竜の歌

nao

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34 記憶の欠片 4

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「あ?なんだと?」
 兄様の住んでいる共同住宅の真向かいにあるレストランの窓際の席で昼食後のお茶とお菓子を楽しんでいると、ギルシュ兄様の顔が険しくなった。
「お前今、アイツの所に帰るっつったか?」
 「アイツ」と「帰る」にキツいアクセントを付けて返される。
「体調は良くなったし」
「アイツの、所に、帰る、っつったか」
「……」
 大人げないよ、兄様。
 兄様の左腿に乗せられている僕が目で訴えると、ガーッと大きな口を開けた兄様に右頬を囓られた。
「……別荘に戻らないと。本当は昨日の内に帰るってラスカー兄様と約束したし」
「戻るってのも気に食わねぇ……昨日の今日でそんな良くなるわけねえだろ。しばらく俺の所で休め」
「ギル兄様……」
 まあ、兄様がラス兄様への対抗心からそう言うとは予測していたけれど、体調に関しては本当に良いんだよねぇ。
 むしろ倒れる前よりも良い。
 ギル兄様に限らず、父様や他の兄様達と一緒に眠った翌朝は、前日よりも体調が改善されている。
「体は本当に良くなってるんだよ。ラスカー兄様との約束を反故にした形になっちゃってるから今日は帰らないと」
「具合が悪くなったのは本当なんだから構わねえだろ」
「兄様、僕の嘘がラスカー兄様に通用すると思う?」
 兄様の顔が嫌そうに歪む。
「嘘を吐いた事がバレたら余計にややこしい事になると思うんだけど」
 僕の言葉に嫌々ながらもギル兄様が竜体で別荘まで送ってくれる事になった。
 冷たい紅茶とレモン風味のレアチーズケーキを美味しく頂いていたら、お店のドアベルが激しく鳴って吃驚した。
「たいちょー!!」
 ギル兄様の隊員サイさんがバタバタと近づいて来て、他のお客さん達が眉を顰める。
「隊長、ヤバいっす!事件っすよ、今すぐ来て下さい!」
「うるせぇんだよ、てめぇ!俺は今休暇中だろうが!」
 に、兄様、そう言う兄様の声もかなり大きいよ。
「いやでも、隊長じゃないとマズいんすよ、絶対。今すぐじゃないとヤバいんすよ!」
「ギル兄様、行ってあげて。お仕事でしょう?」
「あざーっす、ルスラン君!さ、隊長!」
「俺は休みだ。俺が今までどれだけ働いたと思ってんだ。当然の権利だ、ふざけんな、馴れ馴れしくルスランの名前呼んでんじゃねぇ!」
「この町の安全の為でしょう?僕もギル兄様が守ってくれてるって思うといつも安心出来るよ」
「……しょうがねぇ」
「うしっ、さ、行きましょう隊長!」
「うるせぇ!……ルスラン、俺が戻るまでウチで待ってろ。一歩も外に出るんじゃねえぞ、いいな?」
「う……ん、分かった」
 いつもの様にしっかり僕の顔中にキスをしてから、ガンガンブーツを踏みならして店を出て行った。ギル兄様の怒りが込められた足音だった。
 僕は店に居るお客さん達に「お騒がせして申し訳ありません」と謝る。
 この店は価格設定が高いからかお客さんの品が良く、皆微笑んで許してくれた。タイニーと同世代くらいの女性が「小さいのに偉いわねぇ」なんて言ってるのが聞こえたから、子供の僕がちゃんと謝ったのが微笑ましいと思って貰えたみたい。
 さ、落ち着いて美味しいケーキを頂こう。ふっふっふ。
 ガガ、ガラン!ガラン!
「サイ!」
「うわっ!」
 ボトリ。ああ……レアチーズケーキ落としちゃったぁ。最後の一口だったのにぃ。
「あぁ、ルスラン君、だったよね?サイここに来なかった?」
「え、えと、ドノバンさんですよね?」
「そう、憶えててくれて有り難う。で、昨日一緒にいたサイって若い奴来なかった?」
「はい、兄を呼びに来て行っちゃいましたけど?」
「くそ、一足違いか。あの馬鹿」
「サイさんが大変な事件が起きたって仰ってましたけど」
「いや事件は起きたけど、休暇中の隊長を呼ばなくても……」
「サイさんは兄じゃないと駄目だって」
「それが……はぁ……」
「あの、大丈夫ですか?良ければお水どうぞ」
 汗だくでなんだか疲れているように見えたので席と飲み物を勧めてみる。
「……有り難う。頂くよ」
 ちょっと考えてからギル兄様が座っていた席に腰を下ろしたドノバンさんは、ぐーっと一気に水を飲み干した。
「君、いくつ?」
「五歳です」
「五歳?そっか……にしてもしっかりしてるね」
「そ、そうですか?有り難う御座います。兄様達には全然追いつかないんですけど……」
「ははは、まだ五歳じゃないか。これからだろ?……君、ギルシュの事好きなんだね」
「はい!兄様、凄く強いし頭も良くて、とっても優しいでしょ?」
「う、うん、最初の二つは同意するけど……ま、あいつは大概、憧れの的ってヤツになるからなー」
「そうでしょうね。へへ。そうだ、サイさんも兄様の事凄く慕ってくれてるみたいですね」
「ああ……そうなんだよ。はぁ……あいつはちょっと度が過ぎる位にギルシュを尊敬してるから、変に突っ走ちゃうんだよ。今日だって別にギルシュじゃなくても良い事案なのにサイの奴……」
「あの、ドノバンさんは兄と親しいんですか?」
「まあ、そうかな。騎士学校で同級だったんだよ。俺とギルシュとマライカが同い年の同級生。ギルシュがまともに喋ってたのは俺とマライカくらいだった」
「ああ、同級生だったんですね。兄様のお友達にお会いするのは初めてなんです」
「友達、かな?なんかそんな優しい響きの関係じゃ無いような……でもギルシュが身分で人を区別する奴じゃないってのは分かってるから、そうなのかもね」
「身分?」
「俺は一応貴族家に産まれたけど、マライカは平民なんだ。学校内じゃまだまだ身分差別が根付いてて貴族は大概平民とは口利かない」
 騎士学校は高等教育の修業認定が必要だったのだが、マティアス陛下が高等学校に通わずとも騎士学校入学試験で規定以上の成績を取れば入学できる様に法改定された。経済的理由で学校に通えなかった平民でも努力次第で騎士になれるようになったのだ。
 しかし差別に対する法律が作られても、それが人々の意識に浸透するには時間が掛かる。
「悲しいですね、国王陛下自ら立案された事なのに……」
「法律が出来ても中々ね。年寄りは特に頭が固まっちゃってるし、その子らは親の考え方に毒されてるし。でもギルシュはそんなの関係無かったな。貴族だろうが平民だろうが、自分かそうじゃないかくらいの違いにしか思ってないんじゃないかなあ」
 まあ、ギル兄様は唯我独尊タイプって感じだよね。
「ギルシュとマライカは正反対な性格と調子だけど、いい加減な所がわりかし一緒でさ、俺はしょっちゅう二人にツッコミ入れてたな」
「いけいけの我が道型とふわふわ我が道型、ですね」
「おぉ、ほっほっ、げほっ!上手いこと言うなあ!まじで気に入ったよ、君」
 咳き込み笑いながら、店員さんに水のお代わりを頼んで、また一気に飲み干す。
「まあ、ギルシュに惹かれるのは分かるんだよ、実際俺もマライカも未だにあいつと一緒に居る訳だし。でもサイはなぁ……若いからか心酔しきってて。あいつも平民だから、副隊長にマライカを任命したギルシュに余計に気持ちが入っちゃうんだろうけど」
 しかも兄様は公爵家の子息だから、差別が蔓延る学内で平民と友人になり、さらに自分の腹心にまで選んだ兄様に好意を抱く気持ちは想像に難くない。
 前世では身分制度がなかったからそれが理由でって事は無かったけれど、差別自体は在ったし、色々なハラスメントが存在した。僕自身、職場でのパワハラを経験したしね。
 そんな時にギル兄様みたいな人が間近にいたら、尊敬しちゃうよね。
「ごめんね、せっかく休み取ってギルシュと一緒だったのに、邪魔しちゃって」
「いえ、兄様は騎士のお仕事向いてると思うんです。凄く頼りになるし」
「はあ……ホント良い子だなぁ。さて、あの馬鹿ちょっと叱ってくるよ」
「え、でも、お仕事ですし」
「いやいや、隊長ばっか頼ってたら新人が育たないよ。ツッコミは俺の役目みたいなもんだしね。あ、家まで送るよ」
「そんな、大丈夫です。真向かいですし」
「知ってる。いーのいーの、何かあったら俺がギルシュにやられるから。俺の為だと思って、ね?」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「あっはっは、君、ホント五歳?ギルシュの弟?」
 始終ドノバンさんは笑いながら「危ないからね」と僕と手を繋いで道路を横断して、門の所で守衛さんを呼び、門を開けさせて中へ入れてくれた。優しい人だ。
 ギル兄様とサイさんを走って追い掛けて行くドノバンさんが見えなくなるまで、門の内側から手を振って見送る。
 いい人だったな、兄様のお友達。良かった、ドノバンさんみたいな人が兄様の友達で。

 建物に入ると、コンシェルジュのお兄さんが満面の笑みで「お帰りなさい」と迎えてくれた。元気な挨拶はこっちの気持ちも上がるよね。
 兄様の部屋に戻って腹ごなしに各部屋を確認して回ろうかな~。
 やっぱりどの部屋も実家のギルシュ兄様の感じではなくて、優しい色合いで仕事の疲れを癒やしてくれそうな落ち着きのある雰囲気。
 結局時間を潰すとなると読書になるんだよねぇ。書斎の真ん中に読書の為のチェアが二脚あって、その内の一つは小さい。明らかに僕用の椅子だし。総本革張りで可動式のフットレストまで付いている。絶対特注したんだ。兄様ってホント僕に甘いよね。
 置いてある本だって低い位置は全部絵本や児童書ばっかりだし。
 兄様の気持ちの詰まった蔵書を吟味して読んでいった。



 結局ギル兄様は三時間程で帰ってきた。
「兄様、大丈夫なの?こんなにすぐ帰ってきちゃって」
「大丈夫だ。適当に始末しといた」
 適当……。
「じゃあ僕このプリン食べたらテセラに行くからね」
「チッ」
 戻ってきたギル兄様は何とか僕を引き留めようと、町で評判の喫茶店に連れてきてくれた。僕が今食べているプリンが大人気なんだって。
 店の中はうら若き乙女達で一杯だ。ギル兄様は強心臓だよね、この絶対的アウェイにもびくともしない。
「……それ食ったら送ってってやる」
「ありがと、ギル兄様」
 満席ながらも二人席を確保できたが、兄様は僕を両腿に乗せ、不服そうに僕の頭に顎を乗せてブツブツ恨み節を呟いているが、僕は評判のクリィーミーなプリンを堪能する。あー美味し-。
 チラチラ周りの視線を感じながらもスイーツを楽しんでいると、店の前に馬車が急停車したのが窓から見えた。
 馬車から大柄な黒い物体が飛び出して、勢いよく店の大きな嵌め殺し窓に激突する勢いで走ってきてベタリ!と張り付いた。
「エ、エルノア兄様!?」
「チッ、今度はコイツかよ」
 僕が兄様の名前を呼ぶと身を翻して入り口に回り込み、店内に入ってきた。
「何してるんだ!」
「エル兄様、落ち着いて。兄様、学校の帰り?馬車はあんな所に止めておいて大丈夫?」
 ここは町のご婦人方で連日満席の人気店だ。入った時から店内の女性の視線はギル兄様に集中していた。その多くの目がエル兄様の方へザッっと動いた。その音は絶対僕の幻聴じゃない。男前達めっ。
「そんなのどうでもいい。なにやってるの?!ルスラン!テセラに居るから会えないって言ってたんじゃないの?なんでこっちにいるの!」
「エル兄様、他のお客さんに迷惑が掛かるから落ち着いて」
「他とか関係ない!俺だってルスランに会いたいのに!ずっとずっと我慢してたのに!」
「デカいのがギャーギャーうるせぇんだよ」
「ギル兄様しーっ。エル兄様、ちょっと教会の方へ用事があって来たんだよ。兄様とは偶然(見つかってしまっただけ)で」
「……本当?」
 本当本当と、必死に何度も頷く。
 だってクローラが兄様の体の輪郭を包むようにムクムク広がって行くんだもん!
「エル兄様とも暫く会えなくてご免なさい。でも今はちょっと家には帰れないんだ」
「……父さんをお仕置き中なんでしょ?」
「お、お仕置きって」
「タイニーが言ってた」
「言ってたぞ、タイニーが」
 タイニー……。
「兄様達は知ってた?ラスカー兄様の具合が悪かったって事」
「いや、知らん」
「知らないよ、そんなの」
 やっぱり。
「アイツは殺そうと思ってもそう簡単にいかないだろ」
「ギル兄様!冗談でも駄目だよそれは。本気で言ってるならギル兄様に対しても僕距離を置いて考えてもらわないと……」
「分かった、悪かった」
 ギル兄様が顔の横で掌をこっちに向ける。
「こっちに来たってことはラスカーの状態良いんでしょ?ギルシュと一緒にいたんなら俺も!」
「エル兄様……御免ね。ラスカー兄様はまだ本調子じゃないから戻らないと」
「ルスラン……」
 プリンは頂いたし、何だかお店にもご迷惑掛けてるような気がするからそろそろ……ギル兄様に目配せをする。
「行くぞ、人気の無い所まで移動する」
 分かってくれた。
「あ、うん。エル兄様、またお手紙書くね」
「ルスラン……」
 恨めしそうなエル兄様の視線を感じつつ、ギル兄様が竜体化出来るスペースの所まで移動する。表通りから何筋か入った三本の道路が交差した所。馬車もあまり通らない。
 ギル兄様は騎士団所属なので町中でも竜体で飛ぶ事が許されている。エル兄様はドラグーンでも一般人なので許可無く竜体で飛行出来ない。
 ギル兄様の体が渦巻く炎に包まれると一瞬で朱色の竜に変わった。間近で見るとやはり大迫力だ。
 ぎゃー!カッコイイ!!竜、格好いい!
 ともすれば圧倒されそうな存在感の中にも、金色にも見える優しい瞳がしっかりとギルシュ兄様を感じられる。
「兄様、兄様!」
 久しぶりに間近に見るギル兄様の竜体姿に興奮して駆け寄り抱き付こうとしたら、鋭い爪の大きな腕で掬い上げられた。
 胸に抱き付いて堅い鱗をほっぺたと全身で味わう。堅~い!大きーい!
 大きな顔が下りてきて先が二股に分かれた長い舌で顔をペロリと舐められる。
「竜の兄様に運んでもらうの初めてだねっ」
 前は父様だったし、僕は眠ってて憶えてないから、意識があるまま竜と空を飛ぶのは初めてだ。異世界最高!竜最高!
『ちゃんと掴まってろよ』
「うん!エル兄様またね、兄様も体に気を付けて!」
「ル」
 テツの飛翔とは比にならない速度で上空へ上がり、あっという間に下に居るエルノア兄様の姿が点になって見えなくなった。
「ギル兄様わざとでしょ?」
 エル兄様に挨拶させないようにしたでしょ。
『行くぞ、舌噛むなよ』
 僕の言葉を無視して更に高度を上げた兄様はご機嫌で空を飛び続け、僕をテセラまで送り届けてくれた。

 テセラに戻るとそれはもう、ラスカー兄様が心配していて、しばらく外出を禁止されてしまった。レイモンドが僕を置いて戻った事にすっかり意気消沈していたので、レイモンドとラス兄様の両方に、「レイモンドは悪くない」「僕がお願いしたんだから」と説得するのが大変だった。

 けれどレイモンドのモチベーションやラス兄様の心配性、その心配性から派生したギル兄様への怒り、僕への体調管理という名の軟禁状態以前に、僕が気に掛けなければいけない事があったとは、この時は露程も思わずに居たんだ。
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