上 下
7 / 84
第一章 五里霧中の異世界転移

第六話 認識阻害の魔術

しおりを挟む

「あの、遊帆ゆうほさんは……元の世界に……帰れなかったのですか? 帰らなかったのですか?」

 香澄かすみは、この質問をしようとした時から、ズキリと脈打つ様な頭痛がしたが、最後まで言いきった。

 ずっと、一番最初に気にはなっていたが、何故か聞けなかったのだ。香澄は、これまでの会話の内容を、混乱なく冷静に受け止めている自分の思考にずっと違和感を感じていた。

 アレクシリスと遊帆の表情を探るように視線を向けると、また頭に何か引っ掛かりを感じる。

「香澄ちゃん、すげえな。認識阻害の魔術にそこまで抵抗出来るなんて……凄い精神力だよ」

 遊帆は、心底驚いた表情で香澄を見ていた。香澄は、頭痛をこらえながら尋ねた。

「認識、阻害の、魔術……ですか?」

「そうだよ。認識阻害の魔術を……」

「 …… っ! 遊帆殿!」

 アレクシリスが、慌てて遊帆の言葉をさえぎろうとした。
 しかし、遊帆はやや低い威圧する様な声でアレクシリスに語りかけた。

「いいだろう? アレクシリス。せっかく、俺の滞在が許可されているんだ。多少の予定変更も、折り込み済みなんだろう? 」

 アレクシリスは、しばらく遊帆をにらんでいたが、諦めたように頷いて何かを了承した。それを確認した遊帆は、香澄に向き直り先程の軽い口調で喋りだした。

「翻訳魔法についてご理解頂けたところでもう一つ、香澄ちゃんには、俺が認識阻害の魔術をかけさせてもらっている。ほんの、軽い暗示の様なものだよ」

「 認識阻害……ですか? 翻訳魔法は理解できます。ですが、認識阻害なんて怖そうな魔術を、何故かける必要があるんですか?」

 香澄は、あまり深く考えてはいけないような気がして、何故か深く考えないようにしていた。ちょっと気を緩めると、ぐるぐる思考が回り、頭の芯が熱に浮かされてぼんやりとしてきて、自分が正常な判断が出来ない状況になるのだった。やっとの思いで不快な気持ちを押さえつけたのだ。

「そんなに、恐がらなくても大丈夫だよ。認識阻害の魔術の目的は、香澄ちゃんの精神の保護だ。あえて注意力や思考を散漫にしたり、感情の起伏を鈍くしておいて、パニックや精神崩壊を起こすのを防いでいるんだ」

「それが、理由ですか?」

 香澄の額にうっすら汗が滲んできた。遊帆は、目を細めて微笑を浮かべながら話しを続けた。

「今は、ある一定以上に思考や感情の幅が振れない様に、周りに対する認識や思考能力を鈍らせている程度のものだよ。いきなり、ここは異世界だなんて言われても、理解出来ないだろうし、過去には衝動的に自傷や暴力を振るうものもいたそうだ。そして、一番警戒すべきは、魔力の暴発だ」

「魔力の暴発……?」

 香澄は、また何か頭の中が引っ掛かる感じがした。急に頭から血の気が引いて、前に組んだ手がぷるぷると震えだし、さっきまでの安心感が消え、一気に不安になっていた。香澄が震える自分の手を見つめていると、アレクシリスはベッドの横で片ひざを床に着き、香澄と目線を合わせた。アレクシリスの手が優しく香澄の両手を覆って、今度はアレクシリスが説明を始めた。

「そうです。もう、気が付いているでしょうが、大気に含まれた『魔素』は、異世界には存在しない。『魔素』が異世界人の身体に影響すると、昏倒してほとんどの者は意識が戻らなのです。身体の問題ではなく、魂の問題だという説もあります。未だに解明されていません。しかし、『魔素』に順応出来た『落ち人』は、膨大な魔力持ちになる事が多いので、国は『落ち人』を保護します」

 遊帆は腕を組み、香澄とアレクシリスのやり取りを興味深げに見つめていた。
 そんな室内でメイラビアは、壁まで下がり無表情で沈黙して気配を消しているようだ。

「『落ち人』が、生まれて初めて触れる魔力に翻弄ほんろうされて、耐えられず暴走し、辺り一帯を巻き込んで死亡する事故が、過去の記録には幾つもありました。その為に『管理者』の私が居るのです。『管理者』は、『落ち人』の体調や魔力を管理して導く役目を負っています。『落ち人』の魔力の暴発を抑える実力を持っている者が任命されます」

「『管理者』……アレクシリスさんが……ですか」

 香澄は、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりしながら、たどたどしく言葉を発した。

「そもそも、この『管理小屋』に、貴方を意識も戻らないうちに連れて来たのは、治療に大量の魔力を使用した為に、目覚めたとき、魔力の暴発が起こる可能性が高かったからです。私は、貴女の魔力の暴発を防ぐのが任務です。遊帆殿の認識阻害の魔術は、段階的に解除してもらいます。だから、不本意でしょうが、今は受け入れて欲しいのです」

 香澄は、魔力の暴発の可能があるなんて、恐ろしい話だと思った。認識阻害の魔術の所為か、再び頭がぼんやりしてきているのと、アレクシリスの手が、優しく彼女の手を包んでいるので、あまり不安を感じなくなった。

 香澄は、アレクシリスのあくまでも認識阻害の魔術は、『落ち人』の精神的な保護の為だと言う理由に納得はいった。

「でも、思考や感情に干渉されてるのは、気分の良いものではありません。遊帆さん。時々感じる違和感や、頭の中で感じる引っ掛かりが、認識阻害の魔術なのでしょうか?」

 遊帆は、腕組みしながら首を捻った。

「香澄ちゃんが、どんな風に感じるまでは、俺にも分からないんだ。認識阻害にしても、条件付けは大雑把おおざっぱだから、思考のコントロールや洗脳の様な事は出来ないよ。香澄ちゃんが魔術に抵抗するから、違和感を感じるんだと思う」

「そういえば、遊帆殿。さっき、彼女が目覚めた時、私はこの部屋に居たのに、直接触れるまで存在を認識されませんでした。認識阻害の魔術の効果が過剰だったのではありませんか? 彼女を怖がらせてしまったではありませんか!」

「怒るなよ。アレクシリスが『管理者』なら、俺の時の様なことは無いだろが、俺が来るまで念のため、外部刺激を必要最小限にした弊害へいがいだろうな。香澄ちゃんのだいたいの限界が分かってきたから、これからは大丈夫だよ」

「怒っているわけではありません。私を悪者にしないで下さい」

「うわ~、怒ってないって言いながら、酒飲むとネチネチ愚痴って嫌み言う絡み酒のくせに~」

「飲むと真っ黒の腹の内を隠せなくなる人に、言われる筋合いはありません」

 香澄は、二人のやり取りを聞いていて力が抜けていくのを感じた。

「とにかく! 俺は、同じ『落ち人』として、香澄ちゃんを手助けしたい。アレクシリスの事は、信用して大丈夫だよ」

「私は、『管理者』として、貴方がこの世界を受け入れる手助けをします」

「そうですか……。遊帆さん、アレクシリスさん、ありがとうございます。こられから、ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 香澄は、にっこり笑って頭を下げた。遊帆とアレクシリスは、一瞬、戸惑ったような表情をした。

「い、いや、こちらこそよろしく。香澄ちゃん」

「……よろしくお願いします」

 何故か、男性陣が、妙にそわそわした感じになる。そんな空気に、涼やかな声が割って入った。

「では、そろそろ宜しいでしょうか? 詳しい説明やお話は徐々に、まずは、彼女には静養が必要です。女性のお世話をさせていただくので、男性陣にはご退室いただきたいのですが?」

 メイラビアに追いたてられて、二人は部屋から出ていった。

 そして、香澄は、メイラビアがいることを、すっかり忘れていた事に茫然とした。あまりの忘れっぷりに、認識阻害の魔術の弊害だと思いたかった。
 実際、そうなのだろうか? 何だか他にも忘れているような気がするが、それよりも人間関係を優先させた。

「す、すみません。メイラビアさんも、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。香澄ちゃん」

 香澄は、メイラビアまで『香澄ちゃん』と呼ぶので、異世界は親しみを込めて名前を呼ぶのに、『ちゃん』付けは常識なのだろうかと思った。

 なぜなら、無表情だったメイラビアが、女神の様な微笑みを返したからだ。



しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)

音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。 魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。 だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。 見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。 「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。

処理中です...