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第二部

幕間の小話④ ベルファミリーとのモフモフタイム

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「あの……怒ってます?」

 目の前に立つ立派な体躯の黄金色のチーリンを恐る恐る見つめながら、俺は芝の上に正座していた。


 俺の実家の広い庭には今、普通の人間なら一生のうちに一度も目にすることがないと言われている伝説の聖獣が、四頭いる。

 四頭だ。

 ついこの前まで一頭いることすら神官長に問題視されて、貴重で稀有な聖獣にくれぐれも滅多なことがないようにと閻魔様もかくやという眼で念を押されていたのに、この度めでたく四倍に増えた。

 どうする? これ。

 神官長とリビエール上級神官には隠しといてもいいかな。
 だってこんなこと報告したら、それならもういっそのことうちに教会建てますとか言われるじゃん。広大な庭に聖獣の保護施設を建設されてしまうに違いないじゃない。そんなの困るよ。そんなことになったら我が家の庭の采配権を握ってる母さんがブチギレる。

 それにベルのパパ達はうちに住むわけじゃない。単に遊びに来るだけなら、別に報告しなくてもいいよな。ときどき蜃気楼かなってかんじでうちの庭にチーリンの残像が見えるだけだ。
 ちなみに兄さんと父さんは、もう何も言わない。さっきたまたま兄さんが庭側のテラスに出て手紙蝶を飛ばすのが見えたけど、ちらりと庭にいる俺とチーリン達を見て、真顔ですっと目を逸らした。多分気づかなかったことにしたんだろう。だって四頭だもんな。下手に関わると自分まで巻き込まれる、やめようっていう心の声が聞こえた気がしたよ。

 やっぱり神官長には黙っていよう。
 神官長とリビエール上級神官には、ベルの抜け毛で作ったポプリでも目眩しに献上しておけばいい。そしたらあの二人は満足して当分うちには来ないはずだ。


 そう考えながら俺は目の前の圧から気を逸らしていたが、そんな俺を見て黄金色の逞しいチーリンはふん、と鼻をならした。
 ベルによく似たオパール色の瞳がじいっと俺にもの言いたげな眼差しを向けてくる。
 ベルパパとお婆ちゃんはすでに何度かうちに来ているが、お爺ちゃんが我が家に来るのは今日が初めてだったので、俺は思わず正座して居住まいを正した。

「怒ってますよね? えっと……なんだろ。もしかしてお腹すいてます? 食べます? 葡萄」

 横に置いてあった銀色のトレーをさっと目の前に差し出したが、ベルのお爺ちゃんはじとっとした目で俺を見てくるだけだった。

 ーーあら。次はそれを食べようと思ってたのに。それじゃあ私はこっちの梨をいただくわね。

 横から声がして、右を向くとベルのお婆ちゃんが俺の手を見ていた。残念そうに葡萄を見たお婆ちゃんはいそいそと俺の左側に回り、芝の上に置かれていた別のトレーから梨を食べ始めた。さっきまで俺の横でリンゴを食べていたが、葡萄も食べたかったらしい。
 シャクッシャクッという音が辺りに響く。
 
 ーーまぁ。これも美味しい。森で食べるものより甘みがあって柔らかいわ。

「あ、よかったです。うちの領は気候がいいので果物育ちやすいんですよ。品種改良も盛んだし」

 確かに自然になっているものより美味しいだろうなとは思う。ベルも前にうちの果物が一番美味しいって言ってたし。
 俺は持っていたトレーから葡萄を房からいくつか取って梨の横に置いた。

 ーーありがとう。とっても美味しいわ。私葡萄が大好きなの。うふふ、こんなにたくさん食べられるなんて嬉しい。

 ベルも葡萄は好きだから、チーリンは果汁が多い果物が好きなのかもしれない。うちの葡萄は粒も大きくて種もほとんどないから食べやすいし、お婆ちゃんはとても気に入ったようだ。

 ご機嫌で梨と葡萄を食べているお婆ちゃんを、ベルのお爺ちゃんは無言で見つめている。心なしか顔がプルプルしてるような気がした。
 そのとき芝の上に正座している俺の背中にとん、と軽い感触がして、振り向くとベルのパパが俺の肩に角を押し当てていた。

「パパ? 精霊力いります? それともお婆ちゃんと一緒に果物の方がいいかな」

 ーー力を分けてほしい。

「いいですよ。じゃあ角に触りますね」

 パパの希望で白い陶器のようなつるつるした額の角に触れて、精霊力を流し込んだ。
 ラムルから帰ってきて、パパにはもう何度か俺の力を分けた。かなり痩せていて毛艶も悪かったパパは、俺の中にあるらしいベルのママの力を取り込んで、みるみるうちに元気になった。くすんでいた銀色の立髪が艶のある白銀になり、最近ではだんだん金色も強くなってきた気がする。
 パパもベルと一緒にうちの果物をたくさん食べてるから、痩せていた身体ももうかなり健康的だ。うちに来るたびに庭中を高速で走り回って、庭師や使用人達をビビらせている。

 ーーありがとう。私も葡萄がほしい。

「どうぞ。さっきウィルに追加を頼んだので、後で白い葡萄も持ってきてくれますよ」

 お爺ちゃんは食べる気配がないので、手に持っていたトレーを芝に置いた。葡萄を房から外してパパの前に並べていくと、パパはオパール色の眼を輝かせて美味しそうに食べ始めた。横からお婆ちゃんもふんふんと顔を寄せてきて一緒に葡萄をつまんでいる。

 ーーママー、僕もお腹すいたのー。

 ベルの声が聞こえて、花壇と樹木の方からたかたかと走ってきた。さっきまでウィルが作ったボールを追いかけて遊んでいたが、おやつを食べに戻ってきたらしい。

「ベル葡萄食べる? リンゴと梨もあるけど」

 ーーぶどうにするー。

「葡萄だな。そっか。それなら今度から少し多めに葡萄を仕入れてもらうようにするよ。ちょうどいい季節だし、旬のものって美味しいもんな」

 ーーあのね、この前みんなでいったところで食べたぶどうもおいしかったよ。

「みんなでいったところ?」

 ーーママがいないときにウィルと食べたの。人間のパパがいっぱいぶちのめしてた。

「なんだって?」

 ーー人間のパパが、へいたいさんって人たちをいっぱいぶちのめしてた。

 おい、誰だよ。ベルにそんな言葉覚えさせたの。

 ーー? ぶちのめして、じゃないの? じゃあさんどばっぐしてた。

 あ、これは俺だな。
 
 俺はベルの澄んだ瞳を見ながら、これから言葉遣いには気をつけようと思った。

「うん、わかった。ラムルで食べた葡萄が美味しかったのか。じゃあ今度アシュラフに頼んで向こうの葡萄ももらっておくよ」

 ーーわーい。

 ベルは嬉しそうに尾をふりふりして、俺が手に乗せた葡萄をぱくっと食べた。正座した俺の膝に前脚を置いて擦り寄ってくる。
 お婆ちゃんもパパも俺の両側に寝そべってのんびり葡萄を食べている平和な光景。

 なんというんだろう、これ。
 モフモフ? モフモフパラダイスなの?
 過去最高に癒されるんだけど。

 もしかして俺は前世で徳を積んでいたのか。いや、前世の記憶はあるんだった。大したことしてないわ。じゃあ前前世か前前前世の俺か。前前前世から俺はモフモフを約束された選ばれし者だったのか。
 それとも最近の俺を憐れんだ女神様が用意したサービスタイム? おい、こんなことで今までの不運をチャラにはしないぞ。あ、でもベルの立髪ふわふわぁ……パパのしなやかな尾が俺の背中をたしたししてる……うそ……ベルのお婆ちゃん、そんな、お腹いっぱいになったからって、そんな無防備にお腹見せてうとうとして……

 俺が危うく女神様への恨みを昇華してしまいそうになったとき、「グルルルル」と低い唸り声が聞こえた。
 ハッとして前を見ると、お爺ちゃんが俺と俺の周りでリラックスしている三頭のチーリンを凝視してブルブル震えていた。

「あ、お爺ちゃん、すいません」
「クルルル」

 ーーうるさいわねぇ。いいじゃないの別に。ここの果物は本当に美味しいのよ。あなたも一度食べてみればいいでしょ。

「グルル!」

 寝そべったままのお婆ちゃんにお爺ちゃんが顔を近づけたが、お婆ちゃんはぷいと顔を逸らした。

 ーーだって美味しいものは美味しいんだもの。あなたが森で見つけてくる果物もちゃんと美味しいわよ。でも人間が育てた果物はやっぱり違うのよ。甘味が。

「クル……」

 ショックを受けたように固まってしまったお爺ちゃんを見て、なんだか可哀想になってしまった。

「あの、お爺ちゃんはどんなものがお好みなんでしょうか。やっぱり、渋みのあるカリンとかクルミとかですかね」

 ーーナツメとかクルミは好きよ。

「あ、じゃあ今度用意しておきますので……。えっと、それで結局今日は何が言いたくてここに……?」

 わざわざうちに来たんだから、何か伝えたいことでもあるのかと思ったのだが、お爺ちゃんはずーんと沈んだように打ちひしがれているので声をかけずらい。

 ーーきっと、孫と息子を助けてくれてありがとうって言いにきたのよ。

「グル」
「違うみたいですね」

 ーーじゃあこれから私の番もお世話になりますってことかしら。

「グルルル!」
「もっと違うみたいです」

 再び力を取り戻したお爺ちゃんは、俺をじいっと恨みがましく睨んでくる。

「多分、ラムルでは俺もやらかしましたし、魔の虚でベルとパパとお婆ちゃんを危ない目に合わせてしまったので、それに怒っておられるんじゃないかと……。すいません、あの件は皆さんを巻き込んでしまって。俺もお爺ちゃんに助けていただいて命拾いしました。どうもありがとうございました」

 深々と頭を下げると、威圧感を放っていたお爺ちゃんは胸を逸らすようにして顔を上げ、ふんっと鼻を鳴らした。

「クル」

 ーーわかればいいのだ、なんて偉そうにして。孫と息子を助けてもらったんだから、恩返しするのは当たり前でしょ。

 お婆ちゃんの呆れたような声にムッとするお爺ちゃん。
 番に素気なくされているのが気に入らないのか、ジト目で俺を見下ろしてくるお爺ちゃんは前脚で芝を削っていた。あ、やめて。それやると母さんに怒られるから……。

「クルルル」

 ーーもう、自分で言えばいいのに。これから息子はあなたに力を分けてもらうために時々来させてもらっていいかしら。

「あ、はい。もちろん」

 ーー私たちはなかなか来られないとは思うけど、私は一人になったときにこっそり来ることにするわね。

「クル!」

 ーーだって、あなたが守り神様のところに行くといつも長いじゃない。暇だし、ここに来れば美味しい果物が食べられるし。正直あなたが置いていく木の実よりみずみずしい果物の方がいいの。

 そう言われてお爺ちゃんはガーンとショックを受けたような顔をして、目に涙を浮かべた。ふるふる震えながら寝転んでいるお婆ちゃんを凝視している。
 なんだかあまりに可哀想な気がしたので、俺は横から恐る恐る声をかけた。

「あの、そしたら定期的にベルに果物持って森に行ってもらうことにするので、お届けしますよ。パパが来た時もお土産に持って帰ってもらっていいし」

 ーーあら。それは助かるわ。私たち人間の匂いが濃いところってやっぱり苦手だから。

 お婆ちゃんが頭を上げて俺を見る。
 俺の力をもらいにくるパパは我が家まで来てもらう必要があるが、果物が食べたいのであれば定期便をお届けできる。ベルも森に帰る練習になるし、ちょうどいい。
 お爺ちゃんはそれを聞いていくらか気を取り直したようだった。

「じゃあそういうことで。お爺ちゃんのナツメとクルミもご用意します」

 お爺ちゃんは鼻を鳴らしてよろしい、と言うように胸を逸らし、俺の前から颯爽と踵を返した。お帰りになるようだ。
 数歩進んで振り向いたお爺ちゃんが「クル」と鳴いて番を呼ぶ。

 ーー私もう少し食べて帰るから、あなた先帰ってていいわよ。

 そう答えたお婆ちゃんが「いい天気ねぇ」と呟きながら欠伸をして、俺の膝にふう、と頭を置いた。
 お爺ちゃんはブルブル震えている。俺の膝を枕にしている番を見つめ、いつかのように地団駄を踏んで何か喚いていた。

 何故だろう。
 チーリンとしてはお爺ちゃんが最強のはずなのに、なんだか可哀想に見えてしまうのは。

 モフモフを独り占めすることになってしまった俺は悪いなと思いながらも誘惑には勝てない。締まりのない顔で三頭のチーリンを代わる代わる撫でて、怒り狂ったお爺ちゃんが庭の芝を剥がして回るまでモフモフパラダイスを堪能した。
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