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第百七十五話 また、奪われるの?

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「は、はくしょん!」

盛大にくしゃみをするアルバートにその傍で一心不乱に金槌を打ち込んでいた老人は顔を上げた。

「なんじゃ?風邪か?」

「い、いや…。風邪なんて、ここ数年は引いてなかったんだけどな…。」

アルバートは首を傾げながら不可解な表情を浮かべる。

「ちゃんと、できそうか?」

「当たり前じゃ!儂を誰だと思っている!確かに久方ぶりに剣を打つが腕は落ちておらん!」

そう啖呵を切るのは鍛冶職人、ドゥリン。アルバートは彼に宝剣の製作の依頼をしたのだ。
ドゥリンの言葉にアルバートはなら、良かったと安堵した。
アルバートは地図を開いて、今いる場所と次の目的地を確認した。
そして、すぐにでも身支度を整えて、出発する準備をした。

「悪い。爺さん、ここは任せてもいいか?俺、すぐにでも行かないといけないんだ。帰りにここに寄ってその時に出来上がった剣を受け取るからさ。」

「なんじゃ、忙しない男じゃのう。どうせ、ここにいようがいまいが変わらんから好きにせい。」

「ああ。ありがとう。それじゃあ、頼んだぞ。」

「ところで、どこに行く気じゃ?」

「海だ。」

アルバートはそう言い残してドゥリンに手を振り、南の海へと旅立った。




ゾフィーがゼリウスに手紙を出すと、すぐに返事が返ってきた。
彼はすぐにでも両親に挨拶をしようと積極的だった。
彼の行動は早かった。ゾフィーが戸惑っている間にロンディ家に正式な手紙を送り、結婚の挨拶をする為の段取りまで整えていた。
そして、その日はゼリウスが正式に両親への挨拶に子爵家に訪れたのだった。

「これはこれは…。ティエンディール侯爵。この度はわざわざご足労頂き…、」

二人の噂を聞いてもゾフィーが彼と交際していることを報告しても両親は戯言だと笑い飛ばし、ゾフィーなんかにゼリウスが本気になる訳ないと思い込んでいた。
だから、直前まで二人の仲に気付かなかったのだが正式に婚約の申し入れの手紙が届けられ、漸くそれが真実だと気付いた両親は慌てふためいていた。両親の反応よりもゾフィーはソニアの反応が気になった。あの子の事だから、絶対に突っかかってくるだろうと思っていたのだが…、意外にもソニアは無反応だった。ただ、無言で俯くだけのソニアに違和感を抱いたのも事実だった。そして、ゼリウスが挨拶に来る日もソニアは部屋に閉じこもって出ようとしない。
ソニアに嫌われているのは知っていたので無理に顔合わせに参加させる必要もないと思い、ゾフィーはソニアはそっとしておこうと思った。

ゼリウスを前にして、父は顔を真っ青にしながらもへこへこと頭を下げ、媚びた目を向けた。
そんなゾフィーの父にゼリウスは爽やかに笑い、

「婚約の許可を頂くのです。こちらから出向くのは当然です。」

「ゼリウス様!」

その時、高い声が二人の間に割り込んだ。

「お久しぶりです!会いたかったですわ!」

そこには、ずっと部屋に閉じこもっていた筈のソニアが明るい表情で立っていた。
ゾフィーよりも豪華なドレスに身を包み、着飾ったソニアは無邪気な微笑みをゼリウスに向ける。
しかし…、

「ゾフィー!会いたかったよ。」

まるでソニアなど視界に入ってないかのようにソニアの横を素通りし、一番目立たない場所で端の方に控えていたゾフィーにゼリウスは破顔して近づいた。ソニアの事は完全無視である。

「ゾフィー。俺が贈った髪飾りをつけてくれたんだね?とても似合っている。」

「あ、ありがとう。ゼリウス。」

「それに、そのドレスも素敵だよ。やっぱり、その色にして良かった。」

ゼリウスから贈られた深緑色のドレスを着たゾフィーを見て、ゼリウスは絶賛した。
そのままゾフィーの手の甲に唇を落とす。ゾフィーは恥ずかしくて、思わず声を上げた。

「ちょ、ちょっとゼリウス!人前でそんな恥ずかしい事言わないでって…、」

「何故?可愛いゾフィーを可愛いって言う事の何がいけないんだ?」

「だ、だから!そういう事を…!」

ゾフィーは顔を赤くして抗議するがそれに被せるように甲高い声が割り込んだ。

「ゼリウス様!私を放ったらかしにするなんて、酷いですわ!」

そんなソニアにゼリウスは目を細めた。

「…ああ。これはこれは。ソニア嬢。あの祭り以来ですね。けど、君に名前で呼ぶ許可を出した覚えはないんだけどな?」

やんわりと拒絶をするゼリウスにソニアは満面の笑顔を浮かべた。

「そんなつれないこと仰らないで!私達は夫婦になるのですから!」

「そ、そ、ソニア!」

ソニアの言葉に両親が顔色を悪くした。ゾフィーも絶句した。
何を言っているの?この子は。ゼリウスの取り巻く空気が一瞬、凍り付いた。
が、すぐにいつもの穏やかな空気に戻った。

「…すまない。疲れているのかな?今、有り得ない単語を聞いた気がしたんだけど…、もう一回言っていただけないか?ソニア嬢。」

「ですから、私とゼリウス様は夫婦になると言ったのですわ。」

「…俺は君じゃなくて、ゾフィー嬢に婚約を申し込んだつもりだけど…。
これはどういう事ですか?ロンディ子爵。」

「は、い、いや…。こ、これはその…、」

ゼリウスの怒りの気迫を感じ取ったのだろう。父は真っ青な顔でダラダラと汗を垂れ流している。

「お父様も賛成してくれたではないですか!姉様よりも私の方が妻にふさわしいって!」

「ソニア!」

「へえ…。」

怒りの空気が増長した。

「どうやら…、一度きちんと話し合いが必要なようですね?ロンディ子爵。」

そう言って、ゼリウスは父に詰め寄り、圧力をかけるように笑った。
ヒイイ、と震え上がる父をゼリウスは目が笑っていない笑顔を浮かべた。



「それで?何故、ソニア嬢がそのような勘違いを?説明して頂けますか?」

ソニアはゼリウスに隣に座るよう声を掛けたがゼリウスは全く相手にせず、ゾフィーの手を取ると、先に座らせ、自分もその隣に座った。

「い、いえ…。その…、」

「あなた…。」

言葉を発せない子爵に夫人が声を掛ける。

「じ、実は…、娘のソニアが…、こ、侯爵に一目惚れをしてしまったらしく…、」

ゾフィーは息を呑んだ。まさか…、この子…、
ソニアを見ればクスリ、と一瞬、ゾフィーに勝ち誇った笑いを浮かべた。
また…、奪われるの?彼を…、ゼリウスを盗られてしまうの?
その時、ギュッと手を握られた。ハッとして見ればゼリウスが大丈夫だといいたげに微笑んでいた。

「わ、わたしも反対したのですが…、ソニアは侯爵への恋心ゆえに泣き暮らす毎日でして…、そんな娘を見ていると、あまりにも不憫で…、」

「…で?結局、何が言いたいんです?」

「で、ですから…、ゾフィーではなく、ソニアを選んでいただきたいと…。ソニアも同じロンディ子爵令嬢ですし…、」

「つまり、子爵は婚約者の変更をしろと?そういう事でしょうか?」

「ひ、ひらたく言えばそうです。も、勿論!ゾフィーには代わりの相手を用意しています。元々あれには同じ家柄の子爵令息を縁談相手として…、」

「…。」

黙り込んだゼリウスに父は気を良くしたのか声高々に言い放った。

「相手がどうしても、ソニアがいいと言ったので仕方なく、ソニアの婚約者にしたのですが…、やはり、娘の幸せを考えるとこのままではよくないと思いまして。ゾフィーだって元はその男と結婚するつもりだったのですから…、」

父が不意に言葉を止めた。空気が一変したからだ。鋭く、研ぎ澄まされた空気…。
まるで首筋にナイフを突きつけられたかのような緊迫感…。この感覚…。あの時と同じ…。
自分が向けられていなくてもその恐ろしさは肌で伝わってきている。それを正面から直撃した父は最早、顔面蒼白だ。

「娘の幸せ?…本気でそう思っているのか?」

「あ…、あひ…!」

母親と妹はとっくに気絶している。父はガタガタと震えていた。

「お前はただそこの性悪女の我儘を貫き通しただけだろうが。…ゾフィーを犠牲にしてな。
何が娘の幸せだ。…反吐が出る。二度とそんなふざけた口が叩けないように舌を引き抜いてやろうか?」

「ヒッ!?」

「しかも…、俺のゾフィーを俺以外の男にやるだって?それも、その性悪女の使い古しをか?
…ここまで、馬鹿にされるとは思わなかった。ああ。そうか。…お前は俺に喧嘩を売っているんだな。まさか、こんなに正面から喧嘩を売られたことはなかったから気付かなかったよ。」

「そ、そんな!滅相もない!」

「嘘つくなよ。…その勇気を称えてやるよ。五大貴族に真っ向から喧嘩を売るなんて行為ができる人間は貴様くらいだろうな。…感心するあまり、全力で踏みつぶしてやろうと思う位だ。」

「ヒイイ!?」

「話には聞いていたけど、想像以上に酷い父親だな。…一応はゾフィーの父親だからそれなりに礼儀を尽くしてやろうかと思っていたが…、その必要もないみたいだな。ゾフィーの婚約を認めてくれるのなら、多少の援助はしてやろうかなと思っていたが…、残念だよ。」

「そ、そんな!?」

金に目がない父は援助という言葉に反応し、そして、絶望した。

「けど…、俺は寛大な男だからな…。俺の示した条件を吞むなら、許してやろう。」

「じょ、条件…?」

ゼリウスは懐から一枚の紙を取り出すと、スッと父に差し出した。

「…今後、一切ゾフィーへの接触をしないと誓えるのなら…、ここに書かれている額の金をくれてやる。その代わり、ゾフィーがこの家を出たら、金輪際、彼女に関わらないでもらおう。」

「え…、」

「嫌なら、いいぞ。その時はお前とこの家を潰すまでだ。」

「ヒイ!?わ、分かりました!お、お約束します!」

「聞き分けが良くて助かる。なら、さっさとサインをしろ。」

「は、はいいい!」

カクカクと操り人形のようなぎこちない動きで父はサインをした。震えてかなり字が乱れていたが。
ゼリウスはサインを確認すると、結構。と言い、契約書を胸元に仕舞った。




「俺を軽蔑したか?ゾフィー。」

「え?どうして?」

あの後、とうとう気絶した父を置いてゼリウスはゾフィーの部屋に来ると、ぽつり、と不安げな眼差しでそう言った。

「君の意思も聞かずにあんな形で家族の縁を切らせたりして。しかも、金で解決した。
君を守るつもりだったんだけど、俺はあんなやり方でしか君を守る方法が思いつかなかったんだ。
…何でも、金や権力を使う所は俺の悪い所なんだよな。」

「ゼリウス…。そんな事ない。」

ゾフィーはそっとゼリウスの頬に手を添えた。

「嬉しかった…。妹ではなく、私を選んでくれて。私の為に…、戦ってくれて。家族の事はもう…、いいの。私はあなたと一緒に幸せになるって決めていたのだから。私はもうお父様たちに認められなくても愛されなくてもいい。あなたさえいれば…、それでいい。」

「ゾフィー…。」

「私を守ってくれて…、ありがとう。」

ゾフィーはゼリウスに微笑んだ。そんなゾフィーをゼリウスはそっと抱き締めた。
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