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1 呪いを受けた少女
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「……ねぇ」
女は、その崇高なる存在を押し倒すどころか、あまつさえ馬乗りになり、
「あなたを殺せば」
銀に煌めく無骨な剣を、
「私の呪いは解けるのよね?」
その胸に、突き立てた。
◆
「どうしてこうなっちゃったのかしら……!」
シェリーは頭を抱えていた。
「それは俺が言いたい」
シェリーの頭上から、低く、それでいて澄んだ声が落ちてくる。
シェリーは上にいる、その声の主へと顔を向け、
「私の! 長年の願いが! こんな形になっちゃったのよ?! どうしろって言うのよ!」
声を荒らげて、座っていたベッドをバン! と叩いた。
「どうしようもない。お前の手際が良すぎただけだ」
声の主──部屋の天井付近で揺蕩う彼は、水色の長い髪をかき上げ、言う。
「お前は呪われていた。そしてお前はそれを解くため、俺を──神殺しを成そうとし、結果、俺を殺し損ねたため、その呪いは完全には解けなかった。それだけだ」
「そうねその通りよ簡潔に説明ありがとう幽霊もどき!」
「失礼な。不完全だが神だぞ?」
「今は完全な神じゃないじゃない」
シェリーはまた、その、不完全な神へと射殺さんばかりの視線を投げ、
「あああ……」
次には、頭を抱え込んだ。
「やっと、やっと解放されると思ったのに……! それどころか、取り憑かれるなんて!」
「お前の自業自得だ」
「うるっさいわね! 分かってるわよ!」
この、声を荒らげているシェリーという女性と、空中に漂う男。彼らはどうして、今このような状況にいるのか。
ことの始まりは七年前、シェリーが十二の時に遡る。
◆
「はじめまして。皆々様」
王侯貴族が集う、大規模な茶会の場。そこに突然、一体の悪魔が現れた。
「これから、あなた方を恐怖のどん底に落とそうかと思います」
にやりと嘲笑い、大きな黒い羽をバサリと広げた悪魔は、そう言って。
茶会が開かれていた王宮の庭園は、瞬く間に地獄と化した。
悪魔は何百という眷属を使役し、ある人間は目をくり抜かれ、ある人間は腹を裂かれ、ある人間は腕をもがれた。花ほころぶ春の庭園が、鮮血に塗れていく。
誰も、殺されはしなかった。殺されないことが地獄だった。嫐られ、ほとんどの者が虫の息になった頃。
「……おや」
悪魔は、幾つもある壊れたテーブル、その中の一つの影に、小さな存在を見つける。
「おや、おやおや。お嬢さん、まだ、五体満足でいるとは」
地べたで丸くなり、ガタガタと震えるその少女は、声も出せないほど怯えきっていた。
「お嬢さん、お名前は?」
少女の目の前までやって来た悪魔は、問いかけ、
「ッ……ッ……!」
恐怖で喉がひきつり、呼吸もままならない少女の、
「……お名前は?」
「っひ!」
顎を掴み、上向かせた。
「さあ、お名前は?」
「ヒッ、……しっ、シェリー……! シェリー・アルルド、です……!」
少女の緑の瞳からは涙がぽろぽろ零れ、その可愛らしいドレスにも、白い肌にも、金の髪にも、周りの人間の返り血が付いていた。
「シェリーさん。あなたは強運の持ち主のようだ。この地獄を、五体満足で生き抜いた」
「……え……?」
悪魔はにっこりと笑顔を作り、
「そんな幸運なあなたに、素敵なプレゼントを差し上げましょう」
「ぷ、プレ、ゼント……?」
「ええ」
悪魔は、困惑するシェリーの喉元に、人差し指の先を──鋭利な刃物のようなその爪を、突きつけた。
「ヒィッ……!」
「そんなに怖がらないでくださいよ」
言いながら、悪魔はゆっくりと、その指を下に移動させていく。
「ヒッ……いや、嫌……!」
その指が胸元まで来ると、
「おや、嫌ですか?」
ずぶり、と指を胸に差し込んだ。
「いやぁあ!!」
体の中をかき回される感触。全身に、骨の髄にまで染み込むような壮絶な不快感。この状況への恐怖。
「殺しはしませんよ?」
「いや、いや、いや! いや!!」
シェリーは頭を振るが、顎にかかった手はびくともしない。
「いや……やめて……殺さないで……」
「だから、殺しませんって」
呑気な声でそう言う悪魔は、シェリーの胸から指を引き抜いた。
「──! ……?」
血が、出ない。いや、ずっと出ていなかった。
「ねえ? 殺していないでしょう?」
呆然と、自分の胸をペタペタ触るシェリーに、くすくすと嘲笑いながら悪魔が言う。
「あなたには、呪いをかけました」
「のろい……?」
「ええ、呪いです。『これから一生誰にも愛されない』呪いです。簡単には解けませんよ」
悪魔は嘲笑いながら言い、シェリーの顎から手を離し、バサリと羽を広げる。
「解くには、私より上位の存在を殺さなければなりません。そして、私は最上位の悪魔。その上が、誰か、分かりますか?」
何も言えないシェリーに、悪魔は密やかな声で。
「神を、殺さなければなりません。分かりますか? 神です。あなたは神殺しをしなければならない」
「か……み、ごろ……し……」
「ええ。頑張ってくださいね。そのまま一生、呪われていても構いませんが」
悪魔は笑みを刷いたまま、地面から飛び立つ。
「では、そろそろお暇させていただきましょう。死にかけの皆さん、そして呪われたお嬢さん。どうぞ、お元気で」
悪魔は慇懃に礼をし、次の瞬間には眷属ごと、まるで最初から居なかったかのように忽然と消えた。
その後、会場にいた人間の三分の一は死に、もう三分の一は起き上がれない体となり、残りは、障害が残ったものの、動ける程度には回復することが出来た。
そして、ひとり。五体満足で生き延びた、シェリーは。
この、歴史に残る事件の最重要参考人として、そして、悪魔に呪われた少女として、大神殿に軟禁された。
シェリーの胸には、赤黒く禍々しい紋様が浮き出ていた。それこそ、呪われている証。しかも、最上位の悪魔の呪い。
神官たちはシェリーの呪いを解くことを早々に諦め、シェリーを浄化の間に閉じ込めた。シェリーが外を出歩く際も、また悪魔が現れないよう、神殿内の庭園だけと決められた。
シェリーは、自由を失った。
シェリーには、二つ上の兄がいる。その兄は茶会の日、体調を崩し、母とともに家に残っていた。あの惨状から免れていた。生き延びていたのだ。
シェリーは、母と兄に手紙を書いた。勿論返事は来た。単調で窮屈な日々を送るシェリーの、心の支えはそれだけだった。
けれど。
兄からの手紙が、母からの手紙が。だんだんと、淡々としたものになっていく。その文章が短くなっていく。枚数が減っていく。
一生誰にも愛されない呪い。その効力は、十二分に発揮されていた。
愛にも沢山の種類がある。恋愛、友愛、親愛、家族愛、自己愛。それらを含めた愛に関わるもの全てが、呪いの対象だった。
いつしか、シェリーは周りの誰からも愛されていないと気付き。そして自分すら、自身を愛していないと理解した。
シェリーは絶望した。そして、絶望出来たことに、安堵した。
まだ、心は死んではいない。『愛』が、消えただけ。
そして、シェリーは決意する。
この呪いを解く、と。
女は、その崇高なる存在を押し倒すどころか、あまつさえ馬乗りになり、
「あなたを殺せば」
銀に煌めく無骨な剣を、
「私の呪いは解けるのよね?」
その胸に、突き立てた。
◆
「どうしてこうなっちゃったのかしら……!」
シェリーは頭を抱えていた。
「それは俺が言いたい」
シェリーの頭上から、低く、それでいて澄んだ声が落ちてくる。
シェリーは上にいる、その声の主へと顔を向け、
「私の! 長年の願いが! こんな形になっちゃったのよ?! どうしろって言うのよ!」
声を荒らげて、座っていたベッドをバン! と叩いた。
「どうしようもない。お前の手際が良すぎただけだ」
声の主──部屋の天井付近で揺蕩う彼は、水色の長い髪をかき上げ、言う。
「お前は呪われていた。そしてお前はそれを解くため、俺を──神殺しを成そうとし、結果、俺を殺し損ねたため、その呪いは完全には解けなかった。それだけだ」
「そうねその通りよ簡潔に説明ありがとう幽霊もどき!」
「失礼な。不完全だが神だぞ?」
「今は完全な神じゃないじゃない」
シェリーはまた、その、不完全な神へと射殺さんばかりの視線を投げ、
「あああ……」
次には、頭を抱え込んだ。
「やっと、やっと解放されると思ったのに……! それどころか、取り憑かれるなんて!」
「お前の自業自得だ」
「うるっさいわね! 分かってるわよ!」
この、声を荒らげているシェリーという女性と、空中に漂う男。彼らはどうして、今このような状況にいるのか。
ことの始まりは七年前、シェリーが十二の時に遡る。
◆
「はじめまして。皆々様」
王侯貴族が集う、大規模な茶会の場。そこに突然、一体の悪魔が現れた。
「これから、あなた方を恐怖のどん底に落とそうかと思います」
にやりと嘲笑い、大きな黒い羽をバサリと広げた悪魔は、そう言って。
茶会が開かれていた王宮の庭園は、瞬く間に地獄と化した。
悪魔は何百という眷属を使役し、ある人間は目をくり抜かれ、ある人間は腹を裂かれ、ある人間は腕をもがれた。花ほころぶ春の庭園が、鮮血に塗れていく。
誰も、殺されはしなかった。殺されないことが地獄だった。嫐られ、ほとんどの者が虫の息になった頃。
「……おや」
悪魔は、幾つもある壊れたテーブル、その中の一つの影に、小さな存在を見つける。
「おや、おやおや。お嬢さん、まだ、五体満足でいるとは」
地べたで丸くなり、ガタガタと震えるその少女は、声も出せないほど怯えきっていた。
「お嬢さん、お名前は?」
少女の目の前までやって来た悪魔は、問いかけ、
「ッ……ッ……!」
恐怖で喉がひきつり、呼吸もままならない少女の、
「……お名前は?」
「っひ!」
顎を掴み、上向かせた。
「さあ、お名前は?」
「ヒッ、……しっ、シェリー……! シェリー・アルルド、です……!」
少女の緑の瞳からは涙がぽろぽろ零れ、その可愛らしいドレスにも、白い肌にも、金の髪にも、周りの人間の返り血が付いていた。
「シェリーさん。あなたは強運の持ち主のようだ。この地獄を、五体満足で生き抜いた」
「……え……?」
悪魔はにっこりと笑顔を作り、
「そんな幸運なあなたに、素敵なプレゼントを差し上げましょう」
「ぷ、プレ、ゼント……?」
「ええ」
悪魔は、困惑するシェリーの喉元に、人差し指の先を──鋭利な刃物のようなその爪を、突きつけた。
「ヒィッ……!」
「そんなに怖がらないでくださいよ」
言いながら、悪魔はゆっくりと、その指を下に移動させていく。
「ヒッ……いや、嫌……!」
その指が胸元まで来ると、
「おや、嫌ですか?」
ずぶり、と指を胸に差し込んだ。
「いやぁあ!!」
体の中をかき回される感触。全身に、骨の髄にまで染み込むような壮絶な不快感。この状況への恐怖。
「殺しはしませんよ?」
「いや、いや、いや! いや!!」
シェリーは頭を振るが、顎にかかった手はびくともしない。
「いや……やめて……殺さないで……」
「だから、殺しませんって」
呑気な声でそう言う悪魔は、シェリーの胸から指を引き抜いた。
「──! ……?」
血が、出ない。いや、ずっと出ていなかった。
「ねえ? 殺していないでしょう?」
呆然と、自分の胸をペタペタ触るシェリーに、くすくすと嘲笑いながら悪魔が言う。
「あなたには、呪いをかけました」
「のろい……?」
「ええ、呪いです。『これから一生誰にも愛されない』呪いです。簡単には解けませんよ」
悪魔は嘲笑いながら言い、シェリーの顎から手を離し、バサリと羽を広げる。
「解くには、私より上位の存在を殺さなければなりません。そして、私は最上位の悪魔。その上が、誰か、分かりますか?」
何も言えないシェリーに、悪魔は密やかな声で。
「神を、殺さなければなりません。分かりますか? 神です。あなたは神殺しをしなければならない」
「か……み、ごろ……し……」
「ええ。頑張ってくださいね。そのまま一生、呪われていても構いませんが」
悪魔は笑みを刷いたまま、地面から飛び立つ。
「では、そろそろお暇させていただきましょう。死にかけの皆さん、そして呪われたお嬢さん。どうぞ、お元気で」
悪魔は慇懃に礼をし、次の瞬間には眷属ごと、まるで最初から居なかったかのように忽然と消えた。
その後、会場にいた人間の三分の一は死に、もう三分の一は起き上がれない体となり、残りは、障害が残ったものの、動ける程度には回復することが出来た。
そして、ひとり。五体満足で生き延びた、シェリーは。
この、歴史に残る事件の最重要参考人として、そして、悪魔に呪われた少女として、大神殿に軟禁された。
シェリーの胸には、赤黒く禍々しい紋様が浮き出ていた。それこそ、呪われている証。しかも、最上位の悪魔の呪い。
神官たちはシェリーの呪いを解くことを早々に諦め、シェリーを浄化の間に閉じ込めた。シェリーが外を出歩く際も、また悪魔が現れないよう、神殿内の庭園だけと決められた。
シェリーは、自由を失った。
シェリーには、二つ上の兄がいる。その兄は茶会の日、体調を崩し、母とともに家に残っていた。あの惨状から免れていた。生き延びていたのだ。
シェリーは、母と兄に手紙を書いた。勿論返事は来た。単調で窮屈な日々を送るシェリーの、心の支えはそれだけだった。
けれど。
兄からの手紙が、母からの手紙が。だんだんと、淡々としたものになっていく。その文章が短くなっていく。枚数が減っていく。
一生誰にも愛されない呪い。その効力は、十二分に発揮されていた。
愛にも沢山の種類がある。恋愛、友愛、親愛、家族愛、自己愛。それらを含めた愛に関わるもの全てが、呪いの対象だった。
いつしか、シェリーは周りの誰からも愛されていないと気付き。そして自分すら、自身を愛していないと理解した。
シェリーは絶望した。そして、絶望出来たことに、安堵した。
まだ、心は死んではいない。『愛』が、消えただけ。
そして、シェリーは決意する。
この呪いを解く、と。
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