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第三部

一話 パーティーの準備 前

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 今思えば、数日前の俺はまさかあんな大事件が起きるなんて、思ってもみなかった。


 ◆◆◆


 招魂祭の季節がきた。

 夏も終わり、薄いシャツごしに肌を通る空気がだんだんとひんやりしてくる。庭に吹き抜ける風が柔らかさを残しながら涼しくなる頃、デルトフィア帝国ではその催しの準備で街中賑やかになる。

「じゃあやっぱり今年もこれでいいってことだな」

 その日はルウェインが俺の実家に来ていた。テーブルに畳んで置かれた緑色の衣装を指差して言った悪友に、俺は向かいのソファに座って「いいよ」と頷いた。

「父さんと兄さんにも確認済み。母さんは今年は向日葵になりたいって張り切ってた」
「向日葵……向日葵?? お前んとこは相変わらず弾けてんな。とりあえず、わかった。見繕えそうかソフィアに相談してみる。じゃあウィルとベルはどうする」
「うーん……」

 俺は腕を組んで首を捻った。

 それは毎年悩ましく、かつ妥協のできない命題である。

 俺が何を悩んでいるのかというと、今年の仮装だ。
 招魂祭でうちの家族が着る衣装。
 ここ数年、我が家の衣装製作はボードレール商会に丸投げしているから、ルウェインが今日わざわざ俺の実家に確認しに来た。

 招魂祭というのは、前世でいうところの、いわゆるハロウィンである。多分製作サイドが、乙女ゲームのイベントとしてハロウィンっぽい行事があったら映えると思ったんじゃないか。まるっきり同じということはないが、この世界にも似たようなイベントが秋にある。
 この世とあの世、それから精霊のいる世界が混ざり合う日として、毎年帝国では各地で招魂祭という名のパーティーや夜市が開かれる。教会の中では精霊や人の魂が地上を訪れる神聖な日として死者を悼むためにコンサートやランタン祭りが行われるが、エリス公爵領では市民は街に出て仮装パーティーを楽しむのが恒例だ。

「そもそも、なんで南領だけ毎年仮装パーティーなんだろうな……ルロイ神官長の東領は厳粛なかんじでランタン祭りだし、北領はそもそも冬ごもりの前で招魂祭に全然力入れてないだろ。うちだけだよ。毎年こんなどんちゃん騒ぎしてんの」
「南の気風じゃねーの。皆秋は暇なんだよ。この日だけは無礼講っていう名目で、貴族も全員強制参加なのは俺もどうかと思ってるけどな」

 いつからなのかは知らないが、エリス公爵領では何故か貴族は率先して仮装し、庁舎の前で開催される祭りに参加しなければならないと決まっている。
 伝統として公爵家は全員が絶対参加なので、毎年何を着るのかというのは父さんを始めとした我が家の男性陣の悩みの種だった。
 前世なら無難に魔法使いとか、ドラキュラとか、ゲームのキャラとか選択肢は結構あったと思う。しかし、この世界の招魂祭の仮装は結構限られている。基本的に霊や精霊の仮装になるから、女性は妖精とか聖女様の格好をして可愛らしくていいが、男は困る。
 騎士か神官の服を着て偉人や英雄の仮装をするのが主流なのに、公爵家が無難な仮装で済ませることを領民が良しとしない。南領はみんな祭りが好きで、公爵家ならそれはもう奇抜なものをやってくれるんですよね、という期待感が重い。
 そのせいで俺も小さい頃は動物の着ぐるみを着せられたりしていた。熊とかネコとか、安易なやつもあったけど、ひどい年は孔雀とかクマノミとかあったな。クマノミって、あれだ。オレンジ色の魚。前世で見た、親父が息子を探すアニメ映画に出てくるやつ。俺あれの続編好きだったんだよ。

「ウィルとベルはどうしようかな……。俺のときみたいな奇抜なやつじゃなくていいから、今年もかわいい着ぐるみ着てほしいなぁ」
「そういやお前のガキの頃は何か色々おかしかったよな。いつの年だったか偶々パーティ会場で遠目に見たことあったが、公爵もヤケクソってかんじだったし」
「うん。家族全員海獣の着ぐるみっていう年が一番迷走してたかな。とにかく父さんはこの時期になると病んでた」

 俺の父さんは派手なものが好きじゃない。それでも領民たちの期待に応えようと、毎年苦肉の策で海賊とか音楽家とか渋々やっていた。
 しかしながらエリス公爵家の男性陣を悩ませていたこの長年の懸念事項は、何年か前にベストアンサーが見つかったのだ。
 俺がある衣装を思いついたことで。

「ルー、とりあえず俺たちはみんな去年と同じでいい。あ、でも今年はもう少し上の服のスリットを深めに入れてほしいな。まだちょっと動きづらいんだあれ」
「了解。じゃあウィルとベルの分はまた決まったら教えろ。凝ったものやるなら早めにな」
「うん。ウィルは一昨年のオオカミが可愛かったからまたオオカミの着ぐるみにしようかな……」

 そう悩んでいたら不意に耳元から声が聞こえた。

『レイナルド』
「あ、グウェン?」

 俺が急にグウェンドルフの名前を呼んだからルウェインが片眉を上げた。その視線が俺の右耳に止まる。多分結晶石のピアスが点滅しているんだろう。
 少し硬い口調の彼の声が耳に届いた。

『君は今どこにいる』
「俺の部屋だよ。ルウェインが来てて」

 俺がそう答えると、ピアスごしに彼の気配が緩まった。

『そうか。寝室に君のローブと懐中時計が置いたままになっていたから、何かあったのではと思った』
「あ、ごめん。ウィルが呼びに来てくれて、慌ててこっちに戻ったから忘れてた」
『無事ならいい』

 グウェンの屋敷の書庫でちょうど調べものをしている時にウィルが転移してきたから、そのまま書庫から実家の庭に戻ったせいで、グウェンの部屋に懐中時計を置きっぱなしにしたことを忘れていた。

「後でそっち戻るよ。本も置いてきちゃったし」
『わかった』

 部屋の窓から外を見るとまだ結構明るい。
 こんな早い時間に帰ってくるなんて珍しいな。
 俺たちの話を聞いていたルウェインは呆れたような顔をしつつ、まだじっと俺の耳元を見ていた。

 通信が切れてから、悪友は背もたれについた腕で俺のピアスを指差してきた。

「その見るからに金のかかってそうな結晶石、何かと思ったら通信石か。奴も考えたな」
「あ、うん。この前もらって」
「一体どんな伝手でそんな貴重な結晶を見つけてきたのかは商売人としては大いに興味はあるが、まぁ、そんな石仕入れても買い手を見つける方が難しいからな。スルーしてやるよ」
「……ですよね」

 俺も最初に見た時は金額を聞いて目玉が飛び出るかと思った。

 このピアスはラムル神聖帝国から帰ってきた後に、グウェンが俺にくれた通信石だ。細長いつららのような形の透明な結晶石で、俺は髪が短いからつけていると結構目立つ。
 心配症な俺の恋人としてはもう一つ同等の結晶石が手に入るなら欲しいと思っているらしい。彼はボードレール商会が探してくれるなら好都合だと依頼しそうだが、またとんでもない金額の散財をさせるのは気が引けすぎるので黙っておこう。

 前世で携帯電話というものに親しんでいた俺からすると、通信石を使うことにそんなに違和感はないが、周りは驚く。
 しかもちょっと困ったことに、この対のピアスは見る人が見れば片方ずつを分け合っていることがわかる。通信してグウェンと話していると、俺たちの関係があからさまに見えすぎる気がしてちょっと恥ずかしい。

「じゃ、確認も終わったし俺はそろそろ帰る」

 ソファからルウェインが立ち上がるのに併せて、俺も椅子から立った。玄関に行くまでにウィルに会えたら衣装部屋に戻してもらおうと、テーブルの上の服を小脇に抱える。
 部屋から出て廊下を歩くと、隣からルウェインがちらりと俺に視線を投げてきた。

「そういや忘れてるかもしれねぇけど、今年は王都のコンサート、南領の番だぞ。多分お前やらされるだろうから今のうちに練習しとけよ」
「え! うそ! もう四年経つ?!」
「いや、本当なら今年は西の番だけど、今あそこはそれどころじゃない。だから先にこっちに回ってくる。父さんがそう言ってた」

 それを聞いて愕然とした。

 ルウェインの養父はこの帝国の宰相である。
 おじさんが言うならマジなやつじゃないか。

「マジかよ……いや、だとしても、今度こそは兄さんに」
「無理だろ。あの人楽器だけは無理って常日頃言ってるんだから」
「だからって毎回俺に押しつけてくるなんて横暴だよ……」

 俺はため息を吐きながらぼやいた。
 招魂祭では、王都の教会で深夜にコンサートが開かれる。その演奏会の主催は毎年四公爵領が順繰りに担当するが、問題なのはコンサートの準備ではない。演奏においても公爵家の者が一曲披露しなければならないという、これもよくわからない伝統による無茶振りをさせられることだ。
 うちは母さんがピアノを弾けるから演奏担当はずっと母さんだったが、ある年から一人じゃつまらないと言われて、俺か兄さんが一緒に舞台に立たされることになった。兄さんは自分は無理、忙しいと理由をつけて早々に投げ出すから絶対俺にお鉢が回ってくる。
 
 俺だって楽器苦手なんだけど……

 招魂祭の夜に憂鬱なイベントが待ち受けていると知った俺は肩を落として歩き、ルウェインを玄関で送り出したその足で庭に向かった。
 
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