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第二部

百一話 運命の鍵 前③

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 アシュラフが痛ましそうな目をして叔父を見つめた。

「叔父上、父は確かに、あなたのことを案じておりましたよ。自分が先に逝くことを気にしていました。それが余計あなたの精神を病ませてしまうと」

 それを聞いて、スイード殿下は明らかに顔を歪めた。
 
「あいつはそんなふうだから呪いに負けるのだ。他人のことなど気にしているから」
「他人ではありません。大事な兄上だと言っていました」

 スイード殿下が黙った。
 突然静かになった彼は、何の感情も浮かばない顔でぼんやりとアシュラフを眺めていた。
 アシュラフはそんな叔父をじっと見据えている。

「……お前は、確かにそうやっているとあいつに似ているな。幼い頃いつも私の後をついて来た、私の小さな……」

 そう微かな声でつぶやいたと思ったら、スイード殿下は首を大きく横に振った。

「いいや違う。ちっとも似ていない。最近は特に似ていないと思っていた。とうとうお前が悪魔に憑かれたのだと聞いて、私は自分が助かったのだと安堵したのに、何故平気でいるのだ? そういえば先ほど、呪いが解けたと言ったか……?」

 ぽつりと溢した叔父の言葉を聞いて、アシュラフは顔を明るくした。

「そうです。叔父上、呪いは解けるんですよ。さっきまで私に取り憑いていた悪魔が今度は叔父上を狙うかもしれない。すぐに解呪しましょう」

 はっきりとした口調で語りかけ、ほっとした顔になったアシュラフを見てスイード殿下は眉を寄せた。

「待て。だからおかしい。何故そんなに簡単に呪いが解けるのだ? まさかお前は……この数ヶ月、私を謀っていたのか。悪魔に乗っ取られたなどと嘘をついて、私に何か呪詛でもかけようとしているのではないだろうな」

 考えるように呟きながら、彼はまたおかしな思考になっていく。

「違います! 叔父上、見てください! 私の刻印は消えているでしょう。呪いは本当に解けたんです。叔父上の刻印も、解呪すればすぐに消えます」

 アシュラフが大声を上げて自分の服を素早くはだけた。
 確かに、紋様が消えたのを見せれば一目瞭然だろう。
 俺はハラハラしながらアシュラフ達を見守っていたが、グウェンの側でほっと息を吐いた。

 呪いを解きたくてずっと苦しんでいたのなら、そんなもの揉めてないでさっさと解いてしまえばいいんだ。

 そう思いながらスイード殿下を見ると、彼は甥の体から悪魔の刻印が消えているのを目にした瞬間、硬直した。
 紙のように白かった顔が、更に青く、目だけがだんだんと血走っていく。

「なぜ」

 小さく呟いたスイード殿下は、見守っていた皆の想像とは全く異なる反応を見せた。
 
「なぜ!」

 アシュラフの胸元を見ながら、今度は激昂して部屋の中に響き渡るような大声を上げる。
 びくっと震えたロレンナをアシュラフが支え、ライラも怯えた顔でライルにしがみ付いた。

 唾を飛ばしながら噛み付くような声で、スイード殿下は怒鳴った。

「なぜ呪いが解けているんだ?! お前はそんなに簡単に?! 私が四十年以上も怯えて暮らしながらも解けなかったのに?! そうか、ならば……あれはやはり嘘だったのか。不死鳥やチーリンの角が必要だと言った、あの胡散臭い占い師の言ったことは!」

 突然の豹変に、皆茫然として固まってしまった。
 俺も呆気に取られてスイード殿下を見つめる。
 サエラ婆さんのことを言及されて、ライラとライルが顔を上げた。
 アシュラフを憎々しげに睨み、スイード殿下は周りにいる俺たちにも鋭い視線を投げつけた。

「陰では皆で私を笑い者にしていたというのか。呪いは簡単に解けるのにと? 解呪の方法を隠していたのだな。おのれ……おのれ……あの村を焼いて終わりにするのではなかった。あの占い師を捉えて極刑にかけるべきだったのだ!」
「違います! 叔父上、あの占いの結果は本物でした。サエラ殿のおかげで私の呪いは解けたんです」
「嘘を言うな! ならば、なぜ私の身体は闇に侵されていくのだ?! 近頃はあまりにもおかしい。何か良からぬものが近づいてくる気配を感じる。それが悪魔でなくてなんなのだ?!」

 激昂しながらも怯えたように顔を歪め、両手で頭を抱えた彼は確かに錯乱しているように見えた。
 もう冷静に解呪のことを説得できるような雰囲気ではなくなった。

 どうしたらいいんだ。

 そう思っていたら、すっとライルが前に出た。

「ライル!」

 ライラが慌てて止めようとするが、ライルはどこか夢を見るような顔でスイード殿下の前につかつかと歩いて行った。ライラの声が聞こえていないというように、引き寄せられるように滑らかに足を運んでいく。
 彼女はスイード殿下の目の前で立ち止まると青い瞳を大きく見開いて、僅かに口端を引き上げた。

「私なの」

 そう静かに話し始めたライルは、明らかに普段とは様子が違った。その顔に何か薄ら寒いものを感じて鳥肌が立つ。
 ライルはスイード殿下を見つめて微笑んだ。

「近ごろ。……夢見が悪いでしょう? 私なんです。それは私の呪い。だから安心していい」

 歌うようにライルが囁く。
 その言葉は、何となくおかしかった。
 確かに彼女はいつも途切れ途切れに話すと思っていた。オズワルドに呪詛だと言われてから改めて聞くと、明らかに何か違和感を感じる。
 しかしそれが何なのかは分からず、俺は眉を顰めた。
 ライルは頭を抱えるスイード殿下の顔を下からのぞき込むようにして、それを続ける。
 皆当然前に出て話し始めたライルをあっけに取られて見つめていた。

「何年も経ったけど。一度も忘れたことはないあなたのその顔。私は恨んだまま。村が消え。何もかもなくなったあの日を。村が燃えたあの冬」

 ライルが言葉を発するたびに、スイード殿下は真っ青な顔でじわじわ下がっていき、怯えるように床に膝をついて頭を伏せてぶるぶる震え始めた。

 ライルの声を聞いていると何かが背骨をぞわぞわと伝うような気がして、俺は思わずグウェンに擦り寄った。彼は俺の腕を掴んで引き寄せると小さな声で囁く。

「語尾だ。おかしいのは」

 そう言われて俺はライルを見た。
 彼女はまだスイード殿下に向かって怪しい言葉をかけ続けていた。

「あなたは後悔する」
「自らの身勝手さ」
「あなたが私たちにしたことをみんな」
「後悔して、地獄に落ちなさい」

 今度は俺にもグウェンの言っていることがわかった。
 ライルの言葉は、いつも語尾だけがおかしい。時々妙な文法を使うと思っていたら、最後の文字だけ繋げると確かに呪詛になっている。これが呪いだったのか。

 本当に、今までずっとスイードに呪いをかけて……?

 呆然として俺はグウェンの服を掴みながらライルを見つめていると、彼女はゆっくりした動作で自分の首から下げていたペンダントを外した。
 イラムの池に投げ込んだペンダントだ。よくよく目を凝らすと、チェーンの先には金属でできた目玉のような形の飾りがついている。下の方は少し湾曲して尖っているのが見えた。

「これに血を捧げれば呪いは完成するの。地獄で後悔しろ。お前は業火の中で村のみんなの恨みを思い知るだろう」

 そう言うと、ライルは頭を伏せて震えているスイード殿下に向かってペンダントを掲げた。


「スイード。お前をゆるさない」


 低い声でそう呟いたライルは、ペンダントの尖った部分を勢いよく自分の手のひらに突き刺そうとした。
 その時、ライラが横から飛び出して彼女に抱きついた。

「やめて、ライル!」

 大声で叫んだライラはペンダントを払い除けるとライルにしがみついた。

「ライラ! 何する!」
「やっぱり呪いなんてよくないよ!」

 思わずといった調子で叱責したライルは、はっとして自分の口に手を当てた。

「しまった。途絶えた」

 苛立ちで顔を歪めたライルはライラを睨み、乱暴な勢いで姉の肩を掴んだ。

「ライラ! なんで邪魔した! 完成する前に呪詛が途切れた」
「だって」
「何のために一年以上も呪詛を繰り返してきたのか、忘れたの?! こいつがみんなの村を焼いたんだよ?!」

 大声で怒鳴ったライルに、ライラも顔を歪めて叫び返した。

「怖いの!!」

 泣きそうになりながらライラは双子の片割れを抱きしめた。

「私は怖いの! 本当に呪ってしまったら、ライルに何か返ってくるんじゃないかって、怖くてたまらない! もうやめようよ!」

 そう叫んだライラの言葉を聞いて、ライルは動きを止めた。
 
「もうやめよう……! 私たちには種が残ってるから、きっとまたやり直せる。私はライルが元気でいてくれるなら、どこでだって頑張るから。もう復讐なんてやめて、いつかまたみんなで暮らせる村を作ろうよ。きっと座長もそう言ってくれる」

 話しながら本格的に泣き始めてしまったライラを、ライルは硬直したまま目を見開いて眺めていた。彼女は怖い怖いと繰り返して泣き続けるライラを青白く強張った顔で見つめる。
 しばらく沈黙した後、不意にライルは憑き物が落ちたような顔をした。
 それまでの暗く凄みのある空恐ろしい空気がふっと消え、年相応に幼い顔をしたライルに戻る。

 ゆったりした動作で腕を動かすと、彼女はライラの身体をしっかり抱きしめた。
 
「姉さんは、恨んでないの?」

 囁くような声で彼女は姉に問いかけた。
 ライラは顔を上げてライルを見つめる。

「恨んでたけど、でも、ライルの方が大事だから」

 そうきっぱりと答えたライラの顔を見て、ライルはこぼれ落ちそうなくらいに青い目を見開く。震える唇を噛み、口元をきゅっと引き結ぶとくしゃっと顔を歪めた。
 姉の背中をもう一度強く抱きしめながら、ライルもライラとそっくりな泣き顔をした。

「私だって、ライラのことが一番大事だよ」



 そのまましくしくと泣き始めてしまった二人を眺めながら、俺はハラハラして今にも飛び出そうとしていた気持ちをなんとか収めた。
 俺が飛び出していかないように腕を掴んでいたグウェンが俺を離し、彼も緊張を解いた顔をしている。

 二人の事情は分からないが、寸前のところで何かを踏みとどまったのはわかった。
 呪いなんて素人が手を出すものじゃないだろうから、ライルがスイード殿下を完全に呪ってしまわなくて本当に良かった。

 安堵してほっと息を吐くと、突然の出来事に固まっていたアシュラフとロレンナも双子を見て表情を緩めていた。
 スイード殿下だけは、頭を抱えて床に膝をついたまま顔を伏せて動かない。

 今のうちに解呪してしまいたいが、ここでまた錯乱し始めたらまずいな、と俺はそうっとライラ達の方に近づいて双子を安全な場所に誘導しようと歩み寄った。

「レイナルド」
「しっ、ライラ達を連れてくるだけだから」

 俺が離れるのを見て眉を寄せたグウェンに軽く手を振って早足で双子に近づき、抱き合って泣いている二人の肩をそっと叩いた。
 顔を上げたライラとライルに指だけ動かして、ジェスチャーで入り口の方に下がるように促すと、二人は顔を見合わせて頷き、そろそろと歩き始めた。
 俺も退避しようしてちらりと床に膝をついているスイード殿下を振り返り、そこで俯いていたはずのその顔が俺を見上げているのに気がついた。

 目が合う。


 彼の青い瞳が赤く変わっていた。
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