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第一章 そこは竜の都
ジェーンモンド家の人々 3
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「……はぁ……」
夕日が差し込む室内に、疲れの混じる溜め息が落とされた。
(最近、どうにも……)
中流以上が泊まれる階級の宿の、中程度に眺めの良い部屋。そこにある、一級品ではないが座り心地の良い椅子に腰掛け、その商人は呟く。
「これで三つ目だ……」
この数ヶ月、商談が纏まらない事が増えた。
また溜め息を吐き、天井を見上げる。きっちりと固められた亜麻色の短髪が、その拍子に少し崩れた。
「しかもまた、娘の話か……」
話が流れた商談相手は、揃って自分の娘について訊ねてきた。
『そういえば、あなたの娘さん……いえ、小柄な方の。本日は見学には来ていないのですね?』
『ええ。もう歳頃ですし、いつまでも遊ばせる訳にはいきませんから。お邪魔にもなってしまいます』
『……そうですか……いえ、この前に少し、面白い話をしたんですよ。それだけですので、お気になさらず』
今日の、本格的な商談を始める前の世間話。相手の織物の商人は、僅かに残念がっていた。
「何故、そんなにアイリスを……」
あの商人も若かった。娘に気があったのだろうか? 会えなくて気を悪くした?
(……いや)
今日も、今までの顔合わせでも、そんな素振りは無かった。
(仕事場に雑念を持ち込まない人間だ、彼は)
自身の扱う商品の知識や、経済の流れへの理解、それに己の利益に繋がる話の回し方──。彼と話をする度に、どの才も自分を凌ぐのではと、アイリスの父親は焦りを覚えた程だった。
「……あぁ」
瞼を閉じ、ほんの少し眉を顰める。そういえば、と。
彼と、他の二つだけでなく。よくよく思い出せば、仕事を繋いだ取引先の中からもちらほらと。
アイリスについて聞かれたのだ。最近顔を見せないがどうしたのか、と。
(仕事場ではあの子は殆ど、傍で聞いているだけだった……だが、時折)
怖ず怖ずと、意見を言う事があった。それは他愛もない思い付きだったり、突飛な発想ばかりだったが。
(僅かに、道が開けた事もあった。彼らもその話を気に入り、進めて……)
「……いや、まさか」
ふと過ぎった考えは、娘以上に突拍子もないもので。
「いや、それはない。有り得ない」
跳ねるように上体を起こし、目を開く。その青の瞳が迷うように揺れる。
アイリスは世間知らずだ。リリィの方がまだ、世渡りが上手いだろうと思えるくらいに。
(彼らはアイリスに話を合わせてくれていただけだ。重要な部分ではいつも、席を外させていたじゃないか)
いや、それは自分が促したのだ。商売など分からない娘が、これ以上相手の迷惑にならないようにと。
「……疲れているんだ、ローガン。思考がおかしくなっているぞ」
己に言い聞かせるように呟き、アイリスの父は立ち上がる。窓越しの夕陽が目に入り、ふと、昔の事を思い出した。
『……おとうさんは、いろんなひととおはなしをして、ぶつりゅう? をまわしているんだよね?』
アイリスはまだ幼く、敬語も覚えていない時期。庭だったか、私室だったか。それさえ定かでない記憶。
『物流……まあ、そうだな。色んな人と会って話をして、沢山のものを見て。それらを世に出していく仕事だ』
珍しく、娘を膝に乗せて。それを娘はとても喜んでいた。
『すごいなあ……! わたしもいろんなひとにあって、みたことないのをたくさんみたい!』
こちらに向けた瞳を煌めかせ、足を振る。それが自分の足に当たっても、どうしてかあまり気にならなかった。
『ねえおとうさん! わたしもできる?』
『……それは……難しいだろうなぁ』
『そうなの?』
『そうなんだ。とても難しい仕事なんだよ』
現に当時は、あまり利益を出せていなかった。それは父の威厳を保つためにか、口にはしなかったが。
『そっかあ……』
アイリスはそのあどけない顔を、とても残念そうに下へ向けたのだった。
(ああ、疲れている。本当に疲れている)
何故、こんな事を思い出す。ローガンはその幼いアイリスを追い出すように、頭を振った。
女には女の役割がある。男にも役割があるように。
アイリスには仕事でなく、女としての、出来れば貴族との幸せを。姉のような幸せを、手にして欲しい。
「はぁ……明日を空けておいて良かった」
窓へと歩み寄りながら、ローガンはそう零す。そのまま窓を開け放し、入る風に目を細めた。
(明日は休もう。これ以上繋がりが減るのは、今後に響く)
しっかり休めば、この妙な事を考える頭もきちんと働き出すだろう。家族を心配させる事もなく、また上手くやっていける。
「……手紙は、書くか」
外からの空気のおかげで、幾らか気分が上向いたのか。ローガンは朱く染まる街を眺めながら、明日の予定をぼんやり考え始める。
夕日が差し込む室内に、疲れの混じる溜め息が落とされた。
(最近、どうにも……)
中流以上が泊まれる階級の宿の、中程度に眺めの良い部屋。そこにある、一級品ではないが座り心地の良い椅子に腰掛け、その商人は呟く。
「これで三つ目だ……」
この数ヶ月、商談が纏まらない事が増えた。
また溜め息を吐き、天井を見上げる。きっちりと固められた亜麻色の短髪が、その拍子に少し崩れた。
「しかもまた、娘の話か……」
話が流れた商談相手は、揃って自分の娘について訊ねてきた。
『そういえば、あなたの娘さん……いえ、小柄な方の。本日は見学には来ていないのですね?』
『ええ。もう歳頃ですし、いつまでも遊ばせる訳にはいきませんから。お邪魔にもなってしまいます』
『……そうですか……いえ、この前に少し、面白い話をしたんですよ。それだけですので、お気になさらず』
今日の、本格的な商談を始める前の世間話。相手の織物の商人は、僅かに残念がっていた。
「何故、そんなにアイリスを……」
あの商人も若かった。娘に気があったのだろうか? 会えなくて気を悪くした?
(……いや)
今日も、今までの顔合わせでも、そんな素振りは無かった。
(仕事場に雑念を持ち込まない人間だ、彼は)
自身の扱う商品の知識や、経済の流れへの理解、それに己の利益に繋がる話の回し方──。彼と話をする度に、どの才も自分を凌ぐのではと、アイリスの父親は焦りを覚えた程だった。
「……あぁ」
瞼を閉じ、ほんの少し眉を顰める。そういえば、と。
彼と、他の二つだけでなく。よくよく思い出せば、仕事を繋いだ取引先の中からもちらほらと。
アイリスについて聞かれたのだ。最近顔を見せないがどうしたのか、と。
(仕事場ではあの子は殆ど、傍で聞いているだけだった……だが、時折)
怖ず怖ずと、意見を言う事があった。それは他愛もない思い付きだったり、突飛な発想ばかりだったが。
(僅かに、道が開けた事もあった。彼らもその話を気に入り、進めて……)
「……いや、まさか」
ふと過ぎった考えは、娘以上に突拍子もないもので。
「いや、それはない。有り得ない」
跳ねるように上体を起こし、目を開く。その青の瞳が迷うように揺れる。
アイリスは世間知らずだ。リリィの方がまだ、世渡りが上手いだろうと思えるくらいに。
(彼らはアイリスに話を合わせてくれていただけだ。重要な部分ではいつも、席を外させていたじゃないか)
いや、それは自分が促したのだ。商売など分からない娘が、これ以上相手の迷惑にならないようにと。
「……疲れているんだ、ローガン。思考がおかしくなっているぞ」
己に言い聞かせるように呟き、アイリスの父は立ち上がる。窓越しの夕陽が目に入り、ふと、昔の事を思い出した。
『……おとうさんは、いろんなひととおはなしをして、ぶつりゅう? をまわしているんだよね?』
アイリスはまだ幼く、敬語も覚えていない時期。庭だったか、私室だったか。それさえ定かでない記憶。
『物流……まあ、そうだな。色んな人と会って話をして、沢山のものを見て。それらを世に出していく仕事だ』
珍しく、娘を膝に乗せて。それを娘はとても喜んでいた。
『すごいなあ……! わたしもいろんなひとにあって、みたことないのをたくさんみたい!』
こちらに向けた瞳を煌めかせ、足を振る。それが自分の足に当たっても、どうしてかあまり気にならなかった。
『ねえおとうさん! わたしもできる?』
『……それは……難しいだろうなぁ』
『そうなの?』
『そうなんだ。とても難しい仕事なんだよ』
現に当時は、あまり利益を出せていなかった。それは父の威厳を保つためにか、口にはしなかったが。
『そっかあ……』
アイリスはそのあどけない顔を、とても残念そうに下へ向けたのだった。
(ああ、疲れている。本当に疲れている)
何故、こんな事を思い出す。ローガンはその幼いアイリスを追い出すように、頭を振った。
女には女の役割がある。男にも役割があるように。
アイリスには仕事でなく、女としての、出来れば貴族との幸せを。姉のような幸せを、手にして欲しい。
「はぁ……明日を空けておいて良かった」
窓へと歩み寄りながら、ローガンはそう零す。そのまま窓を開け放し、入る風に目を細めた。
(明日は休もう。これ以上繋がりが減るのは、今後に響く)
しっかり休めば、この妙な事を考える頭もきちんと働き出すだろう。家族を心配させる事もなく、また上手くやっていける。
「……手紙は、書くか」
外からの空気のおかげで、幾らか気分が上向いたのか。ローガンは朱く染まる街を眺めながら、明日の予定をぼんやり考え始める。
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