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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国

閑話 茨の魔王 ②

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 俺は、ごく普通の家庭に生まれ育った。親兄弟、親族にも、医療関係に従事している者はいない。
 ただ、早くに亡くなった祖父母の残した遺産が、そこそこの大金だった。それが、俺の子どもの頃から憧れていた、医者になる夢を実現させてくれた。
 両親は、俺が医者になりたいと言った時から、遺産は全て俺の学費のため、手をつけずに残していてくれた。
 医者になる為の学費は、家一軒分を建てるほど必要だと言われている。学費の安い国立大でもそれなりに実習費用はかかる。ましてや、私立大は更に高額になるのだ。

 俺が奨学金制度を利用できるほど、天才的な頭脳の持ち主なら良かったが、地道にコツコツと努力するタイプだった。
 だから、俺はひたすらに努力した。ゲームや漫画は決めた時間しか触れず、勉強すればするほど、目標に近づくと信じて頑張った。結果、国立大は無理だったが、私立大学の医学部に現役合格した。

 俺は地元の医療法人の総合病院に勤めていた。もう、三十歳になっていた。医者は、一人前になるまで時間のかかる職業だ。早くに結婚する者もいたが、仕事と趣味にかまけて、女性と疎遠になる者も多い。俺は、それなりに付き合った女性はいたが、仕事優先で長続きしなかった。それなりに、充実した日々を過ごしていたと思う。

 ライトノベルは、同僚に勧められて読みはじめて、どっぷりハマった。学生時代は、受験の為だけに読書をしていた様なものだった。
 子供の頃、星座にまつわる神話や伝説が好きだったのを思い出した。剣と魔法の国は、ファンタジーの王道設定だ。ライトなノベルと侮るなかれ、魔法理論や魔術チートやレベルやスキルの仕組み等、緻密で大胆な解釈の物語の数々に夢中になった。神話や伝説をベースにした作品も多い。主人公達の成長物語としても感動させられ、涙を誘うものも少なくなかった。
 俺は、夢中でラノベを夜勤の仮眠時間にナイトキャップ寝酒がわりに読んでいた。

 気が付いた時には、看護師達にオタク認定されていた。表紙の萌えキャライラストだけで、ロリコン疑惑までかけられた。あれよ、あれよと言う間に、変態疑惑は広がって、看護師達に徹底的に嫌われていった。
 常識的に考えれば、読んでいた本くらいで、ここまで毛嫌いされる様な類いの話ではないはずだ。

 元凶は、ある一人の看護師の悪意ある嘘のせいだった。

 結婚適齢期の医師に、振られた腹いせだったらしい。俺が珍しく参加した飲み会の帰りに、下品な誘いを断ったのを根に持っていたのだろう。やけにプライドだけは、高い女だった。

 しかし、問題は、悪意ある噂があっという間に病院内に広まったことだ。

 俺は、SNSの類いを一つもしていなかった。
 だが、俺が病院の体制を批判しているとか、看護師を名指しで誹謗中傷しているとか影で言われた。俺の『なりすまし』が、色々とやっていた事だった。同僚が忠告してくれたので、すぐに検索してみたが、削除された後だった。その削除すら、俺の仕業にされていた……。

 俺は酒に弱いので、接待や飲み会も不参加な事が多かったのが悪かったのか、派閥に属さず、中立的な立場でいたのが仇となったのか、院内で孤立無援になっていった。

 確かに、噂を信じる、信じないのは個人の自由だろう。だか、病院職員は、お互い命に携わる仕事をしているのだ。そんな不協和音を起こしていては、患者にも迷惑だし、誤って医療ミスに発展したらどうするつもりなのだ。

 俺は、正義は自分にあるのだから、正々堂々としていれば、いつか噂は消えると信じていた。

 しかし、患者にまで噂は広まり、俺はいつの間にか、看護師や患者にまでセクハラ行為をしている犯罪者に仕立て上げられていた。当たり前だが、被害者が存在しないので、警察沙汰に発展することは無かった。

 患者の家族に担当医師から外して欲しいと要望があったと、医局長から言われた時はかなり落ち込んだ。もちろん、その場で弁明したが、どこまで信じてもらえたか定かじゃない。医局長と例の看護師が、愛人関係だと言われていたからだ。

 それからの病院の対応は最低だった。噂の真偽は一切問わず、俺一人だけ排除する選択をしたのだ。時期外れにも関わらず、俺は地方都市の系列病院に異動させられた。辞令を見た看護師達が、喜びの声をあげたのを聞いた時、俺がお前たちに何かしたのかという疑問と怒り、……そして虚しさに包まれた。

 実習訓練インターンを終了してから、長年勤めた病院だった。しかし、送別会すら行われなかった。…………悔しかった。

 噂は何処にでも付いて回るだろう。医療業界は意外と閉鎖的で狭い。新しい職場で自分が受け入れられるのか、不安はかなりあった。

 何もかも嫌になりかけたが、俺は自分の仕事に誇りを持っていた。患者に誠実な医師でありたいと願い続け、行動する限り、きっと報われると信じるられる気持ちがまだあった。

 数年前に病院を辞めた先輩が、海外で医療支援活動をする法人に誘ってくれたが、もっと技術を習得し、経験を積みたいからと断った。

 俺は、学費を出してくれた両親に、恩を返したかった。俺が医者になる為に、古い家を建てかえる事なく教育費を出してくれたのだ。別に、開業して高収入になって、両親に贅沢な老後の生活をさせたかった訳じゃない。のんびりした性格の両親が、俺に望んだ事は、安定した職場環境で結婚をして幸せな家庭を築くことだと知っていたからだ。

 転勤は、医師不足の系列病院に配属されるだけだと、表向きの理由を告げて実家を出た。

 単身者の荷物は、大型家具を入れなければたかが知れている。引っ越し業者の中型トラックで余裕だった。
 小さな運送屋の人と二人で、さっさと荷物を積んで、俺も引っ越し先まで同乗させてもらった。片道三時間ほどの距離だ。業者も規則がどうのとか、うるさい事は言わなかった。昼メシと夕飯代を奢る約束で運転手と話はついた。

 俺は、病院を辞めるギリギリまで夜勤が続き、前日も、引き継ぎの書類を徹夜で書き上げていた。俺は、小春日和の車内の助手席で爆睡していた。

 まさか、隣で運転手までも居眠りしてしまうとは思わなかった。

 運転手の叫び声と、頭をどこかに打ちつけた痛みで目が覚めた時には、県境の峠の道路から、ガードレールを乗り越えて崖下へ、トラックごとダイブしていた。

 転落の衝撃で、俺は車外に放り出された。シートベルトをしていたし、ドアもロックしていたにも関わらずだ。

 そして、光りに包まれ異世界転移したのは、俺一人だけだった。

 これが、元の世界の最後の記憶だった……。



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