71 / 84
第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国
閑話 茨の魔王 ②
しおりを挟む俺は、ごく普通の家庭に生まれ育った。親兄弟、親族にも、医療関係に従事している者はいない。
ただ、早くに亡くなった祖父母の残した遺産が、そこそこの大金だった。それが、俺の子どもの頃から憧れていた、医者になる夢を実現させてくれた。
両親は、俺が医者になりたいと言った時から、遺産は全て俺の学費のため、手をつけずに残していてくれた。
医者になる為の学費は、家一軒分を建てるほど必要だと言われている。学費の安い国立大でもそれなりに実習費用はかかる。ましてや、私立大は更に高額になるのだ。
俺が奨学金制度を利用できるほど、天才的な頭脳の持ち主なら良かったが、地道にコツコツと努力するタイプだった。
だから、俺はひたすらに努力した。ゲームや漫画は決めた時間しか触れず、勉強すればするほど、目標に近づくと信じて頑張った。結果、国立大は無理だったが、私立大学の医学部に現役合格した。
俺は地元の医療法人の総合病院に勤めていた。もう、三十歳になっていた。医者は、一人前になるまで時間のかかる職業だ。早くに結婚する者もいたが、仕事と趣味にかまけて、女性と疎遠になる者も多い。俺は、それなりに付き合った女性はいたが、仕事優先で長続きしなかった。それなりに、充実した日々を過ごしていたと思う。
ライトノベルは、同僚に勧められて読みはじめて、どっぷりハマった。学生時代は、受験の為だけに読書をしていた様なものだった。
子供の頃、星座にまつわる神話や伝説が好きだったのを思い出した。剣と魔法の国は、ファンタジーの王道設定だ。ライトなノベルと侮るなかれ、魔法理論や魔術チートやレベルやスキルの仕組み等、緻密で大胆な解釈の物語の数々に夢中になった。神話や伝説をベースにした作品も多い。主人公達の成長物語としても感動させられ、涙を誘うものも少なくなかった。
俺は、夢中でラノベを夜勤の仮眠時間にナイトキャップがわりに読んでいた。
気が付いた時には、看護師達にオタク認定されていた。表紙の萌えキャライラストだけで、ロリコン疑惑までかけられた。あれよ、あれよと言う間に、変態疑惑は広がって、看護師達に徹底的に嫌われていった。
常識的に考えれば、読んでいた本くらいで、ここまで毛嫌いされる様な類いの話ではないはずだ。
元凶は、ある一人の看護師の悪意ある嘘のせいだった。
結婚適齢期の医師に、振られた腹いせだったらしい。俺が珍しく参加した飲み会の帰りに、下品な誘いを断ったのを根に持っていたのだろう。やけにプライドだけは、高い女だった。
しかし、問題は、悪意ある噂があっという間に病院内に広まったことだ。
俺は、SNSの類いを一つもしていなかった。
だが、俺が病院の体制を批判しているとか、看護師を名指しで誹謗中傷しているとか影で言われた。俺の『なりすまし』が、色々とやっていた事だった。同僚が忠告してくれたので、すぐに検索してみたが、削除された後だった。その削除すら、俺の仕業にされていた……。
俺は酒に弱いので、接待や飲み会も不参加な事が多かったのが悪かったのか、派閥に属さず、中立的な立場でいたのが仇となったのか、院内で孤立無援になっていった。
確かに、噂を信じる、信じないのは個人の自由だろう。だか、病院職員は、お互い命に携わる仕事をしているのだ。そんな不協和音を起こしていては、患者にも迷惑だし、誤って医療ミスに発展したらどうするつもりなのだ。
俺は、正義は自分にあるのだから、正々堂々としていれば、いつか噂は消えると信じていた。
しかし、患者にまで噂は広まり、俺はいつの間にか、看護師や患者にまでセクハラ行為をしている犯罪者に仕立て上げられていた。当たり前だが、被害者が存在しないので、警察沙汰に発展することは無かった。
患者の家族に担当医師から外して欲しいと要望があったと、医局長から言われた時はかなり落ち込んだ。もちろん、その場で弁明したが、どこまで信じてもらえたか定かじゃない。医局長と例の看護師が、愛人関係だと言われていたからだ。
それからの病院の対応は最低だった。噂の真偽は一切問わず、俺一人だけ排除する選択をしたのだ。時期外れにも関わらず、俺は地方都市の系列病院に異動させられた。辞令を見た看護師達が、喜びの声をあげたのを聞いた時、俺がお前たちに何かしたのかという疑問と怒り、……そして虚しさに包まれた。
実習訓練を終了してから、長年勤めた病院だった。しかし、送別会すら行われなかった。…………悔しかった。
噂は何処にでも付いて回るだろう。医療業界は意外と閉鎖的で狭い。新しい職場で自分が受け入れられるのか、不安はかなりあった。
何もかも嫌になりかけたが、俺は自分の仕事に誇りを持っていた。患者に誠実な医師でありたいと願い続け、行動する限り、きっと報われると信じるられる気持ちがまだあった。
数年前に病院を辞めた先輩が、海外で医療支援活動をする法人に誘ってくれたが、もっと技術を習得し、経験を積みたいからと断った。
俺は、学費を出してくれた両親に、恩を返したかった。俺が医者になる為に、古い家を建てかえる事なく教育費を出してくれたのだ。別に、開業して高収入になって、両親に贅沢な老後の生活をさせたかった訳じゃない。のんびりした性格の両親が、俺に望んだ事は、安定した職場環境で結婚をして幸せな家庭を築くことだと知っていたからだ。
転勤は、医師不足の系列病院に配属されるだけだと、表向きの理由を告げて実家を出た。
単身者の荷物は、大型家具を入れなければたかが知れている。引っ越し業者の中型トラックで余裕だった。
小さな運送屋の人と二人で、さっさと荷物を積んで、俺も引っ越し先まで同乗させてもらった。片道三時間ほどの距離だ。業者も規則がどうのとか、うるさい事は言わなかった。昼メシと夕飯代を奢る約束で運転手と話はついた。
俺は、病院を辞めるギリギリまで夜勤が続き、前日も、引き継ぎの書類を徹夜で書き上げていた。俺は、小春日和の車内の助手席で爆睡していた。
まさか、隣で運転手までも居眠りしてしまうとは思わなかった。
運転手の叫び声と、頭をどこかに打ちつけた痛みで目が覚めた時には、県境の峠の道路から、ガードレールを乗り越えて崖下へ、トラックごとダイブしていた。
転落の衝撃で、俺は車外に放り出された。シートベルトをしていたし、ドアもロックしていたにも関わらずだ。
そして、光りに包まれ異世界転移したのは、俺一人だけだった。
これが、元の世界の最後の記憶だった……。
1
お気に入りに追加
410
あなたにおすすめの小説
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)
音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。
魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。
だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。
見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。
「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる