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虫探し
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「ごめん優李。ボクもう帰らなきゃ」
唐突な一言であった。優李としては、もっと再会の喜びを分かち合って、またあの時のように島の色々な場所を巡りたかった。けれども、帰るというのであれば引き留めるわけにも行かないだろう。
「そういえば、伯父さんがいないけど、真くん何処から来たの?」
率直な疑問であった。聞いた話によれば真の父、つまり母の兄はもう島を離れてしまっているという。優李の一家と同じタイミングで帰郷したというのであれば真がここにいるのも頷けるが、実家には祖父母以外に誰もいなかった。だからそれもあり得ない。
何処から来た、という問いに対して、真は無言のまま、南の方を指差した。その方角には海岸があり、観光客相手の商店などが立ち並んでいる。
そうか、きっと伯父さんは島に戻ってきて、観光客相手の商売をしているんだ。優李はそう合点した。
「あとさ、ボクと会ったこと、皆には黙っててね。もしバレたら、二度と会えなくなっちゃうかも……」
そう言うと、真は自分の唇の前で人差し指をぴんと立て、歯を見せて悪戯な笑みを浮かべた。その仕草も彼がやると可愛らしい。
「ねえ、真くん。明日も会える?」
優李はおずおずと尋ねる。
「勿論。だから約束、ちゃんと守ってよね。それじゃあ、ボクもう行かなきゃ」
真は踵を返して、海の方へと駆けていった。優李はただただ、去っていく白いTシャツの背を眺めるばかりであった。
その晩、優李は寝つけなかった。昼間に会った真のことが、彼の神経を極限まで昂らせ、眠りに落ちるのを妨げていた。
「真くん……」
真との思い出は、この世のどんなものよりもかけがえのないものであった。優李にとって真とは、唯一無二の友であり、麗しい過去の象徴たる存在であった。今でも思い出そうとすれば、あの樹皮の裏に身を隠したマダラサソリや、砂浜に転がる美しい貝殻、彼が釣ってくれた海の魚などが、まるで液晶画面に映る映像のように鮮明に思い出される。それにも関わらず今まで彼のことを忘れてしまっていたのは、おそらく自分の心が理不尽な現実に打ちひしがれて、すっかり麻痺してしまっていたからなのだ。優李はそのように考えた。
***
翌日、両親は近所に挨拶回りに行っていて、祖父母は畑の方に出ていた。家の中には優李ただ一人である。手持ち無沙汰な優李は、持ってきた小説を読んでいた。
――また、真に会いたい。
どうすればまた真に会えるのか、優李は分からなかった。こちらから赴こうにも、彼が今何処にいるのか、正確な場所は把握していない。
取り敢えず、水筒を持って外に出てみた。左右に視線を振りながら、あの背の高い、名も知らぬ赤い花を咲かせる草の所まで歩いた。
「優李」
後ろから、声がした。声の主は、振り返らずとも分かる。
「真くん」
声に応えながら、優李は後ろを振り向いた。期待していた通りの人物が、そこに立っていた。
声の主、九波真はにっこりと笑った。
優李の胸が、途端に高鳴った。今なら自分の心臓が何処にあるのかはっきりと分かってしまうほどである。それは決して動揺しているのではなく、寧ろ期待していた人物が、その期待の通りに現れたことによる興奮からであった。
「真くん、また遊びに行こうよ。海に行く? それとも山?」
「うーん……海は人がたくさんいるから……山の方がよさそうかな」
今の時期は島外からの来訪者が多く、その多くの足は海岸の方に向く。山の方にも人は来るが、注目されている場所は限られており、人の集まりは局所的である。
優李は真に連れられて、九波家所有の山に分け入っていった。山とはいうものの、そこまで高らかとそびえているわけではない小山である。材木を取るための道が通っており、足を踏み入れるのにそれほど苦労はない。
「カブトムシとかいるの?」
「カブトムシはいないけど、クワガタならいるよ。でも今の時間帯はそんなにいないかな」
言われてみればそうだ。クワガタは基本的に夜行性であり、夕方頃にならないと姿を現さない。もっとも競争に負けがちな小柄な個体は昼間でも樹液をすすりに来るというが。
「それよりもさ、これ見てよ。あ、でも顔はあんまり近づけないで」
そう言うと、真は足元に転がっていた、子どもの頭ほどの大きさの石をどけた。石の下には、黒っぽい体に細い針のような尻尾を持った奇妙な虫が鎮座していた。
「これは何?」
「これはサソリモドキっていうんだ。この島で石っころの裏を見てみると、大体こいつがいる」
「へえ、何だかあんまりサソリに似てないや。蜘蛛……とも何か違う感じ」
その虫、サソリモドキは、二人に向かって腕を左右に広げて見せた。威嚇のポーズだ。まるでカマキリやカニのようである。動物が威嚇において腕や脚を広げたり喉を膨らませたりするのは、自分を大きく見せて相手を怖がらせ、手出しを躊躇わせるためである。
ふと、優李の鼻が、異様な匂いを嗅ぎ取った。何か、酢の物のような、酸っぱい匂いである。
「……何か酸っぱくない? 匂いが」
「ああ、それはこいつのせいだ」
真は腕を広げているサソリモドキを指差した。
「こいつは危険を感じると、尻尾の先から酸っぱいガスを噴射するんだ。一応目に入ると危ないから、顔を近づけちゃだめだよ」
「へえ……」
そのような不思議な虫の生体に、優李はすっかり感心していた。
途端に、突風が吹き寄せた。二人の小さな体が、瞬時、風にあおられた。真の後頭部から伸びる一房の髪が、その風によって大きく揺らされているのを優李は見た。
昨日は気づかなかったが、真は伸びた髪を後頭部で結い上げてポニーテールにしていた。当初この少年が真であると分からなかったのは、彼の髪が伸びていたせいもあろう。こうして正面ではなく横から見てみるとよく分かる。
その後、日が傾いてくると、真は木に貼り付いているクワガタを見せてくれた。見つかったのはそれなりのサイズのヒラタクワガタ、コクワガタ、アカアシクワガタなどであった。優李は何匹か持って帰ろうとしたが、虫カゴを持っていないことに気づいて、それは断念した。
「それじゃあ、またね」
「明日もまた会える?」
「明日もまたここに来るよ」
祖父母の実家の近くまで戻った二人は、そこで別れた。夕陽はすでに西天の彼方に没しようとしていて、真の体からは影法師が長く伸びていた。
唐突な一言であった。優李としては、もっと再会の喜びを分かち合って、またあの時のように島の色々な場所を巡りたかった。けれども、帰るというのであれば引き留めるわけにも行かないだろう。
「そういえば、伯父さんがいないけど、真くん何処から来たの?」
率直な疑問であった。聞いた話によれば真の父、つまり母の兄はもう島を離れてしまっているという。優李の一家と同じタイミングで帰郷したというのであれば真がここにいるのも頷けるが、実家には祖父母以外に誰もいなかった。だからそれもあり得ない。
何処から来た、という問いに対して、真は無言のまま、南の方を指差した。その方角には海岸があり、観光客相手の商店などが立ち並んでいる。
そうか、きっと伯父さんは島に戻ってきて、観光客相手の商売をしているんだ。優李はそう合点した。
「あとさ、ボクと会ったこと、皆には黙っててね。もしバレたら、二度と会えなくなっちゃうかも……」
そう言うと、真は自分の唇の前で人差し指をぴんと立て、歯を見せて悪戯な笑みを浮かべた。その仕草も彼がやると可愛らしい。
「ねえ、真くん。明日も会える?」
優李はおずおずと尋ねる。
「勿論。だから約束、ちゃんと守ってよね。それじゃあ、ボクもう行かなきゃ」
真は踵を返して、海の方へと駆けていった。優李はただただ、去っていく白いTシャツの背を眺めるばかりであった。
その晩、優李は寝つけなかった。昼間に会った真のことが、彼の神経を極限まで昂らせ、眠りに落ちるのを妨げていた。
「真くん……」
真との思い出は、この世のどんなものよりもかけがえのないものであった。優李にとって真とは、唯一無二の友であり、麗しい過去の象徴たる存在であった。今でも思い出そうとすれば、あの樹皮の裏に身を隠したマダラサソリや、砂浜に転がる美しい貝殻、彼が釣ってくれた海の魚などが、まるで液晶画面に映る映像のように鮮明に思い出される。それにも関わらず今まで彼のことを忘れてしまっていたのは、おそらく自分の心が理不尽な現実に打ちひしがれて、すっかり麻痺してしまっていたからなのだ。優李はそのように考えた。
***
翌日、両親は近所に挨拶回りに行っていて、祖父母は畑の方に出ていた。家の中には優李ただ一人である。手持ち無沙汰な優李は、持ってきた小説を読んでいた。
――また、真に会いたい。
どうすればまた真に会えるのか、優李は分からなかった。こちらから赴こうにも、彼が今何処にいるのか、正確な場所は把握していない。
取り敢えず、水筒を持って外に出てみた。左右に視線を振りながら、あの背の高い、名も知らぬ赤い花を咲かせる草の所まで歩いた。
「優李」
後ろから、声がした。声の主は、振り返らずとも分かる。
「真くん」
声に応えながら、優李は後ろを振り向いた。期待していた通りの人物が、そこに立っていた。
声の主、九波真はにっこりと笑った。
優李の胸が、途端に高鳴った。今なら自分の心臓が何処にあるのかはっきりと分かってしまうほどである。それは決して動揺しているのではなく、寧ろ期待していた人物が、その期待の通りに現れたことによる興奮からであった。
「真くん、また遊びに行こうよ。海に行く? それとも山?」
「うーん……海は人がたくさんいるから……山の方がよさそうかな」
今の時期は島外からの来訪者が多く、その多くの足は海岸の方に向く。山の方にも人は来るが、注目されている場所は限られており、人の集まりは局所的である。
優李は真に連れられて、九波家所有の山に分け入っていった。山とはいうものの、そこまで高らかとそびえているわけではない小山である。材木を取るための道が通っており、足を踏み入れるのにそれほど苦労はない。
「カブトムシとかいるの?」
「カブトムシはいないけど、クワガタならいるよ。でも今の時間帯はそんなにいないかな」
言われてみればそうだ。クワガタは基本的に夜行性であり、夕方頃にならないと姿を現さない。もっとも競争に負けがちな小柄な個体は昼間でも樹液をすすりに来るというが。
「それよりもさ、これ見てよ。あ、でも顔はあんまり近づけないで」
そう言うと、真は足元に転がっていた、子どもの頭ほどの大きさの石をどけた。石の下には、黒っぽい体に細い針のような尻尾を持った奇妙な虫が鎮座していた。
「これは何?」
「これはサソリモドキっていうんだ。この島で石っころの裏を見てみると、大体こいつがいる」
「へえ、何だかあんまりサソリに似てないや。蜘蛛……とも何か違う感じ」
その虫、サソリモドキは、二人に向かって腕を左右に広げて見せた。威嚇のポーズだ。まるでカマキリやカニのようである。動物が威嚇において腕や脚を広げたり喉を膨らませたりするのは、自分を大きく見せて相手を怖がらせ、手出しを躊躇わせるためである。
ふと、優李の鼻が、異様な匂いを嗅ぎ取った。何か、酢の物のような、酸っぱい匂いである。
「……何か酸っぱくない? 匂いが」
「ああ、それはこいつのせいだ」
真は腕を広げているサソリモドキを指差した。
「こいつは危険を感じると、尻尾の先から酸っぱいガスを噴射するんだ。一応目に入ると危ないから、顔を近づけちゃだめだよ」
「へえ……」
そのような不思議な虫の生体に、優李はすっかり感心していた。
途端に、突風が吹き寄せた。二人の小さな体が、瞬時、風にあおられた。真の後頭部から伸びる一房の髪が、その風によって大きく揺らされているのを優李は見た。
昨日は気づかなかったが、真は伸びた髪を後頭部で結い上げてポニーテールにしていた。当初この少年が真であると分からなかったのは、彼の髪が伸びていたせいもあろう。こうして正面ではなく横から見てみるとよく分かる。
その後、日が傾いてくると、真は木に貼り付いているクワガタを見せてくれた。見つかったのはそれなりのサイズのヒラタクワガタ、コクワガタ、アカアシクワガタなどであった。優李は何匹か持って帰ろうとしたが、虫カゴを持っていないことに気づいて、それは断念した。
「それじゃあ、またね」
「明日もまた会える?」
「明日もまたここに来るよ」
祖父母の実家の近くまで戻った二人は、そこで別れた。夕陽はすでに西天の彼方に没しようとしていて、真の体からは影法師が長く伸びていた。
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