すずしろの浅漬け

彼の普通

長兄が亡くなりました。

2月22日に入所先の施設から、顔色が悪いので病院に連れて行きますと、後見人である次兄に連絡が来ました。
腸捻転で緊急手術が必要と言われ、内視鏡手術では腸を破く可能性があるので開腹する。
その際全身麻酔で行い。手術後は拘束の必要ありとの同意書にサインをしました。

知的障碍者ですから手術も縫合も点滴も、全て不快なら暴れてしまうので、兄の体守るためには仕方ない事です。
２時間の手術で、腸を１メートル切除しましたが、翌日にはもう水を飲めるようになり、更に次の日には、流動食も摂れるようになり安心していたのですが、28日の午前３時の巡回では生きていてのに、4時の巡回で死んでいたそうです。

蘇生術を試したけれど駄目だったとの事で、後に出された死因は、誤嚥性肺炎。

唖然としました。
予後が良かったので、本来は亡くなった翌日は次兄が退院の手続きの話に行く予定でした。

兄たちは午後に病院と施設に行くが、お前はどうする？
と聞かれましたが、危篤状態なら共に駆け付けましたが、もうどうしようもない状態です。
その上、月の最後の日です、どうしても行かねばならない客先が数件あるので、そちらを優先させてもらいました。

冷静に、冷静に、葬儀などの事があるし、兎に角目先の仕事片付けて身軽にならなきゃ。

そうは思うものの、普段自然に出来ている段取りは全部頭から吹っ飛び、集中力は壊滅状態。
お客様からは、普段と違う、何かあった?
と聞かれる始末。

「深呼吸して、うん、そうそう。で、自分抱きしめて。辛いよね。でもここで貴女がしっかりしないで事故にでも遭ったらお兄様方に心配かけちゃうからね。」
実は、とお話したら親身になって慰めていただきました。

夕方次兄から電話で、葬儀の段取りなど聞きました。
「穏やかで、『やり切った』って顔してたよ。」
苦しんだ様子はなく、安堵しました。

そして先日、お葬式を終えました。
実家の庭では、父が大事にしていた白木蓮がいつもより早く満開になったそうで、両親が長兄を迎えに来たんだろうと次兄がしみじみと言っていました。

久しぶりに会った兄は穏やかな顔で柩の中にいました。
施設の先生方もいらしてくださり、こじんまりとした式でしたが、皆様がとても兄を愛してくださっていたのが分かり、心温まる良い葬儀になりました。

火葬場で、最後に見送る時、
「幸せだったね、良かったね。そのうち行くから、その時は両親とともに迎えに来てね、また会おうね。」
と送りました。

人として生まれて、人生の喜怒哀楽、欲も希望も目標もないまま、重度の脳性麻痺となり、歩くことは出来ましたが言葉は話せず、ただあるがままでいた兄です。
でもねえ、それって不幸なんじゃないんですよね。
だってあれが兄の普通だったんですから。

知人の息子さんは生まれながらに難病を患い、何度も危険な状態になりながら命を繋いできました。
シングルマザーとして幼子二人を抱え、必死に生きてきた彼女を救ったのは、彼が中学生の時に主治医となった先生の言葉。
「他人と比べてはいけません、この数値が彼の普通なんです。それを理解して、共に彼の体が納得する身体を作っていきましょう。」

「ああ、通常値と言われる数値にばかりに捕らわれて、なんとかそれに近づけなきゃと焦ってイライラして、嫌いなものを食べさせて、検査続けて苦痛与えてたんだなあって、あの時に思ったの。あれがあの子の普通。目から鱗だった。」
お母さんが落ち着いたせいばかりではないのでしょうが、その後息子さんの体は安定し、今では孫を連れて遊びに来るほどになりました。

そうなの、『彼の普通』

兄は兄の世界で普通に生き、人生を全うしたんでしょう。
お疲れ様、ありがとう、また会おうね。