竜の歌

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19 五歳児の試練 7

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 本日最初の授業は課外授業。
 僕とシリル先生とニアで馬車に乗り、教会へ向かう。ニアは御者台、シリル先生は僕と一緒に車内に座っている。
「ルスラン様は教会は初めてですか?」
「はい。その、外へ遊びに出掛けた事も数える程しかありません」
 まず一人で出掛けることはあり得なかった。外へ出る時は必ず家族の誰かと一緒だ。父様か兄様かタイニーと。体調は良くてもまだまだ小さい僕は、大きな竜族を目の前にした時にパニックにならないか僕自身不安だったのもあるし、皆が許さなかった。
 でも自分の住んでいる町を見て廻る好奇心は常にあった。勉強が始まってその気持ちは膨らむばかり。知識は増えても実感が無いからだ。
「ではお家の方たち以外の者と接触するのもあまり経験が無いのですね」
「そうなんです。すごく楽しみです。失礼のないようにしないと……」
「そんなに気構えなくても大丈夫ですよ。今日伺う教会の牧師様は私の古い知人ですし、とても気さくな方ですから」
「先生の?シリル先生が通われている教会なんですか?」
「いえ、私は特定の信仰はありません」
 竜族の信仰するオルフェーン教は三大始祖を神とする宗教で、始祖を崇め、始祖の行いを模範として善行を重ね、その考えを広める事が基本となっている。
 しかし同じ信仰であるにもかかわらず、国や場所によって考え方が違ったりするのだ。
 国単位で信心深い所もあるが、ヘーラルはそれほど宗教色を感じない。国民は特別意識することなく、当たり前のように始祖を敬う気持ちを持ってる。
 我がノーヴァ家も一応オルフェーン教を信心しているらしいのだが、父様からお祈りや礼拝等を強制されたことはない。というかそんな話しになったことが無い。
 目的の教会の前で馬車を降り全容を見上げると、扉の上の飾りがルブランである事から、始祖ブランジェが祀られている教会だと分かる。
「お早う御座います、ノーヴァ様ですね。ようこそお越し下さいました」
 馬車の音に気付いたのかノックする前に牧師様が出てきてくれた。
「お早う御座います。ルスラン・ノーヴァと申します。シリル先生には家庭教師をして頂いています。もう一人は私の従者をしてくれているニア・シェイドです。本日はお忙しいところお邪魔して申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
 本当ならここで頭を下げたい所なのだが、貴族の挨拶は基本右手を左胸に当てるだけ。これはタイニーにも厳しく念押しされていた。特に貴族が平民に頭を下げる事はあり得ないとされている。
「お邪魔だなんてとんでもない。このガリア教会で牧師をしておりますヘンリー・ホプキンと申します。歓迎いたします、是非ゆっくりして行ってください。テディ、元気そうだね」
 右手をお腹に当てて頭を下げる礼を返してくれたホプキン牧師は、そのままシリル先生にも笑いかけた。
「ご無沙汰しております」
 シリル先生も腹に手を当て頭を下げて応える。
 先生は詳しく言わないけれど、愛称で呼ぶってことは結構深い関係なんじゃないかな。
「では中へどうぞ。お見せしたいものがありますので」
「はい」
 大きな両開きの木製扉を開けてもらい中に入ると、扉を境に空気が違うと感じる。
 言葉ではうまく表現出来ないけれど、これが厳かってことなんだろう。
 天井は高く、奥行きもあって座席数も多くて、かなりの人数が礼拝出来る規模だ。
 一番奥に大理石の女性像。始祖ブランジェだ。
 目を閉じて軽く両手を広げている立像。
 その像の前に子供達が十人程並んでいる。
「今日は来て頂いた御礼に歌をお贈りしようと思いまして」
 ホプキン牧師が人差し指を立てるとピアノの旋律が流れ始める。端に置かれたピアノを中年の女性が演奏している。
 ゆっくりとした調べで子供達の高く透明な声が教会に響く。
 賛美歌だ。
 前世での僕はお経を唱えたこともない不信心な日本人だったけれど、子供達の綺麗な声に心が浄化されるような気持ちになる。
 数多く有る賛美歌の中でやはり歌うのは始祖ブランジェを讃えるもの。
 清く美しくあるのは見えるものだけではなくその内なるものも同じくそうであるのだ、と歌っている。
 歌が終わっても優しい余韻が教会に残っている。
「とても、とても綺麗な歌でした。有り難う」
 感動して小さな手で一所懸命拍手する。歌劇場で歌っている訳ではないのでもしかしたら拍手は場違いかもしれないけど、とにかく気持ちを伝えたかった。
「喜んで頂けてよかった。皆ちょっと緊張していたんですよ」
「僕はまだ祈りを捧げたことすらありませんが、心が洗われるようでした。きっと皆いっぱい練習したんだね、凄く上手で美しい歌だったよ」
 有り難うと御礼を言いながら、近くに居た子から順に握手を求めて行く。
「ル、ルスラン様」
 戸惑うニアは放っておいて全員と挨拶する。
 子供達の年齢は下は二歳くらいから上は十五歳くらいまでバラバラだ。
 年長さんは僕の行動におっかなびっくりな子が多い。
 一番歳下であろう女の子が僕の足に飛びついてきた。
「ぶらんちゃまー!」
 それをきっかけに年少組が次々と足と腰にタックルしてくる。
「るぶらんさまー!」
「さまー!」
「きゃあ~」
「お、おい、お前ら!」
 一番歳上の男の子が慌てて引きはがそうと駆け寄った。
「だ、大丈夫だよ。皆元気だね。でも僕は始祖ブランジェ様じゃないし、女性でもないからね」
「ええ!?」
 僕にしがみついている子以外の子供達が全員驚きの声を上げた。
 全員て……。
 最初の女の子をよっこいしょと抱き上げて自己紹介をする。
「ルスラン・ノーヴァです。初めて来る教会がこのガリア教会でとても嬉しいです」
 くっ付いているチビちゃん達以外は「男?」とか「今、女じゃ無いって言った?」とかひそひそ囁きあっている。
「ねーえー、いっしょにうたおー」
 男の子にズボンを引っ張られ、うたおー、うたおー、と輪唱が始まった。
 そのままぐいぐい引っ張られて子供達に囲まれる。
 チビちゃん達の歌の後に同じように歌うと、他の子達も一緒に歌い始めた。
 ちょっとずつ順番に歌うし、長いから、とてもじゃないけど一度では憶えられない。
「生まれて初めて歌を歌ったよ。あまり上手くなくてゴメンね」
「え!産まれて初めて?」
「うまかったよー。もっといっしょにうたおーよー」
「きれいな声~」
 両頬をバラ色に染めた十歳くらいの女の子が両手を合わせて褒めてくれて、照れてしまう。
 何度か皆と一緒に歌い、ピアノ伴奏までしてくれて、前世も合わせて初賛美歌を経験した。

「ほらほらみんな、ノーヴァ様はもうお帰りだよ、ご挨拶をして」
「えー」
「まだうたう~」
 可愛らしいブーイングに後ろ髪引かれる思いだが、もう昼時だし僕の体力にも限界が……。
「今日は本当に有り難う。すごく楽しかったよ。良かったらこれお昼ご飯に皆で食べてね。……僕が作ったから味は保証できないけど……」
 今日の朝、いつもより早起きして籐の籠一杯にパンを焼いた。背後を料理長に守られながら。
「わーぱんだー」
「いっぱいある!」
 口々にありがとうと御礼を言ってくれる子供達に手を振ってお別れする。
 外へ出て扉を閉めると牧師様は居住まいを正して丁寧に挨拶をしてくれる。
「今日はお越し頂いた上にお土産まで頂いてしまって、本当に有り難うございました」
「こちらこそ、無理を言ってお時間を割いて頂き申し訳ありません」
「ノーヴァ様、洗礼を受けていなくとも誰でも教会に来て頂いて良いのですよ」
「有り難う御座います……牧師様、その、あの子達は……」
「みな親をなくした子ばかりです。理由は様々。戦争、事故、犯罪、それにここに置き去りにされた子も」
 じっと足下を見る牧師様の目には深い悲しみが写っているように見える。
「良い子達ですね。歌も上手だし」
「ええ、子供達なりに助け合い頑張っています。頑張り過ぎて潰れてしまわないよう力になれれば良いのですが……」
 ホプキン牧師はガリア教会で、親をなくした子供を預かり育てている。
 この教会は王都という都会にあって地方に比べれば環境に恵まれているが、だからといって子供の心が豊かであるとは言えないだろう。心の傷は様々だ。
「またここへ来てもいいでしょうか?」
「もちろんです、いつでもお越し下さい。子供達が眠っている時は私がお相手いたしますよ。……テディもね」
「……機会がありましたら」



 帰りの車内で子供達の顔を思い浮かべているとシリル先生が話し始めた。
「私もあの教会で育ったんですよ」
「……先生も」
「私が十二の時に彼が……ヘンリーが赴任してきました。新人も新人、ど新人牧師でした。鬱陶しいほど熱心で……まあ当時は私もひねくれた子供だったので鬱陶しいなどと思いましたが、本気で私や子供達を思ってくれていた大人は彼だけでした」
「若気のいたりで反発していたのが今は気恥ずかしくて、顔を合わせるのが気まずいんですね」
「……まあ……そうとも言うかも、知れません」
「またあの教会へ行く時には先生も付いてきてくれますか?一人じゃあ不安なので」
「まあ、それでは仕方ありませんね。ルスラン様の頼みとあらば断れないですし」
「ありがとうございます」
 思わずクスクス笑いが止まらないのは許してほしい。珍しく照れる先生が可愛いのが悪いんです。



 ルスランの大事を取って午後の授業は取りやめにしている。
「少々お疲れにはなりましたが、充実した時間を過ごされたご様子でしたよ」
 家族を伴わない初めての外出の様子をアクロアは当主専用の書斎で家庭教師の報告を聞いている。
「大変興味を示されていましたが、洗礼はお受けにならないのですか?」
「本人が望めば。宗教は自分の意思で選んで欲しい」
 アクロア自身は祖父に洗礼を受けさせられたが、長男をはじめ息子達全員に強要はせず、本人の意思に任せている。今の所どの息子も洗礼を受けてはいないので息子達はオルフェーン教徒ではない。
「それで勉強の方はどうです?」
「毎日楽しそうに授業を受けておいでですよ。とても賢いお子さんです。通常質問というと授業内容に対する事です。それはどういう事ですか?とか、この問題が分かりませんなど。ですがルスラン様の質問の殆どは私が教えていない事についてです。例えば今日見学に行った教会ですが、宗教の授業でされた質問が元で実際に行くことになりました」
「ほお、それはどんな質問だったんです?」
「オルフェーン教について一通り説明し終えるとこう聞かれました。教会は宗教活動以外の何かしらの活動をしていますか?と」
「何かしらの活動?」
「例えば福祉や環境に対する奉仕活動」
「ルスランが?」
「他にも色々ありますが、これまで沢山の子供達を受け持ちましたが、そういった質問をされたのは初めてでした。まあ皇太子殿下時代の陛下にも質問攻めにあいましたが、それとはまた質が違います」
「ああ……よくあなたは陛下に捕まっていましたね……」
 咳払いをしたシリルは「それは置いておいて」と話を戻す。
「年齢にそぐわない例えや言い回しから、かなりの書物を読み込まれているのが分かります」
「まあ暇さえあればサンルームで本を読んでいるのをよく見かけるが……」
「あの年齢であれだけの教養があるということは、かなりの集中力と我慢強さがあると思われます。彼の知識は日々の努力の賜です」
 部屋の中央に立っていたシリルはゆっくりと重厚な机と椅子に着いているノーヴァ公爵へ近づき、真正面から彼の目を見つめる。
「可愛らしい彼はこれから日に日に美しく成長していくでしょう。ですが彼の魅力は容姿だけではありません。心のありようも大変素晴らしい。優しく思いやりに溢れ明るい。その性格だけでも魅力的ですが、その上勤勉で知識は増える一方です。私の言っている意味が分かりますか?」
「勿体ぶらずに言ってくれ」
「私は常々知識は力だと思っています。病弱なルスラン様には自身を守る為に尚必要な事。ですが家に閉じ込めるような環境は彼を世間知らずにしてせっかく得た力も無駄にしてしまう。大切に囲い込むことは家族としては安心だと思うでしょうが、周りはそんな魅力溢れるルスラン様を放っておくでしょうか?」
 嫌そうに顔を歪める公爵は思うところがあるのだろう。
「優しく教養深く美しい存在……多くの者が欲するのは必然でしょう」
「子供には広い世界を……か?」
「あくまで私の考えですが」
 はぁ~っと深い溜息を吐く公爵に教師は止めを刺す。
「彼は美しくなりますよ……怖いくらいにね」
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