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第百七十七話 私はゾフィーを助けたい

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「やっと…、やっとだ…。これで、全部…!」

ゼエゼエと息を切らしながらもアルバートは全てをやりきったと声に出した。
浜辺まで自力で泳ぎ切り、砂の上に横たわったアルバートのすぐ傍には、捕獲した珊瑚礁が転がっている。
酷い目に遭った…。珊瑚礁周辺をうろついていた鮫の大群に遭遇するは、こちらを餌だと認識して攻撃してくる鮫を片っ端から返り討ちする羽目になるわで散々だった。
水中呼吸と肉体強化、回避能力、斬撃波等の能力のおかげで何とか乗り切った。
何とか無事だが、鮫との死闘は疲れた…。
さすがに力を使いすぎたな…。アルバートは仰向けになりながら、呼吸を整える。
見上げれば、白い雲と青い空が広がっている。リエルの好きな青空だ。
あいつは、今、どうしているだろうか…。

「アンアン!」

遠くから、鳴き声がしたかと思ったら、白い狼の子供がアルバートに駆け寄ってきた。
こいつ、律儀に俺を待っていてくれたのか…。
嬉しそうに尻尾を振り、顔を舌で舐めてくる狼にアルバートは手を伸ばし、軽く頭を撫でた。

「これで、やっと帰れるぞ…。リエルに会えるんだ。」

長かった…。リエルに会えない時間はとても辛かった。だが、それも、もう終わりだ。
これで約束は果たした。リエルと正式に結婚を前提とした交際ができるのだ。
後は、婚約にまで漕ぎつけて…、アルバートは帰ったら、真っ先にリエルに会いに行くと心に決めた。




「え…、ゾフィーが行方不明!?」

リエルは聞かされた知らせに愕然とした。

「私も先程、旦那様から聞いたので詳しくは。ですが…、」

サラの話を要約すると、ゾフィーは数日前の夜に突然、姿を消したそうだ。メイドが朝起きるとどこにもゾフィーの姿がなかったらしい。

「そんな…、」

リエルはゾフィーの失踪の知らせにふらり、とよろめいた。
報告の続きを聞けば、ゾフィーの机には書き置きの手紙が残されていたそうだ。
手紙には、他に好きな人ができたのでその男と一緒になる。探さないで下さいと書かれていたらしい。婚約した身でありながら男と駆け落ちをした、というのがロンディ子爵家の言い分だ。

「嘘だわ!全部、出鱈目に決まっている!ゾフィーは本当にゼリウスとの婚約を楽しみにしていたのに…!」

「恐らく、ゾフィー嬢を邪魔になった者が彼女を排除するために動いたのでしょう。五大貴族に恨みを持つ者か…。あるいは…、身内による犯行か。」

リヒターの言葉にリエルはそういえばゾフィーは家族の事はあまり話そうとしていなかったと思い出した。初めて会った時、少しだけ家族について語っていたがあの反応を見ると、家族関係は良好ではなかったと推測できる。そういえば、ゾフィーの婚約者は妹に盗られたのだと噂で聞いたことがある。ゾフィーは妹を悪く言っていることはなかったがその妹はかなり、問題がある令嬢だったかもしれない。何せ、アルバートに薬を盛ろうとした位だし。だが、今はそれよりも…、

「ゾフィー!ゾフィーは無事なの?」

「それが…、まだゾフィー様の行方は掴めず…。今、ゼリウス様が調べている所です。」

つまり、今はゾフィーが無事であるかどうかも分からないのか。
リエルはギュッと手を握り締めた。



「ゾフィー…。」

リエルは自室で項垂れながらもゾフィーの身を案じた。
彼女は私の大切な友人だ。失いたくない。
彼女のお蔭で私はアルバートと心を通わせることができた。今の幸せはゾフィーのお蔭だ。
そんな彼女が…、今苦しんでいるかもしれないのに何もせずここで大人しく待っているなんてできない。今度は私がゾフィーを助けたい。リエルは立ち上がると、すぐに部屋を飛び出した。

「お嬢様?どちらに?」

部屋から出ると、部屋の前にはリヒターが立っていた。

「リヒター!私はゾフィーを助けたい。少しでも手がかりを見つけたいの!」

「…お嬢様。ですが、何が起こるか分かりません。ここは旦那様とゼリウス様に任せて…、」

「ゾフィーは私の友達だわ!友達なら、どんな事があっても助けるものでしょう!?だから、そこを退いて!リヒター!」

しかし、リヒターは首を振った。

「いけません。お嬢様の気持ちは分かりますがあなたを危険な目に遭わせる訳には…、」

「リヒター!私はもう…、大切な友達を失いたくないの!このままだと、また私は…!」

思い出す。森で出会った自分と同じ年頃の子供の姿を…。ブローチのお礼に林檎をくれた。
最後に見たのは…、あの子の村が炎に包まれていた光景だ。あの時、私はあの子を助けられなかった。

「また、失ってしまう…!もうあんな思いをするのはたくさん!」

リエルは叫んだ。頬に涙が伝った。今でもあの時の夢を見る。後悔してもしきれない。
自分がもっと早く駆けつけていれば助けられたかもしれないのに…!
リエルの涙を見て、リヒターが目を瞠った。リエルはそのままリヒターの襟元を掴み、

「お願い…!私はもう、後悔したくないの!だから…!私はゾフィーを助けたい…!今度こそ、助けたいの!」

俯きながら、そう懇願するリエル。リヒターはそんなリエルを見下ろし、はあ、と溜息を吐いた。

「…全く。お嬢様の頑固さは変わりませんね。仕方ありません。今回だけですよ。」

「リヒター!」

リエルはぱあ、と顔を輝かせて顔を上げた。

「ただし、条件があります。お嬢様一人だけですと、何があるか分かりません。私がお供するのが条件です。」

「…!ええ!こちらこそお願いしたい位だわ!ありがとう!」

リエルは安堵したように微笑んだ。

「それで、どちらに?まさか、正面からロンディ家に乗り込むつもりですか?」

「まさか!気持ち的にはそうしたいけど、証拠もないのに乗り込んだところで失敗するだけだわ。まずはゾフィーが失踪した手がかりを見つけないと。」

「お嬢様の事ですから、何か考えがおありなのでしょう。どうされるおつもりで?」

「まずは、リアンディール子爵家に行くわ。」

五大貴族の一つ、リアンディール子爵家。そこは、あの銀髪碧眼の美しい友人、シルヴィの家だった。




「やあ。リエル。いらっしゃい。」

「シルヴィ!」

子爵家を訪ねれば、シルヴィはリエルをにこやかに出迎えてくれた。
銀髪を後ろで纏め、白いシャツとズボンを着ているシルヴィは相変わらず眩しい。
令嬢達が見ればポーと見惚れてしまう事だろう。リエルはシルヴィの服装にあ、と声を上げた。

「あら、珍しい。そっちの格好をしているシルヴィなんて、久しぶりに見たかも。」

「今日はちょっとした野暮用でね。次期当主としての仕事も大事だろ?」

笑いながらそう言うシルヴィの声はいつもよりもやや低い。それは明らかに女の声ではない。
男の声だった。

「何だか不思議。そっちが本当の姿なのに、いつもドレス姿のあなたに見慣れているせいかすごい違和感があるわね。」

「そうだろう。そうだろう。俺はどんなドレスでも着こなせてしまう位に美しいからな。」

そう言って、髪を掻き上げるシルヴィ…。
長身で細身の体つきなので一見、中性的に見られるがよく見れば、程よく引き締まった筋肉質な体つきをしている。そして、その胸は…、真っ平だった。

シルヴィオ・ド・リアンディール。
先代のリアンディール子爵とその妻、リュシュフィの息子。
リアンディール家直系の唯一の男児であり、次期当主。
それがシルヴィの正体だった。つまり、シルヴィは正真正銘、男なのである。
シルヴィ…、シルヴィオには特殊な趣味があった。彼は、変装と女装が趣味なのだ。
それは一部の人間しか知らないシルヴィオの秘密である。

全くどうでもいいことだがシルヴィという令嬢は仮の令嬢であり、実在しない。
社交界ではシルヴィはリアンディール子爵家の遠縁の令嬢ということになっている。
シルヴィという名もシルヴィオという名から取っただけである。かなり安易で単純な理由でつけられた名だ。それなのに、不思議とバレたことがない。
それはシルヴィオの女装が余程うまいのか、同じリアンディール子爵家の令嬢だから似ているのだろうと誤解されているからなのか…。
シルヴィとシルヴィオが同一人物であることは公表されていないし、知られてもいない。
それを利用して、シルヴィオは巧みに貴族の間の情報収集に勤しんでいる。
といえば、聞こえはいいがシルヴィオを見ていると、女装をしているのを楽しんでいる様な気もする。

「リエルが約束もなく、来るだなんて珍しいな。突然、どうしたんだ?」

「突然、お邪魔してごめんなさい。来て早々にこんな事図々しいとは思うけど…、あなたにお願いがあるの。」

「お願い?何だ?」

「私を…、美女にして欲しいの!」

シルヴィオはリエルのお願いに目をぱちくりした。



「驚いたよ。まさか、リエルがあんな事を言い出すなんて…、」

場所は変わって、ここはシルヴィオの部屋…。
少女趣味全開…、とまではいかないが所々に女物のアクセサリーや流行物が置いてあるのが所々に見て取れる。
リエルは鏡台の前に座り、シルヴィオは化粧道具を手に取りながら、話しかける。

「でも、そういえば、最近会わない内に随分と垢ぬけてきたじゃないか。化粧を変えるだけで随分と印象が違うな。」

「え…、そう?実は、最近お姉様に化粧とか綺麗になる秘訣を教えてもらうようになったの。」

「へえ。セリーナと君って前はあんなにギスギスしていたのにな。」

「まあ、色々あって…。でも、今ではお茶をする位に仲良くなったのよ。
それにしても…、綺麗になるのって大変なのね。髪とか肌の手入れとかマッサージとか…。やることが一杯。お姉様も見えない所で努力していたんだなあって色々と気付かされたこともあったの。」

「成程な…。にしても、リエルも可愛い所あるじゃないか。あんなにお洒落に興味がなくて、全部使用人に任せきりだったリエルが急にこんな色気づくなんて…。
もしかして、アルバートの為、とか?リエルにもそういう女らしさがあったんだな。」

「あ…、えっと…、違うの。も、勿論!そういうのもあるんだけど…、今回のはそうじゃなくて…、」

リエルは簡単に事情を説明した。

「へえ。成程…。つまり、リエルだってバレないようにかつ、美女に変装したいと。でも、それがどうして美女になるんだ?」

「私は貴族界ではそんなに顔を出していないから私の顔を知らない貴族もいるわ。
でも、私はこんな眼帯を着けているし、噂もされているから素顔を晒すのはリスクがある。だから、私だってバレないように顔を変えて変装したいの。そして、その顔でロンディ家に潜入するわ。…使用人として。」

シルヴィオはリエルの言葉にまたしても、目をパチクリし、そのままおかしそうに笑い出した。

「アハハハ!やっぱり、リエルって最高だな!変人令嬢って言われるだけあるなあ!
生粋の貴族令嬢の…、しかも五大貴族の娘が使用人に扮するなんて…、聞いたことがないぞ!」

「…あなた、それ褒めてるの?」

リエルは思わずじとっとした目でシルヴィオを睨む。が、睨まれているのにも気付かずにシルヴィオは腹を抱えて笑っている。

「そんなに笑わなくてもいいじゃない!いつまでも笑ってないで真面目に答えて!」

「ご、ごめん…。ククッ…!」

一通り、笑い終えたのかシルヴィオは俯いていた顔を上げ、

「君のそういう所、嫌いじゃない。面白そうだし、喜んで協力するよ。」

「本当?…シルヴィオ、ありがとう!」

シルヴィオは快く承諾してくれたのでリエルは破顔した。
シルヴィオは変装のエキスパート。雰囲気や服装、化粧を使って自由自在に姿を変えられる技術を身に着けている。彼の変装術はまるで魔法の様だ。凡庸なリエルでも別人に変えてしまう。そんな手腕を持ち合わせている。
シルヴィオに任せれば安心だ。
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