少年・少女A

白川 朔

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中学2年生

1.

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 蝉の鳴く声が嫌に耳に付く。夏休み中だというのに、午前中に部活動があった私たちは学校から家に帰るためにセーラー服の夏の湿った空気の中を歩く。私たちも、せっかくの休みにわざわざ学校へ出向く私はなかなか物好きだと思う。まぁ、静かな美術室は、居心地がいいから好きだけど。
「アイス食べたい。」
私の半歩先を歩く愛佳は正面を向いたまま言った。
「そうだね。」
素っ気無い返事になってしまうのは、暑くて話を続ける気持ちになれないから。午前中で終わる活動は行く意味もないと思ったが、家にいるよりはいいと思った。絵を描いている間は没頭できるから。夏休みは家と塾の往復でいつも室内にいるからこんなに外が暑いとは思わなかった。額に汗がじっとりと滲んでいるのがわかる。
「つめたーい。」
私の顔に目をやりを口を窄めた愛佳は可愛くて、夏の空がよく似合う。愛佳の短い髪が揺れた。
空に浮かぶ、絵に描いたような雲を背景にして、一枚の絵みたいだ。だけど、その絵は私さえも絵の閉じ込められたように息苦しく感じるから、長くは見ていられなかった。短い影を踏もうと足を前に出したけど明日の動きに合わせてするりと逃げる。街路樹の葉は深すぎるほどの緑で、成長の季節だと私に押し付けている。車道を時折車が通ってはいるがまばらで、たまに通れば、日光が車のボンネットに反射して目が眩む。私が歩いている、アスファルトだって午前中目一杯陽の光を浴びたことで鉄板のみたく暑くなってローファーを通しても熱が伝わってくる。
「夏は嫌いだな。」
口をついて出た言葉は独り言のつもりだった。
「えー、夏は楽しいよ。海とかプールとか楽しいこといっぱいあるじゃん。」
愛佳には聞こえてしまったみたいで、スイカ割りとか花火とか話してる愛佳は弾んだステップで半歩前を歩いている。半歩だけなのに急に凄く遠くにいるように感じた。私の足だけ重くなってしまっているのではないかと。置いて行かれることが怖くなって、手を伸ばす。
「ねぇ、今週の土曜日の花火大会一緒に行かない。」
私の指先が愛佳の背中に当たるかどうかの所で愛佳が立ち止まった。伸ばし切らなかった左手を慌てて下ろす。
「花火大会?」
「そう、今度の日曜日。」
確か、近くの川で夏祭りに合わせて花火大会を毎年開いていた。まだ私が小学校1、2年生くらいの頃は家族で行っていた気がする。小さい私は花火が見えなくてお父さんに肩車をしてもらってみていた。あの頃は、楽しかったな。
「暑いから嫌だ。」
「ほら、あみちゃんとかも誘ってさ。一緒に行こうよ。」
「でも、塾が有るし。」
「日曜も塾あんの?」
「自習」
「じゃ、一緒に行こう!1日くらいいいでしょ」
愛佳と私は違う。彼女の笑顔は絶対なのだ。本人は気づいてなんかいないだろうが、前歯をのぞかせ、大きな目を軽く細めた笑顔は肯定するまで目をそらすことができなくなる。私の拒絶なんかものともしないで、断ることが悪いことなんじゃないかと感じて、頼みごとを断れずに、私は首を縦に振ってしまう。
「じゃ決まり。」
夏の風は人肌みたいに暖かく私の腕を撫でた。
「気持ち悪い。」
思ったことがまた口に出てしまった事に気づいて焦ったが、今度は愛佳の耳に入っていなくて胸を撫で下ろした。やはり愛佳は弾んだステップで絵の中に飛び込んでいる。夏が嫌いだ。
「ねぇ、コンビニよっていい。」
愛佳が指した指の先には、一軒のコンビニがある。通学路の途中にあるコンビニだ。
「いいよ。」
隣まで来ていた愛佳はスルッと私から離れてコンビニに入って行った。自動で開くドアの隙間からは冷たい空気が流れ出す。コンビニの中はクーラーが効いていて、気持ちが良かった。店内の客は私たちだけでレジには眠そうな店員が1人いる。店の中は誰に向けてのものか分からないラジオが流れていた。愛佳は早速、アイスのコーナーでアイスを眺めている。私は目的もなく店員の前を通らないように店内をぐるりと一周歩いてアイスコーナーまで歩く。興味のない雑誌や、新発売と書かれたお菓子が目につく。こんなもの買ったところで、何の身にもならない。人に買わせようとしてデザインされたパッケージを横目にゆっくり歩く。欲しいものがあれば買うつもりでいたのに、どれも買う気にはなれなかった。
「まだ決まらないの。」
「ねぇ、冬花はどっちがいい?」
アイスを見ながら、両手の人差し指でそれぞれ別のものを指差す。
「なんで、私に聞くのよ。食べるのは愛佳でしょ。」
「分けて食べるの。」
よく見てみると、愛佳の指していたものは2個入りのアイスと2つに割って食べられるものになっていた。
「じゃあ、こっち。」
「オッケー」
愛佳は私が選んだカフェオレ味の2つに分けるタイプのアイスを手にとって、レジへ行った。
私は先に店の中のイートインスペースに座る。この暑い日に外で食べる気にはなれない。愛佳もそのつもりだったようで、真っ直ぐ歩いてきて私の隣に座る。
「やっぱり、コンビニはいいよね。」
「そうだね。」
家に帰るまでの時間稼ぎにコンビニはちょうどいい。アイスの袋を縦に開けてアイスを取り出しているのを見つめる。くっついた形になったアイスを力を加えて二つに分ける。
「クーラーは効いてるし、アイスは食べられるしね。はい」
「ありがと」
愛佳にアイスの分けた片方を私に渡した。受け取るときに、愛佳の手が私の指先に触れた。愛佳の手はアイスを割る時に手の熱を奪われてしまったようで冷たくなっている。
 受け取ったアイスを開けて口に含む。冷たくて、美味しい。窓を1枚だけ挟んだ向こうはあんなにも暑かったのに、もう体は余分な熱をなくしている。それどころか、制服が吸った汗が冷たく肌に触れている。
「この前、家族と沖縄に行ったの。」
愛佳は両手で持っていたアイスを口の咥えてカバンの中からスマートフォンを取り出す。確か、部活中にお土産を配っていた気がする。
「それで、海がすごく綺麗で泳いだら焼けたんだよね。日焼け止め塗ってたのに、ほら強い日焼け止め。前に欲しいって言ってたのお母さんに買ってもらったから、使ってみたんだけど泳いでるうちに落ちちゃったみたいで、めっちゃ赤くなったんだよね。」
写真を見せながら話してくれる。どの写真にも笑顔で写る愛佳の家族はみんな仲が良さそうだ。アイスをシャクリと噛んで飲み込んだ。愛佳はよく家族で遠出した話を聞かせてくれる。話すときはいつも楽しそうで、私とは大違いだ。
「冬花は夏休みどこか行ったの。それともこれから。」
「うちはお父さんが忙しいから。」
行けない。と言うより、行きたくないの方が強かった。
「仕事が忙しいなら仕方ないね。」
お父さんが仕事で忙しいのは私と一緒で家に帰るのが嫌なだけだと、知っている。お母さんとはもうずっと笑顔で話しているところを見ていないし、帰ってきても書斎にこもっている事がほとんどだ。私だって夏休みは塾と自分の部屋の往復だったから、何か言えたことでも無い。家にいるのが苦痛で、塾が開く時間になれば塾に行く。勉強をしているわけではないけど、家には専業主婦のお母さんがずっといるからなんとなく出かけてしまう。家は居心地の悪いものになってる。
「じゃ、今度の花火が楽しみだね。」
「うん」
「冬花との夏の思い出だね!」
笑顔が眩しくて目を逸らした。残っていたアイスを一口を吸い込むと、少し溶けた部分が嫌に甘い。
「美味しかったー」
「早くない?」
喋りながら食べていた愛佳の方が先に食べ終わった。私も冷たいそれを少し急いで食べた。
「美味しかったんだもん」
空っぽになったプラスチック製の容器を膨らませている。
 もう帰らなくてはいけない。アイスが溶けた液体は、いくら吸っても味を感じるほどの量は残ってない。自動ドアの先に行けば暑い空気がまとわりついてくる。お母さんに会いたくない。もしもこのまま家に帰らないでいたら誰か探しにきてくれるかな。誰にも気づかれないまま、ここじゃないどこかへ行けるならどんなにいいかな。ありえないことを想像すると少し気持ちが楽になった。思っているだけの反抗期が空っぽの胸の奥にぽちょりと溜まる音がした。

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