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歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
日録16 むかしむかしの物語
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三人の中心には、穏やかな寝息を立てる白髪の娘の姿がある。娘を取り囲むようにして、男たちがその顔をじっと見下ろす。
ソジを問い詰めることはもちろんだが、フェイバリットの様子を確認することが先決だと、場所を移したのである。
あれだけの戦闘があったというのに、娘は依然としてピクリともせず眠り続けている。見たところ、娘の顔色にも呼吸にも変化はない。
寝台のそばの腰かけに座ると、ヤクジは娘の手首を取る。きっと昨日ランドも受けた脈診というものだろう。
手首の脈を診ながら、ヤクジが指先に集中し始める。ヤクジの真剣な横顔に、邪魔をしないようにと自然と口が閉ざされ、部屋がシンと静まり返る。
静かな部屋で、ヤクジの診察が黙々と行われる。やがて、乱れた髪を梳き、寝具を整えた後、ヤクジが振り返ってランドに告げた。
「大丈夫――大きな問題はありませんよ」
その言葉を聞いて、ランドはようやく、ホッと安堵の溜め息を吐いた。
「…彼女は食事をしなくて、大丈夫なのでしょうか」
「はい。人は水分さえ確保出来ていたら、三週間くらい食べなくても持つと言われています。思ったよりも頑丈に出来ているので、安心していいですよ」
水分はどうしているのだろう。意識のない状況では、水は取れないと聞いたことがある。それに水分を取ったら当然もよおすだろうに。誰が世話をみてくれているのだろうと考えた時。
「彼女の身の回りのお世話は、僕の妹がみているので、どうか安心してくださいね」
まるで心を読んだような、苦笑まじりのヤクジの声に、ランドはバツの悪い思いで俯いた。
「恥じ入ることはありません。むしろ近しい人に気にかけてもらえると見落としが減ります――助かっていますよ」
にっこりとヤクジが笑う。つられて、口元に笑みが戻ったランドの、その隣でポツリと。
「……やっぱ、可愛らしなあ――…」
いかにもウットリとした呟きに、勢いよく首をめぐらせると。そこには寝台に肘をつき、間近で娘の顔をのぞき込むソジの姿があった。
ソジの――少なくとも見た目は、まんま子供だ。だが、そのあまりの近さ――何より熱のこもった視線に、ランドの心中は穏やかではいられなかった。
ランドが動く前にヤクジの手が伸びた。無言で子供の首根っこを掴んで引き戻すと、ソジが驚いたように目を上げる。
「――なんやぁ、いきなり。ビックリするやんか」
目を見開いて、キュルンと黒い瞳がまん丸になる。その面差しが先ほどのイタチの姿を彷彿とさせた。
黒目がちの大きな瞳が、とても愛くるしい。
自分の顔が他人の目にどう映るのか、分かった上でのこの表情ではないかと、ランドはついつい邪推したくなる。
――何しろこの里の主は、見事なまでのあざと可愛さなのだから。
「近過ぎます」
兄にたしなめられたソジは、視線をヤクジからランドへと移す。その目が探るように、じっとランドを見る。
ランドはその視線を無言で受け止めた。
「その通り」と声高らかに同調するのは、さすがに大人げない気がする。
だからと言って「いいよ」とも言えない。胸に浮かんだ言いようのない不快感は、偽りではない。
黙ったままでいると、こちらを見上げていたソジが、やれやれというように溜め息ひとつ、体を起こして娘から離れた。
「子供相手に、余裕なさすぎとちゃう?」
鼻で笑って、呆れたようにソジが言えば、眉をひそめて「余裕なさすぎ?」とオウム返しにランドが聞き返す。
「そやろ。余裕のない男はモテへんで」
いかにも可笑しいと言わんばかりに、ソジが目を細めてニヤリとする。ランドは頬に走る熱を感じながら、よく口の回る子供だと、ひそかに舌打ちする。
「第一、彼女は別にお前のモンやないやろ。都ではそういうの『人の恋路を邪魔する奴は犬に喰われて死んじまえ』って言うらしいわ。要は人の恋路を邪魔する野暮な行為はするなちゅうことや」
腕を組み、胸を反らすように言う子供の背丈は、ランドの胸の高さもない。なのに意気揚々と話すその態度は、子供でなければ不遜とも取れるほどだ。
口を挟まなければ、この子供はこのまま延々と喋り続けるに違いない。
これ以上戯言は聞きたくない――そんな気持ちに急き立てられて、迷いながらもランドは口を開いた。
「彼女は、俺の同胞だ」
「ただの仲間やん」
あっけらかんと言ってのける。その上でさらに、それで?とソジの黒い双眸がはっきりと告げていた。
「男おったら粉かけたらアカンなんて決まり、どこにもあらへんし」
声にせせら笑いに似たものが混じる。揶揄うような視線に、思わずランドがきつく目を眇めると。
「“岩崩れ”」
呪と共に、ゴッという鈍い音がした。
同時に、目の前の子供がガクンと首を前に深く折り、ついで声にならない呻き声をあげながら崩れ落ち、頭を押さえてのたうち回る。
「まったく――なんという口の利き方でしょうか」
声をたどって隣を見れば、そこには顔色ひとつ変えず、自身の手の平にふっと息を吹きかけるヤクジの姿があった。
「つまり――あなたは、彼女が黒蛇の『唯一無二』と知って、わざわざここに忍び込んだ。そういうわけですね」
「……そや」
涙目で、少年が頷く。相当、痛かったらしい。
「黒蛇って…」
ランドの不思議そうな問いに、ヤクジがふわりと笑みを浮かべる。
「そうそう神の名前を口にするわけにいかないでしょう」
「ここではそう呼ぶんや」
二人がそろってランドを見て、同時に言った。あまりにもぴったりの呼吸に、ランドは二人に血のつながりを見た。
「――話を戻しますが。ソジ、あなたが黒蛇の『唯一無二』にそれほどの興味を抱いているとは知りませんでしたよ」
「…俺も。ちょっとした興味本位――そんくらいのつもりやったんや。外におると、いろんな話が聞こえてくるからな」
「あなたはどこにでも首を突っ込み過ぎです」
はぁっとヤクジが溜め息まじりに言葉を落とす。兄の呆れた口調に、ソジは気まずげにその顔を上目遣いに見る。
だがランドの視線に気づくと、たちまちのうちに、いつもの強気な顔に戻った。
「は――自分は知らんやろな。そこの娘にも関わる話や。『神に選ばれた娘の物語』ってヤツ。ちょうどいいから、教えたるわ」
そう言うと、返事も待たずに少年が滑らかな口調で語りだした。
「むかしむかしの大昔――」
その娘は、特別美しいわけでも賢くもない、ただ少し変わった髪色を持つだけの、ごくごく平凡な娘でした。しかし不思議なことに、その娘には生まれた時から奇妙な印があったのです。
ある時、それが神が刻んだ目印――娘は、自分が神の『唯一無二』だと知り、運命の神を探して旅に出ることにしたのです。
旅に出て娘が成人すると、驚くほどに娘は美しく成長しました。
娘の美しさは人々の口に上るようになり、その評判は千里を翔け、やがて娘をめぐって戦が起こるほどになったのです。
娘を愛する者は後を絶たずに現れましたが、誰一人として彼女の心を射止めることは出来ません。それどころか不運に見舞われ、次々にこの世を去り、彼女はいつも孤独でした。
そんな彼女は恋に落ちます。その相手こそ、自分の神。めぐり合うべくして己の唯一無二に出会うことが出来たのです。
「――でもって、神様と出会って恋に落ちた娘は、神様の国に行きました。めでたしめでたし――てな話。ちなみに神様はめちゃめちゃ男前らしわ(笑)」
なんと答えたものか分からず、はあ…とランドは曖昧な返事をする。そんな煮え切らない反応に、さも嫌そうにソジが鼻をしかめてみせる。
「これは表向き、庶民の間で流行ってる物語や。いつか自分のとこに運命の相手が現れて、幸せな世界に連れてってくれるってな。女はみんな、自分に都合のいいお話が好きやから、そういうお話が盛り上がるんや」
唾を飛ばす勢いでまくしたてる少年の背中に、それまで黙って聞いていたヤクジが小さく、だがはっきりと「ソジ」と呼びかけた。
「あなた、ただでさえ新しもの好きなのに、この上、野次馬根性まで育ってしまって――こんな…耳年増で噂好きの権化が我が弟だなんて…兄は悲しい気持ちでいっぱいですよ」
愁いたっぷりの顔で、ヤクジが悲しげな声を出す。いささか演技がかって見えるほどだ。
そんなヤクジの反応に、水を差されたソジが顔を真っ赤にして振り返り、声を張り上げた。
「兄ちゃん! 話の腰を折るんは止めてくれ!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読んでいただき、ありがとうございます。
次話は来週水曜に、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
ソジを問い詰めることはもちろんだが、フェイバリットの様子を確認することが先決だと、場所を移したのである。
あれだけの戦闘があったというのに、娘は依然としてピクリともせず眠り続けている。見たところ、娘の顔色にも呼吸にも変化はない。
寝台のそばの腰かけに座ると、ヤクジは娘の手首を取る。きっと昨日ランドも受けた脈診というものだろう。
手首の脈を診ながら、ヤクジが指先に集中し始める。ヤクジの真剣な横顔に、邪魔をしないようにと自然と口が閉ざされ、部屋がシンと静まり返る。
静かな部屋で、ヤクジの診察が黙々と行われる。やがて、乱れた髪を梳き、寝具を整えた後、ヤクジが振り返ってランドに告げた。
「大丈夫――大きな問題はありませんよ」
その言葉を聞いて、ランドはようやく、ホッと安堵の溜め息を吐いた。
「…彼女は食事をしなくて、大丈夫なのでしょうか」
「はい。人は水分さえ確保出来ていたら、三週間くらい食べなくても持つと言われています。思ったよりも頑丈に出来ているので、安心していいですよ」
水分はどうしているのだろう。意識のない状況では、水は取れないと聞いたことがある。それに水分を取ったら当然もよおすだろうに。誰が世話をみてくれているのだろうと考えた時。
「彼女の身の回りのお世話は、僕の妹がみているので、どうか安心してくださいね」
まるで心を読んだような、苦笑まじりのヤクジの声に、ランドはバツの悪い思いで俯いた。
「恥じ入ることはありません。むしろ近しい人に気にかけてもらえると見落としが減ります――助かっていますよ」
にっこりとヤクジが笑う。つられて、口元に笑みが戻ったランドの、その隣でポツリと。
「……やっぱ、可愛らしなあ――…」
いかにもウットリとした呟きに、勢いよく首をめぐらせると。そこには寝台に肘をつき、間近で娘の顔をのぞき込むソジの姿があった。
ソジの――少なくとも見た目は、まんま子供だ。だが、そのあまりの近さ――何より熱のこもった視線に、ランドの心中は穏やかではいられなかった。
ランドが動く前にヤクジの手が伸びた。無言で子供の首根っこを掴んで引き戻すと、ソジが驚いたように目を上げる。
「――なんやぁ、いきなり。ビックリするやんか」
目を見開いて、キュルンと黒い瞳がまん丸になる。その面差しが先ほどのイタチの姿を彷彿とさせた。
黒目がちの大きな瞳が、とても愛くるしい。
自分の顔が他人の目にどう映るのか、分かった上でのこの表情ではないかと、ランドはついつい邪推したくなる。
――何しろこの里の主は、見事なまでのあざと可愛さなのだから。
「近過ぎます」
兄にたしなめられたソジは、視線をヤクジからランドへと移す。その目が探るように、じっとランドを見る。
ランドはその視線を無言で受け止めた。
「その通り」と声高らかに同調するのは、さすがに大人げない気がする。
だからと言って「いいよ」とも言えない。胸に浮かんだ言いようのない不快感は、偽りではない。
黙ったままでいると、こちらを見上げていたソジが、やれやれというように溜め息ひとつ、体を起こして娘から離れた。
「子供相手に、余裕なさすぎとちゃう?」
鼻で笑って、呆れたようにソジが言えば、眉をひそめて「余裕なさすぎ?」とオウム返しにランドが聞き返す。
「そやろ。余裕のない男はモテへんで」
いかにも可笑しいと言わんばかりに、ソジが目を細めてニヤリとする。ランドは頬に走る熱を感じながら、よく口の回る子供だと、ひそかに舌打ちする。
「第一、彼女は別にお前のモンやないやろ。都ではそういうの『人の恋路を邪魔する奴は犬に喰われて死んじまえ』って言うらしいわ。要は人の恋路を邪魔する野暮な行為はするなちゅうことや」
腕を組み、胸を反らすように言う子供の背丈は、ランドの胸の高さもない。なのに意気揚々と話すその態度は、子供でなければ不遜とも取れるほどだ。
口を挟まなければ、この子供はこのまま延々と喋り続けるに違いない。
これ以上戯言は聞きたくない――そんな気持ちに急き立てられて、迷いながらもランドは口を開いた。
「彼女は、俺の同胞だ」
「ただの仲間やん」
あっけらかんと言ってのける。その上でさらに、それで?とソジの黒い双眸がはっきりと告げていた。
「男おったら粉かけたらアカンなんて決まり、どこにもあらへんし」
声にせせら笑いに似たものが混じる。揶揄うような視線に、思わずランドがきつく目を眇めると。
「“岩崩れ”」
呪と共に、ゴッという鈍い音がした。
同時に、目の前の子供がガクンと首を前に深く折り、ついで声にならない呻き声をあげながら崩れ落ち、頭を押さえてのたうち回る。
「まったく――なんという口の利き方でしょうか」
声をたどって隣を見れば、そこには顔色ひとつ変えず、自身の手の平にふっと息を吹きかけるヤクジの姿があった。
「つまり――あなたは、彼女が黒蛇の『唯一無二』と知って、わざわざここに忍び込んだ。そういうわけですね」
「……そや」
涙目で、少年が頷く。相当、痛かったらしい。
「黒蛇って…」
ランドの不思議そうな問いに、ヤクジがふわりと笑みを浮かべる。
「そうそう神の名前を口にするわけにいかないでしょう」
「ここではそう呼ぶんや」
二人がそろってランドを見て、同時に言った。あまりにもぴったりの呼吸に、ランドは二人に血のつながりを見た。
「――話を戻しますが。ソジ、あなたが黒蛇の『唯一無二』にそれほどの興味を抱いているとは知りませんでしたよ」
「…俺も。ちょっとした興味本位――そんくらいのつもりやったんや。外におると、いろんな話が聞こえてくるからな」
「あなたはどこにでも首を突っ込み過ぎです」
はぁっとヤクジが溜め息まじりに言葉を落とす。兄の呆れた口調に、ソジは気まずげにその顔を上目遣いに見る。
だがランドの視線に気づくと、たちまちのうちに、いつもの強気な顔に戻った。
「は――自分は知らんやろな。そこの娘にも関わる話や。『神に選ばれた娘の物語』ってヤツ。ちょうどいいから、教えたるわ」
そう言うと、返事も待たずに少年が滑らかな口調で語りだした。
「むかしむかしの大昔――」
その娘は、特別美しいわけでも賢くもない、ただ少し変わった髪色を持つだけの、ごくごく平凡な娘でした。しかし不思議なことに、その娘には生まれた時から奇妙な印があったのです。
ある時、それが神が刻んだ目印――娘は、自分が神の『唯一無二』だと知り、運命の神を探して旅に出ることにしたのです。
旅に出て娘が成人すると、驚くほどに娘は美しく成長しました。
娘の美しさは人々の口に上るようになり、その評判は千里を翔け、やがて娘をめぐって戦が起こるほどになったのです。
娘を愛する者は後を絶たずに現れましたが、誰一人として彼女の心を射止めることは出来ません。それどころか不運に見舞われ、次々にこの世を去り、彼女はいつも孤独でした。
そんな彼女は恋に落ちます。その相手こそ、自分の神。めぐり合うべくして己の唯一無二に出会うことが出来たのです。
「――でもって、神様と出会って恋に落ちた娘は、神様の国に行きました。めでたしめでたし――てな話。ちなみに神様はめちゃめちゃ男前らしわ(笑)」
なんと答えたものか分からず、はあ…とランドは曖昧な返事をする。そんな煮え切らない反応に、さも嫌そうにソジが鼻をしかめてみせる。
「これは表向き、庶民の間で流行ってる物語や。いつか自分のとこに運命の相手が現れて、幸せな世界に連れてってくれるってな。女はみんな、自分に都合のいいお話が好きやから、そういうお話が盛り上がるんや」
唾を飛ばす勢いでまくしたてる少年の背中に、それまで黙って聞いていたヤクジが小さく、だがはっきりと「ソジ」と呼びかけた。
「あなた、ただでさえ新しもの好きなのに、この上、野次馬根性まで育ってしまって――こんな…耳年増で噂好きの権化が我が弟だなんて…兄は悲しい気持ちでいっぱいですよ」
愁いたっぷりの顔で、ヤクジが悲しげな声を出す。いささか演技がかって見えるほどだ。
そんなヤクジの反応に、水を差されたソジが顔を真っ赤にして振り返り、声を張り上げた。
「兄ちゃん! 話の腰を折るんは止めてくれ!」
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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
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