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第百二十六話 好きにしなさいよ。

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「…好きにしなさいよ。」

姉の言葉にリエルは顔を上げた。

「お姉様…?」

「好きにしたらいいじゃない。…いい加減、馬鹿らしくなってきたわ。」

はあ、と溜息を吐いてセリーナは頬杖をつくと、続けて言った。

「あんなヘタレで変態なストーカー男なんて、こっちから願い下げよ。」

「…はい?」

ヘタレ、変態、ストーカー男。ヘタレは分かるが変態、ストーカー男って…。

「何よ。その顔。あんた、あいつの本性にまだ気づいてないわけ?あいつは、立派なストーカーよ。
だって、十年以上もあんたに片思いして、一度は婚約破棄して振られたくせに諦めきれずに女々しくあんたをずっと見つめていたんだもの。こそこそとリエルの周囲を探ってはあんたに近付く男がいればすぐさま排除していたし、リエルが参加する夜会やお茶会をリサーチしては必ずそれに参加していたんだもの。これがストーカーじゃないって思う?」

そういえば、アルバートはリエルに初めて会った時から好きになったのだと思うと告白していた。それに、リエルに近付く男はアルバートが遠ざけたり、何度もリエルと接点を作ろうとしていたとも。確かに言われてみればそれはある意味、ストーカーと呼ばれても仕方ない行為かもしれない。でも、リエルはそれを嫌だとは思わなかった。むしろ、嬉しかった。

「それだけ好きなのにいざ本人を前にしたら嫌味と皮肉しか言えなくて、本当馬鹿な男…。
その癖、自分以外の男があんたを馬鹿にするのが許せなくて…、知っている?アルバートって、薔薇騎士に就任して暫くしたら、乱闘騒ぎを起こして謹慎を食らったことがあるのよ。」

「え…、ええ。それは、私も知っています。当時の社交界でも騒がれていましたから。最悪、降格処分を受けるかもしれないとも言われてましたし…、」

新聞でそれを目にした時は驚いた。アルバートは夜会の最中、突然ある上位貴族の令息を殴り飛ばしたそうだ。しかも、一回殴っただけではなく、相手に馬乗りになり、執拗に何度も殴り続けたとか。そのせいでその貴族令息は全治一か月の怪我を負ったらしい。幾ら五大貴族の息子だからといって公衆の面前で暴力沙汰を起こすなど許されるわけがない。アルバートは陛下や薔薇騎士に尋問されたが殴った理由は頑なに話さなかったらしい。結局、陛下の温情で一週間の独房生活と一か月の謹慎で許された。それを聞いて、リエルはホッと安堵したものだ。

「けれど、それと私に何の関係が?」

「…あんた、その殴られた男が誰だか知らないの?」

「ええっと…、確か伯爵家の嫡男ですよね?鉱山を数多く所有しているという…、」

リエルは不意に口を閉ざした。思い出した。すっかり忘れていたがその男は確かリエルとお見合いをしたことがあった人だ。

「まさか…、」

リエルはその時、気が付いた。その男はリエルにチェスで負けたことでかなり悔しい思いをした筈だ。
しかも、その後、実家からはリエルとの縁談が破談になったことで叱責を受けたと聞いている。リエルにはもう近づかないという念書を交わしたのだが彼はリエルを恨んでいるといっても過言ではない。

今までのアルバートの態度…、リーリアの罠に嵌められ、リエルを襲った男をアルバートが殴り飛ばしたこと、ゾフィーがリエルを利用しようとしたと勘ぐったりしたことやその時に今までにもそういった貴族達を裏で排除していたこと…、それらを総合して考えればアルバートがその男を殴った理由が見えた気がした。もしかしたら、彼は…、

「もしかして…、その人が…、何か私の事で言ったのですか?それでアルバートが…、」

「…知らないわよ。本人に聞けば?…でも、その現場を見た男達から聞いた話だと、そいつはリエルの事を他の男達の前で話題に出して嘲笑っていたみたいよ。そこにアルバートがいたから、近寄って親し気に話しかけたんですって。アルバートがリエルの元婚約者だっていうからあんな女と婚約させられて可哀想にとか別れて正解だとか言ってね。でも、アルバートはその時は無言で男に背を向けただけでそのまま出て行こうとしたの。そうしたら、男が引き止めて、アルバートの肩を掴んで何かを囁いたそうよ。
何を言ったのかは知らないけど、アルバートは突然、男を殴り飛ばしたの。そのまま男に馬乗りになって容赦なく殴り続けて…。周りの人間が止めようとしたけど殺気を放ったアルバートを怖がって誰も止められなかった。警護の騎士達が駆け付けて押さえようとしたけど、アルバートはそいつらも全員、返り討ちしたみたい。それで、偶然居合わせた薔薇騎士が力技でねじ伏せて何とか引き剥がしたそうよ。」

「どうしてそこまでして‥、そんなことすればアルバートの評判にも傷がつくかもしれないのに‥、」

「あいつは昔からそう。リエルのことになると周りが見えなくなる。自分の立場とか評価なんかどうだっていい。そういう男なのよ。昔からね。」

アルバート…。
心の中で彼の名を呼びながら、リエルはギュッと両手を握り締めた。

「それに、あいつはただの変態男よ。だって、あんた以外の女に一切、欲情したことがないんだもの。
あの夜の事も聞いたんでしょ。…この私が誘惑してもアルバートは見向きもしなかった。それどころか、私からのキスを拒絶して突き飛ばした位だったもの。…本当、ムカつく男よ。」

最後の姉の言葉は何だか切なさが含まれていた。リエルは黙ったまま耳を傾けた。

「それに、アルバートと一緒にいても苛々することばかりだったわ。私といてもいっつも心ここにあらずだし。あたしに会うという名目でリエルのことをずっと意識しているし。隙あらば、リエルに近づこうとしていたし!」

セリーナは吐き捨てるようにそう言うと、

「あいつってばリエルの事ばかり考えて…。目の前にこれだけ美しい女がいるのに他の女を考えているなんてあたしがどれだけ屈辱的な思いをしたか…!」

「で、でも…、アルバートはお姉様と一緒にいる時は楽しそうに笑っていましたよ?」

「楽しそう!?そんな訳ないでしょ!あの笑顔なんて、ただの愛想笑いに決まってるでしょ!?
実際、他の女達にも同じような態度だったし!あたしと一緒にいるのに茶色い髪の女やリエルと似た背格好の女に無意識に目を向けたりしているし、あたしが他の男と腕を組んだり、男に凭れかかったり、密着しても全く無反応なのに、リエルが知らない男に話しかけられたり、ダンスを申し込まれるのを見ると、分かり易いくらい動揺している始末よ!」

そうだったんだ。自分以外の女性には甘く蕩ける様な笑顔を浮かべていたのはどうして自分にはあんなに冷たいんだろう。そう思っていた。でも、あれってただの社交用の顔に過ぎなかったのか。リエルが作った笑顔と同じように彼もまた表向きの笑顔を被っていたに過ぎなかったんだ。

「アルバートは、あんたじゃないと駄目なのよ。それはあんただって、同じでしょ?
あんたは昔から、青空が好きだったものね。暇さえあれば空を見ていた位だったし。」

「…ええ。」

リエルはコクン、と頷いた。私は青空が好きだ。アルバートと同じ瞳の色をしているあの澄み渡った空の色が…。

「遠くて手が届かないって思っていたかもしれないけど…、今は手を伸ばせば掴めるんでしょう?
だったら…、手に入れなさいよ。あなただけの青空をね…。」

セリーナはそう言うと、目を伏せた。

「こんな美女を相手にしても、他の女しか目が行かない失礼な男なんて、こっちから願い下げだわ。」

そう言い捨て、プイッと顔を背ける姉をリエルは見つめた。姉の手は震えていた。
リエルには姉の想いが分かっていた。気づいていたのだ。姉もアルバートを愛していたのだという事実に。でも、その上で…、

「お姉様…。ごめんなさい。そして…、ありがとう…。」

この気持ちはもう、止められないのだ。リエルは姉に謝罪と深い感謝を抱いた。
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