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第二部
七十四話 蕾の薔薇と世の喜び《急転》 前②
しおりを挟む目を見開いて顔を強張らせながら樹林の中に突っ込む瞬間、唐突に落下が止まった。
「うわっ?!」
「ぴぃ!」
がくんと急停止した反動で頭が大きく揺れる。めまいを起こしたように目の前がくらくらした。
何が起きたか把握する前に、空中で停止した身体がまた落ちた。
「えっ?!」
地面にぶつかる前にどさっと何かに受け止められる。
「君は、一体何をしているんだ」
その声を聞いた瞬間、ぎゅっと目を閉じていた俺はぱっと瞼を開けて彼の首に勢い良くしがみ付いた。
「グウェン!」
怒った顔をしたグウェンドルフが地面から少し浮いて俺を受け止めていた。
「グウェン! もうなんなんだよ! 遅いよ!」
「……私が怒られるのか?」
憮然とした表情のグウェンドルフが俺を抱えながら砂に覆われた乾いた地面に降り立つ。
まだ心臓がバクバクいっている俺は、足が地面に下ろされた後も必死にグウェンの首にしがみ付いてその肩に頭を擦り付けていた。メルは何事かと俺の片手の中で小さく鳴いている。
やっぱり来てくれた。
良かった。本気で死ぬかと思った。
溜め込んでいた息を大きく吐いてぎゅっと彼の首に抱きつくと、俺を支えて背中に回った手に力が入った。
「大丈夫か」
「……うん」
俺がいつまでも落ち着かないでいると、耳元で小さく息を吐く音が聞こえてから、感情を押し込めたような低い声が響いた。
「君は、本当に一体何をしているんだ。王宮から消えたかと思えば、魔法も使えないのに何故空から降ってくるんだ? だいたい君は私が常日頃言い聞かせていることが何一つわかっていないんだろう。私がどれほどこの数日間、君を心配して気が狂いそうになったか、君には最初から最後まで全て詳しく説明しなければわかってもらえないのか」
だんだん不穏な響きを持ち始めた言葉を聞いて、俺はグウェンの肩からそうっと顔を上げるとその不機嫌そうな顔を見上げた。
めっちゃキレてる。
確かに、昨日心配しないでって言って別れたくせに、これだもんな。
でも俺も、あの時はまさかこんな大事になるなんて思わなかったんだよ。
気がついたら黒い木の森の中にいた魔物が、俺たちの周りに集まっていて唸り声を上げていた。
「そもそもなぜ」
「グウェン、グウェン。ちょっと待って、ねぇ、俺たちの周りに魔物が集まって来てるんだけど、見えてる? まず説教なの?」
俺がグウェンにしがみ付いてそう言った途端、襲いかかってきた魔物の群れを彼は一瞥もくれずに魔法を放って全て吹き飛ばした。
ドゴオオンッ
衝撃波に雷撃が混ざったような強烈な一撃で爆風が上がり、魔物の奇声と轟音が轟いて周りに立っていた木が薙ぎ倒される。俺たちを中心にして視界が広く円形に開けた。
すげえ。
怒りのパワーが炸裂してるな。
魔法を放ってもなお怒りが収まらないのか、俺の背中に回った腕の力が強くなる。眉間に縦皺を寄せたグウェンが俺を据わった目で見下ろしていた。
「そもそも何故私は君が他の男の妃候補になり、妃選びの試験に臨んでいるという荒唐無稽な状況を目にしなければならなかったんだ? そうかと思えばその皇帝に連れ去られた君が空の上から魔物の巣に落ちそうになっているのを見て、どうやって冷静さを保てと? 目の前で君が闇雲に自ら危険の中に飛び込んで行くのを止められなかった私が悪いんだろうが、やはりあの時鐘を壊してでも君を連れて帰れば良かったとあの後私が何度考えたと」
「わかった、わかったってば!」
普段の無口っぷりが嘘のように饒舌な彼の苦言が止まらず俺は早々に根を上げた。
「全部俺が悪い!」
大声で叫んだ。
もう限界だった。
視界が潤んできてしまい、見上げたグウェンの顔がじわっと滲む。
俺だってちょっとは怖かったんだよ。
少しくらい慰めてくれたっていいだろう。
この二日のことを思い出したら喉の奥が引き攣るように震えてきた。
「全部俺が悪いから、後で好きなだけ殴っていいから、お願いだから先にキスしてよ」
グウェンを見上げながら涙声でそう言うと、ぐっと眉間に力が入った彼に噛み付くようにキスされた。
「んっ」
身体に巻きつく腕に痛みを感じるくらい強く抱きしめられる。
後頭部を掴まれて上向かされ、開いた口に熱い舌が潜り込んできた。昂った感情に任せて俺も自分から舌を差し出す。
「ん、んっ……う」
グウェンの身体に沈むくらいの強い力で抱きしめられて身動きが取れないが、その圧迫感に深く安堵した。馴染んだ体温と匂いに包まれてぽろりと涙が一粒溢れる。
「んっ、んっ」
腰を掬うように抱きしめられて踵が浮き、もう殆ど足が浮いていた。手の中のメルを潰さないようにグウェンの首に腕を回してしがみつきながら、唇が離れないように彼の頭を引き寄せて俺も熱烈なキスについていく。
王宮で会った時はキスが出来なかったから、ようやく彼の側にちゃんと戻ってきたような気がした。
「ん……ふ」
久しぶりに容赦のないキスだった。
口の中を余すところなく探られて、グウェンの舌が俺の舌に絡みついてきて荒々しく強く吸われる。
全身から力が抜けていき、メルを収めた手が緩んだ。落ちる前に自分からぴょんと跳んで地面に退避したのか、メルが「ぴぃっ」と鳴く声が下から聞こえる。
「んっ……あ」
かくんと腰の力が抜けてしまい彼の首に回した腕が外れそうになるが、唇は離されず強く抱きしめられたままキスは続行された。
抵抗を一切許されない手加減のないキスだったが、今はそれで良かった。俺は心から安心しきった気持ちになってグウェンに身を預ける。
もしかしたらこの勢いのまま砂漠に押し倒されるんじゃないかと思ったら、次の瞬間本当に押し倒された。
背中に回した卵の殻が潰れる、と一瞬ヒヤリとしたが、流れるような手付きで鞄を肩から外され、卵の膨らみを身体の横に回された。背中が地面につく砂の感触がして、俺が戸惑う前にもう体重をかけてグウェンが押し掛かってくる。
「んっ、グウェ……」
本当に押し倒してくるなよ。ここ魔物の棲家だぞ?!
心の中でそう突っ込むが、周りの気配を全く気に留めないグウェンは俺を跨いで覆いかぶさったまままだ唇を離さない。
「は……んっ、んぅ」
手のひらを合わせながら砂の上に縫い止められ、指を絡めてぎゅっと握られると幸せな気持ちになり一瞬そのまま流されそうになった。
いや待って。
まさかここで始めたりしないよな?!
さっきからちょいちょい魔物が襲いかかってきてるんだが、その度にグウェンの放つ魔法で弾き飛ばされていくのが視界の端に見えている。
だからここは魔物の棲家なんだよ。俺たちは一体何をやっているんだ。
「ん、グウェン……グウェ」
思考を溶かされそうになるのに必死に抗い、熱烈なキスを続けてくるグウェンに短い息継ぎの合間にアピールする。
「ねぇ、……んく、待って、ここ魔物」
主張するがなしの礫で、遠慮なく口蓋を舐められて舌を吸われ、溜まった二人分の唾液を飲み込まされる。
腰の奥が痺れるような感覚を覚えていよいよヤバいと思った。このままだと変なスイッチが入る。
「待って、んっ……ここじゃ、まずい」
首を大きく振ってなんとか逃れた。
息を荒げてグウェンの顔を見上げるとその目はギラついているが、最初の頃よりは怒りはだいぶ落ち着いたように見えた。
「もう……落ち着け。ここじゃまずいって」
力無く主張すると、ようやく周りを見回す気になったのかグウェンは周囲に視線を走らせて軽く頷いた。
「確かに、先ほどから煩いな」
「いや煩いっていうか……」
理性が戻ったのかグウェンは身体を起こすと俺の背中と膝裏を掬い、そのまま俺を横抱きにしてふわっと浮かんだ。メルが慌てて跳ねてきてぴょんっと俺の腹の上に乗る。
「メル、大丈夫か? ごめんなさっき痛かった?」
「ぴぃ」
大丈夫だよ、と言いたいのかメルは俺の上で軽く跳ねて羽をパタパタさせた。
それを見て微笑んでから、そういえばさっきあの悪魔に火を吐いたよな、生後二日なのにすごくない? と俺は感動した。
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