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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国
第十五話 『裏庭』
しおりを挟む香澄は暗い場所はどちらかといえば苦手だった。ホラー系の映画は見ないし、お盆の時期のテレビの心霊特集は録画だけして、冬になっても観ないで消してしまっていた。
避難通路『裏庭』は、真っ暗だった。
香澄はひたすら階段と緩やかに下る細い通路を、ランスグレイルに手を引かれて歩いた。最初は、闇の中を歩くのは難しかった。だが、香澄はランスグレイルを信頼して歩き続けてみると、意外と普通に歩ける。五分も歩けば、ランスグレイルの手が意外と大きく骨ばっていて硬いと、考える余裕もあった。
光りを灯す魔法もあるそうだが、竜族の結界に反応するので使えないそうだ。
香澄は、ランスグレイルが迷いなく歩けるのか不思議だった。
「ランス、こんなに暗いのによく歩けるね」
「魔法で視力を強化しているのです」
「魔法? 暗視スコープみたいな感じかな? でも、竜族の結界内で魔法は使えないのでしょう?」
「体術系の魔法は、小さな魔力しか使わないので大丈夫です」
いくら目をこらして見ても、薄っすらとランスグレイルのシルエットしかわからない。香澄は、自分が目を開けているのか閉じているのか、何度も瞬きをして確認した。
暗闇の中、人は不安から精神の安定を欠くのだろうか?
香澄の脳裏に、小さな光りが浮かんできた。その光りの中から、小さなランスグレイルが駆け寄ってくる!
「リィグネェリヤァー!」
い、言えてない! かわいい! 小さな仔犬の様な少年が、金の髪を揺らしながら走り、私のメイド服のスカートにタックルしてきた。
つい最近生まれたばかりの赤ん坊が、会う度に成長していく様子は、人族という生物の不思議を感じる …… ?
あ、違う! これは、わたしの記憶じゃない! リングネイリアの竜核の影響? 消えたと思っていたのに!
香澄の手を引くランスグレイルを、頼もしく感じているのはどちらの心だろうか? アレクシリスと比べると、背も身体つきも一回り小さいが、香澄よりも背が高く、少年期を抜けたばかりの逞しいランスグレイルに、心臓はドキドキしている。
これは、リングネイリアの記憶があるからで、自分自身は何も感じていないはずだと香澄は思った。
しかし、そう自分に言い聞かせれば、言い聞かせるほど、香澄の体温は上がっていった。
「香澄殿? 手が熱くなってきたようですが、具合でも悪いのですか? 顔も赤いような?」
「 …… 大丈夫、何ともないから!」
「もう少し先に行けば、結界の影響下を抜けます。大きな魔力も使えますから我慢して下さい」
「大丈夫、ちょっと暗いのが苦手なだけだから …… 」
「ここは安全です。出てくるのは虫くらいですよ」
香澄は、ギョッとして黒猫皓輝を抱きしめていた手と、ランスグレイルと繋いだ手に力を込めた。
「虫?! って、どんな虫!」
「 …… 香澄殿は、虫は苦手ですか?」
「幼虫みたいな節のある細長いのや、足がいっぱい付いているのとか、小さいのが沢山一ヶ所に集まってるのとか、王道の、黒光りしてカサカサ夜中に這い回る様な虫は苦手!」
「うみゃ?」
香澄の腕の中で、黒猫皓輝が身動ぎした。不安げに紅い瞳を丸くして見上げているのと、感覚的に想像がついたが、実際には闇の中キラリと光る二つの反射光が見えただけだ。
「皓輝は違うの。全然違うよ!」
「ゴロゴロ …… 」
香澄は、皓輝の正体にある程度の当たりを付けている。生物でありながら、どこか無機質な感じがする生き物。有機ナノマシンとでも言ったらいいのだろうか? 黒い霧状になったり、体積や質量も一定じゃないし、記憶媒体が異次元に存在するのかもしれない。
『主従の誓約』で得られる情報でも、詳しくは、香澄もわかっていない。皓輝に直接聞けばいいのだが、謎解きみたいな話になり疲れそうだ。
どうせ検証するのならば、遊帆を巻き込んだ方がいいと思っていた。この件は、香澄の中で優先順位は後回しになっている。
「そうですか、虫は苦手ですか …… 。では、明るくするのは、もう少し先にしましょう」
「ええっ! じゃあ、もしかしているの?! 奴らがいるの?! まさか、足元とか、壁とか、天井に?! 」
香澄は、暗闇に蠢めく奴らの姿を想像して、寒気がゾワゾワと足下から脳天まで突き抜けた。
「香澄殿、ここに虫は、多分、いませんよ」
「そう言いながら、どうしてランスは明るくしてくれないの?!」
「あははは。もう少し先にいけば大丈夫です」
「 壁に何かいるのでしょう? 今、さりげなくそっちを見たよね、見たよね、見たでしょう!」
「あははは。香澄殿は怖がりだなぁ。あっ! そっちの壁には、手をつかないで下さい!」
「ひいっ! 何がいるの? 何かいるんでしょう?!」
「えーと。仕掛けがあって、罠が発動するだけです」
「それ、嘘でしょう? 誤魔化してるよね! ラ、ランス! ごめんなさい! わたしの精神の安定の為に、もう少しだけくっついててもいい?」
香澄は、ランスグレイルと手を繋いだまま、その腕に体ごと縋り付いた。
「わあっ! か、香澄殿、フニって当たるので、もう少し離れて下さい!」
「胸の一つや二つ、どうでもいいから! この虫地獄ダンジョンから、早く地上へ帰ろう!」
「香澄殿! どうでもいいわけないですから!」
「だったら、早く行こう! ぐずっ …… 」
「香澄殿、泣いてるのですか?」
「ううっ。泣いてないから、早く!」
香澄は開き直って、ランスグレイルにしがみ付いていた。背に腹は変えられない。いい歳したオバサンでも、苦手な物は苦手なのだ。大人になるまでに克服出来なかったものは、諦めるしかない。知られて困る弱点は、恥なら隠し通すし、計算しながら出せば、可愛げに変わるものだ。
今の香澄は、そんな数々の大人スキルをすっかり忘れてランスグレイルに縋っていた。ランスグレイルは、諦めたのか、香澄とつないだ手に少し力を入れて歩き出した。
「ランスは、暗視スコープがあるといっても、迷いなくよく歩けるね」
「暗視スコープ? が、何か知りませんが、極小の光の点を目印にしているのですよ。見えませんか?」
香澄は、ランスグレイルの前方にジッと目をこらして見た。遠近感もよくわからない濃い闇が広がっているだけだった。
香澄は、何も見えない事に焦っていた。極小でも光ならば見えるはずだ。少し深呼吸をして、見えるはずだと自己暗示をかけながら集中した。
ふと、浮かび上がるように、前方の闇に第三者の人影が見えた。影は、ゆっくりと香澄の方に振り返った。その人影は、胸元に捧げ持つように、両手のひらの上に電池切れ寸前の豆電球の様な小さな光をのせていた。
影は、徐々にはっきりとしてきた。闇に浮かぶのは青年の姿で、不思議な服装をしている。衣服の表面を埋め尽くすように、金属製の鎖や何かの部品のような装飾がジャラジャラついている。工具らしい道具を腰にいくつも下げて、持ち手の長いハンマーを背負っていた。
それだけ金物だらけなら、歩けばそれなりにガシャガシャ音がしそうだが、彼からは足音ひとつしない。
彼は、香澄に内緒だよと言わんばかりに、口に人差し指を当てて微笑んだ。
このイケメン誰だ! と、香澄が心の中で叫んでいると、皓輝が、彼は『歯車の精霊』だと伝えてくれた。香澄は、精霊の背中に隠れて光を見つけられなかったのだ。香澄は、意識して見れば、精霊の姿を見ることが出来るということだろうか? 皓輝は、肯定した。
香澄は、『主従の契約』で、皓輝の見ている精霊が見えるのかと考えた。すると、皓輝は否定した。
これは、香澄が持つ能力で『精霊の姿を見る能力』のようだ。
「ここまで来れば大丈夫です。竜族の結界は抜けました。明るくしても大丈夫です」
ランスグレイルは、そう言って頭上に向けて手を上げた。
すると、小さな光る点は光量を増して風船の様に大きくなり、フワリと天井付近で止まった。まるでミニチュアの月のような球体の白く淡い光りに、明るく浮かび上がった景色を見て、香澄は息を飲んだ。
「凄い!」
細い通路の先にあったのは、広大なドーム状の天井を持つ大地下空間だった。
白砂色の建物は、シンプルな立方体の集まりだ。石のように表面は滑らかで、なんの素材で固められているのかわからない。窓にガラスは無いが、四角い穴が規則正しく開いていた。
ここは地下なので、雨や雪の心配がいらないから、効率的に屋根を平らにしたのかもしれない。
立方体を積み上げたような高い建物もあれば、大型ショッピングモールのような巨大立方体もあった。
しかし、生活感や装飾一つ無く、とても簡素で味気なく見えた。光の届かない先にもずっと空間が広がっていそうだ。
ここは、古代遺跡、廃墟というよりも、停電で明かりの消えたビル街だ。深夜は無人ながら、朝には活気が戻るオフィス街を見ているようだった。崩れた場所もほとんど無く、手を少し加えれば、十分住めそうだった。
「この古代遺跡は、少なくとも数千年前のものらしいです。『茨の塔』の研究で分かった事は、地下ですが人工的な光で農業も行われていたそうです。ここは、人族が竜族から隠れて生きる為に作られた地下大都市だったようです」
「人族が竜族から隠れて生きる?」
香澄は、寂しげに語るランスグレイルの横顔を見つめながら不思議に思った。『竜騎士の契約』を交わすほど、人族と竜族の関係は良好にみえたからだ。
「古代竜族は、現在の竜族自身が知るよりも、強く傲慢な一族だったのです」
香澄とランスグレイルは、いきなり背後から会話に加わったバリトンの声に驚いた。
香澄達が出てきた細い通路から、竜騎士団の制服を着た男が現れた。背の高い美丈夫が愉しげに二人を眺めて立っている。アレクシリスの副官のフレデリク=アゼル=ダンブレッドだった。
「フレデリク副官殿?」
「ランスグレイル殿下、香澄姫をお迎えにまいりました」
フレデリクは、優雅に貴族の一礼をして微笑んだ。
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