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第八十四話 緋色の髪の子爵令嬢

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姉は朝から上機嫌だった。対して、リエルは憂鬱な気分である。リエルとセリーナは馬車に乗り、侯爵邸に向かった。

「何よ。リエル。その顔は。」

「…いえ。お姉様は楽しそうで何よりです。」

ついつい恨みがましい視線を向けてしまう。

「ゼリウスがどうしても、リエルを連れてこいって言うものだから仕方なく、私が招待状への返事を出してあげたのよ。あんたはいつも引きこもっているんだからたまには社交の場に出してあげなきゃって思ってね。」

「そうでしたか。」

ゼリウス。あの人の仕業か。リエルはふつふつと怒りがこみ上げてくる。

「今日はアルバートも来るんですって。まあ、同じ五大貴族なんだし、当然よね。」

リエルはピクリ、と反応した。彼もお茶会に…?そうか。だから、姉はいつも以上に気合いが入っているの
か。リエルは納得した。目の前の姉の姿を見つめる。目と同じ深みのある紫のドレスを纏っている。胸と背中が大胆に開いている色っぽいドレスだ。不思議と姉が着ると、下品に見えず、目が奪われてしまう。女のリエルでもそうなのだから、男性ならばひとたまりもないだろう。ゼリウスの言葉が甦る。

『女はやっぱり、胸だな。君の姉上は見事な物を持っているよね。一度くらい味見したいものだ。胸の大きい女を嫌う男はいないよ。まあ、特殊な趣味を持つ男も中にはいるけどね。君の脚も魅力的だけど、残念だが胸がないからなあ。…いっ!?」

あの時、テーブルの下でゼリウスの足をヒールで踏んづけた自分は悪くない。失礼な事を言ったゼリウスが悪いのだ。

―彼も…、お姉様のような豊満なスタイルを持った人に惹かれるのだろうか?

「ようこそ。セリーナ嬢。リエル嬢。」

出迎えたのは、ティエンディール侯爵当主、ゼリウスだった。癖の強い金色の髪にティエンディール家の特有の黄緑色の瞳…。日に焼けた肌とがっしりとした体つきは逞しさを感じる。正統派美形のアルバートや影のあるミステリアスな美形のリヒターとはまた違ったタイプだと令嬢達の間ではゼリウスは人気だった。確かにこうしてみると、見惚れる程の美男子だなとリエルはしみじみと思った。

「ゼリウス様。久しぶりですわね。お招き嬉しく思いますわ。」

「セリーナ嬢…。相変わらず、お美しい。あなたの美しさの前ではどんな宝石も霞んで見える。」

「まあ、ゼリウス様ったら…。」

よくもまあ、あんな甘い言葉が吐けるものだ。しかも、姉だけではなく、他の女にも似たような言葉を吐いているのだろうに。

「リエル嬢もよく来てくれたね。嬉しいよ。」

「…光栄ですわ。わたしもあなたに聞きたいことがありましたので。」

白々しい。姉を使って無理矢理自分をここに連れてきた癖に。そんな思いを込めた言葉をゼリウスはにっこりと笑みを返した。

「そうでしたか。じゃあ、客人への挨拶を済ませたらすぐにあなたの元に行きますよ。」

そう言って、ゼリウスはリエルの髪の一房を手に取ると、チュッとそこに口づけた。リエルは自分にも気障な仕草をする友人を相変わらずな人だなと呆れた。


セリーナは挨拶を終えると一目散にアルバートの元へと駆け寄っていった。相変わらず、行動が早い。先に来ていた令嬢達がアルバートを囲んでいたがセリーナが来ると、自然と道を譲っている。あの美貌とフォルネーゼ家の令嬢という肩書きは強い威力を持っている様だ。リエルはそっと目を逸らすと、不意にある集団に目が留まった。

「あれは…、」

隅の方なのでよく見えないが何だか様子がおかしい。気になったリエルはその集団に脚を向けた。

「まさか…、あなたが招待されているなんて思いもしませんでしたわ。」

「本当に。ゼリウス様はお優しいからこんな貧乏貴族の娘も招待するだなんて…。ただの社交辞令なのが分からないのかしら?」

「もしかして…、ゼリウス様に相手にされると思っているのかしら?たかが子爵令嬢の没落寸前の家の出のあなたが?」

どうやら、一人の子爵令嬢を寄ってたかって虐めているみたいだ。見れば、彼女達は全員が高位貴族の出。成程。退屈しのぎに身分の低い令嬢を甚振っているのか。何て品のない人達なのだろう。貴族令嬢の名が聞いて呆れる。リエルは見るに見かねて声をかけようとするが…、

「フッ…、」

「な、何が可笑しいの!?」

女性達に虐められている筈の令嬢の笑い声にリエルは口を噤んだ。

「いいえ。ただ、意外だなと思いまして。私のような爵位も低い貧乏貴族の娘にありがたいご忠告を下さる位、高位貴族の娘である皆様はお暇なのですね。羨ましいですわ。」

「何ですって!?」

「たかが子爵令嬢の分際で私達に歯向かう気!」

「滅相もありません。私などより、遥かに身分の高い皆様に逆らうなど…、ただ一つだけ訂正させて頂きたいだけですわ。」

パチン、と扇を閉じる音がした。
それだけで子爵令嬢の空気が変わった。令嬢を取り囲んむ女達の隙間から緋色の髪が視界に映った。

「何やら、勘違いをしている様ですが…、
私はあくまで大切な取引先である侯爵のお誘いを受けただけ。間違ってもあんな色ボケ…、失礼。
ティエンディール侯爵を狙っているなどと誤解されるのは不本意ですわ。私はそんな色恋沙汰に興味はありませんの。」

「この…!言わせておけば…!」

真っ赤な顔で扇を振り上げる姿にリエルは思わず声を掛けた。

「ああ。こちらにいらしたのですね。…あら?」

「…?フォ、フォルネーゼ伯爵令嬢!?」

リエルが声を掛けると子爵令嬢を叩こうとした女は慌てて手を下ろし、顔色を変えた。
こういう時、五大貴族の身分は役に立つ。さすがに高位貴族である彼女達はその立ち位置をよく理解している様子だ。

「もしかして、皆様も彼女のご友人でしょうか?」

「ゆ、友人?あの…、失礼ですが…、フォルネーゼ伯爵令嬢のご友人にはとても見えないのですが…、」

「つい最近、お友達になったばかりで親しくさせて頂いているのです。…彼女が何か?」

「い、いえ…!なんでもございませんわ!」

リエルは令嬢達の陰に隠れていた子爵令嬢に目を向ける。その時、初めてリエルは真正面からその子爵令嬢を見た。

―綺麗な方…。

緋色の髪に深緑色の瞳をした美しい令嬢だ。だが、他の令嬢と違って、その目は何処か凛としていて意思の強そうな目をしている。

―この目…。

一目見て、分かる。この令嬢はただの令嬢ではない。

「か、彼女は…、ええと…、今日知り合ったばかりでして…、お話をしておりましたの!そうですわよね!?」

「…ええ。そうですわ。」

どう考えてもお話という雰囲気でなかったにも関わらず子爵令嬢は静かに頷いた。
彼女達の脅しのような気迫に臆したのではない。あれは、どちらかというと、面倒臭がっている様子だ。

―貴族令嬢でこんな度胸のある方がいたなんて。

リエルは目の前の子爵令嬢に興味を抱いた。

「まあ、そうでしたか。お話の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした。」

「い、いえ!丁度、お話も終わった所ですし、わ、私達はこれで失礼しますわ。」

ご機嫌ようと言い、そそくさと立ち去る令嬢達の姿を見送り、リエルはフウ、と溜息を吐いた。
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