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後日譚

2 大事な事は言葉にしましょう

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「それで、てつさんは戻ってきた、と」
「そういう事だ」

 休憩室でお茶を飲みながら、遠野とおのさんはてつから事の次第を聞いていた。内容は、私が聞いたものと変わらない。私も横で椅子に座り、お茶をちびちびと飲んでいる。

「なんにしても、戻ってきてくれてありがとうございます。今は内部が少々ややこしい状態なのですが、てつさんがいれば心強い事この上ありません」

 椅子に姿勢良く座りながら話す遠野さんに、狼に戻ったてつが床に寝そべりながら言う。

「俺ぁ使われる気は毛頭無ぇと、分かった上で言ってんだろう?」
「ええ。それと、今日はもう遅いですから、緊急の案件でもありませんし、てつさんの詳細な報告は明日にしましょう」
「分かりました。私、同席ですか?」
「いえ、僕だけで大丈夫です。明日は通常通りに出勤してください」
「了解です」

 こくりと頷いた私を見て、てつが起き上がる。

「じゃあ、俺らは帰るぞ」
「え?」

 俺ら?

「えってなんだ」
「いや、え?」

 首を傾げるてつを見て、遠野さんへ振り向けば、なんだか残念なものを見るような目で私達を見ていた。

「いや、だって、遠野さん。てつ、当分はここが家代わりですよね?」
「はぁ?」

 てつが盛大に顔を顰める。
 はぁ? じゃない。異界からの怪異のヒト達は基本施設で保護管理するし、てつには今住むところがない。筈。

「……どこか住む場所見つけたの?」
「どこも何も、俺はお前の住処に居ただろう」
「いやでもそれは以前の話で、今は違うし……」

 それを聞いてか目を丸くしたてつが何やら言う前に、遠野さんが口を開いた。

「てつさん、お気持ちはお察ししますが」
 "お察ししますが"? 遠野さん?

「現行の規則では、てつさんは支部内にある異界の方用の領域で過ごして頂かなければなりません。そこはご理解下さい」
「ああ゛?」
「それに、てつさんのその体躯では、榊原さかきばらさんの住居では若干手狭かと思いますが」

 若干どころじゃない。そもそも玄関を通らないと思う。

「…………。……これなら入る」

 苦々しい声を出しながら、てつは人の姿になった。
 それなら入るね。入るけど。

「てつ」
「あ?」
「言ってなかったから知らないよね。──あのアパートはね、実は女性専用アパートなんだよ」

 なんだそれは? と、とても分かりやすく顔に出してくれたので説明する。

「男性を招くのは基本禁止なんだよ、あの場所は。点検とか親類とか、特殊な場合は例外だけど。だから、もしてつがここじゃない所に住むとしても、最初から私の家は検討外」
「なんだその決め事は」
「色々危険に晒されがちな女の人達を守るためのルールだよ。だから、男の人は入っちゃ駄目なの」
「ならなぜ、以前は咎めなかった」
「いやだっててつ、私のお腹にいたじゃん。分離不可能だったじゃん」

 それにその時は非常事態すぎてルールなど頭からすっぽ抜けていた、のは言わない。

「その後、別行動が出来るようになったが?」
「あー、その時は支部からニコイチって指示受けてたし……てつ狼だったしさ」

 なんというか、『男』、というかそもそも『人』だという認識が薄かった。狼男とか言ってた割に。今更ながら、反省です。猛省です。気が付かれなかった事が奇跡でした。もう二度と致しません。

「俺は今でも狼だが?」
「うん、でも、その姿形は人間だよね。周りから見れば私はルール違反者になっちゃうんだよ」
「じゃあなんだ? また形だけヒトになればいいのか?」

 瞬間、てつは狼男姿に変わる。同時に、盛大に鼻にシワを寄せた。
 徐々に強くなってきてるてつの苛立ちが、気の揺らぎだけじゃなくて表情にも現れてる。
 なんでそこまでして私の家に住みたいんだよ。

「てつさん」
「なんだ」

 苛ついて一際低く発せられたてつの声をさらりと受け流し、遠野さんは真面目な顔つきになる。

「てつさんが榊原さんのアパートに行くと、榊原さんに迷惑がかかります。最悪、榊原さんはアパートを追い出されるかも知れません」

 相当悪質でない限りそこまでの事はなかったと思うけど、それを言うといつまでも話は終わらないので、黙っておく。

「てつさんの意向も理解しました。こちらとしても、てつさんのご希望は出来るだけ叶えたい。それに応えられるよう、上に掛け合いましょう。ですが」

 私にちらりと目を向けてから、てつに顔を戻した遠野さんは、

「今回は折れてくれませんか? 幸い明日も榊原さんはこちらへ来ますし、その時にまた会えます。そもそも榊原さんの所属先がここなのですから、ここにいれば会う機会は頻繁にありますし」
「……ハァ」

 てつは狼の姿に戻ると、ドカっと体を下ろした。

「わぁったよ。呑んでやる。だが、一時的にだ」
「ありがとうございます」

 不満げな空気を隠そうともしないてつに、遠野さんが笑顔を返した。
 まあ、なんとか、一時的にでも収まって良かった。
 やっと帰れる、と、遠野さんと私の二人分の空の紙コップを手に取ろうとして、「ああ、片付けは僕がやっておきますので大丈夫ですよ」と止められた。

「え、やりますよ。これくらい」

 って言ってる間に紙コップは回収され、ゴミ箱へ。

「こんな時間ですからね。榊原さんは早く帰った方が良い」

 言われ、時計を見れば二十二時を随分過ぎていた。

「僕はここに泊まるので、後片付けも僕がやったほうが効率が良いでしょう?」
「あ、泊まりなんですか? ていうか気になってたんですけど、そもそも今日は、本部で手のかかる会議をしてくるって言ってませんでした?」

 いつ終わるか分からないんですよね、なんて遠い目をしながら言っていたと記憶してますが。

「ああ、なかなかのものでしたが、一旦話は纏まりましてね。存外早くに終わったんですよ。いやあ、やはり当主が居られると、話がさくさく進みます」

 当主。遠野さんがそう呼ぶのは、ただ一人。実の姉で十年前に殺され幽霊となった、天遠乃神和あまえのかんなさんだ。天遠乃さんは幽霊のままで、空席になっていた天遠乃家の当主の座に戻ったそうだ。そして仕事をバリバリこなしているらしい。籍は本部にあるけれど、副支部長や遠野さんに会うためか、時々こっちにも顔を出してくれる。

「一旦という事は、完全には片付いてないって事ですか。大丈夫なんですか? この頃の遠野さん、疲れの色が強いですよ?」

 そう言うと、遠野さんは苦笑した。

「そうですか? これでも睡眠には気を使ってるんですけどねぇ」

 これまでずっと遠野さんの下についてきて、いつも笑顔で固めているその奥の感情なんかが、気を読まずとも、若干だけど汲み取れるようになってきている。と、思う。これは天遠乃さんのおかげもあるかも知れない。

「──おい、いつまで喋くってる」

 そんな話をしていたら、てつがその立派な尻尾で床を叩いた。バシン、と良い音が響く。

「あぁすみません。では榊原さん、また明日」
「あ、はい。また明日お願いします」
「てつさんは僕と一緒に来て下さいね。手続きなどありますので」
「チィッ!」

 バシン! バシン!! 床からの良い音が強さを増した。
 てつの苛立ちがストップ高だ。
 それを見て、遠野さんが困り笑顔を作る。

「……あー、では、てつさん。今のは一旦取り消して、少し待っていて下さい」
「あ゛あ゛?!」
「榊原さん、もう少しだけお付き合い下さい。一度、部屋の外へ」
「へ?」
「おい!」

 ドアを開け手招きする遠野さんに間抜けな声を上げると、てつが結構な声量で待ったをかける。すると、遠野さんはてつへ顔を向け、

「ほんの少しですので。それと、待ってれば恐らく良い事がありますから」
「はぁあ?」

 盛大に鼻に皺を寄せるてつ。私だって訳が分からない。

「僕が嘘を言っていないと解るでしょう?」

 その言葉に一瞬てつが押し黙った隙に、「では榊原さん、ちょっとこちらへ」と通路へ出される。

「何なんですか? それに、良い事って……?」

 率直に聞けば、スマホの画面を見せられた。

『てつさんに「頑張ったね、お疲れ様。戻って来てくれてありがとう」と言ってみて下さい。話を聞いた限り、まだ言っていないんでしょう?』

 ……はい?
 なんですかこれ、と口を開きかけ、遠野さんに「静かに」と小声で止められる。

『ここでは何も聞かず、この通りにやってみて下さい。てつさんの機嫌も少しは良くなるかも知れません』

 新たに書き足された文章を読み、遠野さんの真面目な顔つきを見て、念のため気を読んで。
 やるしか、ないんだな、これを。とそれだけ理解して、分かりましたの意味を込め、無言で頷いた。若干の疲れが滲んでいたかも知れない。
 部屋に戻ると、さっきの体勢のままのてつが不機嫌さを増幅させた気を隠しもせず、苛立ちの瞳でこちらを睨んでいた。
 遠野さんをちらっと見やると、軽く頷かれる。

「えー……と」

 私はてつの顔の前まで歩いていき、目線を合わせるために膝立ちになった。

「てつ、あのさ」
「あ?」

 えっと、なんて言うんだっけ……

「色々、頑張ったよね。お疲れ様。……あと、戻って来てくれてありがとう、ね」

 言いながら、手が届く高さの、人で言う二の腕辺りを軽く撫でてみる。

「──」

 てつは一瞬目を見開いて、

「……遠野。てめぇ、何を吹き込んだ?」

 ドスの利いた声を発した。

「いえ、大した事は」

 さらりと返した遠野さんに、てつが牙を剥く。

「てめぇ……」

 そんな様子のてつの、気の変化に気付いた。さっきまで強風のように渦巻いていたそれが、若干だけど穏やかになっている。
 あれ? 利いてる? 今の言葉が? 表向きこんな反応なのに?
 そしてもう一つ、今更に気付く。
 てつは大事な住処である山を、荒らしていたヒト達は追っ払ったとはいえ、また残して置いてきたのだ。そりゃあ山だから動かせないけど、大切な場所であるそれを差し置いても戻って来てくれた。なんで戻って来たのか分からないけど、私にとって、てつが戻ってきてくれた事は、てつにまた会えた事は、とても……とても、嬉しい事で。

『まだ言っていないんでしょう?』

 その通りだ。今のは遠野さんの指示を受け、ただ言葉にしただけ。私の気持ちは込もっていない。

「てつ」
「ああ゛ん?」

 その藍鉄色を、しっかり見つめる。

「今の、言い直すね。──ほんと、大変だったんだよね。山の事も、他の事も。お疲れ様だよ。うん、お疲れ様。そんで、ありがとう、戻って来てくれて。私に姿を見せてくれて。今てつがここにいる事が、てつに触れられる事が、すごく嬉しい」

 今度はきちんと、心を込めて言葉に出来た。嬉しさが込み上げて、ちょっと顔がへにゃった気もするけど、許容範囲でしょ。
 そしてそんな私の気持ちを、てつは正確に読み取るはず。

「…………」

 で、てつの動きが止まった。


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