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第一部

閑話 ルウェイン・プリムローズの独白 後

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「ふーん。ちゃんと兄貴の手伝いしてんだ。公爵家の次男だもんな。跡取りのご機嫌取らなきゃいけないから次男は大変だよな」
「まぁね。でも長男よりマシだよ」

 さらりと返されたその言葉が意外で瞬きした。

「なんで? 長男のスペアなんか良いわけないだろ。生まれた順番が違っただけで」

 そう言うと、今度はレイナルドの方が首を傾げて俺を見た。

「長男ってそんなに美味しいと思う? 自分の人生全部家のために捧げなきゃいけないのに? 俺は正直、ごめんだなぁ。次男ってだけで好きなことを好きなだけしてもまぁ予備だからって大目に見てもらえるならそっちの方がずっと得だし、自由じゃない? 家の為に頑張らなきゃいけない兄さんに悪いから俺も少しは手伝うけどさ。でも責任も重圧も兄さんの方が何倍も大きいよ。俺にはそんなの抱えながら生きるなんて向いてない。家督なんて、向いてる人に任せた方が上手く回るに決まってるんだから、俺は脇役でスペアって舐められてるくらいでちょうどいいんだよ」

 あっけらかんとしたその言葉に俺は面食らって、そしてその後、その通りだと思ってしまった。

 実は、俺だって同じことを考えていた。


 養父が俺を跡取りに、と言うたびに本当は俺には向いていないと思っていた。
 俺は亡き父と同じ火の加護を持つ精霊力があり、弟のユーリスは養母の家系から受け継いだ水の加護がある。南領は海に面しているから水の加護持ちは歓迎されるし、俺は性格的にも結構苛烈で熱しやすい。冷静なユーリスの方が宰相には向いている。
 養父からは常々両親の遺したものを立派に引き継がなければならないと言われて、幼い頃から正直プレッシャーが重かった。
 それよりもキツかったのは、実は俺にはやりたいことがあるということだった。
 ソフィアと一緒に魔道機関車を作ること。それでもっと旅を安全に、魔法を使えない庶民も乗れるような列車を作りたい。
 プリムローズの家を継いで役人になったら決して叶わない夢。
 それでも俺は素直になれなかった。亡き父の遺したものを手放してはならないという自尊心みたいなものがあったからだ。

 でも、この時レイナルドから自由という言葉を聞いた後、羨ましいと素直に感じてしまった。

 そしてそれはつまらないプライドを捨てれば、俺も手に入れようと思えば手に入るものだった。

「周りからの期待に応えるよりも、自分がやりたいことをやった方が良いと思うか」

 俺の質問に、レイナルドは少し考えてから答えた。

「それは、どっちがより自分と周りが幸せになれるか次第かなぁ。ありがちな言い方だけど、出来るだけ自分と周りが幸せになれる方がいいよね。そのために何を捨てるのか、諦めるのか考えてみてさ、自分を苦しめずに幸せになれると思う方を選んでみたら?」

 自分と周りが幸せになれる方。
 俺は、多分養父の後を継いだら、苦しいだろう。

「そうだな。……そうするよ」

 噛み締めるように言った俺を、レイナルドは少し嬉しそうな顔をして眺めていた。


「お前、魔法陣好きなの?」
「好きだよー。いつか自分で作った魔法陣も考案したいと思ってるし」
「そうか。じゃあこれ見て意見をくれないか」

 そう言って渡したのは、ソフィアと考えている魔道機関車の動力部分に使おうと考えている火の魔法陣が書かれたノート。
 レイナルドは目を輝かせてノートを食い入るように見た。

「すげー。これ精霊力を込め続けなくても火を燃やし続ける理論? 自分で考えたの?」
「まあ。これに似た魔法陣はもう船の動力のためにあるんだよ」
「へー。それをもっとコンパクトにして、持続させるってことかぁ。ふーん。これ、もうやってみた?」
「え? やってみる?」
「うん。物は試しだから」
「いや、まだだけど……」
「えー! じゃあ今から試そうぜ!」
「ええ?」

 キラキラしたレイナルドの目に釣られて、俺もつい試してみたいという気持ちになってしまった。
 
 結果、魔術学院の裏庭でこっそりやろうとした魔法は爆発して、花壇を消し炭にし、二人して前髪が焦げた。後から教師にはめちゃめちゃ怒られたが、二人して顔を見合わせて爆笑してしまった。こんなに笑ったのは久しぶりで、俺は不覚にも楽しいと思ってしまったのだ。

 それから、レイナルドとの腐れ縁は始まった。

 俺はその後跡継ぎをユーリスにするよう養父に直談判し、なんとか説得を成功させた。
 その後ユーリスとも話し合って、元の仲の良い兄弟に戻れたのだ。あのままだったら俺は跡継ぎをユーリスに譲れずに結婚までずるずるしていただろうから、そういう面ではあのバカに感謝している。





 王都の病院に着くと、レイナルドはまだ目を覚ましていなかった。
 夜中でも付き添っていたエリス公爵夫人に許可をもらって、レイナルドの紙みたいに白い顔をだけを見て廊下に出た。

 このまま目を覚さないかもしれない、という夫人の言葉を聞いた俺は奥歯を噛み締めて拳を握りしめた。
 そこに硬い足音が聞こえて、顔を上げるとグウェンドルフ・フォンフリーゼが廊下に立っていた。

「フォンフリーゼ。お前がいながらなんであいつがこんな目にあってんだ」

 公爵家の使用人から神殿にフォンフリーゼがいたことを聞いていた俺は、こちらを黙って見ている奴を睨み付けて吐き捨てた。

「すまない」

 フォンフリーゼが視線を落として言った。沈んだようなその声を聞いて、奴もレイナルドが昏睡したことを知っているのだと思った。
 憔悴しているようなその顔を見て俺は冷静さを取り戻す。奴のいつものポーカーフェイスが少し剥がれている気がするのは気のせいか。レイナルドが目を覚さないことが相当堪えているように見える。ただの同級生のためにそこまで気落ちするなんて、こいつは案外情が深いのかもしれない。
 少しだけフォンフリーゼを見直した俺は、剣のある態度を収めて奴の顔を見上げた。

「いや、まぁ、わかるよ。あいつの猪突猛進っぷりはぶっ飛んでるからな。お前にだって止められなかったんだろ。結界を塞いで帝国を護ったんだから、お前のしたことは騎士団の人間として正しかったんだ」

 あのバカのことも助けてくれれば良かったのにという思いはあるが、その場にいなかった俺が口に出せる言葉でもない。フォンフリーゼにそれだけ言うと、奴は黙ってまた視線を落とした。
 そして呟くような声で溢した。

「彼は最後に結界を守れと言っていたと思う。私も、そうするべきだと思った。けれども、しかし……」

 そう言ってフォンフリーゼはまたしばらく黙ってから、俺の顔を見た。
 薄暗い廊下の中で、奴の黒い瞳が深い海の底のような闇色に溶けて、月明かりに照らされた顔が青白く、微かに震えているように見えた。
 フォンフリーゼは俺の顔をじっと見てから、ぽつりと呟いた。

「私は、結界を閉じる時考えてしまった」

 そう言ってから急に口をつぐんで、「いや、すまない」と小さな声で言った。そして踵を返し、俺の前から早足に立ち去って行く。
 背を向ける前に、奴の顔が一瞬見えた。険しく歪んだその顔に驚いて、呆気に取られた俺は離れていくフォンフリーゼの背中を黙って見送った。
 俺の耳に、奴の消え入りそうな声が静かな廊下の空気に乗って微かに聞こえてきた。

「彼を見捨てて救う世界に、一体何の価値があるのか」



 このときフォンフリーゼが言った言葉の意味を、俺は随分後になって思い知ることになる。

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