32 / 32
32 大丈夫か、夫
しおりを挟む
あの手紙を送ってから、なんだか夫の様子が変だ。例えば、朝の見送りと夜の出迎えのハグ。今まではあちらから積極的に抱きしめに来ていたのに、顔を薄赤くし、迷う素振りを見せ、慎重に抱きしめてくるようになった。
朝食と夕食の時も、なんだかぎこちない。ぎこちないというか、私の様子を窺っているというか。何か気になるのかと尋ねても、なんでもないと返されてしまう。絶対に、なんでもなくないだろうに。
どうしたというんだろう。私との生活の中で、気に入らない部分を見つけてしまったのだろうか。でも、それにしては変だ。夫の仕草や表情からは、『期待』や『不安』は読み取れるけれど、『不満』などは読み取れない。
大丈夫なのかな。夏の夜会まで、もう何日もないんだけど。
と、思案していたら、結局そのまま、夜会の日になってしまった。今日は夫は午前に仕事を終え、一度帰宅し、私と一緒にまた王城へ向かう。夏の夜会に参加するために。そして、馬車に乗る時間が迫っている今、朝から磨かれに磨かれた私は、夫が用意していたというドレスを身に纏い、その姿を鏡で確かめた。
「……本当に、あの人は……」
試着の時も思ったけど、あの人は本当、愛の重い人だな。
夫が用意した、この日のためのドレス一式。それは、深い青と銀を基調にしたもの。あの人の瞳と髪の色だ。深い青に染まったシルクに銀糸で刺繍がなされ、輝石が縫い留められ、まるで夜空のようなこのドレス。夜会用だからと肩を出し、胸元も深く開けられていて、スカートの形は花のように、広がるがままに任せた型。
ネックレスもイヤリングも、そして当たり前のように髪飾りも、青と銀を多く使ったものだ。そしてどれも一級品だ。
ああ怖い。これが総額いくらなのか想像するのも怖い。他のドレスの時も思ったことだけど、私の体型があまり変わってなくて良かった。こっちに来て気力をなくして少し痩せてしまっていたけれど、仕立て直すほどではなくて良かった。もし、仕立て直しが必要になっていたら、また大金が動いてしまっていたことだろう。
げんなりとそんなことを考えていたら、扉が叩かれ、侍女がやり取りをする。
「奥様。旦那様がお迎えにいらっしゃいました」
「分かったわ。通して差し上げて」
入ってきた夫は、銀を多く使った衣装を着ていた。その袖口には、私の瞳の色を再現した透明度の高い色ガラスのカフスボタン。……ちゃんと、付けてくれたんだ。
私から夫への、初めての物理的なプレゼント。妻を示すものが一つはなければと、侍女たちと相談して決めたもの。教えてもらったガラスの工房も、王族の方々やバウムガルテンの御用達だそうだ。
ああ、そこの職人さんたちは本当に腕がいいのだろう。中に傷や気泡や不純物は一切なく、ここまで質の高いガラスは、そうそうお目にかかれない。
「お待たせしてすみません、アルトゥール様。こちらも用意が整いましたので、──アルトゥール様?」
夫は私をぼうっと見つめたまま、棒立ちになって動かない。
「いかがなさいました? 起きてますか? 息してますか?」
夫の目の前に立ち、顔の前で腕を振り、その頬をペシペシと軽く叩いてみる。
「………………ぇ、……あ、ああ、すまない。少し、その、見惚れてしまっていた」
見惚れてた。はぁ。
夫はまだぼうっと私を見たまま、それでもなんとか動き出し、「行こうか」と私をエスコートする。
「はい。ありがとうございます」
夫の腕に手を乗せ、微笑みを向ければ、
「…………」
こっちを見ていた夫がまた固まったので、さっきと同じことをする。夫は無事、再起動した。
部屋を出て、玄関ホールへ行き、馬車に乗り、出発する。ベルンハルトは後続の馬車に乗っている。王家主催の夏の夜会という、夜会の中でも特別な今日は、ベルンハルトは側近という立場ゆえに、行動が制限される。
つまり、今日の夜会では、夫の側には私しか居ないということ。……王女様方の言葉が思い出される。私が夫の弱点になりうること、足を引っ張る立場になりうること。……今日は、戦場に出るような心持ちで行かなければならない。夫に恥をかかせてはならない。
「…………リリア」
「はい、なんでしょう?」
そんなことを考え、斜め下を向いていた顔を、声のほうへ──夫の顔へと向け直す。
「っ、……その、言い、そびれてしまっていたんだが……」
夫は頬を染め、目をウロウロと動かし、腕と足を組んで、
「……とても、似合っている。今日の君は一等美しい」
どこか憮然とした表情で、そう言った。
「ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいですわ」
感謝の笑みを向ければ、夫はより一層顔を赤くし、
「そ、うか……」
最後には片手で額を押さえ、大きく息を吐いた。
大丈夫か、この人。もう既にこんなんで。……人前に出れば大丈夫になるんだろうか。
と、そうこうしているうちに、馬車が目的地へと着いたようだ。
外側からベルンハルトに扉を開けてもらい、夫のエスコートで馬車から降りる。
夜の王城の回廊は、シャンデリアと燭台で煌めいていた。
さあ、ここから大広間までと、大広間での私の印象。きっちりしっかり、私はバウムガルテンの公爵夫人としてここに居るのだと、周りの人たちに覚えて帰ってもらいましょうか。
朝食と夕食の時も、なんだかぎこちない。ぎこちないというか、私の様子を窺っているというか。何か気になるのかと尋ねても、なんでもないと返されてしまう。絶対に、なんでもなくないだろうに。
どうしたというんだろう。私との生活の中で、気に入らない部分を見つけてしまったのだろうか。でも、それにしては変だ。夫の仕草や表情からは、『期待』や『不安』は読み取れるけれど、『不満』などは読み取れない。
大丈夫なのかな。夏の夜会まで、もう何日もないんだけど。
と、思案していたら、結局そのまま、夜会の日になってしまった。今日は夫は午前に仕事を終え、一度帰宅し、私と一緒にまた王城へ向かう。夏の夜会に参加するために。そして、馬車に乗る時間が迫っている今、朝から磨かれに磨かれた私は、夫が用意していたというドレスを身に纏い、その姿を鏡で確かめた。
「……本当に、あの人は……」
試着の時も思ったけど、あの人は本当、愛の重い人だな。
夫が用意した、この日のためのドレス一式。それは、深い青と銀を基調にしたもの。あの人の瞳と髪の色だ。深い青に染まったシルクに銀糸で刺繍がなされ、輝石が縫い留められ、まるで夜空のようなこのドレス。夜会用だからと肩を出し、胸元も深く開けられていて、スカートの形は花のように、広がるがままに任せた型。
ネックレスもイヤリングも、そして当たり前のように髪飾りも、青と銀を多く使ったものだ。そしてどれも一級品だ。
ああ怖い。これが総額いくらなのか想像するのも怖い。他のドレスの時も思ったことだけど、私の体型があまり変わってなくて良かった。こっちに来て気力をなくして少し痩せてしまっていたけれど、仕立て直すほどではなくて良かった。もし、仕立て直しが必要になっていたら、また大金が動いてしまっていたことだろう。
げんなりとそんなことを考えていたら、扉が叩かれ、侍女がやり取りをする。
「奥様。旦那様がお迎えにいらっしゃいました」
「分かったわ。通して差し上げて」
入ってきた夫は、銀を多く使った衣装を着ていた。その袖口には、私の瞳の色を再現した透明度の高い色ガラスのカフスボタン。……ちゃんと、付けてくれたんだ。
私から夫への、初めての物理的なプレゼント。妻を示すものが一つはなければと、侍女たちと相談して決めたもの。教えてもらったガラスの工房も、王族の方々やバウムガルテンの御用達だそうだ。
ああ、そこの職人さんたちは本当に腕がいいのだろう。中に傷や気泡や不純物は一切なく、ここまで質の高いガラスは、そうそうお目にかかれない。
「お待たせしてすみません、アルトゥール様。こちらも用意が整いましたので、──アルトゥール様?」
夫は私をぼうっと見つめたまま、棒立ちになって動かない。
「いかがなさいました? 起きてますか? 息してますか?」
夫の目の前に立ち、顔の前で腕を振り、その頬をペシペシと軽く叩いてみる。
「………………ぇ、……あ、ああ、すまない。少し、その、見惚れてしまっていた」
見惚れてた。はぁ。
夫はまだぼうっと私を見たまま、それでもなんとか動き出し、「行こうか」と私をエスコートする。
「はい。ありがとうございます」
夫の腕に手を乗せ、微笑みを向ければ、
「…………」
こっちを見ていた夫がまた固まったので、さっきと同じことをする。夫は無事、再起動した。
部屋を出て、玄関ホールへ行き、馬車に乗り、出発する。ベルンハルトは後続の馬車に乗っている。王家主催の夏の夜会という、夜会の中でも特別な今日は、ベルンハルトは側近という立場ゆえに、行動が制限される。
つまり、今日の夜会では、夫の側には私しか居ないということ。……王女様方の言葉が思い出される。私が夫の弱点になりうること、足を引っ張る立場になりうること。……今日は、戦場に出るような心持ちで行かなければならない。夫に恥をかかせてはならない。
「…………リリア」
「はい、なんでしょう?」
そんなことを考え、斜め下を向いていた顔を、声のほうへ──夫の顔へと向け直す。
「っ、……その、言い、そびれてしまっていたんだが……」
夫は頬を染め、目をウロウロと動かし、腕と足を組んで、
「……とても、似合っている。今日の君は一等美しい」
どこか憮然とした表情で、そう言った。
「ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいですわ」
感謝の笑みを向ければ、夫はより一層顔を赤くし、
「そ、うか……」
最後には片手で額を押さえ、大きく息を吐いた。
大丈夫か、この人。もう既にこんなんで。……人前に出れば大丈夫になるんだろうか。
と、そうこうしているうちに、馬車が目的地へと着いたようだ。
外側からベルンハルトに扉を開けてもらい、夫のエスコートで馬車から降りる。
夜の王城の回廊は、シャンデリアと燭台で煌めいていた。
さあ、ここから大広間までと、大広間での私の印象。きっちりしっかり、私はバウムガルテンの公爵夫人としてここに居るのだと、周りの人たちに覚えて帰ってもらいましょうか。
0
お気に入りに追加
85
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
悪妃になんて、ならなきゃよかった
よつば猫
恋愛
表紙のめちゃくちゃ素敵なイラストは、二ノ前ト月先生からいただきました✨🙏✨
恋人と引き裂かれたため、悪妃になって離婚を狙っていたヴィオラだったが、王太子の溺愛で徐々に……
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
前世持ち公爵令嬢のワクワク領地改革! 私、イイ事思いついちゃったぁ~!
Akila
ファンタジー
旧題:前世持ち貧乏公爵令嬢のワクワク領地改革!私、イイ事思いついちゃったぁ〜!
【第2章スタート】【第1章完結約30万字】
王都から馬車で約10日かかる、東北の超田舎街「ロンテーヌ公爵領」。
主人公の公爵令嬢ジェシカ(14歳)は両親の死をきっかけに『異なる世界の記憶』が頭に流れ込む。
それは、54歳主婦の記憶だった。
その前世?の記憶を頼りに、自分の生活をより便利にするため、みんなを巻き込んであーでもないこーでもないと思いつきを次々と形にしていく。はずが。。。
異なる世界の記憶=前世の知識はどこまで通じるのか?知識チート?なのか、はたまたただの雑学なのか。
領地改革とちょっとラブと、友情と、涙と。。。『脱☆貧乏』をスローガンに奮闘する貧乏公爵令嬢のお話です。
1章「ロンテーヌ兄妹」 妹のジェシカが前世あるある知識チートをして領地経営に奮闘します!
2章「魔法使いとストッカー」 ジェシカは貴族学校へ。癖のある?仲間と学校生活を満喫します。乞うご期待。←イマココ
恐らく長編作になるかと思いますが、最後までよろしくお願いします。
<<おいおい、何番煎じだよ!ってごもっとも。しかし、暖かく見守って下さると嬉しいです。>>
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる