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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国
第二十七話 びっくり箱の姫君
しおりを挟む真っ赤になった香澄を、アレクシリスは愉しそうに見つめていた。
いつの間にか、皓輝は猫の姿になってベッドの上で丸くなっていた。香澄は、もう少し皓輝と話をしたいと言っていたのに、アレクシリスとばかり話すので拗ねてしまったようだ。
「アレクシリスったら、策士なムッツリスケベさん!」
突然、窓の外から女性の声がして、香澄は驚いてアレクシリスから離れた。
「淑女が身も蓋も無い言い方をするな。アレクシリスが腹黒いのは、子供の頃からだろう?」
「まあ、酷いわ! 杜若の方が、アレクシリスを貶めてると思わない?」
「二人とも、いつからそこに……! ああ、騒がしくしないで下さい。いくら防音結界があっても、そこでは聞かれるかもしれません。それに杜若はともかく、マリーはどうしてここに居るのですか?」
「私は母上に頼まれたの。アレクシリスのために、協力しに来たのよ」
「陛下に?」
「遊帆は論外! アレクシリスも意外と詰めが甘いから、私が香澄のお世話のお手伝いをしなさいって!」
マリシリスティアは、ドレス姿で窓枠に足を掛けて室内にひらりと降り立った。
アレクシリスは、香澄を窓際から離して引き寄せた。続いて杜若も部屋に入ると、香澄に与えられた部屋は、急に狭くなったように感じられた。
杜若は、部屋の主の香澄に一言も断りなく、脇に抱えた本を数冊、部屋の机に置いて、一脚しかない椅子に座って読み始めた。
アレクシリスは、杜若の行動に疲れたようなため息をついている。香澄は、杜若に聞きたい事があった。杜若に話しかけようとした
が、その前にマリーと呼ばれた女性に呼び止められた。
「初めまして、香澄。第一王女のマリシリスティア=サンドラ=ファルザルクです。マリーって呼んでください。どうぞ、よろしくね」
マリシリスティアは、母親のアレクサンドリア女王陛下とよく似た顔に、父親のグレイルードと同じ鳶色の髪と瞳の色をしている。女王陛下と比べると、地味な印象だが、瞳を輝かせ生気に溢れていて、とても魅力的な女性だと香澄は思った。
「初めまして、川端香澄です。皆様には、大変お世話になっております」
香澄がお辞儀をして顔を上げると、マリシリスティアは、香澄の全身を足先から頭の上までじっくりと見て、何か思案しているようだ。
香澄がマリシリスティアの視線に緊張していると、アレクシリスは不機嫌そうに抗議した。
「マリー、香澄に不躾な視線を送るのはやめなさい」
「あら、アレクシリスは香澄に似合うドレスの一着でも用意しているの? まあ、竜騎士団が大変な時に、そこまで手が回らないからといって責めたりしないわよ。でも、いくら生活に必要な物は一通り揃えても、ドレスは女性の武装なのよ。面会が三日後だなんて、正装を一揃え準備する時間としては短いわ。本来なら王室御用達の仕立て屋に頼みたいけど、母上様から目立つ行動を控えるように言われているの。だから、明日の午後に、私と侍女達で未使用のドレスを、何点か持ち込みむわね。もちろん、色々と擬装してよ。私が遊帆を訪ねて『茨の塔』を出入りするのは、毎度の事だから不審に思われたりしないわ。香澄は、私と身長は変わらないけど、私よりも華奢な体格だから、もちろん直しは必要でしょう。私の侍女達は、優秀だからお直しも仕立て屋と遜色無い仕上がりを保証するわ。絶対に間に合わせるから安心してね。それから、デザインも多少手直して、香澄の魅力を最大限に活かすようにするから大丈夫よ。うふふ、楽しみだわ。香澄ったら、想像以上の美少女ですもの。アレクシリス、基本のドレスが決まったら後で知らせます。アクセサリーくらいは、アレクシリスが準備してちょうだい。私の持ち物は、香澄には似合わないと思うの。そうね、小さくて繊細なデザインの物がいいわね。夜会じゃないんだから、普段使いにも出来るシンプルな物ね。ハイルランデル公爵家の宝物庫を探せば、何点でも候補は出てくるでしょう? 今のうちに、公爵家の家令に連絡して用意しておけばいいと思うわ。最終的にどれを身に付けるか、ちゃんと香澄と相談して決めます。面会までの段取りは、これでいいかしら?」
「…………了解した」
アレクシリスは、マリシリスティアに一言も口を挟めないまま返答した。
香澄は、マリシリスティアに圧倒されていた。マリシリスティアは、落ち着いたハッキリとした口調で流暢に話していた。決して早口ではなく、優しい声音が耳に心地よく響く。それに、速攻で物事を決めていくが、きちんと考えられた内容なので、口を挟む必要がないのだ。
香澄は、マリシリスティアを頭の回転が速いし、色々と配慮も出来る才色兼備な姫君だと感心した。
ランスグレイルは、姉上様はびっくり箱の様で面白いと言っていた。箱から……いや、窓から飛び出してきたのは、姫君ながら王太子に指名されるだけの事はある女傑だった。
マリシリスティアは、本を無心で読み耽っている杜若に近づくと、ムッと口を尖らせ眉をひそめた。
「杜若、あなたは態々常盤とキプトの町まで藍白の様子を見に行っていたのでしょう?」
「報告なら、アレクシリスにした」
「母上も私も杜若から聞いてないわよ」
「必要か?」
「今なら香澄もいるし、話してくれてもいいでしょう?」
「アレクシリスが話せばいい」
「杜若、私も簡単にしか報告を受けてないので、もう少し詳しく話して欲しい」
杜若は、伏し目がちに本を読んでいたが、顔を上げて香澄に目を合わせた。杜若の黒にも見える濃紺の瞳に浮かぶ想いが何なのかはわからない。杜若は、香澄をしばらく黙って見つめてから、本を閉じて息を吐いた。
「蘇芳と黄檗から、戻れと言われたからキプトの町に戻った。だが、遅かった。あれは、藍白じゃない。術の残滓を追ってみたが、途切れてしまった。遊帆から精神系の魔術の本を借りて読んでいるが、魔術の構築自体が別系統の可能性がある。今は、奴の出方を見極めて、接触の機会を待つしかない」
香澄は、マリシリスティアの魔力が揺らめく気配を感じてハッとした。マリシリスティアは、腕組みをして杜若を横目で睨みつけていた。
「杜若、ちゃんと最初からきちんと最後まで説明して!」
「……しているが?」
杜若は、心外だと言わんばかりだが、香澄も杜若の話の内容は、何が何やら理解しきれていない。
「はぁー。本を読むからといっても、話し上手とは限らないのよねー」
「何だと? アレクシリス、俺の説明でわかっただろう?」
「杜若……事情を知らない香澄にも分かるように話して欲しい」
「今の説明で、理解出来なかったか?」
「……出来るか!」
マリシリスティアが、杜若の後頭部をパシッと叩いて、見事なツッコミを入れた。
香澄は、記憶を総動員して杜若の話を理解しようと努力した。
昨日、亜希子に聞いた話が一番核心に近い内容だった。
香澄は、考えながら自分の中で引っかかる違和感に気づいた。藍白の事を、ある時点から然程気にしていなかったからだ。確かに、慌ただしく『囁きの森』から『茨の塔』に移って来て、考える余裕が無かった。
亜希子は、香澄に語っていた。
『竜族は、子竜のうちに一度能力を封印するの。これが『封印の儀』そして、成人に相応しい人格と精霊の加護を持てば、能力の解放と聖印を刻む『成人の儀』を受けるの。始祖の竜核を使った魔道具に触れて儀式を行うから、始祖に認められると成人になれると表現されるわ。竜族の掟が聖印として刻まれる代わりに、竜族の真の魔力が解放される。『成人の儀』は、十分な魔力や精霊の加護がたくさん無いと、耐えられない儀式だそうよ』
竜族は、何の為にそんな儀式を受けなければならないのかと尋ねる香澄にきちんと答えてくれていた。
『魔力も力も寿命も最強の竜族が、好き勝手に生きれば、世界を壊しかねないから必要なのだそうよ。藍白は、始祖の竜核を使った魔道具に触れて倒れたの。魔道具に嵌め込まれていた竜核が砕けて、藍白が目を覚ましたら、自分は始祖の白竜王だって言ってるらしいの …… 始祖も白竜だったっていうわ。黄檗が、『藍白は、『白竜は唯一』という宿命を嫌っていたのに! なんで今更、竜核に支配されそうで怖いから『成人の儀』は受けないと言っていたのに!』そう言って取り乱してたわ』
香澄は『白竜は唯一』が、どういう意味なのかも聞いていて、衝撃的な内容に驚いたのだ。
『竜族に白竜は、めったに生まれなくて、同時代に二人目は生まれないの。そして、白竜は一族で最強の魔力と統率力を持って生まれ、必ず竜族の長になり偉大な導き手となるとか ……? だから、『白竜は唯一』。そして、代々の白竜は始祖の転生体で、竜核に遺された魂の意志を引き継いでると信じてるらしいの。蘇芳も、『成人の儀』を受けると、今のチャラい藍白が消えちゃうかもしれないって言った。でも、あの藍白が消えるわけないわ。心配いらない。始祖の竜核が割れてしまったのも、年月が経ち過ぎたせいだし、藍白はその影響で混乱しているだけよ。きっと …… 』
たとえ、香澄に出来る事が何も無かったといっても、藍白の異変をここまで詳しく知っていながら気にかけないなんてあり得ない感覚だった。
香澄にとって藍白は、異世界で深く関わった部類に入るはずだ。香澄は、藍白が大変なんな事になっているけど、自分に出来る事が無いから忘れていただなんて、あまりに薄情過ぎる。
まさに、他人事の様にすっかり忘れていたのだ。香澄は、自分が割と他人に薄情な部分があると自覚している。しかし、これは酷いと思った。
『香澄様、大丈夫です。香澄様は、とても藍白を心配していました。香澄様の精神を守るために『認識阻害の魔術』が、藍白の問題は遠ざけるように働いただけです』
香澄を背後からふわりと抱きしめるのは、背の高い青年の姿の皓輝だった。アレクシリスは、渋い表情でそれを見ている。
「皓輝?」
『申し訳ございません。香澄様の負担を減らす為に、少々『認識阻害の魔術』に干渉致しました』
香澄は、皓輝の顔を見上げて、怒りを込めて睨んだ。勝手に精神に干渉される恐怖を香澄が感じていたのを、皓輝だって知っていたからだ。だが香澄は皓輝を睨み続けのが不可能だった。
「……うっ!」
捨てられた仔犬の目……それ以外の表現が出てこない。そんな表情を青年皓輝がしている。香澄は、今こそ『認識阻害の魔術』に仕事しろよと叫びたくなった。
この従者は、香澄を一番に考えて行動する。時に、香澄の意思を無視してでもだ。それを、許すか許さないかは、主人の香澄に委ねられている。
香澄が皓輝をじっと見つめて悩んでると、マリシリスティアが声をかけてきた。
「香澄、皓輝は多分、精霊に近いのよ」
「精霊に……ですか?」
「精霊に人の様な善悪は無いのだと思います。古い精霊は、人と関わりが深いから、善悪や感情を知識として理解しています。けれど、基本的に精霊は、とても合理的に物事を考えているのです。人の感情を汲み取って行動して欲しいと思うのは、身勝手でしかありません。その上、人の常識を理解してもらうには時間がかかります」
「精霊……皓輝が……」
香澄は、マリシリスティアの言葉を噛みしめながら考えた。確かに、先程までの自分の精神状態に、藍白の件まで抱えきれないだろう。皓輝が香澄に、相談してしまっていたら、『認識阻害の魔術』は効果を発揮しないかもしれない。
香澄は、こんな脆い自分の心を皓輝が守ろうとしてくれたのだから、怒るのは違うだろうと結論を出した。
「皓輝、怒ってごめんなさい」
『香澄様……』
皓輝は香澄の肩に顔を埋める様に抱きついてきた。更に、皓輝は背中を丸めて、すりすりと頭を寄せて香澄に甘えてきた。しかしも、今の皓輝は青年の姿だ。香澄は、真っ赤になりながら焦った。青年皓輝に恋人同士の様な態度で接する事を、許すわけにはいかない。
「皓輝、わかったから離れてくれない?」
『嫌です。アレクシリスよりも、たくさん香澄様とくっ付いていたいです。主人の一番近くにいるのが従者です』
「皓輝! 何を言ってるの⁈ いいから、離れなさい!」
香澄は、真っ赤になって叫んだ。これが、人と精霊の常識の違いからくる相互理解の壁なのだろうか?
この際、マリシリスティアと杜若の生温い視線はどうでもよかった。香澄は、アレクシリスの魔力の揺らめきを感じ取って焦っていた。彼がどんな表情をしているのか、見るのも恐ろしかった。
「皓輝、猫の姿になったらずっと抱っこしていてあげるから!」
『御意に……』
皓輝は、一瞬で黒猫の姿になって香澄の腕の中に潜り込んでゴロゴロ喉を鳴らした。
「アレクシリス、皓輝は子どもと一緒じゃない。大人気ない嫉妬は、香澄に嫌われるわよ」
マリシリスティアの呆きれた声が聞こえた。香澄が振り返ると、アレクシリスは美しいのに恐ろしく感じる笑顔をしていた。香澄は、何て器用な表情筋だと明後日の方向に感心した。
「……善処します」
アレクシリスの答えを聞いて、香澄は一気に疲れて果ててしまった。
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