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第三部

二十四話 迷子のお知らせ 中

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 今は俺も睡眠不足と蛇神のせいで気が尖っているから、少しイラッとしたらさっき感じていた蛇への怒りがまたすぐに込み上げてきた。

「冗談言ってる暇があったら、お前は早くあの蛇を蒲焼きにする魔道具を作れ」

 苛立ちを露わに横目で睨んだら、もう一度椅子に座ったヒューイが半ば呆れたような顔で俺を見返してくる。

「あのですね、相手は神なんですけど」
「知るか。この前の惚れ薬、まだ少し残りがあったよな。あれ蛇に効くと思うか」
「いやどうでしょ……。神ですからね。効かないんじゃないですか。先輩たち魔法が使えなかったんでしょ」

 首を捻って答えたヒューイの言葉に確かにな、と納得して寝そべったまま天井を見上げた。
 魔法が効かないんだから、魔道具の類も効かないと考えた方がいいか。

「じゃあ、あれを使って禁域の森から動物を一匹残らず誘拐するか」

 名付けてハーメルンの笛吹き作戦。
 それで森の生き物を人質にして、蛇に言うことを聞かせる。
 我ながらなかなか卑怯な手を思いついたな、と感心したが、俺は元悪役だからそのくらい許されるんじゃないか。ちょっとくらいの悪巧みなら因果律ってやつにも目を瞑ってもらって。

「森の主が余計怒りません? そんなことしたら」

 ヒューイが今度は本当に呆れた顔で俺を見下ろしてくる。ちらりと彼に視線を送り、俺は鼻を鳴らして悪どい笑みを浮かべた。

「あいつは俺に手を出せない。一度見逃すと決めた以上は神とやらの矜持で覆せないらしい。グウェンへの罰を取りやめないってことはそういうことだよなって言質取ってるから大丈夫だ」
「あ、そうなんですね」

 感心したように頷いたヒューイに「だからあの蛇を蒲焼きにしても俺は罰を受けない」と真顔で言ったら彼は口元を引き攣らせて引いていた。

「でも、そもそもなんですけど、蛇神を殺しちゃったら団長の記憶は戻ってこないんじゃないですか」
「それもそうだな。それは困る。じゃあ半殺しか」

 俺がそう呟いたらヒューイは聞かないふりをしたのか、わざとらしく壁の時計を見上げた。

「ヒューイ、わかったな。お前はあの蛇を半殺しにする魔道具を作るんだ」
「ちょっと、あえてスルーしようとしてるのに俺を巻き込まないでください。禁域の森の主の恨みを買うなんて嫌ですよ」
「安心しろ。最後の晩餐には蒲焼きよりいいもの食わせてやる」
「なんで俺が死ぬことになってるんです?!」

 大声でツッコミを入れてくるヒューイを横目で睨め付けた。

「お前があいつを半殺しにする魔道具を作るからだろう。そんなの蛇の怒りを買うに決まってる」
「嫌ですよ?! なんで俺が団長のために命かけなきゃいけないんですか!」
「お前、この国を守る騎士団長の一大事だぞ! 喜んでその命を捧げろよ!」

 聞き捨てならないことを言われたから憤慨して言い返すと、ヒューイは引き攣った顔で首を横に振った。

「さては先輩、ずっと寝てないんでしょ。もう荒ぶるのはそのくらいにしてくださいって。今日はそれとは別に話があるんですから」

 無理やり話を変えたヒューイが、俺の方に身体を向けて椅子に座り直し、足を組んだ。

「幽霊屋敷の壁に紋様が描かれてたって聞いて、気になってたんですよ。それがその魔石の売人が残した手がかりってやつでしょう」

 真面目なトーンに戻ったヒューイを見上げて、俺も言われた通り気持ちを切り替えた。確かにイライラをぶつけてる場合じゃない。グウェンのためにも、魔石の売人の行方は追わなければならないし。

「うん。あれは今まで見たことのない模様だった。正直ちょっと不気味だったな」
「どこかの組織の紋章でしょうか。先輩、形を覚えてます?」
「細かいところは記憶にないけど、なんとなくなら」

 ヒューイが椅子から立ち上がって紙とペンを持ってきた。寝そべっていた体勢から身体を起こして、差し出された紙に壁の模様を思い出しながら描いてみる。
 確か、五芒星とその周りに円が二つ。それから動物と蛇を掴んだ人間のようなものが描いてあったよな。

「これ、なんか見覚えがある気がします」

 俺の手元を覗き込んでいたヒューイがぽつりと呟いた。驚いて彼の顔を見上げる。

「本当か」
「はい。でもどこだったか……。爺ちゃんの持ってた本かもしれません。それか両親の使ってた記録帳だったか……。帰ったら確認してみます」
「頼む」

 今のところ、あの模様については誰にもわからず、捜査が難航していたから、ここでヒューイが手がかりを見つけてくれるなら希望が見える。
 引き続きカシス副団長が売人の調査は続けてくれているけれど、グウェンの記憶のことがあるから俺も調べられるならできる限り動きたい。総帥には既に事情を説明して許可を取っている。売人についてはなかなか手がかりが掴めていないから、俺が動くことで何か新しい発見があるかもしれないと、二つ返事で了承してくれた。

 ヒューイに幽霊屋敷の一件をもう一度詳細に説明して、壁の絵について調べてもらうことになった。
 俺は研究室から退室し、研究塔の裏にある池の近くにこっそり描いた転移魔法陣から、禁域の森の近くの原っぱまで移動した。今日も蛇神を説得するためだ。
 いつもは誰かと一緒に来ていたような気もするが、眠くて疲れた頭でよく思い出せない。それにもう俺も慣れたから一人でも問題ない。

 禁域の森に侵入して少し歩くと、不意に身体が沈んだような感覚がして目の前の景色が変わった。
 見覚えのある祠の前に立っていることを確認すると、時を置かずに蛇神がすうっと現れて、不満げな顔で俺を見た。

「毎日毎日、お前は飽きないのか」
「飽きるとか飽きないとかの問題じゃないんだよ。あんたが飽きたんならさっさとグウェンの記憶を返せ」

 白い着流しのような服を着た蛇神の前で、俺は腕を組んで仁王立ちする。蛇神は鼻の頭に皺を寄せて俺を睨んできた。

「何度も言わせるな。不死鳥の卵を盗み、森の動物を殺した人間を連れてきたらそれと引き換えにする」
「こっちこそ何度も言わせんなよ。売人は見つけ次第必ず連れてくる。先にグウェンの記憶を返してくれ。犯人を追うのにもその記憶がないと不便なんだよ」

 それは嘘じゃない。今までカシス副団長と魔石の売人を追っていたのはグウェンだから、俺が一から調べるよりグウェンに復活してもらったほうが当然効率がいいだろう。そう指摘すると、蛇神は瑠璃色の瞳を微かに開いて瞬きし、俺をぼんやりと見据えながら何かに集中するような顔で黙った。
 ほどなくして、俺の目に焦点を戻して軽く頷く。
 
「確かに、奇妙な館の壁に怪しげな術がかかっていたようだな。見た限り、この術はこの世のものではない。どおりで盗人達が突然森の中に現れたと思えば、私の森の座標を勝手に組み込むなど愚かな真似を。これだから人間は……」

 蛇神がブツブツ文句を言っている。俺はその言葉に何となく引っかかりを覚えた。

 待てよ。
 今、見た限りって言った?

 それって、まるで壁の絵を直接見たかのような言い方じゃないか。

「あんた見たことがあるのか。あの壁に描かれた模様を」
「さてな。遠い昔に目にした気もするが、覚えておらぬ。今はあの者の記憶の中にあったものを見ただけだ」
「……は?」

 思わず低い声が出た。

 見た……ってどういう意味だ。
 まさか覗いたのか。
 グウェンの記憶を??!!

「ち、ちょっと待て。それってあんたは盗んだ記憶の中を見られるってこと?!」
「だからどうした。別に書き換えなどはしておらぬ」
「そういう問題じゃねーんだよ! 勝手にグウェンの記憶を読むな!!」

 渾身の力で突っ込んだ。
 人に……こいつは人じゃないが、見られたら障りのあるものが色々あるだろうが!! 
 記憶を見られるなんてマジでどうかしてる。最近でいうと俺は赤面もののコスプレプレイだってしてるんだぞ?! しかも最悪なことによくよく考えたらグウェンに抱かれた直近の記憶があれだ。あんなマニアックなことをいつもしてるなんて勘繰られたら相手が蛇でも俺は憤死する。

 俺がブチギレていると蛇神は眉を顰め、意味がわからないという顔をしてそっぽ向いた。くそ。神だからって平気で人の世の道徳心踏みつけてきやがって。

「とにかく勝手にグウェンの記憶を見るな。たとえあの魔法陣がこの世のものでなかったとしても……ん? 待てよ。今この世のものじゃないって言った? どういうことだ」

 蛇神の言葉にまた引っかかりを覚えて反芻すると、蛇神は長い髪を揺らして欠伸をしながら、俺の疑問に対してぞんざいに口を開いた。

「この世の術であれば、私は干渉できる。しかしあれは私の監視をすり抜けて森に入ってきた。つまりこの世の理にない」
「……もしかして、魔界の禁術か」
「それを人間がどう呼んでいるかは興味がない。魔のものが関わっているということならそうなのであろう」

 そう告げた蛇神はまた欠伸をして俺に背を向けた。

「私は寝る。帰れ」
「あっ、こら話はまだ」

 大事な手がかりを掴みかけた俺が慌てて引き止めようと足を踏み出した瞬間、指を軽く振った蛇神に転移させられた。
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