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32 大丈夫か、夫

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 あの手紙を送ってから、なんだか夫の様子が変だ。例えば、朝の見送りと夜の出迎えのハグ。今まではあちらから積極的に抱きしめに来ていたのに、顔を薄赤くし、迷う素振りを見せ、慎重に抱きしめてくるようになった。
 朝食と夕食の時も、なんだかぎこちない。ぎこちないというか、私の様子を窺っているというか。何か気になるのかと尋ねても、なんでもないと返されてしまう。絶対に、なんでもなくないだろうに。
 どうしたというんだろう。私との生活の中で、気に入らない部分を見つけてしまったのだろうか。でも、それにしては変だ。夫の仕草や表情からは、『期待』や『不安』は読み取れるけれど、『不満』などは読み取れない。
 大丈夫なのかな。夏の夜会まで、もう何日もないんだけど。
 と、思案していたら、結局そのまま、夜会の日になってしまった。今日は夫は午前に仕事を終え、一度帰宅し、私と一緒にまた王城へ向かう。夏の夜会に参加するために。そして、馬車に乗る時間が迫っている今、朝から磨かれに磨かれた私は、夫が用意していたというドレスを身に纏い、その姿を鏡で確かめた。

「……本当に、あの人は……」

 試着の時も思ったけど、あの人は本当、愛の重い人だな。
 夫が用意した、この日のためのドレス一式。それは、深い青と銀を基調にしたもの。あの人の瞳と髪の色だ。深い青に染まったシルクに銀糸で刺繍がなされ、輝石が縫い留められ、まるで夜空のようなこのドレス。夜会用だからと肩を出し、胸元も深く開けられていて、スカートの形は花のように、広がるがままに任せた型。
 ネックレスもイヤリングも、そして当たり前のように髪飾りも、青と銀を多く使ったものだ。そしてどれも一級品だ。
 ああ怖い。これが総額いくらなのか想像するのも怖い。他のドレスの時も思ったことだけど、私の体型があまり変わってなくて良かった。こっちに来て気力をなくして少し痩せてしまっていたけれど、仕立て直すほどではなくて良かった。もし、仕立て直しが必要になっていたら、また大金が動いてしまっていたことだろう。
 げんなりとそんなことを考えていたら、扉が叩かれ、侍女がやり取りをする。

「奥様。旦那様がお迎えにいらっしゃいました」
「分かったわ。通して差し上げて」

 入ってきた夫は、銀を多く使った衣装を着ていた。その袖口には、私の瞳の色を再現した透明度の高い色ガラスのカフスボタン。……ちゃんと、付けてくれたんだ。
 私から夫への、初めての物理的なプレゼント。わたしを示すものが一つはなければと、侍女たちと相談して決めたもの。教えてもらったガラスの工房も、王族の方々やバウムガルテンの御用達だそうだ。
 ああ、そこの職人さんたちは本当に腕がいいのだろう。中に傷や気泡や不純物は一切なく、ここまで質の高いガラスは、そうそうお目にかかれない。

「お待たせしてすみません、アルトゥール様。こちらも用意が整いましたので、──アルトゥール様?」

 夫は私をぼうっと見つめたまま、棒立ちになって動かない。

「いかがなさいました? 起きてますか? 息してますか?」

 夫の目の前に立ち、顔の前で腕を振り、その頬をペシペシと軽く叩いてみる。

「………………ぇ、……あ、ああ、すまない。少し、その、見惚れてしまっていた」

 見惚れてた。はぁ。
 夫はまだぼうっと私を見たまま、それでもなんとか動き出し、「行こうか」と私をエスコートする。

「はい。ありがとうございます」

 夫の腕に手を乗せ、微笑みを向ければ、

「…………」

 こっちを見ていた夫がまた固まったので、さっきと同じことをする。夫は無事、再起動した。
 部屋を出て、玄関ホールへ行き、馬車に乗り、出発する。ベルンハルトは後続の馬車に乗っている。王家主催の夏の夜会という、夜会の中でも特別な今日は、ベルンハルトは側近という立場ゆえに、行動が制限される。
 つまり、今日の夜会では、夫の側には私しか居ないということ。……王女様方の言葉が思い出される。私が夫の弱点になりうること、足を引っ張る立場になりうること。……今日は、戦場に出るような心持ちで行かなければならない。夫に恥をかかせてはならない。

「…………リリア」
「はい、なんでしょう?」

 そんなことを考え、斜め下を向いていた顔を、声のほうへ──夫の顔へと向け直す。

「っ、……その、言い、そびれてしまっていたんだが……」

 夫は頬を染め、目をウロウロと動かし、腕と足を組んで、

「……とても、似合っている。今日の君は一等美しい」

 どこか憮然とした表情で、そう言った。

「ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいですわ」

 感謝の笑みを向ければ、夫はより一層顔を赤くし、

「そ、うか……」

 最後には片手でひたいを押さえ、大きく息を吐いた。
 大丈夫か、この人。もう既にこんなんで。……人前に出れば大丈夫になるんだろうか。
 と、そうこうしているうちに、馬車が目的地へと着いたようだ。
 外側からベルンハルトに扉を開けてもらい、夫のエスコートで馬車から降りる。
 夜の王城の回廊は、シャンデリアと燭台で煌めいていた。
 さあ、ここから大広間までと、大広間での私の印象。きっちりしっかり、私はバウムガルテンの公爵夫人としてここに居るのだと、周りの人たちに覚えて帰ってもらいましょうか。


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