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第百九話 どうだっていい

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―ごめん…。セリーナ。

心の中で謝りながらアルバートは元来た道を戻っていた。
不意に廊下の曲がり角の所で佇む男の姿に気付いた。黒い燕尾服をそつなく着こなした執事…、リヒターだった。

「リヒター。」

「その様子だと、あの女狐の罠にはかからなかったみたいですね。少しは成長したようで安心しました。」

「…お前は本当、一々、苛つくことしか言えないのか。」

「生憎、男に優しくする趣味は持ち合わせていませんので。
それで?一体、セリーナ様と何を話していらっしゃのです?」

「…はっきりと振った。セリーナとは結婚できない。幼馴染としてしか見れないって。」

「ほお。セリーナ様の気持ちによく気が付きましたね。あれだけあからさまにアプローチされても気付かなかったあなたが。」

「ゾフィー嬢が教えてくれたんだ。
それで、気付いた。
…セリーナは俺の事を好きなんだって。」

「あれは、恋という可愛いものではありませんよ。
初めは子供特有のよくいう初恋とやらだったかもしれませんが…、それがいつしか独占欲と執着に変わっただけの話。お嬢様が絡んでいたのも原因の一つでしょうね。」

「そうかもな。でも、あいつをああしたのは俺のせいでもあるんだ。
…セリーナに変な期待を持たせて、ここまで先延ばしにした俺にも原因はある。」

「その自覚はあるようですね。…二年前のあなたは救いようがない馬鹿で最低な男でした。
もう二度とお嬢様に関わり合いにならないように捻りつぶしてさしあげようかと思ったりもしましたが…、」

リヒターの心底、冷たい目にアルバートはヒヤリ、とした。どうやら、二年前自分の首はかなり危ない局面にいた様だ。

「ですが…、もういいでしょう。」

「え…、」

アルバートは驚いた。あのリヒターがまさか自分を許すような発言をするとは思わなかったからだ。

「精々、お嬢様に振られても無様な姿を晒さないようにしておくことですね。」

「…ああ。分かっている。」

アルバートは深く頷いた。
そのままリヒターの横を通り過ぎて行く。
そんな弟の姿を見送りながら、リヒターははあ、と溜息を吐いた。

「何故、そこで否定しないのでしょうね。
あの愚弟は。
…本当にお嬢様に振られるのだと思っているのでしょうか。」

やれやれ、と心底呆れたようにリヒターは呟いた。



「アルバート様。聞きましたわ。
フォルネーゼ伯爵令嬢と婚約破棄をしたそうですわね。」

うるさい。

「フォルネーゼ伯爵令嬢は可哀想ですがアルバート様の判断は当然ですわ。
だって、ねえ?幾ら五大貴族の娘でも傷物の令嬢だなんて誰だって嫌ですもの。」

うるさい!人の気も知らないで!

「大丈夫ですわ…。
婚約破棄したからといって、アルバート様の評判に傷がつくことはありません。
それより…、アルバート様はどのような女性がお好みなのですの?
私、これでも将来の夫になる方には尽くす妻でありたいと思っておりまして…、」

俺の評判なんかどうだっていい!
何で婚約破棄したのが俺からになっているんだ!
何であいつが悪く言われるんだ!
くそ…!これだから、貴族って嫌なんだ!
べたべたと馴れ馴れしく触るなよ!
お前らにあいつの代わりができると思っているのか。笑わせるな!

「今日はここまで。」

「え…、」

たった一回だけ剣の手合わせをしただけで師匠はそう言った。そのまま背を向ける師匠にアルバートは慌てて言い募る。

「師匠!待ってくれ!まだ、稽古は始まったばかりで…、」

「アルバート。今のお前では稽古にならない。何だ。さっきの剣は。切れがないし、鋭さもない。
あれでは、使い物にならん。お前はさっき、何を考えていた?」

「あ…、」

見透かされている。アルバートは俯いた。

「アルバート。確かにお前は優秀だ。
その歳で既に正騎士に選ばれている。
だけどな…、今のお前では薔薇騎士になるのは無理だ。心の乱れは剣にあらわれる。
分かったら、暫くは頭を冷やせ。」

「…はい。」

薔薇騎士になれない。自分はあいつとの約束も果たせないのか…。
フラフラとおぼつかない足取りでアルバートはその場を立ち去り、人気のない場所でひたすらに剣を振るった。
剣を振り過ぎたせいで意識が朦朧とする。
大量の汗を掻き、手足の感覚が鈍くなった。
やがて、身体が限界に近付いたのか剣を地面に取り落とした。
ハアハア、と激しく息切れをし、肩が上下に揺れる。汗が地面に滴った。
剣を拾おうとするのに腕が震えてうまく拾えない。

「…くそっ!」

アルバートは悪態をつきながら、
髪をぐしゃり、と掻き上げた。
行き場のない思いをどこにぶつければいいのか分からなかった。

「アルバート。」

「…セリーナ。」

聞き覚えのある声に振り向けば、そこにはセリーナが立っていた。
胸元と背中が大胆に開いた露出度の高い黒のドレス…。
だが、そんな姿を見ても、アルバートは煩わしそうに顔を顰め、

「…何の用だ?」

いつもなら、表面上は紳士的に接するのにそれができなかった。鋭い視線をセリーナに向ける。
その荒々しくも獰猛な視線に一瞬、セリーナはびくつくがすぐにニコリと微笑むと、

「久しぶり…。元気にしてた?」

「元気に見えるか?」

アルバートはそう言って、皮肉げに笑った。
漸く手足の感覚が戻ったので剣を拾い上げる。

「アルバート。根を詰めるのも悪くないわ。」

「平気だ。」

「でも…、少し休憩した方が…、」

「いいって言っているだろ!
俺の事は放っておいてくれ!」

アルバートはセリーナを怒鳴りつけた。セリーナはビクッとするがグッと手を握り締めると、

「何よ…。そんな言い方ないじゃない!
人がせっかく心配してあげているのに…!」

「頼んでないだろ。…早くどっか行けよ。
訓練の邪魔だ。」

「っ…、何をそんなに意固地になっているのよ!
どれだけ頑張った所であなた達が元の関係に戻ることはないのよ!?一度、婚約を破棄したんだもの!
もう一度、婚約することは不可能だわ!
今までそんな前例一度もないんだから!」

「…。」

「あなた達はもう赤の他人なの!だったら、もういいじゃない!あなた、あれだけリエルの事は形だけの婚約者だ、義務だけの結婚だって言ってたじゃない!
なら、もっと喜びなさいよ!
これで、あなたは煩わしい婚約から解放されて、これから好きな相手を…、」

「どうだっていい。」

アルバートはぽつりと呟いた。

「婚約とか結婚とか…、もう、どうだっていいんだよ。俺は。」

「…アルバート!」

セリーナはアルバートの腕を掴んだ。

「ちゃんと、私を見て!私の目を見て頂戴!」

ぼんやりとした思考でセリーナを見つめる。何故か彼女の声が遠くに聞こえた。
そのままセリーナが抱き着いた。アルバートは抵抗しない。ただ手を下ろしたままされるがままにしている。

「ねえ…、アルバート。
あなたが気に掛ける必要はないわ。
あの子も我儘だし、勝手よね。
あなたの言葉も聞かないで一方的に婚約を破棄するなんて。
でも、よかったじゃない。これで。
元々、あの婚約自体が間違っていたのよ。
大丈夫…。私がいるわ。あの子と違って私はずっとあなたの傍にいてあげる。
あなたが辛い時は慰めてあげる。だから…、」

セリーナはアルバートの耳元に囁いた。

「私の物になって。アルバート。」




「アルバート様。着きましたよ。」

アルバートはハッと我に返った。
いつの間にか屋敷に着いたみたいだ。
ぼんやりと考え事をしていた自分に気付き、アルバートは馬車から下りた。

あの後…、自分はセリーナに請われるがままに行動を共にした。セリーナ以外の女にも声を掛けたりした。彼女達はすぐに誘いに乗ってくれた。
だけど…、心は満たされなかった。
無意識に茶色の髪の女を探していたし、空や薔薇、ネモフィラの花、アップルパイを目にするとあいつの顔がちらついた。

本当はどこかで妥協しようという気持ちもあった。セリーナの誘いに乗ったのもそうだった。
最低な事をしている自覚はあったがそれで諦められるなら忘れられるならと…。
なのに、気付けばリエルの事ばかりを考えていた。
こそこそと彼女が何をしているのかを調べ、青薔薇の開発に成功したことや領地経営に携わっていることも知った。
リエルが参加する予定の夜会やお茶会があればその日は予定があっても無理矢理変更するなどして自分も参加したりした。
が、ルイやリヒターの前では穏やかに笑っていたリエルの笑顔がアルバートを目にすると、固まった。
本当はあの日のことを謝りたかっただけなのに、もっと別の言葉を言うつもりだったのに、そんなリエルを前にしたら、嫌味と皮肉しか出てこなかった。

その度にこんな筈じゃなかったのに…。と屋敷に帰り、自室で項垂れたものだ。
何で他の何とも思っていない女にはペラペラと自然と口が回るのにあいつの前では言えないんだ!
あれだけ、前日に練習したのに本人を前にすると頭が真っ白になって何も言えなくなった。
思っていることと正反対のことを言ってしまった。

あの二人には惜しげもなく笑顔を見せてくれるのに自分にだけどうしてそんな強張った顔をするんだと苛立ったのも一つの原因だ。
あれだけ最低なことをしたのだから、当然の報いなのだが自分はそれを受け入れられなかった。
そんなアルバートにリヒターは冷ややかな視線を注いでいた。
言った後にしまったと思うがもう遅い。リエルは一瞬悲しそうにするがすぐに笑顔の仮面を貼り付けていた。

何度、後悔したことか。いっそ、壁に頭を打ちつけたい衝動に駆られた。



アルバートは自室に戻ると、本棚に手を伸ばした。
迷いなく、本を取り出せば本棚の奥に丸状の不思議な文様と数字が羅列したものがあらわれた。
アルバートはそれに数字を合わせる。
ガコッと音がして、ギイイ、と無機質な音を立てて本棚の奥の扉が開かれた。
アルバートはそこに入ると、慎重に扉を閉めた。
ここは仕掛け部屋になっている空間だ。

アルバートはそこにある物を保管していた。
中には、絵画や新品のリボンで包装された箱、たくさんの本が保管されていた。
その中から、青いリボンで包装された白い箱を手に取った。

「いい加減、これも…、そろそろ処分しないとな。」

そうアルバートは呟いた。
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