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第七十三話 誘拐

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「暴虐の熊を拘束しろ。絶対に殺すな。」
「ハッ!」
近くで待機していた部下の騎士にアルバートは指示を出した。そして、慌ただしく動く部下を見やりながら、後始末を彼らに任せ、アルバートは村に足を踏み入れた。盗賊達の死体を前にしてアルバートは目を細めた。剣は返り血で汚れ、自分の身体にも血がこびりついている。アルバートはスッと空を見上げた。
―化け物、か…。確かにな…。俺はあの瞬間から人ではなくなったのかもしれない。
思い出すのは、あの忘れもしない出来事…。薔薇騎士になるという夢物語を語っていた自分が本物の薔薇騎士になりたいと願うきっかけになった日…。あの時もこんな夕日が美しい日だった。

「アルバート!見て見て!ネモフィラの花がこんなにたくさん!」
「ネモフィラ?その花、ネモフィラって言うのか?」
「そうだよ!とっても綺麗でしょう?青い色でまるで空みたい…。」
アルバートとリエルは二人で花畑で遊んでいた。ネモフィラの花を摘んだリエルは満足そうに微笑んでいる。
「このネモフィラの花、アルバートみたいだね。」
「俺が?」
「うん!だって、アルバートの目の色とネモフィラの花の色、とってもよく似ているもの。そうだ!アルバートにもこの花、あげるね!」
リエルはニコニコと花を差し出した。その無邪気な笑顔にアルバートはつい好きでもない花を受け取った。
「ネモフィラ…、好きなのか?」
「うん!青空みたいでとっても好き!」
「へ、へえ…。」
ネモフィラの花の色と自分の瞳の色が似ていると言われた後でそんな言葉を聞くと悪い気はしなかった。間接的に自分の事も好きだと言われているみたいだ。もし、この場にあの毒舌ルイがいたら、こう言うだろう。「姉上が好きなのはネモフィラの花のことですからね。」と。だが、今日はあの邪魔者はいない。何せ、アルバートが根回ししてこの時間にルイの勉強の時間を入れ込んだのだから。だから、久しぶりにリエルと二人っきりで遊べる。大体、いつもいつもリエルに引っ付き虫の如くついてくるルイが邪魔をしてくるせいでアルバートはリエルと中々二人っきりで遊べないのだ。でも、今日はそのルイがいない。アルバートは今日という貴重な時間を楽しんでやると拳を握り締めた。そんなアルバートを見てリエルは不思議そうに首を傾げるのだった。
「お嬢様。アルバート様。そろそろ日が暮れます。お屋敷に帰りましょう?」
帰宅を促す侍女の言葉でリエルとアルバートは馬車に乗り込んだ。
「アルバート!あたしね…、このネモフィラの花を栞にするんだ!そうしたら、枯れる心配はないでしょう?」
「お前は本当に花が好きだな。」
「だって、あんなに綺麗でいい匂いもするもの他に…、」
「ぎゃああああ!?」
不意に馬車が揺れた。御者の悲鳴が聞こえた。リエルはびっくりして肩をびくつかせた。
「な、何?」
アルバートも異変に気が付いた。馬車の窓から様子を窺えば武装した男達が護衛の騎士達を斬り伏せていく姿を目にする。盗賊だ。アルバートは息を呑んだ。
「あ、アルバート…。」
「リエル!大丈夫だ!俺がついているから!」
リエルが恐怖に駆られて泣き出した。アルバートはしっかりとリエルの手を握り締めるが唐突にバン!と扉が蹴破られた。
「ほお…。こいつらが例の餓鬼か…。成程、お貴族様の子供は小綺麗な顔をしているな。」
アルバートの顔を見て盗賊の男が呟く。アルバートはキッと男を睨みつけ、リエルを背中に庇った。
「ぼ、僕はルイゼンブルク家の息子、アルバートだ!」
アルバートは震える声でそう叫んだ。
「僕の父は五大貴族でお金ならたくさん持っている!み、身代金を要求すればたくさん金を用意してくれる筈だ!僕はその取引に使える!でも、こいつは…、違う!」
「アルバート…?」
リエルがアルバートの言葉に不安そうに呟いた。
「この女はただの使用人だ!だから、この女は取引に使えない!金が欲しいなら、僕だけを連れて行けばいい!」
「ハハハ!」
男はアルバートの言葉に笑った。
「必死だなあ。坊主。そのお嬢ちゃんを守る為に虚勢を張って…、けど。残念だったな。俺達が用があるのはお前じゃない。そのお嬢ちゃんだ。」
「えっ…?」
「リエルを…!?」
「勿論、お前も一緒に来てもらうぞ。小僧。…お前は、売れれば金になる。」
そう言って、男は拳を振り上げた。その直後、アルバートは男に殴られ、気絶した。リエルの悲鳴が気絶する直前に聞こえた気がした。


「…る、アルバート!」
気付いたらリエルが涙を流しながらアルバートを覗き込んでいた。
「アルバート!良かった!気が付いたんだね?」
「あ、ああ…。ここは…、ッ!」
不意にアルバートは痛む頭に顔を顰めた。そして、手が縄で縛られていることに気が付いた。見ればリエルも縄で縛られている。
「無理しないで。アルバート…。あの人達に頭を殴られたんだよ。」
そうだった。あの盗賊達に自分達は捕まり、ここに閉じ込められたのだろう。薄暗いここは倉庫みたいだった。壁には手錠や足枷、鞭がかけられ、何だかあまり居心地がいい場所じゃない。
「くそっ!あいつら、絶対に許さない!ここを逃げ出したら、真っ先に警備隊に突き出してやる!」
「アルバート…。心配しないで。きっと、お父様やおじ様達が助けに来てくれるよ。それまでの辛抱だから…。」
「馬鹿言うな!こんな所で呑気に助け何て待ってられるか!ここからすぐに逃げるぞ!」
「で、でも…、」
「ああいう集団はな。手っ取り早く俺達を奴隷として売り払うんだよ!世の中には貴族の子供を買いたいって大人が大勢いるらしいぞ!何か、躾けとか調教とかよく分からないけどペットとして買いたいんだって…。俺はそんな扱い御免だ!」
「ぺ、ペット…!?や、ヤダ…!」
「そうだろ?だから、すぐにここから逃げるぞ!リエル!」
「でも、どうやって…?」
「ナイフか何か切る物でもあればいいんだけど…、」
「切るもの…。あ!それなら、あれはどうかな?」
リエルが顎で示した方向には一本の酒瓶が転がっていた。中身は空の酒瓶をアルバートは不自由な手で壁に向かって投げつけた。瓶は粉々に割れたのでその破片で縄を切る。
「アルバート。大丈夫?手、切らないでね。」
「大丈夫だ!…よし!できた!」
アルバートは苦戦しながらも縄を切るのに成功した。急いでリエルの縄も切った。
「ほら、早く逃げるぞ!」
「う、うん。でも、どうやって…、」
リエルの手を引いてそのまま立ち上がるアルバートだったが…、
「おやおや。今回は随分と威勢のいい餓鬼が手に入ったもんだ。」
女の声に慌てて顔を上げればいつの間にか入り口に屈強な男達を引き連れた女が立っていた。真っ赤な紅を引いた唇がニタリと弧を描いて笑っている。まるで物語に出てくる魔女のようだった。
「まるで人形みたいに綺麗な美少年じゃないか。これは、中々、高く売れそうだ。」
そう言って、舌なめずりをする女にアルバートは嫌悪感を抱いた。嫌な目だ。女を睨みつけるアルバートに女は愉快そうに笑った。
「いい目だねえ。強気な子は嫌いじゃないよ。躾け甲斐があるというもの…、」
「僕に触るな!」
女が伸ばす手をアルバートは叩いた。が、次の瞬間、女が目を細め、
「調子に乗っているんじゃないよ!くそ餓鬼が!」
そのまま躊躇なくアルバートの腹を蹴り飛ばした。
「グッ…!」
「アルバート!」
腹に激痛が走った。そのままアルバートはなすすべもなく倒れ込んだ。女の靴がアルバートの腹を踏みつけていた。
「いつまで貴族気取りでいる気だい!?あんた達はもう貴族でも人でもない!これから、お前達は一生奴隷として生きていくしか道はないんだよ!」
「止めて!アルバートに酷い事しないで!きゃあ!?」
「クッ、り、リエル…!」
女に縋りついて止めようとするリエルだったがそのまま男達の一人に腕を掴まれ、どこかに引きずられていく。アルバートは起き上がろうとするが女に押さえつけられているせいで動けない。
「そっちの小僧は鎖にでも繋いでおきな。」
「へい。」
女の命令にそのまま男の一人にアルバートは無理矢理立たされ、引っ張られて行く。抵抗するが所詮は子供の力だ。大人のしかも、男の力には適わずに壁際に連れて行かれると、壁に垂れ下がっている手錠で拘束された。
「は、離せ!離せよ!」
アルバートは暴れるが鎖の擦れる音が聞こえるだけでびくともしない。その間にもリエルは部屋の中央に位置していた台のようなものの前に連れていかれていた。リエルは何をされるか不安な様子でガタガタと震えている。
「何する気だよ!そいつに酷い事したら許さないからな!」
アルバートが怒鳴りつけるが女はケタケタと楽しそうに笑うだけだった。
「アハハハ!必死だねえ。正義のヒーローみたいに気取ってご立派じゃないか。」
女は暴れるアルバートを見やり、コツコツと足音を立てて、アルバートに近付くとグイ、と乱暴な動作でアルバートの顎を掴んだ。
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