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俺と弓月
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俺とあいつ――名前を秦弓月という――は、かれこれ幼稚園入園からの付き合いとなる。俺は当初、弓月を女の子だと勘違いしていた。というのも、あいつはその頃から何処か少女めいた雰囲気の顔立ちであったからだ。
「おれ、おおきくなったらゆづきとけっこんしたい!」
そのようなことを口走ったことは、思えば後のことへの伏線であったのかも知れない。あの時から弓月は、俺が勘違いしてしまう程に、少女的な可憐さを持った男の子だったのである。
俺と弓月の交誼はその後も続いたが、幼稚園の卒園を機に一旦途切れた。というのも、あいつは転居して、一緒の小学校には入らなかったからだ。
「また、いつかあえるよ」
別れ際にあいつはそう言ったが、再会までに、俺たちは六年の月日を費やした。
中学校への入学を控えた四月の頭に、あいつは突然帰ってきて、俺と同じ中学に入学することとなった。
「弓月!」
玄関先に彼が来たのは、入学式の三日前のことだった。秦弓月という懐かしい名前を母親の口から聞いた俺は、急いで玄関の扉を開けて、その名を叫んだ。
「久しぶりだ」
成長した弓月を見て、俺は言葉を失った。
数年越しの弓月は、誰もが羨む美少年へと変貌を遂げていたのである。
中学生ともなると、周囲は当然ながら色気づいてくる。そういった中で、弓月の甘いマスクはたちまちに女子たちを射抜き、その心を虜にしてしまった。弓月のような美少女めいた中性的な顔立ちの男子は、得てしてこのぐらいの年頃になると容姿端麗な美少年へと脱皮を遂げるものである。
弓月に女子たちの視線が集まる様を見て、俺は密かに複雑な心境を抱えていた。彼女たちは所詮、弓月が値上がりした後で群がってきたイナゴのような者どもに過ぎない。園児の頃から彼と交わりを結んでいた俺は奴らとは違うのだ。そう自分に言い聞かせていた。今思えば、俺は随分と心配性で、なおかつ嫉妬心の深い男であったのだなと思わされる。
俺の嫉妬を他所に、弓月は俺とべったりな関係になっていた。女子たちに人気の弓月であるが、彼自身は寧ろ彼女らを煙たがっていて、そのことを度々俺に愚痴っていた。
「お前、それ俺以外に言うなよ。世の中の男たちに殺されるぞ」
弓月の愚痴を聞く度に、そのようなことを言って俺は諫めたものであるが、人の悩みはそれぞれであり、そういった意味では俺のお小言は全く野暮であったろう。弓月は確かに彼女らを内心面倒だと思っていたものの、それでも女子たちを粗雑に扱いすぎると後が怖いので、反感を抱かれない程度に適当なあしらい方をしていた。
二年生に進級する頃には、弓月は尚のこと俺に貼り付いて離れなくなっていた。あいつの俺に対する接し方は、この頃からもう友情の域を超え出していたのではないか、と思われる。あいつは元々俺の肩やら腕やらを触る癖があったが、そうしたスキンシップは更に激しさを増していたし、俺に向けられる視線も、友に向けるものとは思えないような粘ついたものを帯び始めていた。
俺は弓月と違って背も低く、容貌も何処か頼りなさげであったから、あいつと違って特に女子にモテたりするようなことはなかった。けれども、そのことは別段苦に思わない。なぜならこの頃、俺の方も、弓月に抱く感情は友情の一線を越えようとしていたからである。
それを自覚したのは、体育の授業の前の、着替えの時間でのことであった。弓月がシャツを脱いでその白い背中を晒した時、俺はあいつの裸体に、無意識の内に目を釘付けにされてしまった。弓月の裸体など見たのはこれが初めてではない。なのに俺は、その美しい背に、言いようもない興奮を覚えたのだ。
その時、一瞬、こちらを向いた弓月と目が合った。反射的に、俺は目を逸らしてしまった。裸をじろじろ見ていたことを本人に悟られるのは、流石にまずい。俺はまるで逃げる泥棒のような手の速さで、そそくさと着替えを済ませた。
その日以来、俺は弓月を直視する度に、言いようもない胸のざわめきに襲われるようになった。あいつの、男子にしては長めの髪が、その長い睫毛が、細い首が、血管の透くような白い頬や手が、俺の心を捉えて離さない。俺は気づけば、あいつのことをしばしば目で追うようになっていた。俺は、自分の胸のざわめきの正体に気づけなかった。気づけなかったというよりは、敢えて知ろうとしなかったのだという方が正しかったかも知れない。きっと気づいたとしても、それはすんなりと自分の中で肯定できるようなものではなかっただろうから。
梅雨の中休みの、粘着質な暑さの日だった。俺は学校に忘れ物をして、帰路の途中で引き返し取りに戻っていた。この時、いつも一緒に帰っている弓月もついてきていた。俺の家は学校と弓月の家の丁度中間中にあり、通学路が重なるのだ。
「……あった!」
教室に入った俺は、自分の机と中からプリントを取り出した。明日までにこれを完成させて提出する必要がある。だから、置いていきっぱなしにはできない。
「おお、良かった良かった」
言いながら、弓月は俺の背にしなだれかかるような体勢で、後ろから俺の胸に手を回してきた。これが、こいつの悪癖なのだ。
「何か弓月、いつも俺にべたべたしてくるよな。今は良いけど夏とか結構暑苦しかったぞ」
「ああ、そう?」
言いながらも、弓月は離れようとしない。
「だって……智哉は俺の体が気になってるんでしょ?」
弓月が俺の耳に囁きかけてくる。智哉、というのは俺自身の名だ。
「知ってるよ? 智哉が嫌らしい目で俺のことを見ているの」
俺の心臓は、この時跳ねた。今なら自分の心臓が何処にあるのかはっきりと分かる。
「実はさぁ……俺も智哉の体が気になるんだよね……」
弓月の手が、俺の胸に触れる。その手つきは今までにない程嫌らしいものであった。さわさわと、蛇に這われるような感触が、制服越しに伝わってくる。こいつが何故このようなことをするのか、この時の俺は分からなかった。
二人しかいない教室の中に、日の光が差し込んでくる。俺は抵抗することなく、旧友に胸を弄られていた。その手が、段々と下へ降りてくる。気づけば、俺の股の物は硬くなっていた。ああ、駄目だ。こいつにそんな所を触られたら、もう戻ってこれなくなる。
「やっぱり、智哉のここもそういう反応するんだ……」
弓月の手が、俺の股間に触れる。俺は咄嗟に手を振り払うこともできたが、それをしなかった。今の俺には、こいつに抵抗しようなどという気力は最早残っていなかった。
ズボン越しに弓月に触れられる度に俺のそれはぴくりと反応してしまう。興奮が、コブラの神経毒のように全身を駆け巡る。自分の脳が、まるで熱せられたチーズのように溶け出していくような、そんな感覚がある。
「そうだ……今日もしよかったら家に来ない?」
熱い吐息と共に、弓月の声が自分の耳に吸い込まれる。俺は、黙って頷いた。
「おれ、おおきくなったらゆづきとけっこんしたい!」
そのようなことを口走ったことは、思えば後のことへの伏線であったのかも知れない。あの時から弓月は、俺が勘違いしてしまう程に、少女的な可憐さを持った男の子だったのである。
俺と弓月の交誼はその後も続いたが、幼稚園の卒園を機に一旦途切れた。というのも、あいつは転居して、一緒の小学校には入らなかったからだ。
「また、いつかあえるよ」
別れ際にあいつはそう言ったが、再会までに、俺たちは六年の月日を費やした。
中学校への入学を控えた四月の頭に、あいつは突然帰ってきて、俺と同じ中学に入学することとなった。
「弓月!」
玄関先に彼が来たのは、入学式の三日前のことだった。秦弓月という懐かしい名前を母親の口から聞いた俺は、急いで玄関の扉を開けて、その名を叫んだ。
「久しぶりだ」
成長した弓月を見て、俺は言葉を失った。
数年越しの弓月は、誰もが羨む美少年へと変貌を遂げていたのである。
中学生ともなると、周囲は当然ながら色気づいてくる。そういった中で、弓月の甘いマスクはたちまちに女子たちを射抜き、その心を虜にしてしまった。弓月のような美少女めいた中性的な顔立ちの男子は、得てしてこのぐらいの年頃になると容姿端麗な美少年へと脱皮を遂げるものである。
弓月に女子たちの視線が集まる様を見て、俺は密かに複雑な心境を抱えていた。彼女たちは所詮、弓月が値上がりした後で群がってきたイナゴのような者どもに過ぎない。園児の頃から彼と交わりを結んでいた俺は奴らとは違うのだ。そう自分に言い聞かせていた。今思えば、俺は随分と心配性で、なおかつ嫉妬心の深い男であったのだなと思わされる。
俺の嫉妬を他所に、弓月は俺とべったりな関係になっていた。女子たちに人気の弓月であるが、彼自身は寧ろ彼女らを煙たがっていて、そのことを度々俺に愚痴っていた。
「お前、それ俺以外に言うなよ。世の中の男たちに殺されるぞ」
弓月の愚痴を聞く度に、そのようなことを言って俺は諫めたものであるが、人の悩みはそれぞれであり、そういった意味では俺のお小言は全く野暮であったろう。弓月は確かに彼女らを内心面倒だと思っていたものの、それでも女子たちを粗雑に扱いすぎると後が怖いので、反感を抱かれない程度に適当なあしらい方をしていた。
二年生に進級する頃には、弓月は尚のこと俺に貼り付いて離れなくなっていた。あいつの俺に対する接し方は、この頃からもう友情の域を超え出していたのではないか、と思われる。あいつは元々俺の肩やら腕やらを触る癖があったが、そうしたスキンシップは更に激しさを増していたし、俺に向けられる視線も、友に向けるものとは思えないような粘ついたものを帯び始めていた。
俺は弓月と違って背も低く、容貌も何処か頼りなさげであったから、あいつと違って特に女子にモテたりするようなことはなかった。けれども、そのことは別段苦に思わない。なぜならこの頃、俺の方も、弓月に抱く感情は友情の一線を越えようとしていたからである。
それを自覚したのは、体育の授業の前の、着替えの時間でのことであった。弓月がシャツを脱いでその白い背中を晒した時、俺はあいつの裸体に、無意識の内に目を釘付けにされてしまった。弓月の裸体など見たのはこれが初めてではない。なのに俺は、その美しい背に、言いようもない興奮を覚えたのだ。
その時、一瞬、こちらを向いた弓月と目が合った。反射的に、俺は目を逸らしてしまった。裸をじろじろ見ていたことを本人に悟られるのは、流石にまずい。俺はまるで逃げる泥棒のような手の速さで、そそくさと着替えを済ませた。
その日以来、俺は弓月を直視する度に、言いようもない胸のざわめきに襲われるようになった。あいつの、男子にしては長めの髪が、その長い睫毛が、細い首が、血管の透くような白い頬や手が、俺の心を捉えて離さない。俺は気づけば、あいつのことをしばしば目で追うようになっていた。俺は、自分の胸のざわめきの正体に気づけなかった。気づけなかったというよりは、敢えて知ろうとしなかったのだという方が正しかったかも知れない。きっと気づいたとしても、それはすんなりと自分の中で肯定できるようなものではなかっただろうから。
梅雨の中休みの、粘着質な暑さの日だった。俺は学校に忘れ物をして、帰路の途中で引き返し取りに戻っていた。この時、いつも一緒に帰っている弓月もついてきていた。俺の家は学校と弓月の家の丁度中間中にあり、通学路が重なるのだ。
「……あった!」
教室に入った俺は、自分の机と中からプリントを取り出した。明日までにこれを完成させて提出する必要がある。だから、置いていきっぱなしにはできない。
「おお、良かった良かった」
言いながら、弓月は俺の背にしなだれかかるような体勢で、後ろから俺の胸に手を回してきた。これが、こいつの悪癖なのだ。
「何か弓月、いつも俺にべたべたしてくるよな。今は良いけど夏とか結構暑苦しかったぞ」
「ああ、そう?」
言いながらも、弓月は離れようとしない。
「だって……智哉は俺の体が気になってるんでしょ?」
弓月が俺の耳に囁きかけてくる。智哉、というのは俺自身の名だ。
「知ってるよ? 智哉が嫌らしい目で俺のことを見ているの」
俺の心臓は、この時跳ねた。今なら自分の心臓が何処にあるのかはっきりと分かる。
「実はさぁ……俺も智哉の体が気になるんだよね……」
弓月の手が、俺の胸に触れる。その手つきは今までにない程嫌らしいものであった。さわさわと、蛇に這われるような感触が、制服越しに伝わってくる。こいつが何故このようなことをするのか、この時の俺は分からなかった。
二人しかいない教室の中に、日の光が差し込んでくる。俺は抵抗することなく、旧友に胸を弄られていた。その手が、段々と下へ降りてくる。気づけば、俺の股の物は硬くなっていた。ああ、駄目だ。こいつにそんな所を触られたら、もう戻ってこれなくなる。
「やっぱり、智哉のここもそういう反応するんだ……」
弓月の手が、俺の股間に触れる。俺は咄嗟に手を振り払うこともできたが、それをしなかった。今の俺には、こいつに抵抗しようなどという気力は最早残っていなかった。
ズボン越しに弓月に触れられる度に俺のそれはぴくりと反応してしまう。興奮が、コブラの神経毒のように全身を駆け巡る。自分の脳が、まるで熱せられたチーズのように溶け出していくような、そんな感覚がある。
「そうだ……今日もしよかったら家に来ない?」
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