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第一章 五里霧中の異世界転移
第六話 認識阻害の魔術
しおりを挟む「あの、遊帆さんは……元の世界に……帰れなかったのですか? 帰らなかったのですか?」
香澄は、この質問をしようとした時から、ズキリと脈打つ様な頭痛がしたが、最後まで言いきった。
ずっと、一番最初に気にはなっていたが、何故か聞けなかったのだ。香澄は、これまでの会話の内容を、混乱なく冷静に受け止めている自分の思考にずっと違和感を感じていた。
アレクシリスと遊帆の表情を探るように視線を向けると、また頭に何か引っ掛かりを感じる。
「香澄ちゃん、すげえな。認識阻害の魔術にそこまで抵抗出来るなんて……凄い精神力だよ」
遊帆は、心底驚いた表情で香澄を見ていた。香澄は、頭痛を堪えながら尋ねた。
「認識、阻害の、魔術……ですか?」
「そうだよ。認識阻害の魔術を……」
「 …… っ! 遊帆殿!」
アレクシリスが、慌てて遊帆の言葉を遮ろうとした。
しかし、遊帆はやや低い威圧する様な声でアレクシリスに語りかけた。
「いいだろう? アレクシリス。せっかく、俺の滞在が許可されているんだ。多少の予定変更も、折り込み済みなんだろう? 」
アレクシリスは、しばらく遊帆を睨んでいたが、諦めたように頷いて何かを了承した。それを確認した遊帆は、香澄に向き直り先程の軽い口調で喋りだした。
「翻訳魔法についてご理解頂けたところでもう一つ、香澄ちゃんには、俺が認識阻害の魔術をかけさせてもらっている。ほんの、軽い暗示の様なものだよ」
「 認識阻害……ですか? 翻訳魔法は理解できます。ですが、認識阻害なんて怖そうな魔術を、何故かける必要があるんですか?」
香澄は、あまり深く考えてはいけないような気がして、何故か深く考えないようにしていた。ちょっと気を緩めると、ぐるぐる思考が回り、頭の芯が熱に浮かされてぼんやりとしてきて、自分が正常な判断が出来ない状況になるのだった。やっとの思いで不快な気持ちを押さえつけたのだ。
「そんなに、恐がらなくても大丈夫だよ。認識阻害の魔術の目的は、香澄ちゃんの精神の保護だ。あえて注意力や思考を散漫にしたり、感情の起伏を鈍くしておいて、パニックや精神崩壊を起こすのを防いでいるんだ」
「それが、理由ですか?」
香澄の額にうっすら汗が滲んできた。遊帆は、目を細めて微笑を浮かべながら話しを続けた。
「今は、ある一定以上に思考や感情の幅が振れない様に、周りに対する認識や思考能力を鈍らせている程度のものだよ。いきなり、ここは異世界だなんて言われても、理解出来ないだろうし、過去には衝動的に自傷や暴力を振るうものもいたそうだ。そして、一番警戒すべきは、魔力の暴発だ」
「魔力の暴発……?」
香澄は、また何か頭の中が引っ掛かる感じがした。急に頭から血の気が引いて、前に組んだ手がぷるぷると震えだし、さっきまでの安心感が消え、一気に不安になっていた。香澄が震える自分の手を見つめていると、アレクシリスはベッドの横で片ひざを床に着き、香澄と目線を合わせた。アレクシリスの手が優しく香澄の両手を覆って、今度はアレクシリスが説明を始めた。
「そうです。もう、気が付いているでしょうが、大気に含まれた『魔素』は、異世界には存在しない。『魔素』が異世界人の身体に影響すると、昏倒してほとんどの者は意識が戻らなのです。身体の問題ではなく、魂の問題だという説もあります。未だに解明されていません。しかし、『魔素』に順応出来た『落ち人』は、膨大な魔力持ちになる事が多いので、国は『落ち人』を保護します」
遊帆は腕を組み、香澄とアレクシリスのやり取りを興味深げに見つめていた。
そんな室内でメイラビアは、壁まで下がり無表情で沈黙して気配を消しているようだ。
「『落ち人』が、生まれて初めて触れる魔力に翻弄されて、耐えられず暴走し、辺り一帯を巻き込んで死亡する事故が、過去の記録には幾つもありました。その為に『管理者』の私が居るのです。『管理者』は、『落ち人』の体調や魔力を管理して導く役目を負っています。『落ち人』の魔力の暴発を抑える実力を持っている者が任命されます」
「『管理者』……アレクシリスさんが……ですか」
香澄は、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりしながら、たどたどしく言葉を発した。
「そもそも、この『管理小屋』に、貴方を意識も戻らないうちに連れて来たのは、治療に大量の魔力を使用した為に、目覚めたとき、魔力の暴発が起こる可能性が高かったからです。私は、貴女の魔力の暴発を防ぐのが任務です。遊帆殿の認識阻害の魔術は、段階的に解除してもらいます。だから、不本意でしょうが、今は受け入れて欲しいのです」
香澄は、魔力の暴発の可能があるなんて、恐ろしい話だと思った。認識阻害の魔術の所為か、再び頭がぼんやりしてきているのと、アレクシリスの手が、優しく彼女の手を包んでいるので、あまり不安を感じなくなった。
香澄は、アレクシリスのあくまでも認識阻害の魔術は、『落ち人』の精神的な保護の為だと言う理由に納得はいった。
「でも、思考や感情に干渉されてるのは、気分の良いものではありません。遊帆さん。時々感じる違和感や、頭の中で感じる引っ掛かりが、認識阻害の魔術なのでしょうか?」
遊帆は、腕組みしながら首を捻った。
「香澄ちゃんが、どんな風に感じるまでは、俺にも分からないんだ。認識阻害にしても、条件付けは大雑把だから、思考のコントロールや洗脳の様な事は出来ないよ。香澄ちゃんが魔術に抵抗するから、違和感を感じるんだと思う」
「そういえば、遊帆殿。さっき、彼女が目覚めた時、私はこの部屋に居たのに、直接触れるまで存在を認識されませんでした。認識阻害の魔術の効果が過剰だったのではありませんか? 彼女を怖がらせてしまったではありませんか!」
「怒るなよ。アレクシリスが『管理者』なら、俺の時の様なことは無いだろが、俺が来るまで念のため、外部刺激を必要最小限にした弊害だろうな。香澄ちゃんのだいたいの限界が分かってきたから、これからは大丈夫だよ」
「怒っているわけではありません。私を悪者にしないで下さい」
「うわ~、怒ってないって言いながら、酒飲むとネチネチ愚痴って嫌み言う絡み酒のくせに~」
「飲むと真っ黒の腹の内を隠せなくなる人に、言われる筋合いはありません」
香澄は、二人のやり取りを聞いていて力が抜けていくのを感じた。
「とにかく! 俺は、同じ『落ち人』として、香澄ちゃんを手助けしたい。アレクシリスの事は、信用して大丈夫だよ」
「私は、『管理者』として、貴方がこの世界を受け入れる手助けをします」
「そうですか……。遊帆さん、アレクシリスさん、ありがとうございます。こられから、ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
香澄は、にっこり笑って頭を下げた。遊帆とアレクシリスは、一瞬、戸惑ったような表情をした。
「い、いや、こちらこそよろしく。香澄ちゃん」
「……よろしくお願いします」
何故か、男性陣が、妙にそわそわした感じになる。そんな空気に、涼やかな声が割って入った。
「では、そろそろ宜しいでしょうか? 詳しい説明やお話は徐々に、まずは、彼女には静養が必要です。女性のお世話をさせていただくので、男性陣にはご退室いただきたいのですが?」
メイラビアに追いたてられて、二人は部屋から出ていった。
そして、香澄は、メイラビアがいることを、すっかり忘れていた事に茫然とした。あまりの忘れっぷりに、認識阻害の魔術の弊害だと思いたかった。
実際、そうなのだろうか? 何だか他にも忘れているような気がするが、それよりも人間関係を優先させた。
「す、すみません。メイラビアさんも、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。香澄ちゃん」
香澄は、メイラビアまで『香澄ちゃん』と呼ぶので、異世界は親しみを込めて名前を呼ぶのに、『ちゃん』付けは常識なのだろうかと思った。
なぜなら、無表情だったメイラビアが、女神の様な微笑みを返したからだ。
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