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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国
第十八話 複雑な恋心
しおりを挟むレンドグレイルは、双子のランスグレイルとそっくり同じ顔に、父親譲りの鳶色の髪と瞳をしている。
ランスグレイルは、青年に成長する一歩手前という感じだったが、双子のレンドグレイルは、まだ幼さの抜けきれない少年というのが、香澄の第一印象だった。
「初めまして、レンドグレイル=ヴァイス=ファルザルクです。ランスグレイルの双子の弟になります。以後、お見知りおきください。……なるほど、これはお美しい。さすがは兄上、趣味がイイですね」
「レンド! 失礼ですよ」
グレイルードが、興味津々で香澄を観察するレンドグレイルをたしなめた。
「ごめんなさい。あれ? 香澄さんは体調が悪いの?」
レンドグレイルは、香澄が青い顔をしているのを見て聞いてきた。香澄は、無言で頷いた。気持ち悪さが吐き気にまで悪化して、口を開くと危ないかもしれない。
レンドグレイルは、香澄の額の辺りに手をかざして、小声で何か呟いた。すると、小さな光の魔方陣が浮かび上がる。同時にレンドグレイルの頭上に、『小さな翼の生えた白い仔犬』が現れた。香澄はそれが精霊だと何故か理解できた。
「癒しの風よ……」
「!」
爽やかなハーブの香りの風が、フワリと香澄の髪を揺らした。急に身体が軽くなったように、スッキリと気持ち悪さがきれいに消えた。そして、精霊の姿も消えていた。
「どう?」
レンドグレイルは、小首を傾げて香澄の反応を待っている。
「気持ち悪いのが無くなりました! レンドグレイル王子様、ありがとうございます」
香澄は、心の中で『精霊さんも、ありがとう』と御礼を言うと、嬉しそうな笑い声が聞こえたような気がした。
「やだなぁ、香澄さん。レンドでいいよ。ランスグレイルは、ランス。僕は、レンド。姉上様のマリシリスティアはマリーで、兄上は、シシィだけど、香澄さんは、『アレク』って呼ぶんだって?」
『にへら』と、レンドグレイルは笑った。彼曰く、面白そうな話をずいぶん前から、こっそり聞いていたようだ。君は、フレデリク二号なのか?!
ランスグレイルは、弟のレンドグレイルの事を魔術師のタマゴで、国家魔導師の海野遊帆の直弟子だと言っていた。つまり、胡散臭い感じがするのは、師匠ゆずりなのか?
香澄は、ハッとして脚の下を見た。あひる座りのまま、マントを下敷きにしているのを思い出して、慌ててソファーから下りた。
近衛騎士団長の立派なマントが、さぞシワだらけになってしまったと思って持ち上げつつ広げてみた。
どころがマントは、サラリと広がってシワ一つない。緻密な刺繍の一部が、一瞬光って自動アイロンか、シワ防止機能の魔法でも働いたようだった。
香澄はこんな時は魔法は便利だと思いながら、マントを軽くたたみ、グレイルードに両手で差し出した。マントは、上質な布地でベッドのシーツくらいの大きさなので、意外と重かったからだ。
「ありがとうございました」
グレイルードは、ニコッと笑顔で受け取って、バサリと肩に羽織った。香澄は、グレイルードが慣れた手つきでマントをブローチで留める姿を素敵だと思った。
美男美女の夫婦に、美少年の息子さん達に、まだ会っていないけど、マリシリスティア王女様も、きっと美人だろう。アレクシリスも言うまでもなく美青年だ。王族美形遺伝子、恐るべし。
「では、私も近衛騎士団に戻ります。更に、警備を強化する必要がありそうですね。レンドは、打ち合わせ通りよろしくお願いします」
「はい。父上様」
レンドグレイルは、素直に返事をして嬉しそうだった。見えないしっぽがフルフルしていそうだ。こんな顔をすると、ランスグレイルと双子なのだと、香澄は微笑ましく思った。
グレイルードが退室すると、アレクサンドリアは香澄に向き直り、ゆったりとした口調で語りかけてきた。
「香澄、レンドグレイルと『茨の塔』へ向かって下さい。あちらでは、国家魔導師の海野遊帆と、レンドグレイルの指示にのみ従い行動するように。貴女は『落ち人』ですが、アレクシリスの婚約者、未来の公爵夫人なのです。どんな高位の貴族でも、貴女に指図できる者はいません。それを、忘れないでくださいね」
「女王陛下、くどい様ですが、わたしがアレクシリスの婚約者で本当にいいのでしょうか?」
先程、香澄が『茨の塔』に行くと滅多な事ではアレクサンドリア女王陛下と会えなくてなると聞いた。今を逃すといつ話が出来るかわからない。
香澄は、アレクサンドリアに自分の想いを正直に話しておきたかった。
アレクサンドリアは、微笑んで無言で頷き、香澄に話を続けるように促した。
「わたしは、元の世界で五十年生きてきました。身体は若返りましたが、いわゆる未亡人です。アレクシリスは、わたしの人生において息子のような年齢です。私たち夫婦に子供はいませんでしたが、二十代の年齢の子供がいてもおかしくありませんでした。アレクシリスと婚約しても、結婚する未来など思い描くのは難しいのです」
香澄の妹の娘だって、大学を卒業して二年そこそこだ。そんな自分が、青年との恋を真剣に考えるなんて、おかしな話だと、拒絶する気持ちがどうしても拭えないのだ。
『王弟殿下の花嫁』は、まるでスマホで読んだ物語のような展開だ。物語は、二人が恋に落ちているので問題ない。
お見合い結婚だってある。結婚してから育む愛もある。きっかけは、政略結婚でも幸せな結婚生活を送る人だって沢山いる。だけど、アレクシリスに香澄は相応しくない。
「香澄個人の事は、アレクシリス、海野遊帆、ランスグレイルからそれぞれ報告を受けています。それらの報告を精査して、アレクシリスとの婚約を許可致しました。これは、政治的な面だけでなく、私たち王家の一員として貴女を迎える可能性も考慮した結果ですよ」
「わたしは、この婚約話を条件の良い就職先のような感覚で捉えています。結婚は、一種の契約です。ともに生きる為にお互い歩み寄り、努力しなければならない。愛情が無ければ、打算だらけの関係にしかなりません。正直、アレクシリスに愛情を感じるかと問われれば、嫌いじゃないけど、恋はしていません」
アレクシリスの好意は、香澄だって素直に嬉しいと思う。
いっそのこと、見た目だけは若いけど、中身五十歳のオバサンを、恋の相手に選んだのは、アレクシリスなのだと開き直ってしまえば、気が楽になるのかもしれない。
「そうでしょうね。一目惚れのアレクシリスと違って、出会って間もない貴女に、王族がいきなり結婚を強要しているのです。立場の不安定な『落ち人』を、安全に保護する手段としての『婚約』でもあります。とはいえ、生活の基盤のない『落ち人』の香澄に、選択の余地はあまり無いでしょう」
「……失礼ながら、その通りです。打算的な気持ちで、アレクシリスの婚約者を名乗るのは、後ろめたさを感じてしまいます。打算だらけの、わたしの本心を知って、アレクシリスは幻滅していくかもしれません。相手の顔色をうかがいながら、結婚しても上手くいくはずはありません」
もしも、アレクシリスの気持ちが一時的なものならば、婚約期間を延ばして熱が冷めるまで待つのも手だろう。
「香澄さん、兄上の気持ちや自分の気持ちを知るのには時間がかかるし、貴族の婚約期間は少なくとも一年以上が常識なので、ゆっくり考えればいいと思うよ」
レンドグレイルは、黒猫皓輝を膝に乗せてバンザイのポーズをさせながら言った。皓輝は、迷惑そうな表情をしながらも無抵抗だった。
「香澄、シシィも言っていた様に、今すぐ答えを出す必要はないわ。ただ、最初からあの子との未来を否定しないで。貴女は、国と王族にとって、申し分ない魅力ある花嫁です。私は、女王としてアレクシリス以外に、貴女を嫁がせるつもりはありません」
「それって、どういう意味でしょうか?」
「あとは、魔導師殿が話してくるでしょう。その上でどうするかは、貴女の気持ち次第です」
「わたしの気持ち次第で、いいのですか?」
「ええ、そうです。私達の望みは、あくまでもアレクシリスの幸せですから……」
アレクサンドリアは、にっこりと微笑んだ。その柔らかな雰囲気から、女王としてではなく姉の立場からの言葉だと思われた。
ただ、何かをふくんだ物言いに、香澄はヒヤリとしたモノを感じた。
「香澄さん、そろそろ『茨の塔』に行こう。魔導師殿もお待ちかねだよ。あ、その前にこれを着てね」
レンドグレイルは、香澄に灰色のローブを手渡した。
「香澄さん専用の魔術師見習いの制服だよ。このローブは『茨の塔』へ出入りする為の、身分証にもなっているからね」
香澄はローブの裏地に、グレイルードのマントの様な緻密で複雑な刺繍が入ってるのを見て、これにも自動アイロンとか、シワ防止の魔法とか、洗濯不要の効果があればいいなと思った。
香澄がローブを羽織り、襟元の留め金に同色系の組紐のモールを先のフックで掛て、フードを被ると裏地の魔方陣が光った気がした。
「今のは何の魔法でしょうか?」
「認識阻害系の魔法で、香澄さんがそこに居ると認識するけど、存在が気にならない程度に薄まるそうだよ。ただし、魔導師殿と僕たち王族は例外にしてあるし、竜族には効果ないから気をつけてね」
『認識阻害』……そうだった。香澄は、『海野遊帆を一発殴る!』と誓った事を、思い出したのだった。
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