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第百九十八話 その女かい?

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「着いた…。」

リエルは黒百合の館の外観を見上げ、呟いた。

「お嬢様。本当に大丈夫ですか?」

斡旋屋に変装した隠密部隊の一員であるファビアンの部下がこそっとリエルに囁きながら再確認した。

「ええ。大丈夫よ。いい?ここに入ったら、あなたは斡旋屋であり、私は娼婦として売られる没落貴族の娘として振る舞う。計画通り、お願いね。」

「…わ、分かりました。」

一瞬、躊躇したように見えた部下だがリエルの言葉に従ってくれた。



「その女かい?」

「へえ。元は貴族の娘ですから中々の上玉でしょう?」

館の主人は女だった。年齢不詳で露出度の高いドレスを着た迫力ある美女だ。
煙管を手にした美女は粗末な衣服に身を包んだリエルをじろじろと上から下まで舐める様な視線で見下ろした。斡旋屋に扮した部下も口調と態度をガラリと変えて、下卑た笑みを浮かべ、リエルを紹介した。

「は、初めまして。リーゼと言います。」

リエルは偽名を名乗り、ぺこり、と頭を下げる。
おどおどと気弱で不安そうにしている風情を装う。
美女はクイッとリエルの顎に手をかけ、まじまじと見つめる。

「ふうん…。片目に傷があるって聞いていたから、商品として売り物になるのかと思っていたけど、見た目は悪くないね。それに、こういう欠陥品のある女は一部の客に受けそうだ。」

片目を包帯で巻いているリエルを見て、美女は口角を上げ、笑った。

「約束通り、この子を娼婦として迎え入れようじゃないか。」

女主人はニッと笑い、リエルを中に通した。

「それじゃあ、あっしはこれで…、」

斡旋屋に扮した部下はチラッと目配せして、そのままその場から立ち去った。
彼がついて来れるのはここまでだ。
後はリエル一人でこの状況をやり過ごすしかない。
リエルはゴクッと唾を飲み込んだ。
女主人に促され、リエルは娼館の門をくぐった。

「あんた、貴族の娘なんだってねえ。
まあ、貴族が借金を抱えて没落するなんてよくある事さ。元貴族の女なら、客はたくさんつきそうだ。
高貴な女を汚すことに男は興奮するからねえ。
けど…、あんた男を知らないね?」

「え!?ど、どうしてそれを‥?」

「こう見えても、あたいはその手には詳しいのさ。
あんたからは男の匂いもしないし、如何にも男慣れしてなさそうだしねえ。」

女は煙管を吸い、煙を吐き出しながら、ニタリと笑った。

「ここでは、生娘は高く売れるんだ。あんたはついている。」

「は、はあ…。」

リエルは困惑気に瞳を揺らし、俯いた。

「心配いらないさ。来て早々に客を取らせることはしない。初めての客はあたいが見繕ってあげるさ。
たった一回で壊れちゃ勿体ないからねえ。」

「あ、ありがとうございます。」

何だか含みのある言い方だ。つまり、ここの娼館ではたった一回で壊れた娼婦がいるということか。
一体、ここは何を隠しているの?
ゾフィーは無事なのだろうか?



「ここがあなたの部屋よ。」

リエルは教育係として紹介された娼婦の案内で与えられた部屋に通された。
教育係となった娼婦はリエルよりも年上だが童顔の顔と無邪気な雰囲気があるせいか年齢よりも若く見える。
娼婦というのは、同業者同士で馴れ合わないと聞いていたがこの女性は初対面のリエルにも親切にしてくれて、感じのいい人だ。

「見れば分かると思うけど、一応、部屋の説明をするわね。ここがベッドで、あっちが浴室と洗面所…。こっちは…、」

そう言って、リエルに丁寧に部屋の説明をしてくれる。

「分からないことがあったら、何でも聞いてね!」

一通りの説明を受け、娼婦はヒラヒラと手を振りながら、部屋から出て行った。

「ふう…。」

リエルはベッドに座り、ホッと溜息を吐いた。何とか店に入り込めた。
片目の傷が一番の障害だったがこの店が特殊な嗜好を持つ客向けの娼館で助かった。
ファビアン達からあらかじめそう聞いていたが本当だったみたい。さすがだ。

教育係に紹介された娼婦が好意的なのには正直、驚いた。
元貴族の女という経歴で入ったリエルに対しても敵対心を抱く様子はなく、人懐っこい笑顔でよろしくね!と挨拶をしてくれたし。
春を売る女達は落ちぶれた女が多い。そのせいか、貴族に憎悪や敵意を抱く女が多く、中には恨みを抱いている者もいる。
でも、皆が皆そうではないみたいだ。
その事実にリエルは安堵した。
相手が好意的に接してくれるのなら好都合だ。懐に入れば、情報も聞きだしやすくなる。

あの女主人はリエルにまだ客は取らせないと言っていた。
その前に早く例のあれを飲んでおかないと…、そう思ってリエルは隠し持っていた秘薬を取り出そうとしたその時、

「…?」

リエルは外の様子が騒がしいことに気が付いた。
何の騒ぎ?そう思って、部屋を出てみると、騒ぎは中庭の方から聞こえた。
女性の悲鳴と男の怒鳴り声が聞こえる。不穏な気配にリエルは急いで音のする方向に向かった。

中庭に向かえば、そこには人だかりができていた。
何かあったのだろうか。

「馬鹿な真似をしたものね。ここから、逃げ出そうとするなんて。」

「可哀想だけど、あの子はもう終わりだわ。」

娼婦達の会話にリエルはある程度の事情を察した。
ビシッ!バシッ!と鞭の音が聞こえる。続いて、女性の悲鳴も…。人だかりのせいでよく見えない。
リエルは必死に人の間を掻き分けて、進み出た。
飛び込んだ光景にリエルは息を呑んだ。中庭には血まみれになった女性が地面に倒れ伏している。
その周囲には、屈強な体つきをした男達の姿が…。男の一人は鞭を手にしている。

「う、あ…、あ…。」

ピクッ、ピクッと痙攣したように微かに動く女は生きているが虫の息だ。鞭だけじゃない。顔や身体には殴られたり、蹴られたような形跡がある。血だけじゃなく、吐瀉物も地面に飛び散っている。
どれだけ酷い暴行を受けたのだろう。

「真紅の間に連れてお行き。」

男達の背後にいた女主人は冷たい目をして、冷酷な口調で命令すると、そのまま傷だらけの女に背を向けた。すると、その言葉に今まで虫の息だった女が突然、叫び出した。

「い、いや……!そ、それだけは……!マダム!ごめんなさい!許して…!許して下さい!あそこには…、真紅の間にだけは連れて行かないでー!」

女主人に手を伸ばす娼婦を無視し、女主人は苛立たし気に男達にさっさと連れて行くように指示をする。

「嫌あああああ!嫌よおおお!あそこだけは嫌あああ!」

狂ったように泣き叫ぶ女を男達は無理矢理引きずって行く。まるで家畜か物のような扱いだ。
リエルは思わず駆け出そうとするが、ガッとその肩を掴まれる。

「リーゼ。駄目よ。」

「え…、ルイーザさん?」

リエルの肩を掴んだ人物はリエルの教育係として紹介された娼婦、ルイーザだった。
ルイーザは強くリエルの腕を引き、そのまま歩き出した。リエルは腕を引かれるままにルイーザの後に続く。

「殺してー!いっそのこと、一思いに殺してー!」

後ろから女性の叫び声が聞こえる。リエルは振り返るがルイーザに腕を引っ張られている為、戻ることはできなかった。
その後、人気のない廊下に行くと、ルイーザは腕を離し、キッとリエルを睨みつけた。

「リーゼ!あなた、今何しようとしたの!?まさかとは思うけど、助けようとしたとかじゃないでしょうね!?」

初めに見せてくれた人懐っこい笑みはなく、責めるような口調でリエルを鋭く睨みつけている。

「馬鹿じゃないの!?そんなことしたら、どうなるか位、ちゃんと分かるでしょう!
あなたがいい所の家の出なのも知ってるし、今まで甘やかされて育ってきたんだから、あんな場面を見せつけられたら驚くのも分かる。でもね!ここでは、あれが普通なの。日常茶飯事にあることなのよ!」

「ルイーザさん…。」

「いいこと!?自分の身が可愛いなら二度とあんな真似はするんじゃないわよ!下手に庇ったり、マダムに逆らえばこっちに矛先が向くんだからね!」

「……。」

「いい加減に慣れなさい。あなたはこの店の娼婦になるの!もう今までとは違うのよ。」

「…はい。すみません。ルイーザさん。私ったら、何も考えずについ…、次からは気を付けます。」

リエルはシュン、としてルイーザに謝った。ルイーザはそんなリエルに分かればいいのよ、と言った。

「いい?リーゼ。今、私が言った事、よく覚えておきなさい。
ここで生き残りたかったら、余計な事はしないことね。
この店から出られる時は護衛という名の監視役が付き添っているか、身請けをされた時だけ。
さっきのを見て、思い知っただろうけど、ここから逃げ出そうとしたら、あの子と同じ目に遭うわよ。
あれは、私達への見せしめでもあるのだから。」

「は、はい。あの、ルイーザさん。さっきの人、真紅の間という所に連れて行かれたみたいですけど…、真紅の間ってどういう所なんですか?あの人はどうなるのでしょうか?」

「知らないわ。あそこは私達でも立ち入り禁止となっているの。真紅の間に入ることが許されるのはマダムと一部の人間…。それから、そこに連れて行かれる問題を起こした娼婦だけ。
でも…、真紅の間に連れて行かれた女は全員、変わり果てた姿になって戻ってくる。」

「え…、」

「今までもあの部屋に連れて行かれた娼婦は何人もいたの。何人かは戻ってきた子もいた。でも、その子達は…、全員、正気を失ってまともじゃなくなっていた。
ほとんどの子達はそのまま帰ってこなかった。マダムに聞いても彼女達は身請けされたとか、病気で死んだとか言っていたけど…、本当かどうかも怪しいわ。」

真紅の間…。そこにこの館の秘密が隠されているかもしれない。
もしかしたら、そこにゾフィーがいる可能性も…。

「その真紅の間って…、どこにあるんですか?」

「真紅の間は店の最上階の一番奥にあるわ。でも、そこには行っては駄目よ。私達はその部屋には入ってはいけないことになっているのだから。もし、勝手に入ったりしたらどんな罰を受けるか分からないわ。」

「ええ。勿論、そのつもりです。ただ、どこにあるのか知っておかないと間違って入ってしまいそうだったから…。」

リエルはルイーザの言葉に頷いた。



ルイーザって、凄くいい人だな。リエルは素直にそう思った。
さっきリエルを叱ったのだってリエルの為を思って叱ってくれたのだろう。
きっと、見た目通り根が素直で真っ直ぐな人なのかも。
ルイーザのお蔭で有力な情報も手に入った。彼女には感謝をしないと。

リエルは食堂で食事をしながら、しみじみとそう思い、今後の計画を頭の中で練っていた。

「あいつでしょう?今日入ったばかりの新入りって。元貴族の女なんだって。」

「あんな貧相な女が?何よ、あの包帯。あんなので客が取れるのかしら。」

「貴族のお姫様が娼婦に身を落とすなんて、ざまあないわね。」

やっぱり、皆が皆、ルイーザのように好意的ではないみたいだ。
さっきから、視線が痛いし、ひそひそと話しているつもりだが、しっかりと聞こえている。
どこの世界でも女の人は陰口が好きなのだな。
生憎、あの手の悪口は言われ慣れているから今更、陰口の一つや二つ言われたところで傷ついたりはしない。
それに、陰口だけなら可愛いものだ。こちらに害がなければそれでいい。
あの人達に構ってやれる程、私は暇じゃない。
私は一日でも早くゾフィーを見つけ出さなければならないのだから。
それに、ここで喧嘩や騒ぎを起こしたりすれば罰を与えられるから、彼女達だって下手な真似はできない筈だ。
そう考えて、リエルは娼婦達の陰口もスルーし、さっさと食事を済ませた。
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