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第一部

閑話 ウィルの業務報告 前

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 僕の名前はウィル。
 もともとの名前はウィリアルド・シュノリーという。でも今はただのウィルだ。

 少しだけ生い立ちを説明すると、僕の生まれたシュノリー家は断絶した。皇帝陛下に謀反を起こそうとしたからだ。
 七年前、帝国に風土病が流行った時、僕の母は不幸にもその病気が原因で亡くなった。父は必死で治療薬を探したが、間に合わなかった。
 母を愛していた父が、恐ろしいことに手を出してしまったことを知ったのは、それから一年後だった。父は母の病気を治すために、あらゆる伝手をたどった。教会の上級神官ならある程度の病状を食い止めることができると知って、教会本部にすがりに行った。だけどちょうど同じ頃、皇太子殿下が同じ病気を患っていて上級神官達は皆王宮に詰めていた。父は懇願したが受け入れてもらえなかった。
 だから父は恨んだんだろう。皇太子殿下のために王宮に上級神官を囲い込んだ陛下を。

 シュノリー家は一応子爵の爵位を下賜されていたけれど、領地などを持っていたわけではなく、優れた手紙蝶を作るという、ただその一点を讃えられて子爵位を賜っていた。僕も早くから自分に魔力があることは何となくわかっていて、遊びで蝶を作ったりしていた。
 だから、父は許されないことに手を出してしまった。手紙蝶を使って帝国の情報を他国に売っていたのだ。その詳細はもっと後になって知ったのだけど、父は貴族達に売った手紙蝶に細工をして、送った内容が自分にも届くように二重の仕掛けを施し、それで得た情報を近隣諸国に渡していた。

 偶々その手紙蝶を受け取ったファネル様が、違和感に気付いてそれが明るみになった。
 当時は大騒ぎになり、僕の一族はそもそも少ない人数だったが皆捕らえられた。すぐに家中を調べられ、そして父の仕事場から陛下を弑殺する内容が書かれたメモが見つかったらしい。
 多分、父は陛下を恨んでいたと思うが、直接弑することまでは本当には考えていなかったと思う。今でも僕は父がそんなことをするとはどうしても思えないが、父は捕まってからも僕に詳細を語らなかったから真実はわからない。
 事態を深刻に受け止めた陛下と貴族院の貴族達によって、僕らは謀反を起こそうとしたとして打首になることが決まった。未だ貴族達の中に記憶として残っているシュノリー家の断絶というのはこのことだ。
 僕も当時六歳になる頃だったと思うが、父が謀反という大罪を犯した以上、極刑は免れないはずだった。他に兄弟はいなかったから、子供は僕だけだったと思う。
 留置場の中で、父は僕に謝った。何も知らなかった僕は捕まってから何か大変なことを父が起こしたことを知った。僕も母が好きだったから父の思いもわかる。でも許されないことをしたと、幼いながらにわかっていた。

 刑が確定する時に、裁判所の方へ一度移されることになった。刑の執行の前に一応子供でも言い渡しだけはする必要があったようで、僕は一人だけになった留置場から連れ出された。僕は子供だったので大した警備もなく、多分今思えば監視塔の職員のおじさん達が数人で僕を裁判所まで連れて行った。

 日がほとんど差さない薄暗い回廊を、もくもくと歩いていた。これで終わるんだな、という諦観が幼いながらにあった。生きたいとは、多分思っていた。

 その時、突然目の前に風が吹いた。
 すごい突風が吹いて、おじさん達も僕も思わず足を止めた。
 風が収まってから前を見ると、そこにまだ少年とも言える若い男の人が一人立っていた。それがレイナルド様だった。

「貴方、一体なんなんです、ここは裁判所ですよ?!」

 おじさん達の一人がそう叫んだ。
 レイナルド様はおじさん達の向こうにいた僕を見つけ、小さく頷いた。その手に小さな手紙蝶を持っていた。

 その手紙蝶は、僕が飛ばした。留置場では、僕は子供だったので大した力もないと思われていたから魔力封じの首輪を付けられなかった。そもそも留置された人数が多くて足りなかったのかもしれない。
 父が連れていかれて一人になってから、僕は監視塔のおじさんの一人が憐れんで与えてくれた折り紙で、蝶を作った。誰に飛ばすでもなく作った小さな蝶に、僕は声を吹き込んだ。「もっとたくさん蝶を作りたかったな」と。
 そしてずっと持っていたその蝶を、監視塔から転移した後でおじさん達に見つからないようにこっそり放した。
 誰に送るあてもない、行き先のない手紙蝶だった。
 だからレイナルド様がそれを持って目の前に現れた時、僕は本当に驚いた。

「その子供、俺にください」

 出し抜けにそう言って、レイナルド様はおじさん達を見た。

「何を言ってるんです?! 刑はもう確定しています。誰か、人を呼んでください」

 先頭のおじさんが血相を変えてレイナルド様に叫び、おじさん達の一人が多分議場の方へ走って行った。

「その子が、何をしたっていうんですか」

 静かな声でレイナルド様が言った。
 長い金色の髪が風に揺れていた。薄暗い回廊の中で、まるで彼だけに日が差し込んでいるかのように、細い光が波のように金色の髪と白いシャツを着た彼の肩に当たって煌めいていた。
 この時、レイナルド様もまだ魔術学院に通っていた頃だった。急に現れた年若い魔法士に、おじさん達は唖然としていた。

「この子はシュノリー家の子供です」

 そう言ったのは、僕に折り紙をくれた眼鏡のおじさんだった。
 おじさんを見て、レイナルド様は目を微かに細めた。

「だからなんだっていうんです。この子は何もしていないでしょう」

 淡々と言うレイナルド様を僕は驚いて見つめていた。その少し灰色がかった緑色の瞳は、強い光を湛えていた。その真っ直ぐな瞳から目を逸らせなかった。

「父親が謀反を起こしたのです。一族を断絶させることが決まっています。子供にも例外はありません」

 別のおじさんが横から口を挟んだ。
 廊下の先から、バタバタと裁判長と裁判官と思われる黒い服を着た数人が駆けてきた。

「何事です。……貴方はエリス公爵家のレイナルド様ではありませんか」

 裁判長がレイナルド様の顔を見てぎょっとした。僕はその言葉を聞いて、彼の名前を知った。
 レイナルド様は服装でその男性が裁判長だとわかったのか、その人の顔をじっと見た。

「裁判長、お願いです。その子を俺にください」
「何を……」

 裁判長は目を見開いてレイナルド様を凝視した。
 真っ直ぐに回廊に立ち塞がって僕たちに対峙しているレイナルド様を見て、それからため息を吐いて首を横に振った。

「残念ですが、出来ません。シュノリー家は断絶させます。子供を見逃して後の復讐の種を残す訳にはいきません」
「その子は、何もしていないでしょう。償うべき罪はないはずです」
「ですから、父親が謀反を起こしたのです」

 裁判長がそう言うと、レイナルド様は眉間に皺を寄せた。

「だからなんでその子がその罪を償うんですか。何度でも言います。その子は、何もしていない。何もしていないその子に何の責任を取らせるっていうんです」

 横から裁判官の一人が強い口調で口を出した。

「レイナルド様、謀反を起こした以上は、一族根絶やしにされると決まっているんですよ」

 その言葉を聞いてレイナルド様は少し眉を上げ、それから裁判長をもう一度じっと見つめた。

「決まっているからなんだっていうんだ。そんなこと、戸籍を弄ればどうにだって出来るでしょう。そんな小さな子を本当に殺すつもりですか。あなた方はそれを何とも思わないんですか」

 彼がそう言うと、レイナルド様の視線を受け止めた裁判長は何も言い返さずに黙った。
 代わりに先程口を挟んだ一人の裁判官が、レイナルド様を嗜めるような声音で口を開いた。

「レイナルド様、ここで例外を作る訳にはまいりません。今までもそうだったのです。この子だけ助けても貴方の気持ちは晴れるかもしれませんが、後の禍根を生みます」
「復讐なんてさせません。俺が、ちゃんと面倒みます。この子が復讐心なんて育てないように、俺が見張っていればいいでしょう」
「いけません。もし将来その子がまた陛下に反旗を翻そうとすれば、大問題になります」
「ですから、させません。俺が。仮にもしそうなったら、俺が責任をもってその時は俺の手でこの子を殺します」

 沈黙が流れた。

「見逃してください。お願いします」

 真摯な目で裁判長を見るレイナルド様は、一度もその真っ直ぐな視線を逸らさなかった。

「レイナルド様、世の中には他にも可哀想な子供はたくさんいるでしょう。この子だけ助ける道理がありません」

 横から言う裁判官の言葉に、レイナルド様は顔色を変えずにじっと裁判長だけを見ていた。

「他に可哀想な子供がいることが、この子を見捨てる理由にはならない。この子は生きたいと思っている。そして何も罪を犯していない。なのに殺すんですか。大人が、大人の都合で」

 また沈黙が流れた。

「俺にください。お願いです。そしてしばらくこの子を見守ってほしい。結論を出すのはそれからでも遅くはないはずでしょう」

 レイナルド様が懇願するような声で言った。
 長い沈黙が続いた。それから裁判長のおじさんが深く息を吐いた。

「死んだことにならなければなりません。その子の戸籍はなくなりますよ」
「裁判長?!」
「うちで孤児を拾ったことにします」
「……。陛下とファネル様に、一度相談させてください」

 周囲のおじさん達は、愕然とした表情で裁判長を見ていた。

「ありがとうございます」

 レイナルド様は深く頭を下げ、緊張を解いたようにその肩が少し下がった。
 それから僕の方に歩み寄ってくると目の前でしゃがんで、突然の出来事にぼうっとしていた僕の顔を覗き込んできた。そしてレイナルド様は僕に笑いかけた。今までの怜悧な表情が嘘みたいに柔らかい笑みだった。
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