上 下
49 / 117
第一章 そこは竜の都

ジェーンモンド家の人々 3

しおりを挟む
「……はぁ……」

 夕日が差し込む室内に、疲れの混じる溜め息が落とされた。

(最近、どうにも……)

 中流以上が泊まれる階級ランクの宿の、中程度に眺めの良い部屋。そこにある、一級品ではないが座り心地の良い椅子に腰掛け、その商人は呟く。

「これで三つみっつ目だ……」

 この数ヶ月、商談がまとまらない事が増えた。
 また溜め息を吐き、天井を見上げる。きっちりと固められた亜麻色の短髪が、その拍子に少し崩れた。

「しかもまた、娘の話か……」

 話が流れた商談相手は、揃って自分の娘について訊ねてきた。

『そういえば、あなたの娘さん……いえ、小柄な方の。本日は見学には来ていないのですね?』
『ええ。もう歳頃ですし、いつまでも遊ばせる訳にはいきませんから。お邪魔にもなってしまいます』
『……そうですか……いえ、この前に少し、面白い話をしたんですよ。それだけですので、お気になさらず』

 今日の、本格的な商談しごとを始める前の世間話。相手の織物の商人は、僅かに残念がっていた。

「何故、そんなにアイリスを……」

 あの商人も若かった。娘に気があったのだろうか? 会えなくて気を悪くした?

(……いや)

 今日も、今までの顔合わせでも、そんな素振りは無かった。

(仕事場に雑念を持ち込まない人間だ、彼は)

 自身の扱う商品の知識や、経済の流れへの理解、それに己の利益に繋がる話の回し方──。彼と話をする度に、どの才も自分を凌ぐのではと、アイリスの父親は焦りを覚えた程だった。

「……あぁ」

 瞼を閉じ、ほんの少し眉をひそめる。そういえば、と。
 彼と、他の二つだけでなく。よくよく思い出せば、仕事を繋いだ取引先の中からもちらほらと。
 アイリスについて聞かれたのだ。最近顔を見せないがどうしたのか、と。

(仕事場ではあの子は殆ど、傍で聞いているだけだった……だが、時折)

 怖ず怖ずと、意見を言う事があった。それは他愛もない思い付きだったり、突飛な発想ばかりだったが。

(僅かに、道が開けた事もあった。彼らもその話を気に入り、進めて……)
「……いや、まさか」

 ふとぎった考えは、娘以上に突拍子もないもので。

「いや、それはない。有り得ない」

 跳ねるように上体を起こし、目を開く。その青の瞳が迷うように揺れる。
 アイリスは世間知らずだ。リリィの方がまだ、世渡りが上手いだろうと思えるくらいに。

(彼らはアイリスに話を合わせてくれていただけだ。重要な部分ではいつも、席を外させていたじゃないか)

 いや、それは自分が促したのだ。商売など分からない娘が、これ以上相手の迷惑にならないようにと。

「……疲れているんだ、ローガン。思考がおかしくなっているぞ」

 己に言い聞かせるように呟き、アイリスの父ローガンは立ち上がる。窓越しの夕陽が目に入り、ふと、昔の事を思い出した。


『……おとうさんは、いろんなひととおはなしをして、ぶつりゅう? をまわしているんだよね?』

 アイリスはまだ幼く、敬語も覚えていない時期。庭だったか、私室だったか。それさえ定かでない記憶。

『物流……まあ、そうだな。色んな人と会って話をして、沢山のものを見て。それらを世に出していく仕事だ』

 珍しく、娘を膝に乗せて。それをアイリスはとても喜んでいた。

『すごいなあ……! わたしもいろんなひとにあって、みたことないのをたくさんみたい!』

 こちらに向けた瞳を煌めかせ、足を振る。それが自分の足に当たっても、どうしてかあまり気にならなかった。

『ねえおとうさん! わたしもできる?』
『……それは……難しいだろうなぁ』
『そうなの?』
『そうなんだ。とても難しい仕事なんだよ』

 現に当時は、あまり利益を出せていなかった。それは父の威厳を保つためにか、口にはしなかったが。

『そっかあ……』

 アイリスはそのあどけない顔を、とても残念そうに下へ向けたのだった。


(ああ、疲れている。本当に疲れている)

 何故、こんな事を思い出す。ローガンはその幼いアイリスを追い出すように、頭を振った。
 女には女の役割がある。男にも役割しごとがあるように。
 アイリスには仕事でなく、女としての、出来れば貴族との幸せを。リリィのような幸せを、手にして欲しい。

「はぁ……明日を空けておいて良かった」

 窓へと歩み寄りながら、ローガンはそう零す。そのまま窓を開け放し、入る風に目を細めた。

(明日は休もう。これ以上繋がりしごとが減るのは、今後に響く)

 しっかり休めば、この妙な事を考える頭もきちんと働き出すだろう。家族を心配させる事もなく、また上手くやっていける。

「……手紙は、書くか」

 外からの空気のおかげで、幾らか気分が上向いたのか。ローガンは朱く染まる街を眺めながら、明日の予定をぼんやり考え始める。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

だから言ったでしょう?

わらびもち
恋愛
ロザリンドの夫は職場で若い女性から手製の菓子を貰っている。 その行為がどれだけ妻を傷つけるのか、そしてどれだけ危険なのかを理解しない夫。 ロザリンドはそんな夫に失望したーーー。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

処理中です...