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10 カメリアへ

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『悪い。二人には事前に、どんな店か言ってたんだけど、説明が足らなかったらしい。帰りにもっかい説明した』

 バイトが終わり、電車に乗って、マリアちゃんからのそんなラインに苦笑した。

『いやいや、常連ばっかの店に来るご新規さんは、みんないつも驚くし。……嫌な気分にさせちゃった?』
『や、逆にすごい興奮してた。ユキとか。大丈夫なら、また、連れていきたいんだが』
『ヤナギハラさんとアズサさんが良いなら、どうぞ。……ごめん、ヤナギハラさんとアズサさんの字が分からなくて、カタカナになった』
『じゃ、また誘うわ。あと、ユキは柳原ユキ、アズサはそのままカタカナ』
『了解。ありがと』

 サンキュ、とスタンプを送れば、お辞儀のスタンプが返ってきた。

  ◇

「で、ご自分の実感として、どうですか? 分かるようになったな、とか、余計分からなくなったとか、あります?」

 土曜である。図書館の開館直後である。学習室に入って開口一番、私は橋本に聞いてみた。

「……何が言いてぇ」

 橋本は顔をしかめながらも、リュックを下ろし、教材を広げる。
 私もその左に座り、教材を出していく。

「分かるようになった、余計分からなくなった。2つは相反するもののように思えるかもしれませんが、どちらも、学ぶ姿勢が前向きになった証拠だと、自身の経験から得ていますので。で、どうですか」

 橋本を見れば、手が止まり、なんとも言えない顔をしていた。

「……どっちも、ある」

 絞り出すように言う。

「なら、良かったです。では、勉強を……始めますか? 少し時間を置きますか?」
「……やる」
「では、始めましょうか」

 で、進む進む。文系に弱いという感じもないけど、理数系は、最初に会った頃の2倍くらいのスピードで、しっかり理解してるんじゃないだろうか。
 まあ、あれは、突貫工事みたいなものだったけど。半分暗記じみてたけど。

「──はい。時間ですね。お疲れ様でした」
「……どうも」

 恒例の、突っ伏した橋本をそのままに、水分補給をして、

「で、橋本さん」
「なに」
「予約した本が確保できているらしいので、借りてからカメリアに向かう、で、いいですか?」
「……分かった」

 橋本が顔を起こす。

「予約ってあれか? ミエラなんとかってのの」

 作者名、覚えてたのか。

「いえ、違います」
「じゃあ、誰の何」

 なぜ聞く?

夢塚扇ゆめづかおうぎという方の、『諸外国旅巡り』という本と、ガーベラ・リリーという方の『ワールド・オブ・ワールド』というシリーズの、最新刊です」

 片付けながら言う。隣で橋本も片づけながら、

「最初のは、なんとなく内容は掴めるが。次のはどういう話だ」
「どう……オムニバスの小説です。同一の世界で生きる、様々な人たちの話です」

 片付け終わり、立ち上がる。橋本も片付け終わったようで、立ち上がり、リュックを背負った。

「では、いいですか?」
「ああ」

 で、また、借りるのを眺められる。

「はい。おまたせしました。では、行きましょうか」
「ああ」

 そして、歩き出す。

「オムニバスって、シリーズになんのか?」

 歩きながら、橋本に聞かれた。

「なりますよ。同一世界で、登場人物や起きた事柄などが、少なからず被りますから、読んでも放ったらかしにはされません。私は、ですが。人それぞれ好みがありますので、それを面白いと感じるかは、その人次第です」
「へー」

 聞かれたから、聞いてみよう。と、私は口を開いた。

「橋本さんは、どんな本を読みますか? そもそも、読まない人ですか?」

 橋本の足が止まったので、私も止まる。
 少しだけマシュマロっぽくなった橋本は、

「……今までは、別に」

 そう言って、歩き出す。ので、私も歩き出す。

「……中学までは、それなりに、読んでた」

 続きが来た。

「どんなのをですか?」
「……漫画、とか……」

 とか、の、あとに、何か続くかと思ったけど。
 ちら、と横斜め上を見れば、完全に、マシュマロ。

「そうですか」

 そこからは口を閉じて、カメリアまで無言で歩いた。

  ◇

 事前に言ってある。知り合いが、買いに来る、と。だから、大丈夫。
 橋本涼は自分に言い聞かせ、見えてきたカメリアに怯みそうになる足を、なるべく普通に動かした。
 光海がドアを開ける。

「いらっしゃいませ」

 伯母が顔を向ける。光海と、自分へと。
 けれど彼女はプロだから、動揺など顔に出さない。

「こんにちは」

 光海の声と、言葉に内心ビクリとした。あまりに普通に当たり前に、ここが安全なテリトリーであるかのように挨拶をしたから。
 そして、ごく自然な動きで、ショーケースのものを眺め、他の棚も見ていく。
 昼前の店内には、他にも数人、客がいて。けれど、それを見知らぬ顔だと認識し、顔に出さないように安堵する。安堵したことに苛立ったが、それなりに覚悟していたので、それも表に出さずに済んだ。
 光海はトレーを手に取り、焼き菓子を幾つか取って行く。
 その、中で。

「……」

 バナナのカップケーキを選んだことに、動揺しかけて、顔をしかめた。
 光海は、焼き菓子を5個、全て違う種類のものを取ると、

「で、橋本さん。これらとプリンを4 つ、でも良いですか?」

 くるりと振り返り、聞いてきた。いつも聞く、声だった。

「……ああ」

 なるべく自然な動作で、リュックから財布を取り出す。その間に光海は、トレーのものとプリンを頼み、

「あ、新作のマドレーヌ、美味しかったです。ごちそうさまでした」

 伯母がものを詰めている間に、光海が言った。

「それなら良かったです。伝えておきますね」

 伯母はごく自然に対応し、光海に袋を渡す。

「ありがとうございます」

 光海も、当たり前のようにそれを受け取る。

「……橋本さん?」

 顔を向けられ、棒立ちになっていたことを自覚する。

「……会計しとく。……成川は、帰れ」
「そうですか。では、失礼します」

 光海は軽く頭を下げ、店を後にした。

「……」

 なるべく無言で会計を済ませる。伯母も、自分をただの客として、扱う。
 あの子は誰? と聞いてくれたほうが、気が楽だったかも知れない。店を出て、ぐるりと周り、橋本涼は、自宅の玄関を開けた。

  ◇

 帰ってきて、プリンを冷蔵庫に仕舞い、カップケーキ以外の焼き菓子を皿に置いて、冷蔵庫にはプリンが4つ、とメモを書き、それも皿に置いた。
 今は誰も家に居ない。大樹と愛流は友達の家だし、勇斗は保育園だし。父と母と祖父と祖母と、彼方とマシュマロはドッグランだ。
 ご飯の前に、先にカップケーキを食べてしまおう、と、ソファに座ってトートバッグから水筒を取り出し、カップケーキと一緒にテーブルに並べ、なんとなくスマホを開いて。

『なんで9個』

 橋本から、そんな文が……文? が、送られてきていた。

『9人と1匹の家族なので。次回から減らしますか?』

 一応、最低価格のプリンを選んだんだけど。合計2000円ほどだった筈だけど。
 そんなことを思いながら、作った文章を送る。すぐに既読が付いた。

『1匹てなに』
『1匹は犬です。マシュマロという名前の、3歳のサモエド犬です』

 という文と、とっておきのマシュマロの動画を送る。ビスケットを鼻に乗せ、くるっ、パクっ、と食べる……のを失敗した動画だ。

『食えてねーじゃん』
『だから可愛いんですよ』

 スマホを閉じ、バナナのカップケーキを食べ、紅茶を飲む。
 スマホが何かをキャッチしたけど、食べ終えてから、開いた。

『減らさなくていい』

 一瞬、分からなかったけど。ああ、さっきの質問の答えか。と気付くことが出来た。

『分かりました。ありがとうございます』

 と、送ってから。

『家族は今、みんな出掛けているので、まだみんなは食べていないんですが、私はカップケーキをいただきました。やっぱり美味しいですね。ありがとうございます』

 スマホを閉じ、お昼にと、冷凍チャーハンを温めて食べる。片付けをして、トートバッグを持って部屋へ行く。片付けをしていたらスマホがまた、何かを受け取った。

『カップケーキ』
『なんで』

 橋本からだけど、なんでとは、なんだろう。なんで選んだ、かな。

『好きなので、あのバナナカップケーキ。発売された頃から、よく食べてます』

 分からないから、そのままの事実を送って、閉じる。片付けを終え、終えてある課題の確認をして、さあ、本を読もう。と、図書館で借りた新刊を手に取る。
 読み終え、満足げな気分を味わっていると、スマホになにか来た。橋本からだった。

『そうか』
「……」

 母は、橋本のことを礼儀正しいと言っていたけれど、

「どっちかって言うと、律儀?」


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