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第三部

六十四話 ゴーストナイトパレード 中③

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『助かりました、聖獣さま。それでは行きましょう』

 ティティが合図して、止まっていた船が再び動き出した。そこでようやくグウェンの身体を離して、俺はボートの座面に座り直す。
 花畑にいる霊達は相変わらず賑やかにはしゃぎながら俺達を見ているが、船が動き出したら一斉に手を振ってくれた。さっきは怖かったけど、あれは彼らなりの歓迎だったんだろうか。いや、あわよくば連れて行こうと思われてた可能性もある。とにかくベルのママのおかげで助かった。

「ベルのママは、まだ一緒にいてくれるの?」

 岸に戻ろうとしないママに聞いてみたら、彼女はこくりと頷いた。

 ーーまだ霊達が悪さをするかもしれないから、花畑が見えなくなるまでは一緒にいるわ。

「ありがとう」

 心強い。見慣れたチーリンの姿が見えるだけで安心感がある。
 ずっと黙っていたグウェンに、このチーリンはベルのママなのだと伝えると、彼は少し目を見開いて頷いた。多分グウェンも俺と同じで、本当に見知った霊が出てきたことに驚いている。

 ーーそれから、あなたにこれを。

 ベルのママが頭を少し捻って俺に自分の後頭部を見せた。
 なんだろうと思ってみると、ママの頭の後ろの鬣に何かが巻き付いていた。取っていいと言われたから手を伸ばすと、指先にカサリと紙の端が触れた。長い銀色の鬣の中から出てきたものを手に取って、俺は息を呑む。

 ーー頼まれたの。あなたに渡してほしいと。

 ママが頭を俺の方に戻して言った。
 手の中で微かに羽ばたいたのは、蝶というにはあまりに大きすぎる手紙蝶だった。

「誰から……」

 答えは頭の中にすでにあったが、小さな声で尋ねるとママはオパール色の両目でゆっくり瞬きした。

 ーー私の子がお世話になっている、小さな子供の親から。

 それを聞いて、俺は遠ざかっていく花畑にもう一度視線を戻した。

「レイナルド?」

 グウェンの怪訝な声が聞こえたが、俺はその手紙蝶を持ったまま、船から勢いよく身を乗り出した。

「レイナルド?!」

 グウェンの驚いた声に反応する余裕がない。
 花畑はもう遠ざかっている。
 食い入るように岸を見つめ、よくよく目を凝らした。淡く光る花畑の手前に白い幹の林が現れる。その木の間に、一人の女性が立っているのを見たような気がした。一瞬だけ垣間見えたその顔は、どこか面影があったように思う。しかしその姿はすぐに見えなくなった。ボートはどんどん離れていく。
 
 ーーどんな心積もりで顔を見せたらいいのか、とてもお会いできないから手紙を、と言われたわ。

 ママの声を聞いて、俺は蝶の形に折られた手紙を開けた。まだ呆然としたまま、目で文面を追う。

『ーーレイナルド様。

あの日、ウィリアルドを助けてくださりありがとうございました。
直接お礼を申し上げることができず、このような無礼をお許しください。ご恩をお返ししたくても、地上での生を失った身ではそれが叶わず、せめて感謝をお伝えしたく失礼を承知で聖獣様にお願いしました。
夫は自らの犯した罪の重圧に耐えられず、川の底で眠ったままです。再び会えるまではまだかかりますが、ウィリアルドがこちらに来るまでには目覚めるでしょう。生前身勝手な思いであの子の命を手放そうとしてしまったことを、夫にかわってお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした。
ウィリアルドに暖かな幸福を与えてくださり、ありがとうございました。あの子を愛し、育ててくださったレイナルド様の慈しみ深いお心に深く感謝いたします。
私も夫も、ウィリーを心から愛していると、どうかあの子にお伝えください』

 柔らかな筆跡で、形の整った几帳面な字だった。
 読んでからもう一度岸を探したが、さっきの人影は見えない。

 今度こそ目頭が痛いくらいに熱くなった。
 喉に込み上げたものがつかえて声が上手く出せない。どうにか感情を落ち着けようと、目を閉じて深く息を吸った。
 言葉を返せるなら、言いたいことは色々あるはずなのに、胸が詰まって何も出てこない。

 ウィルは今までも、これからも、ずっと俺の自慢の弟だ。あの日ウィルを助けたことを後悔したことはない。それどころかウィルと出会わせてくれたあの日の偶然に、俺の方が心から感謝している。
 ウィルが幸せになれるように、何だってやってあげたいと思うが、あの子が心に受けた傷は俺では簡単に癒してあげることができない。ウィルが自分から両親のことをあまり話さないから、俺も話題に出すことは避けていた。
 でも、ウィルの両親があの子のことを愛していたのだとわかって、ようやく救われたような気持ちになった。ウィルを心配して、幸せを祈ってくれる人達がこの世界にはちゃんといた。
 これからは言葉に出してそれを伝えてあげられる。

 だからどうか安心してほしい。

 そう心の中で言葉を返して、俺は花畑と白い林が完全に見えなくなるまで、リコリスの咲く岸辺をずっと眺めていた。


「レイナルド」

 しばらくして、グウェンが小さな声で呼びかけてくる。
 俺はそこでようやく彼を振り返り、心配そうな顔のグウェンに小さく笑った。さっきの騒動で座面の下に転がっていたランタンをボートの底板に置こうと、周りに積み上がっていたリコリスの花をそっと掻き分ける。

「手紙はウィルのお母さんからだったんだ」
「……そうか」
「やっぱり、ウィルもベルも一緒に連れてくればよかったな」

 花の間にランタンを据えながら、鼻を啜ってそう呟くと、グウェンは「そうだな」と静かに相槌を打つ。ウィルの話はまだ詳しくしたことがないからよくわからないと思うが、何も聞かずに頷いてくれた。俺はランタンから目線を上げて、グウェンの真面目な顔を見つめる。

「なぁ。これって、本当に現実……? まさか全部俺が見てる夢、なんてことないよな」
「……私もさっき、同じことを考えていた」
「うん……」

 俺の不安そうな顔を見てグウェンが手を伸ばしてくる。俺も座ったまま手を伸ばして、グウェンの手のひらをぎゅっと握った。彼の硬い手のひらから暖かい体温を感じてほっとする。
 こうも現実離れしたことが続くと、自分が正気なのかどうか疑わしいと思うよな。

「グウェンがいてくれてよかった。一人じゃ不安だから」

 グウェンが頷いて、繋いだ手を握り返してくれた。

『お二人とも大丈夫ですか? どこかに停まって休憩しましょうか?』

 ティティが俺達の周りを回って気遣わしげに聞いてくる。俺は顔を上げて首を横に振った。

「大丈夫。このまま行こう」

 この様子だと、本当にバレンダール公爵にも会えてしまうかもしれない。
 彼が現れたら、俺は何て言葉をかけるんだろう。それを考えたら急に緊張してきた。
 冷静になろうと思い、黄泉の川に来た本来の目的を思い返す。上着のポケットから懐中時計を取り出して見ると、時刻は夜明けまであと二時間ほどだった。公爵に遭遇するかどうかはわからないが、早く大聖女様のところに辿りつかなくてはならない。

 ベルのママは、花畑が完全に見えなくなったらボートから飛び立った。
 去り際に俺の顔にもう一度擦り寄ってきて、鼻先で頬を優しく押してくる。

 ーーもう行くわ。この先も気をつけて。

 そう囁いたベルのママに頷いてふわふわの背中を撫でた。

「ありがとう。手紙のことも。ベルのことは任せて。ママのおかげで俺は精霊力をたくさん使えるようになったから、パパも大丈夫だよ」

 俺が答えるとママは微かに瞳を煌めかせる。

 ーー私は、あなたの中にあったものを開いただけ。

「え、そうなの?」

 それじゃあ、もともと俺が持ってた力はそこそこ強かったけど、それが全部じゃなかったってことなのか。

 一瞬なんでだ? と思ったが、ベルのママがボートから飛び立ったからそちらに集中した。
 ママは「クゥ」と鳴くと川岸まで一息で飛び、こちらを振り返る。そこから俺達のボートが見えなくなるまでその場で見送ってくれた。
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