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34 3つの話──1つ目、楽しい話──

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 バイトに精を出す。いつも出しているけど、今は、自分に出来ることを精一杯しようと、思った。
 今日は、あの夜の、次の日だ。学校での涼は、至って普通に接してくれた。名前を呼ぶことに周りは少し、驚いていたけど、涼のほうから『友達だし』と言ってくれた。けど、……だから。そんな涼のためにも、勉強も仕事も、頑張ろう。そう思った。心の隅に引っかかっている何かが、なんなのか、分かるように。

「(光海、いいかい?)」
「(はい。ヴァルターさん)」

 飲み物のおかわりを頼まれ、仕事をこなす。
「(おまたせしました)」と、持ってきたら。

「(ありがとう。あと、光海。ちょっと聞いても良いかな?)」
「(なんでしょう?)」
「(最近何か、変わった?)」

 どういう意味か、掴めなくて。

「(何か、変わったように見えるんでしょうか?)」

 と、そのまま聞いてしまった。

「(んー、少し、思い詰めているように見えてしまってね。いや、勘違いなら、良いんだけど)」

 涼のことだ、と、やっと分かった。分かって、周りにそれが伝わってしまっていることに、落ち込んだ。ちゃんと、いつも通りに仕事をしていたつもりだったのに。

「(すみません。思い詰めているかは分かりませんが、少し、気になることがあって。仕事中なのに雑念を払えなくて、すみません)」
「(いや、光海が謝ることじゃないよ。私だって仕事に集中できないこと、よくあるしね)」
「(で、気になることって?)」

 隣に座っていたウェルナーさんが、聞いてくる。

「(ああ、いえ、お耳に入れるほどのことでは)」
「(光海は俺たちみんなの相談に乗ってくれたろ。光海が相談したって良いじゃないか。今は急ぎの用事もないだろ?)」

 その言葉で、気遣ってくれている二人のカオで、心の声がほろりとこぼれた。

「(その、……友達……を、傷つけてしまったかも、知れなくて。それで、悩んでました)」
「(謝ったの?)」
「(謝りました、けど。私のせいではない、と。言われて、しまって。気を、遣わせてしまったのかな、と)」
「(光海はいつも真面目だな)」

 そこに、エマさんが入ってきた。エマさんはイギリス出身だけど、ドイツ語も話せる。

「(光海のせいじゃないんだろう? なら、気に病むことはないさ。けど、気になるなら、なんでそんなふうに言ったのか、聞いてみれば良い。友達なんだろう? ちゃんと答えてくれるさ)」

 ──聞く。聞けばいい。……そっか。聞けば良いのか。
 なんで怯えていたんだろう。勉強を教えるときみたいに真っ直ぐに、思ったことを口にすればいい。

「(……そうですね! そうしてみます。ありがとうございます、エマさん、ウェルナーさん、ヴァルターさん)」

 みんなは良いよと、言ってくれて。エマさんは、スクレを──仕事を、頼んでくれた。
 そこからは、本当の意味で、仕事が出来た。

  ◇

 いつ聞こう。どこで聞こう。帰りの電車で、考えていたら。

『悪い。明日の勉強、キャンセルでいいか? で、その時間、家に来てくれないか』

 涼から、そんな連絡があった。
 屋上で話したことについてだろうか。でも、会えるなら。それも涼の家なら。

『分かりました。それと、私も涼に聞きたいことがあるので、その時、時間をいただけますか?』
『分かった』

 そして、その日。学校終わり。
 涼からは、先に家に行ってるから、と連絡をもらっていて。
 私は今、涼の家のインターホンを押したところだ。……涼の家のインターホン、初めて押した。まあ、来るのは2回目だし、そりゃそうか。

『今開ける。待っててくれ』
「はい」

 涼の声だった。少し、緊張しているような。

「悪い。突然」

 ドアが開いて、涼が出てきた。顔も、少し強張っている。

「いえ、全然。私も聞きたいことがありましたから」
「……まあ、なんだ。入ってくれ」

 お邪魔します、と、玄関に入って。廊下に上がったところで。

「で、えー……まず、俺からは。楽しい話、楽しくない話、驚く話、の3つがある。そんで、話によって、行き先が変わる。これと、光海が俺に聞きたいことと。どうする?」

 ど、どういう3択だ。訳分かんないぞ、涼。
 えっと、気持ちを、落ち着けて。

「では、私の質問から。短いので、ここでも良いですか?」
「分かった」
「涼は、私のせいじゃない、と、一昨日に言ってくれましたよね。でもそれは、傷ついた、ということには、変わりないと思ったんです。なのに、なんで、私のせいじゃないと言ってくれたんですか?」

 涼が、難しい顔になった。

「……それは、驚く話と、関係があるな。どうする?」

 3択に戻った……。

「えと、では、まず、楽しい話から」
「分かった。じゃ、移動しよう。こっちだ」

 と、涼のあとをついて行けば、前に来た時、涼のお父さんが入っていった部屋の前に、着いた。
 涼がドアをノックする。

「父さん。来た」

 ドアが開けられ、涼のお父さんが、顔を見せた。そして、私に顔を向ける。

「お久しぶりです。成川さん」
「お久しぶりです。お邪魔しています」

 ペコリと頭を下げ、上げる。

「涼から話は聞いてますから。さあ、どうぞ」

 そう言われ、部屋の中へ、案内される。
 室内は、大きな棚が幾つも壁際に設置されていて、中はファイルや本や、引き出しなどで埋まっていて。キャスター付きのホワイトボードなんかもあって。そんな部屋の真ん中に、キャスター付きの椅子とテーブルがあった。そして、テーブルの上には、ファイリングされた書類と、数枚の紙。

「光海、これ、ウチの商品のレシピ」
「え?! 私、部外者ですけど……?!」

 テーブルに手をついて言う涼に、小さく叫んでしまう。

「分かってる。責任者にも、許可は取ってある。ほれ」

 ドアの近くに居た私に、涼は、ファイリングされた1冊を差し出した。
 どうすれば良いのかと、動けない私に、涼はファイルの表紙を開き、中を見せてくれる。
 そして、レシピの説明をしてくれる。
 とても流暢に、堂々と、話してくれるものだから。私はレシピに目を奪われ、その話に聞き入ってしまった。

「で、これは終わり」

 パタン、と閉じられ、我に返る。

「ど、どうして、見せて、くれたんですか?」
「楽しい話って、言ったろ。この時間にお前に楽しんでもらえるの、これしか思いつかなかった。厨房に入って、は、流石に無理だった」
「い、いや、いいですいいです申し訳ないです! お仕事の最中に!」
「まあ、全部終わって。それでも良かったら、時間、作る」
「いいですって!」
「で、次、見るか?」

 見たい、と思ってしまった。涼はそれを、察してくれてしまったらしい。

「なら、こっち来い。椅子に座れ。ずっと立ってるの、辛いだろ」

 涼は、テーブルに戻ってしまって。椅子の一つに座り、その隣の椅子を引く。

「……失礼、します」

 引かれた椅子に座り、カバンを膝に乗せる。涼は、また解説を始めてくれる。
 見せてくれたのは、全部で3冊。ほとんど全て、初期のものらしく、日付が古かった。

「ほんとは全部見せたいが……そこまでの許可は下りなかった。悪い」
「いえ! そんな!」
「で、この、書類なんだが……」

 涼が、数枚あったそれを引き寄せる。そこで私は、対面に、涼のお父さんが座っていることに気付く。
 目が合った涼のお父さん──隆さんは、安心させるように微笑んでくれた。それに、会釈を返す。
 多分、監督義務とかだろうと思う。部外者の私が何か変なことをしないようにと、ついてくれているんだ。

「これ、今度の新作のレシピ」
「なんで?!」

 思わず目を覆った。それこそ秘中の秘だろ!

「というか! 楽しみにしてろって言ったの、涼ですよね?!」
「見たくないか」
「見たいですけど?!」
「じゃ、手、外せ」

 外したくても外せないよ?!

「腕、掴むぞ」
「え」

 両腕を取られ、手が、目から離れる。

「で」

 手を膝の上に乗せられ、涼の手が離れる。

「これが、新作」
「…………」

 目を、向けてしまった。そこにあったのは。

「ブルーベリーとクリームチーズのタルト」

 涼の言葉の通りに、そのタルトの、写真が。

「ブルーベリーの旬は、大体6月からだ。で──」

 涼の解説を聞いてしまう。文字を目で追ってしまう。どうやってこのタルトが出来たのか、出来るのか、記憶してしまう。

「で、以上」
「……ありがとう、ございました……ですけど、涼」
「なんだよ」
「私の記憶を今すぐ消さないと、このタルトのことが、外部に漏れてしまいます」
「……お前、ウチのホームページ、見た?」
「見ました。新作が出るって。これが聞いたやつかって、思いました」
「なら、良いだろ。それにお前なら、絶対漏らさない」
「そうですかね」
「そうだよ。で、楽しかったかは、疑問が残るが。楽しい話はこれで終わりだ。残り2つ、どっちから聞く?」

 残り2つ。楽しくない話と、驚く話。

「……では、楽しくない話、で。ここから驚くことになると、気絶しそうです」
「……分かった。父さん、あと、いいか」

 そうだ、隆さんが居るんだった。

「良いよ。任された」

 見れば、隆さんは、ゆっくりと頷いた。

「ありがとう。で、光海。また移動なんだけど、立てるか」
「あ、はい。立てます……」

 カバンを持ち直し、椅子から立ち上がる。

「じゃ、出るぞ」

 部屋を出て、

「こっち」

 来た道を戻って、襖の前に。

「この部屋。開けるぞ」

 涼がスラリと襖を開ける。そこは和室で、仏壇があった。仏壇の前には、座布団が2つ、並んで置かれている。
 ……楽しくない話。……うん、涼にとって、楽しくない話だ。たぶん、だけど。

「入る、ぞ……、は」

 ハンカチで涙を拭った私は、「大丈夫です」と、驚いている涼の顔を見た。

「……見当、ついたか」
「分かりません」
「そうか。……入れるか」
「はい」


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