竜の歌

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26 五歳児の試練 14

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 北の雪山ゼノアの尾根から南側へ百メートルの位置がヘーラルの国境だ。
 逆に北側百メートルの所が隣国ジュアノームの国境であり、尾根二百メートル幅の範囲はどちらの国ともしないと条約を結んでいる。
 条約を結んでいるとはいえ、国境を決めただけの事で仲良し小好というわけじゃなく、両国がそれぞれの陣地に幾つかの軍駐屯地を設置している。隣国監視の意味もあるが密猟・密入国の取り締まりもしている。
 山には万年雪の過酷な環境を善しとする生き物もいて、その希少価値から無闇に奪おうとする者がいるし、過酷な自然環境に紛れて不法入国しようとする外国人もいる。
 ヘーラル国王は生態系を保つために魔力を宿す魔獣も含め、不要な殺生は罰する法を制定された。
「どうかウールーに遭遇しませんように……」
 ゼノア山で生息している生物は数多くいて、その中でもウールーと呼ばれている雪狼は魔獣ではないが、肉食で大きいのに動きが速くてやっかいだ。
 山に入って一時間が経ちそろそろ目的地に近いんじゃないかと注意深く周りを見る。積もった雪と降り始めた雪で地面と空の境も分からなくなってきた。
「吹雪いてはいないけど、やだなー」
 当たり前だけれど滅茶苦茶寒いし。
「ぶるるっ」
 何故かテツはご機嫌だ。
「……もしかしてお出掛けが嬉しいの?テツ」
「ウヒヒ!」
 遊びじゃないんだけどなー。まあでもテツも魔獣の一種だからこの余裕の堂々とした態度は頼もしくて安心するんだけれど。
 風が出てきて目的地に近いこともあり飛行は止めて山に降りて探す。周りは白一色になりつつあるが、花は黄色だから見つけやすいはず。
「あ!あれじゃない?」
 僕の身長の三倍くらいの高さの位置にある岩の間に百合に似た大振りな黄色い花が纏まって咲いている。
「やった!あれだよ、メイファー様が描いてくれた絵と同じ!」
 テツから降りて花に近づこうとして足下の違和感に気付く。

「え」

 ズシャアアアアア!

 声を上げる間もなく足下の雪が崩れて下へと落ちていく。
 深い割れ目が雪に覆われて見えなかったんだ。
「ヒィーン!」
 テツが慌てて駆け寄り僕の腕を噛んで掴もうとするが空振り。
 そのまま谷間に真っ逆さま……かと思ったら、途中の出っ張りに運良く落ちた。
「うぐぅ!」
 かなりの衝撃で息が詰まる。
 痛みでうずくまりながら意識を全身に向けて状態を確認する。雪が積もっていたお蔭で骨折などの大怪我はしないで済んだようだ。
 とはいえ打ち付けた体が痛いー。
 落ちた体勢のまましばらく痛みに耐える。
「ウゥ~」
 犬のような低い唸り声にぎくりと身が竦んだ。
「……ウールー」
 地面がぱっくり避けたような谷間の僅かな出っ張りに太い四本足で立つ獣たち。巨大な狼や犬に似ていて全身灰色の獣毛に覆われている。少なくとも二十匹は居るだろう。
 僕が引っ掛かった所は比較的広い足場になっているが、羽も握力も無い僕は下手に動くことも出来ない。
「ブゥーン!ブゥ~ウウウ!」
「テツ?!」
 テツは僕よりも更に十メートル程下の壁と壁に挟まっている。僕を助けようとして一緒に落ちてしまったようだ。体の大きさが災いして隙間にすっぽり挟まってしまい、その狭さから羽が使えないでいる。
 出っ張りを飛んで渡り、テツの方へも数匹ウールーが集まっていく。
「だ、駄目、待って!テツは良い子なんだ!食べたりしないでお願い!」
 身動きの取れないテツが襲われちゃう!
「テツ!大丈夫?テツ!」
「キゥ~」
 僕の声に甘える様な鳴き声で返事するテツが心配になる。
「君達に危害を加えるつもりは無いんだ。テツも僕がちゃんと言いきかせればすごく良い子で大人しい子なんだよ。僕達は花を摘みに来ただけなんだ」
 僕もテツも動けない状態だからひたすら声を掛ける。
「……クゥ?」
 中でも一際大きなウールーがこっちを向いて首を傾げる。多分群れのリーダーだろう。
「あそこの上に黄色い花が咲いてるでしょう?あれが欲しいだけなんだ。僕の兄様を助ける為に」
 トントンと足場を飛び渡り、テツの近くから僕が落ちた出っ張りまで上がってきたウールーは視線を合わせたままのそりのそりと近づいてくる。
「ウゥ?」
 何て言った?と聞かれたように思えて、山に入った説明を続ける。
「僕の兄様、ラスカーって名前なんだけど、毒で苦しんでるんだ。だからあの花の汁を飲ませて助けたいんだよ。僕の家族で、兄で、とても大事な人なんだ」
 今も毒に苦しむ兄様を思い出して涙が滲んでくる。
「凄く綺麗で格好良くて、優しい心を持っていて……大好きなんだ」
 でもここで肉食獣に食べられちゃったら助けられない。
 自分の無力さに涙が溢れてきてしまう。
 為す術も無く顔を覆った手に湿ったザラリをした感触。
「?」
 思わず手を外したらほっぺたをベロリと舐められた。ウールーに。
「ウゥ?」
 小首を傾げるウールーが不思議そうに見つめている。
「……あの……心配してくれてるの?」
「ウォーゥ」
「うおーう?」
「ウオーーーウウゥ」
 顔を小刻みに上下しながら少し節を付けた様に鳴く。いや喋ってる?
「えっと……もしかしてもっと話せって言ってる?」
「ウォーウゥ」
 目の前のウールーが返事のように鳴くと周りのウールーも次々に鳴き始めた。
 明らかに威嚇とは違う鳴き声に少し恐怖心が和らぐ。澄んだ瞳が僕を見つめている。
「君たちの目は氷みたいに綺麗な薄い水色だね。僕の兄様は濃い紫なんだ。髪は薄紫でね、サラサラで……」
 話している僕にもっと近づいてフンフンと匂いを嗅いでくる。首筋に鼻先を突っ込んでくるからくすぐったい。
「にゃははは!くすぐったいよ!」
 条件反射でウールーの首に両手を回して離そうとすると、じゃれていると勘違いしたのか余計にベロベロと顔を舐め始めた。
「こ、こら、止めなさい!むぅ~!」
 他のウールーも次々に僕の所へ飛び移ってきて、遊ぶんなら混ぜろ混ぜろと纏わり付いてくる。
 なんか全然危なくないんだけど、この子たち。図鑑にも確かに危険生物って書いてあったのに。
 モフモフにぎゅうぎゅう詰めにされていると、上の方から高い鳴き声が上がりウールーが一匹落ちてきた。
 ウールー達の耳と尻尾がぴんと立ち上がる。全身の毛が逆立ち、視線が上に集中する。
 裂け目の縁にずらりと黒い生き物が並んでこちらを見下ろしている。体の輪郭は曖昧で赤紫の目が蛍光を放っている。
 魔獣だ。
「酷い……」
 僕達の所に落ちてきたウールーの首元が裂けている。
 慌てて外套の下で巻いていた首巻きをウールーに巻き付けるが、見る間に血が滲んできた。
「ああ、どうしよう」
 自分自身ここから脱出できないのに、この子をどうにかするなんて到底無理だ。
 もう一度見上げると背筋がゾッとした。
 黒い魔獣たちの口が恐ろしい位に吊り上がり、赤黒い舌が覗いている。ウールーの血の臭いに興奮しているんだ。
 魔獣はウールーよりも小さいがこの子がやられた事から俊敏である事が窺える。
 争う様な音と鳴き声。上でウールーと魔獣が戦っている。
「あ!」
 ウールーのリーダーが動き出そうとすると次々と魔獣が下へ降りてくる。恐ろしいのは魔獣達が垂直の壁を重力を無視して地上の様に走って来る事だ。
 それぞれの足場に居るウールーだけでなく、テツ達が居る所へも。
「危ない!」
 思わず雪玉を魔獣に向かって投げる。
 ぽすっと頭に命中した魔獣に当然睨まれる。
 その目にゾッと血の気が引くが、やってしまった事はなくならない。
 雪玉をぶつけられた魔獣が僕目がけて突進してくる。
 ここで死んじゃうのかと思った瞬間、リーダーウールーが僕の前に進み出た。他のウールーが僕達を囲むように距離を取って離れる。
 足場に到達した魔獣が踊るようにリーダーに飛び掛かる。
 大きな体をぴったりと地面に伏せたまま魔獣の下をくぐり体を捻って下から腹に噛みついた。
「ギャッ!!」
 悲鳴を上げて藻掻く魔獣をけっして離さずさらに牙を深く埋めていく間に、他のウールーが次々に群がり噛みついていく。
 素晴らしいチームワークだ。
 やがて魔獣の瞳から光が無くなる。
 その魔獣が死んだのを期にウールー達の反撃が始まる。
 個体の力量差はチームワークでカバーしているウールーは魔獣に引けを取らない。
 激しい息づかいと怒気の籠もった獣の声。戦いの中で何も出来ない自分が悔しい。

 ふと何か風の音のようなものが聞こえた。

 魔獣達の動きがピタリと止まる。
「……なに?」
『オォーー……』
 もう一度聞こえた音に魔獣達が動き出し、垂直の壁を上へ上へと消えていく。
 何故なのかは分からないが、ウールーと僕らには興味が無くなったらしい。
 助かった、と安心した所為か急に全身が重くなって意識が遠のいた。



「ルスラン、元気にしていたかい?」
「にーに、おかえりなしゃい」
「んー、ただいま。ああ、やっとお前に会えたよ」
 兄様と同じように両頬にキスを返す。
「らすにーに、おつかれ?」
「はは、お前に会えたから疲れが吹っ飛んだよ。はい、お土産」
「ありがとう。あたらしいごほんだー」
「ルスランは本当に本が好きだね。読んでくれる?」
「うん!ぼくがにーにによんであげるね。えっと……」
 ラスカー兄様は膝に乗せて、いつも嬉しそうに絵本を読み上げるのを聞いてくれる。
 たどたどしくて遅い僕に苛つくこともなく、何度も何度も。
 そんな優しいラスカー兄様が僕は大好きだ。



「にいさま?」
 一瞬抱き込まれている暖かさに、自宅で兄様と一緒だと錯覚したけど、違う。
「目が覚めたか、竜の子よ」
 知らない男の人の膝に乗せられた状態で周りを確認すると、洞穴の様な所でウールー達に囲まれている。
 僕を乗せた男の人はウールーと同じ目と灰色の髪を持った大男で、同じ色の毛皮を纏っている。どこか浮き世離れした感じがして怖くはない。
「あ、あの、ここは……」
「我らの住処だ。お前は南に住む竜族の子供だろう?何故一人で雪山に入った」
「兄を助ける為です。バーバルという黄色い花を摘みに来たんです。その、僕を助けてくださったんですか?」
 面白そうに微笑んだ彼は、薄黄緑色の液体が入った木製の器を差し出してきた。
「私が造った薬だ。気を失っている間にも飲ませたが、目が覚めたならこれも飲むと良い」
 受け取ってくいっと一気に飲み干した。
「……度胸があるな。やはりセラシオンに立ち向かうだけの事はある」
「せらしおん?」
「お前を襲った黒い獣の事だ。我らとは違い、やつらは理由も無く他の命を奪う」
「あなたもウールーなんですか?どうして竜族の僕を助けてくださったんです?あ!あの子、怪我したあの子は大丈夫ですか!?」
「あれは大丈夫だ。ほら、そこに」
 促されて足下の方を見ると一匹のウールーがキラキラした目で僕を見つめていた。
 なんか「遊ぼう、遊ぼう?」と言ってるような気がする。元気そうだね、良かった。
「お前は我らウールーを助けようとしたのだろう?」
「僕が?……あ、雪をぶつけた事なら思わずやっちゃったことだし、何の助けにもなりませんでした。逆に怒らせて興奮させちゃったかもだし……」
 もごもごしてると頭を撫でられた。
「怪我の止血もした。行動にお前の本質が出ているのだ。我らは受けた恩は返す」
「あの、貴方のお名前は?何とお呼びすれば……」
「そうだな……ウルロワ、とでも」
「ウルロワ様……ところでこれは何の薬なんですか?」
 空の器を傾けて訊ねる。
「飲んでから聞くのか。それは凍傷や肺炎などを防ぐ効能がある」
「え、そんな凄い薬を僕に?有り難う御座います。僕はとても体が弱いので助かります。本当に有り難う御座いました」
 少し体を離して頭を下げる。腰を掴まれているからこれ位しか離れられなかった。
「不思議な子だ。私は長く生きているがお前の様な者は見たことがない。私はここに居るウールー達と同じ姿で産まれたがあまりにも長く生き続け、気付けばこのような存在になっていた。竜族だけでなく人間や魔族、魔獣……たくさんの者をこの山で見てきた。竜族も悪くないと思ったのは初めてだ」
「僕もウールーがこんなに可愛いだなんて思ってませんでした。図鑑には危険だって書いてあって」
「危険だとも。我らに危害なす者にはな」
「それは……そうですよね。皆そうですもんね。ねー?」
 近くにいたウールーのモフモフ背中を撫でる。ウールーは気持ち良さそうに目を瞑った。
「ところでお前の兄の状態はどうなんだ?」
「!いけない、早く帰らないと。その前にテツを助けないと。すみませんがテツを知りませんか?」
「テツ?……もしかして下の方に挟まっていたユランの事か?」
「そうです!黒いユランです!」
「あれと一緒に来たのか?ユランは凶暴で扱いにくい生き物だ。お前が操ってきたというのか?」
「あの子は僕の言うことを聞くし、良い子なんです」
「……そうか。では戻るとしよう」
「送って頂けるんですか?」
「お前達が山を出るまで見届けよう」



 ウルロワ様に片腕抱っこでウールーと同じ速度で運ばれ、落っこちた谷まで連れて行ってもらった。
 二足歩行で飛ぶように走る彼は神憑っている。
「テツー!」
「ヒューン!」
 上から呼びかけると結構大きな声で返事をしたが、可哀想にずっと挟まったままだった。
 谷の縁から覗き込んだ僕の横を何かがシュッと横切る。
 小柄なウールーが身軽に足場を渡って下へ下へと降りていく。テツが挟まっている場所まで行った彼(彼女?)は何と……テツを後ろ足で蹴った。
 お蔭で隙間から抜け出せたテツは強靱な蹄を利用してウールー達のように足場を見つけながら踏ん張る。
「ピギャー!!」
 足蹴にされたテツが猛烈に怒って上へのぼるウールーを追い掛けてくる。体重が重いからテツが乗った所はガラガラ崩れていく。
 裂け目から出てきた瞬間、大口を開けたテツに噛みつかれそうになったウールーがひらりと体を捻って躱し、さささと群れに近づいてきた。
「ブーゥウウ!」
「テーツ!こーら、この子達は僕らを助けてくれたんだよ。止めて」
 蹄で雪の下の土まで掘り返しながらブーブー威嚇するテツを宥める。
 テツを隙間から外してくれたウールーがキュウンと鳴きながら僕の背後に廻りテツを覗き込む。プルプル震える振動が僕の足に伝わってくる。
「ブキィーィ!」
「止めなさい、テツ!この子怖がってるでしょう!?」
「ブキー、ブキィーウゥ!」
「どうしたの、何が気に入らないの?何が嘘なの」
 まさに四本足で地団駄を踏んでいるテツはいったいどうしたんだろうか。
「御免ね、テツってちょっと我が強いんだ。根は良い子なんだよ。テツを助けてくれて有り難う」
 後ろに隠れていたウールーに御礼を言って顔を撫でる。う~ん、モフモフ~。
 やっぱり体の大きさとキューンと鳴く高い声からこの子はまだ子供みたい。
 ウルロワ様の口笛で、別のウールーが岩場に飛んで行って花を銜え、僕の所まで持ってきてくれる。
 花を取ってくれたウールーにおでことおでこを合わせて御礼を言い、ウルロワ様に向き直る。
「本当に有り難う御座いました。お蔭でこの花を兄様に持って帰ることが出来ます」
 山の麓近くまでウルロワ様とウールー達が揃って見送ってくれた。
 テツは小声でずーーーっとブゥブゥ言ってたけど。



 大急ぎで病院に戻った僕はバーバルの薬作りを手伝おうとしたがメイファー様に止められてしまう。
「ちょっとこっちへ来なさい」
「え、でも兄様の……」
 ぐいぐい手を引かれて病院の奥の部屋へ連れて来られた。医療器具があるからこの部屋が診察室らしい。
「診察するから服を脱ぎなさい」
「メイファー様、そんな時間はありません!一刻も早く兄様にバーバルの」
「ここの医師に遅延薬の生成と投与を指示してある。君の家の執事も居る。一人がラスカー君に接触出来る時間は限られるからね。君はラスカー君の処置については気にしなくて良い」
 話しながらも僕を椅子に座らせてテキパキを服を脱がせていく。
「血液も君が山へ向かった直後に院へ送った。……やはり凍瘡ができたな……これはどうした!?」
 メイファー様が背中と腕の右側を指で触れている。
 ウルロワ様がくれた薬は凍傷と肺炎に効くって言ってたから打ち身は対象外なんだな。
「あ、あの、見た目ほど酷くはないんです、大丈夫」
 鬱血しやすい上に肌が白いので打ち身は大変な見た目になってしまう。
「それに霜焼けなんて兄様の状態に比べれば大したことじゃ……」
「寒冷障害を甘く見てはいけない!もし君のこの指が凍傷で壊死したら切断しなければならなくなるんだぞ?」
「は、はい……」
 あまりの真剣な迫力にのまれてしまう。ウルロワ様のお蔭で凍傷じゃなく霜焼けで済んだんだと思う。
「何より、この国の社会的地位は私の方が上だが、四人ものドラグーンを敵に回すような事は御免だ。命がいくつあっても足りないじゃないか!」
 …………そっち!?
「凍瘡にはこれと……打ち身にはこれ、だな。持参しておいて良かった」
 いそいそと鞄から出した二種類の塗り薬を僕の体に塗り込めたメイファー様は一仕事終えたと満足げだ。
 いやいや、これからですから!ラスカー兄様を助けないと!
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