。
「ごちそうさまです! 何でこんなに美味しいんですか?」
「キノコは専門分野なの。あと干し肉は味気ないけど、煮込むと美味しくなるのです」
「はえー」
私は関心しました。
「にゃー」(おい、僕にも食わせろ)
シピは私の足元で鳴きました。夢中で食べていたので足元にすり寄っていた黒猫を無視していたようです。
「ダメですよ、シチューには玉ねぎが入っています」
「まあ! 私ったら気が利かなくて、ごめんなさい。猫ちゃんには干し肉を食べてもらいましょう」
「……意地汚い猫で、申し訳ございません」
「にゃー!」(干し肉なんて食えるか、シチューを要求する!)
彼のわがままが理解できる私はイライラします。尻尾を踏んづけてやろうか悩みました。
我慢しなさい、という視線を送ります。
「にゃー、にゃ!」(ずるいぞ、君ばかり!)
彼は駄々をこねる子供のようでした。
聖職者だと威張っていたのに、威厳は一欠片もありません。
……さて、悩みどころです。
食べれない食べ物を要求しているのなら、私も微妙な気持ちにはならず、迷わず外に放り投げているところです。
しかし、彼が怒っている理由を、私は理解していました。
猫は本来、肉食動物ですが、なんと、この猫は不思議な力で人間と同じ物を食べることが出来るのです。そして人間と同じ寿命が与えられているのだと彼は言いました。
たしかに15年以上、生きているのにヨボヨボじゃないのは納得です。傍観者に与えられた能力なのだと思います。
なので、たとえばカレーライスに玉ねぎのサラダ、ドリンクは牛乳、デザートはチョコレートケーキ……名付けるなら「好奇心、猫を殺すセット」を出されても彼はペロリと平らげて、すやすやと昼寝するでしょう。
なんでも食べる黒猫を見た大貴族のローゼリアは、自分と同じものを食べさせていました。つまり彼の舌は肥えに肥えているのです。
でも、事情を知らない魔女さんの前で、猫への禁止食べ物を与えるわけにはいきません。
説明のために、猫が喋れるなんて主張したら私の頭がおかしいと思われかねないです。せっかく泊めてくれるというのに(あ、この子ヤバいやつだ……)と思われたら「そ、そういえば用事があったんだった!」と、やんわりと追い出されてしまうかもです。
私は杞憂していました。
贅沢暮らしだった黒猫には我慢を覚えてもらう必要があります。
これ以上、騒ぐようなら……。
「躾が必要ですね……」
ずるい、ずるい、と連呼するシピをギロリと私は威圧を込めて睨みました。凍えるように冷たい美少女の眼光は全ての者の動きを止める……、一部の貴族サロンで好評だったらしい、という実績あり。
「……ちぇ、後で食わせろよ」
気圧された黒猫は、捨て台詞を言って渋々、干し肉を食べ始めました。
とはいえ、遭難中に食べ物を分け合った仲です。満腹の罪悪感は多少ありますので、いつか私が作ってあげようと思います。
いつか。
☆
魔女さんは、食後にハーブティーを出してくれました。
お茶請けはクッキーと世間話。
「サーカス団が火事で全焼……苦労したのねぇ。それで、どんなところを旅したの?」
「それが……恥ずかしながら、王都を出て、まだ3日目なんです」
「王都は今、ゴタゴタしてるらしいわね」
「そ、そうですね」
王都で起こった内乱の首謀者はローゼリアの両親なので、私はもちろん「一族郎党皆殺し」の主要メンバーでありメインターゲット。ゴタゴタの当事者です。
素性を明かすわけにはいかないので、魔女さんには、先日思いついた「悲劇の美少女」設定を話しました。
彼女は同情してくれたばかりか、ハンカチで涙を拭きながら話を聞いていました。
なんだか騙しているみたいで罪悪感が湧き上がります。実際、でまかせ成分100%なので、騙しているみたいではなく、騙しているので胸がきゅっとなります。
「あの、拙い芸なのですが……。食事のお礼にでもなれば……」
「まあ! 見せてくれるの?」
私は、罪悪感を振り払うためにパフォーマンスをすることにしました。一宿一飯の恩義を返そうと思い立ったのです。
実は先ほど、魔女さんに見えないように物陰で「言うことを聞かないと、二度と身体を洗わないぞ」という脅しという名のミーティングを彼と済ませていました。
私の裸を見たことを思えば、当然の労働でしょう。
「ではでは!」と私は元気に椅子から立ち上がり、ドヤ顔で口笛を吹きました。
「私の特技は猫使いです!」
高らかに宣言しました。
内心、前口上に慣れていないので、照れ臭いのは隠さなければいけません。それに仮に自信がなくとも自信満々な態度でやりきらなければけないのです。
(by前世の自己啓発本)
口笛に反応してシピがテーブルに飛び乗りました。
「3回まわって、にゃん!」
私が指をさして命令すると、彼はくるくるその場で回ります。
「にゃー!」
そして彼は鳴きました。ちなみに、「僕にこんな屈辱、後で覚えてろよ!」と文句を垂れています。
だまれ! と私は心の中で思いつつ、笑顔で右手を差し伸べます。すると黒猫は私の手をつたって肩まで駆け上がって、反対の手から降ります。何度か同じ動作を繰り返しました。
ちなみに技名は『爪を立てたらぶっ飛ばしますからね!芸』です。
その後は、お手とか、伏せとか、数種類の芸を披露しました。
やがて時間を見計らった私は最後の命令を出します。
「ちんちん!」
「にゃー」(おい)
シピは何やらツッコミました。しかし私は彼を睨みます。
この言葉がいやらしいと思うのなら、ちんちん電車と、イタリアの乾杯の音頭Cin Cin、に謝るべきです。
「ちんちん!!」
私は催促します。
黒猫はしぶしぶ、ちんちんの体勢をとりました。
前足を宙にあげて、後ろ足と尻尾でバランスを取り、人間のように二本足で立ちました。
それから、てくてく歩きます。
長靴を履かせてやりたい愛嬌が、どことなくありました。
これが今の私たちに出来る最大の芸なのです。
「ど、どうですかね? ……恥ずかしながら、これで生計を立てようかと思っているのですが……」
芸が終わったので、恥ずかしさが湧き上がってきました。恐る恐る魔女さんの様子を伺います。
「すごい! すごい!」
魔女さんはパチパチと手を叩いてくれました。
「えへへ」
私は調子に乗って、照れ臭そうに頭をかきました。
「すごいわ! 日銭を稼ぐことぐらいは絶対出来ると思う」
あれ? 褒められてますよね? 私は不安になりました。たぶん彼女に悪気はないのだと思います。
でも、芸が終わって一安心なのは変わりません。
ひと仕事終えた満足感に包まれました。
おそらく、その時、私の緊張の糸は緩み切ってしまったのでしょう。
「そういえば、気になっていたのですが……」
ふと、脈絡なく疑問だったことを彼女に尋ねようと思いました。
テーブルを囲むように置かれた棚には、瓶詰されたクッキーが大量に並べられています。クッキーはそれぞれ別の瓶に小分けにされて、違う文字のラベルが張られていました。
「あの、何故こんなにクッキーがあるんですか?」
お皿で提供されたクッキーはとても美味しかったので、文句などありませんでした。だから、本当に些細で単純な疑問のつもりだったのです。
「ああ……これ? これはですね……」
しかし、ニコニコだった魔女さんの笑顔に陰りが落ちました。
何故だか部屋の空気感が変わった気がします。
「魔女だから」
ぽつりと呟いた言葉が、はっきりと聞こえました。
そして怪しげに吊り上がる口元。ぞくりとする妖艶な微笑みは不吉をはらんでるよう。
「えっ」
私には彼女が豹変したように見えました。
「どういう意味……」
くらり。
足元が歪みました。
「あ、あれ? なんだか……すごく眠いです……」
ふらふらとした私は、魔女さんに抱きとめられました。
「効いてきたみたいね……ゆっくり休みなさい」
うふふ……と意味深に笑う魔女さんの顔が見えた気がします。
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しかし抗えない瞼の重みを感じて私は意識を失ったのです。
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