上 下
26 / 129
2章 異国[羈旅( きりょ)]編

2-7 とまり木 ※ランド回

しおりを挟む
 森に分け入り、歩きやすいところを上手く選び取って、道の無い樹林を縫うように歩く。
 変幻して一度、目的の場所にたどり着いたランドの足取りに迷いはなかった。

 歩き始めて、三十分ほど経った頃だろうか。
 そろそろ体の内側に熱がこもり始めた頃、後からついてくるフェイバリットに振り返り、すこし休もうと声をかける。すぐそばには小さな沢があった。

 川を滑る風に頬を撫でられると、汗ばんだ体からすうっと熱が引いていく。隣を見ると、ほんのり頬を上気させたフェイバリットも、気持ちよさそうに目を閉じるのが見えた。

 視線を移し、ランドは木々の間から空を見上げる。青く気持ちのいい空。
 あちらこちらで緑の葉が頷くように風に揺れている。

 木の上から小鳥のさえずりが降ってきたかと思えば、枝を揺らしながら口笛のように鳴く声も聞こえてくる。暑くも寒くもなく、ちょうどいい。こちらの季節は今いつ頃だろうか。

 いや、そもそも季節の移り変わりはあちらと同じようにやってくるのか――考えることが多い。それでも、こんなに早くに人がいた痕跡を見つけられたことは大きいだろう。

「ランド?」

 その呼びかけに、水底から浮き上がるように物思いから覚める。こちらを気遣うフェイバリットの眼差しがあった。

「何か考えごと?」
「ああ――― ウサギ、どうやって食べたらうまいかなって」
「あんな真剣な顔して??」
 ランドの返答にフェイバリットが呆れたような顔をする――不安にさせたくない。
「行くか」


 休憩の後、さらにしばらく歩くと前方に粗末な小屋が現れた。
 ランドの言葉通り、”雨露がしのげる程度”のあばら家は、土壁のあちらこちらに穴があき、そして屋根は申し訳程度に残っているというありさまで、とても人が住めたものではない。

 しかし炭焼き小屋だった頃の名残りを思わせる大きなかまは、かろうじてその形を保っていた。

「ま、地面で寝るよりマシってとこだな」

 苦笑いしながらそう言うと、ランドは薪と水の入った革袋を下ろす。森は暗くなり始めると、そこからが早い。

 月明かりがあれば多少はマシだが、そうでなければ、腕を伸ばしたすぐその先から物の形が判別できなくなるほど真っ暗闇になる。ひと晩泊まる場所が見つかったなら、早めに準備を整えてしまうに越したことはない。
 
 幸い、今夜の肉は確保した。早い段階でやらないと、肉に血の臭みがついてしまうので、獲物を仕留めた時に血抜きだけは簡単にしておいたが、残りの処理はこれからだ。

 火をおこして、鍋をかけてお茶を沸かす。米も炊かねば。頭の中でせわしなく段取りを組んでいると。

「ランド」
 背後から拗ねた声がした。

「あ、あんまり役に立たないけど、一生懸命覚えるから、その…私にもお手伝いさせて欲しい」

 もじもじしながら、少し唇を尖らせる。その姿に自分の兄弟の姿が一瞬重なった。しばし言葉を失ってぽかんと、多分間抜けな顔をしていただろう。

「あ―――ああ、うん…」

 生返事を返しながら、脳裡にタレ目がちの少年の姿が浮かんだ。一番ランドに懐いていた末の弟、今朝別れたばかりだというのに…もう懐かしい。

――泣かせてしまっただろうか。
 そう思ったとたん、ずきりと胸がうずいた。

 弟には、父も母も兄も姉もいる。だから自分一人くらいいなくても大丈夫だと思った。だが――弟にとって兄であるランドは一人しかいない…。
 後悔は本当にしていない。何度、選択する場面が訪れようと、きっとこちらを選んだ。彼女にこの旅路はあまりにも厳しい。誰かの手助けが必要だった。

 ランドの口元に皮肉げな笑みがうっすらと浮かぶ――これではまるで言いわけみたいじゃないか。許して欲しいと願う相手は、もう二度と会えない場所にいるのに。ここでいくら詫びても、それはただの自己満足に過ぎない。
――急に、これまで軽快に動いていた体が重くなったように感じられた。

「ランド…?」
 こんな感傷的な話など、フェイバリットには決して聞かせられない。きっと、自分のことのようにまた泣き出してしまうだろうから。

―――けれど少しだけ。ほんの少しだけ休ませて欲しい。
 そう思ってもいいだろうか。誰に言うともなくランドは乞う。

「……じゃあ…頼みたいことがあるんだが」
「――うん! 任せて!」

 ”頼みたいこと”と言われて、ぱああっと顔を輝かせる。
 ああ――そんなところも似ている。
 見た目も性別も異なるこの娘に、弟の面影を見出してしまう自分に、ランドは思わず苦笑する。

「あ――…、でもお前にできるかな…?」

 むっと口を引き結び、負けん気の強い瞳がランドを見る。挑発にすぐ乗ってくる子供っぽい反応に、思わず笑みを浮かべそうになったが、疲れた風を装った顔の下に隠して目を伏せる。そんなランドを見て、慌てたようにフェイバリットが反応する。

「……っできるし! 頑張ってみる。言ってみて」
「そっか。そこまで言ってくれるなら、お願いしようかな」
「うん」

「少し…疲れてしまったみたいだ。俺を癒してくれる?」
「う―――え?」
 固まった。

「…やっぱり駄目か…?」
 ランドは切なく瞳を細めた。それを見て、フェイバリットはぐっと唇を一文字に引き結ぶ。
「癒す、って癒しの術だよね? 私にできるか分からないけど――」

 何の疑いもなく「やってみる」と握りこぶしを固める姿はランドを大いに慰めた――凍りついた心臓に血がふたたび通い始めるのがわかるほどに。
 ランドは、ふっと小さな笑いを漏らした。

「女の子ならではの癒し術がある。だから安心して」
「ええと、そう、なの? それってどんな」
「俺の隣に来て――そう。そこに座って。ペタンと、そう鳶座とんびすわり」

 鳶座りとは両足のあいだにお尻を落として座る座り方――いわゆる”女の子座り”というやつである。足を開いた形が、とんびが羽根を広げた形に見えるからその呼び名がついたと言われる。

「恥ずかしくても、ちょっとの間なら我慢できるよな?」
「え? 恥ず?」
 言うなりランドは、素早く彼女の真向いに体を横たえ、その膝の上に顔を伏せた。

「………っ!!」

 顔の向きが違うが、これはつまり膝枕だった。びしっと体を硬直させたフェイバリットに動く隙も与えず、その細い腰に二の腕を巻きつける。彼女がわずかに身じろぐと、それを阻むようにぐっと腕に力が込められた。

「ラ、ラ、ラランド…。…。」
 膝に顔を押しつけるランドの体は動かない。小さくくぐもった声がひと言「頼む少しだけ」と言った。

 やがて。ランドの頭上に困ったような沈黙が降りてきて、小さな手のひらがそろりと柔らかな栗色の髪に触れた。ためらいながら、ゆっくりとその手が髪を撫でる。

 ランドは、きつく目を瞑って、固く唇をつぐむ。
 声を上げることは出来なかった――泣かずにいるだけで精いっぱいで。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

【短編】冤罪が判明した令嬢は

砂礫レキ
ファンタジー
王太子エルシドの婚約者として有名な公爵令嬢ジュスティーヌ。彼女はある日王太子の姉シルヴィアに冤罪で陥れられた。彼女と二人きりのお茶会、その密室空間の中でシルヴィアは突然フォークで自らを傷つけたのだ。そしてそれをジュスティーヌにやられたと大騒ぎした。ろくな調査もされず自白を強要されたジュスティーヌは実家に幽閉されることになった。彼女を公爵家の恥晒しと憎む父によって地下牢に監禁され暴行を受ける日々。しかしそれは二年後終わりを告げる、第一王女シルヴィアが嘘だと自白したのだ。けれど彼女はジュスティーヌがそれを知る頃には亡くなっていた。王家は醜聞を上書きする為再度ジュスティーヌを王太子の婚約者へ強引に戻す。 そして一年後、王太子とジュスティーヌの結婚式が盛大に行われた。

処理中です...