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14 では、こうしましょう
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「ベルンハルト」
「はい。奥様」
「旦那様はどうして両手で顔を覆って背を丸めているのかしら」
「色々と感情が渋滞しているからかと」
「渋滞」
「はい」
何がどう渋滞しているんだろう。と、左隣に座る夫を不思議そうに見ていたら、
「あなたを久しぶりに目にした喜びと、あなたの家族に歓迎されただけでなく、弟君のディートヘルム様に「義兄」と呼んでいただけたこと。それら様々な──」
「ベルンハルト口を閉じろ」
「はい」
低い声で言った夫は、やっと顔を上げたかと思うと、今度は私をじっ……と見つめてきた。
「旦那様?」
「……いや」
そして、目をそらされる。
それはなんというか、あの三ヶ月の時の夫に戻ったような雰囲気で。
瞳に感情を表さず、顔も無表情で、声も硬い。
夫はそのまま腕を組んで、外へと顔を向けてしまった。
「アルトゥール様。一旦馬車を止めて、僕は御者席に移りましょうか?」
「お前分かって言ってるだろ」
なんか二人の間では話が通じてるみたいだけど、こっちからすると、いや、なに? と言いたくなる状態だ。
けど、旦那様は態度を変えないので、私はそのまま、少し気になっていることを聞いてみることにした。
「旦那様。一つよろしいでしょうか」
「……なんだろうか」
「魂の安定具合はどうなりました? 順調に元に戻っているのですか?」
「……気になるのか」
「そりゃあ命がかかってますからね。気にするのは当然のことでしょう?」
そしたら、見えないなりに夫の顔が歪んだのがなんとなく分かった。良くなってないのだろうか。
「ベルンハルト、どうなのですか?」
答えない夫の方は一旦諦めて、斜め前に座るベルンハルトに尋ねる。
「概ね元の状態に戻りつつあります。波がある、とは言われましたけれど」
「波?」
「ええ。特にここのところ、奥様が実家に戻られるという話やその際の諸々や、本当に戻ってしまったことへの喪失感やら、」
「ベルンハルト」
「失礼しました」
夫が話を遮ったが、つまり、私が実家に帰るという話から今までの全てが、あまり良くない影響を及ぼしていたということだろう。
「旦那様、申し訳ありませんでした」
言えば、夫は勢いよくこちらを向いた。その目は、最大限に見開かれている。
「な……なぜ、謝る」
「私の軽率な行動が旦那様の魂の状態を悪くしてしまったのでしょう? あなたの魂の状態を安定させるための一時休戦でしたのに、これでは意味がありません。私はもっと、大人しくしておくべきでした」
「いや違う君のせいじゃない。断じて君のせいじゃない」
夫はそう言いながら私に手を差し出しかけ、けれど握り込んでまた腕を組み直した。そしてまた、窓の方へ顔を向ける。
「……これは、君のせいじゃない。私が自分を律しきれていないだけだ」
「……」
夫はそれっきり無言になってしまったので、ベルンハルトの方へ顔を向ければ、ベルンハルトは苦笑しながら肩を上下させた。
ふむ。
「では、休戦期間はどうしましょうか。伸ばした方がいいでしょうか?」
ガンッ! と隣で変な音がした。
そっちへ顔を向ければ、夫が顔をしかめ、左側頭部を押さえている。
「え、どうしました? 窓にでもぶつけたのですか?」
「いや、なんでもない」
なんでもないはないだろう。すごい音がしたんだぞ?
「ベルンハルト、馬車を止めて手当を」
「今御者に伝えました。もうすぐ止まると思います」
手際早いな。
そうして馬車は止まり、後ろの馬車に乗っていた医師を呼んだ。診断としては、夫はやはり側頭部をぶつけたらしく、応急処置として冷えた布をそこに当て、包帯で留められた。
そしてまた、馬車は動き出す。
帰ったらちゃんと、氷を当てなくちゃ。
「それにしても、どうして急に頭なんかぶつけたんです? 馬車の揺れは少なかったのに」
「……君が」
私が?
「休戦を伸ばすというから……動揺して……」
「動揺?」
なぜに。
「…………」
夫は不貞腐れたように何も言わない。ベルンハルトを見れば、
「また僕がなにか言えば、アルトゥール様の機嫌を損ねてしまうと思いますので、今は何も言えません」
……。
「旦那様。休戦を伸ばすことにご不満があるのですか? 魂を安定させない限り、危険に晒されるのは旦那様なのですよ?」
何も言わない。
「どうして嫌なんです。本来ならあと一日で休戦は終わりですが──ベルンハルト」
「はい」
「旦那様の魂がちゃんと安定するまで、ここからどのくらいかかるの」
「概ね安定しているのは事実ですので、一週間もあれば……本当にその間精神的に安定した生活が送れれば、ですが、その程度の期間があれば大丈夫かと」
あと、一週間、ね。
私はベルンハルトへ向けていた顔を夫に戻し、
「これからは私も大人しくします。ちゃんと接触も絶ちます。あなたの仕事の邪魔にならないように、」
「嫌だ」
はい?
「接触を断つなど言わないでくれ」
夫は、苦しげな顔を私に向けた。
「……君が、私のことを気遣ってくれるのは嬉しい。けれど、それも、その後の離婚の話の憂いを無くすためだろう?」
……それは、そうだけど。
「その上、それまでの期間、本当に接触を絶たれたら、私は何に希望を見い出せば良い……?」
あ、やばい、マズい。多分これも魂に良くない。えーっと、穏やかな状態にしなければ……。
「分かりました。完全に接触を断つのはやめましょう。……そもそも、旦那様はどういう状況になれば穏やかに過ごせるのです?」
私の一挙手一投足でワタワタするこの人、の、穏やかな状態が想像できない。
「……」
夫は私の顔を見て、顔を俯けて、また上げて、俯けて。
「……君と、手を、繋ぎたい」
手。
私は夫の、握りしめられた右手を包むように持って、
「これで良いので、す、か……」
おい、瞬く間に顔が赤くなったぞ。
「ベルンハルト、聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
「この状態も良くないのではないかしら」
「良くありませんね」
私はパッと手を離す。
「あっ……」
物欲しそうな目で見るな。お前のためなんだぞ。
「私が離れてもダメ。触れてもダメ。私にどうしろというんです」
はぁ……と溜め息を吐いたあと、「あ」と思いついた。
「手紙はどうです?」
言ってみたら、夫は首を傾げた。
「手紙?」
「はい。使者の方々には手間を掛けさせてしまいますが、手紙を送り合う。それなら私の存在も認識できますし、……ああ、でも、お仕事の邪魔に──」
「ならない。絶対ならない。逆に仕事がはかどる」
どさくさに紛れて手を握らないでくれます? さっき赤面してたくせに。
「……」
ベルンハルトへ顔を向けてみる。
「……まあ、アルトゥール様も回数をこなせば……慣れてくると思いますし……大丈夫だと、思います。たぶん」
何に慣れるというのだろうか。聞きたいような聞きたくないような。
けど、これ以上の案が思いつかないから、しょうがない。
「では、手紙の案を採用ということで。それと、旦那様」
「なんだろうか」
「そろそろ手を離していただけませんか? 実家に居たときはしょうがなかったので何も言いませんでしたが、接近禁止令のこと、お忘れですか?」
「……もう、少しだけ。駄目か?」
「……」
ここで駄目と言ったら、また落ち込むんだろうな。そういうのは今、精神衛生上あまりよろしくない気がする。
「……分かりました。けど、家に着くまでですよ。それに両手で握るのは危ないので、片手で」
「! 分かった、ありがとう……!」
すっごい嬉しそうに笑うなぁ。これ、心穏やかになれているんだろうか?
「はい。奥様」
「旦那様はどうして両手で顔を覆って背を丸めているのかしら」
「色々と感情が渋滞しているからかと」
「渋滞」
「はい」
何がどう渋滞しているんだろう。と、左隣に座る夫を不思議そうに見ていたら、
「あなたを久しぶりに目にした喜びと、あなたの家族に歓迎されただけでなく、弟君のディートヘルム様に「義兄」と呼んでいただけたこと。それら様々な──」
「ベルンハルト口を閉じろ」
「はい」
低い声で言った夫は、やっと顔を上げたかと思うと、今度は私をじっ……と見つめてきた。
「旦那様?」
「……いや」
そして、目をそらされる。
それはなんというか、あの三ヶ月の時の夫に戻ったような雰囲気で。
瞳に感情を表さず、顔も無表情で、声も硬い。
夫はそのまま腕を組んで、外へと顔を向けてしまった。
「アルトゥール様。一旦馬車を止めて、僕は御者席に移りましょうか?」
「お前分かって言ってるだろ」
なんか二人の間では話が通じてるみたいだけど、こっちからすると、いや、なに? と言いたくなる状態だ。
けど、旦那様は態度を変えないので、私はそのまま、少し気になっていることを聞いてみることにした。
「旦那様。一つよろしいでしょうか」
「……なんだろうか」
「魂の安定具合はどうなりました? 順調に元に戻っているのですか?」
「……気になるのか」
「そりゃあ命がかかってますからね。気にするのは当然のことでしょう?」
そしたら、見えないなりに夫の顔が歪んだのがなんとなく分かった。良くなってないのだろうか。
「ベルンハルト、どうなのですか?」
答えない夫の方は一旦諦めて、斜め前に座るベルンハルトに尋ねる。
「概ね元の状態に戻りつつあります。波がある、とは言われましたけれど」
「波?」
「ええ。特にここのところ、奥様が実家に戻られるという話やその際の諸々や、本当に戻ってしまったことへの喪失感やら、」
「ベルンハルト」
「失礼しました」
夫が話を遮ったが、つまり、私が実家に帰るという話から今までの全てが、あまり良くない影響を及ぼしていたということだろう。
「旦那様、申し訳ありませんでした」
言えば、夫は勢いよくこちらを向いた。その目は、最大限に見開かれている。
「な……なぜ、謝る」
「私の軽率な行動が旦那様の魂の状態を悪くしてしまったのでしょう? あなたの魂の状態を安定させるための一時休戦でしたのに、これでは意味がありません。私はもっと、大人しくしておくべきでした」
「いや違う君のせいじゃない。断じて君のせいじゃない」
夫はそう言いながら私に手を差し出しかけ、けれど握り込んでまた腕を組み直した。そしてまた、窓の方へ顔を向ける。
「……これは、君のせいじゃない。私が自分を律しきれていないだけだ」
「……」
夫はそれっきり無言になってしまったので、ベルンハルトの方へ顔を向ければ、ベルンハルトは苦笑しながら肩を上下させた。
ふむ。
「では、休戦期間はどうしましょうか。伸ばした方がいいでしょうか?」
ガンッ! と隣で変な音がした。
そっちへ顔を向ければ、夫が顔をしかめ、左側頭部を押さえている。
「え、どうしました? 窓にでもぶつけたのですか?」
「いや、なんでもない」
なんでもないはないだろう。すごい音がしたんだぞ?
「ベルンハルト、馬車を止めて手当を」
「今御者に伝えました。もうすぐ止まると思います」
手際早いな。
そうして馬車は止まり、後ろの馬車に乗っていた医師を呼んだ。診断としては、夫はやはり側頭部をぶつけたらしく、応急処置として冷えた布をそこに当て、包帯で留められた。
そしてまた、馬車は動き出す。
帰ったらちゃんと、氷を当てなくちゃ。
「それにしても、どうして急に頭なんかぶつけたんです? 馬車の揺れは少なかったのに」
「……君が」
私が?
「休戦を伸ばすというから……動揺して……」
「動揺?」
なぜに。
「…………」
夫は不貞腐れたように何も言わない。ベルンハルトを見れば、
「また僕がなにか言えば、アルトゥール様の機嫌を損ねてしまうと思いますので、今は何も言えません」
……。
「旦那様。休戦を伸ばすことにご不満があるのですか? 魂を安定させない限り、危険に晒されるのは旦那様なのですよ?」
何も言わない。
「どうして嫌なんです。本来ならあと一日で休戦は終わりですが──ベルンハルト」
「はい」
「旦那様の魂がちゃんと安定するまで、ここからどのくらいかかるの」
「概ね安定しているのは事実ですので、一週間もあれば……本当にその間精神的に安定した生活が送れれば、ですが、その程度の期間があれば大丈夫かと」
あと、一週間、ね。
私はベルンハルトへ向けていた顔を夫に戻し、
「これからは私も大人しくします。ちゃんと接触も絶ちます。あなたの仕事の邪魔にならないように、」
「嫌だ」
はい?
「接触を断つなど言わないでくれ」
夫は、苦しげな顔を私に向けた。
「……君が、私のことを気遣ってくれるのは嬉しい。けれど、それも、その後の離婚の話の憂いを無くすためだろう?」
……それは、そうだけど。
「その上、それまでの期間、本当に接触を絶たれたら、私は何に希望を見い出せば良い……?」
あ、やばい、マズい。多分これも魂に良くない。えーっと、穏やかな状態にしなければ……。
「分かりました。完全に接触を断つのはやめましょう。……そもそも、旦那様はどういう状況になれば穏やかに過ごせるのです?」
私の一挙手一投足でワタワタするこの人、の、穏やかな状態が想像できない。
「……」
夫は私の顔を見て、顔を俯けて、また上げて、俯けて。
「……君と、手を、繋ぎたい」
手。
私は夫の、握りしめられた右手を包むように持って、
「これで良いので、す、か……」
おい、瞬く間に顔が赤くなったぞ。
「ベルンハルト、聞いてもいいかしら」
「なんでしょう」
「この状態も良くないのではないかしら」
「良くありませんね」
私はパッと手を離す。
「あっ……」
物欲しそうな目で見るな。お前のためなんだぞ。
「私が離れてもダメ。触れてもダメ。私にどうしろというんです」
はぁ……と溜め息を吐いたあと、「あ」と思いついた。
「手紙はどうです?」
言ってみたら、夫は首を傾げた。
「手紙?」
「はい。使者の方々には手間を掛けさせてしまいますが、手紙を送り合う。それなら私の存在も認識できますし、……ああ、でも、お仕事の邪魔に──」
「ならない。絶対ならない。逆に仕事がはかどる」
どさくさに紛れて手を握らないでくれます? さっき赤面してたくせに。
「……」
ベルンハルトへ顔を向けてみる。
「……まあ、アルトゥール様も回数をこなせば……慣れてくると思いますし……大丈夫だと、思います。たぶん」
何に慣れるというのだろうか。聞きたいような聞きたくないような。
けど、これ以上の案が思いつかないから、しょうがない。
「では、手紙の案を採用ということで。それと、旦那様」
「なんだろうか」
「そろそろ手を離していただけませんか? 実家に居たときはしょうがなかったので何も言いませんでしたが、接近禁止令のこと、お忘れですか?」
「……もう、少しだけ。駄目か?」
「……」
ここで駄目と言ったら、また落ち込むんだろうな。そういうのは今、精神衛生上あまりよろしくない気がする。
「……分かりました。けど、家に着くまでですよ。それに両手で握るのは危ないので、片手で」
「! 分かった、ありがとう……!」
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