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一章
031
しおりを挟む押し潰さんと押し寄せる緑の群れ。
ガリガリと削れてゆく自分のLPも顧みず、全損寸前の耐久の大剣を振り回しながら、アルバは仲間達の退路を守っていた。
(そろそろフラメが目標地点に着いた頃か。うまくいけばワタルを回収し、黒馬に乗って脱出しているかもしれない……)
ふらつく足を気合いで抑え、血に塗れた柄をがっしと掴み、鬼神の如き迫力で、アルバは最後の力を振り絞る。
夥しい数のゴブリン達を押し除け、親玉が合流さえすれば、アルバの役目は果たされたと言えるだろう。
(俺が抜けた穴を補填できなければ、危機を脱したとは言えないぞ。課題は山積みだな)
心の中でアルバは笑う。
自分はもう若者に託す事しかできないから――殿を買って出た時点で、生きて帰れない事は百も承知だったからだ。
あとは犠牲を払って得た情報をまとめ、この侵攻が都市の門を破る前に次の戦術を考えるだけ。
ここで散る自分よりも、残され託された仲間達の方がよほど辛いのではと、アルバは再び嗤った。
アルバのLPが20%を下回った頃だ。
憔悴したアルバも、明らかな異変に気付いた。
(ゴブリンの量が減っている?)
向かってくるゴブリンが目に見えて減っていた。
数体、二体……そして遂に、一体も現れなくなっていた。
不気味なほどの静寂が落ちる。
血みどろの海と化した道を、体を引きずるようにして進むアルバは、集落のある広間へと出た。
(これは、夢か? 一体何が起こった?)
集落に生物の気配が無い。
あるのはゴブリン達の生活の跡、激しい闘いの傷と、主を無くした玉座。
「アルバさん!」
「フラメ! ワタルも、無事だったようだな」
黒馬の手綱を引きながら、困惑した表情で現れたフラメ。黒馬の背には気を失ったワタルが横たわっており、回復薬を直接かけたのか、濡れた髪から緑の液体が滴っていた。
アルバとフラメは用心深く集落跡地を見渡す。
「これは、まさかフラメが?」
「とんでもない! ワタルさんの最大魔法でも数%しか減らなかったキングすら倒されてるんですよ?」
それもそうかと返すアルバ。
アルバは疑問に思う――果たしてゴブリン達は本当に〝倒されたのか〟と。しかしその疑問は、次の質問で即座に解消されることとなる。
「何かの時間制限で自然消滅したとも考えられるか?」
「なら、さっき私達に入った膨大な経験値と戦利品の説明がつきませんよ」
アルバはメニュー画面を開くと、侵攻討伐直前では37だった自分のレベルが、40にまで上がっている事に気付く。
任務失敗で自然消滅する依頼は多く存在するが、それで経験値や報酬を得られたことは一度もない。
さらに言えば、途中倒していたゴブリン程度ではここまで上がらないだろう――と、アルバはβテスト最終日に、適正狩場で丸一日掛けてもレベルが上がらなかった思い出を振り返っていた。
考えられるとしたら、一瞬にして誰かが討伐したという事。攻撃に参加していた者全てに経験値や戦利品が渡っているのなら、それしか考えられない。
しかし誰が、そしていつ?
その救世主はどこに消えたのだろうか。
「とりあえずここから出ましょう。他のメンバーもきっと待ってますよ」
「あ、ああ。それとすまないが回復薬を少し分けてほしい」
ありったけの回復薬を持っていたフラメは、手持ちで一番効果のある物を手渡した。
手渡された回復薬の瓶を開けたアルバは、夢ではないかと頭にかける――頭皮に染みる青臭い匂いと視界に広がる緑の液体が、ここが現実である事を裏付けた。
「え、何やってるんですか?」
「夢かと思ってな。ついでに目が覚めたら病院のベッドなら、なおさら良しと思ったんだが……」
「あはは。まあゲーム内ですが、現実です」
そんな冗談も言えるほど心に余裕ができた後、三人は辺りを警戒しながら坑道から外に出た。そしてそこで待つ討伐隊参加メンバー達から、涙ながらの抱擁と祝福を受けるのだった。
* * * *
大都市アリストラスに討伐隊が帰還した。
すると、静まり返っていた都市内は嘘のように人が溢れ、英雄の凱旋さながらの祝福を受けながら、アルバ達は大通りを歩くことになる。
NPCは勿論、宿屋に籠もっていたプレイヤー達も窓を開けて拍手を送る。
この演出は都市が崩壊するレベルの侵攻を防いだ際に、英雄達へ送られる凱旋イベントであり、プレイヤーとしてはβ時代合わせても今回が初。
これによりアルバ達はNPCの好感度は最大値まで上昇し、紋章ギルドとしては大きな功績を手に入れていた。
「……ここは?」
「あっ、ワタルさん! 気が付いた!」
ワタルの耳に、フラメの涙声が届く。
黒馬に揺られていたワタルが体を起こすと、そこはゴブリンが蔓延る暗い坑道内ではなく、大勢の人の拍手に歓迎された都市内だった。
ワタルもまた「夢ですか?」などと呟いていたが、アルバに肩車された事で一気に目が覚め、大通りを一望する。
溢れんばかりの人、人、人。
無数の花弁が舞い、白鳥が飛び、楽器が鳴る。
呑気に用意していたのではと勘ぐれる程の変わりようだったが、そこはゲームだなと自己完結するワタルに、アルバが声を掛けた。
「状況を飲み込むのに時間がかかるとは思うが、とりあえずなんだ――終わったぞ」
その一言を聞き、やっとワタルに笑みが溢れる。
自分がやってきた事が初めて報われたかのような、晴々とした気持ちを噛みしめながら、青々とした大空を見上げるのだった。
* * * *
坑道から少し離れた森の中に、修太郎とバンピーは居た――その姿を見つけたミサキが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ミサキさん! 無事でよかった!」
「修太郎さんこそ、本当、無事に会えて、私……」
涙腺緩くなってるなぁと感じながら、ミサキはぐしぐしと涙を拭くと、隣に立つバンピーにも頭を下げた。
「バンピーさんも、ありがとうございました。紋章ギルドの皆さんも無事に帰還できたようで、プレイヤーの被害はほぼ0です!」
修太郎達の待つ場所も生命感知で探し当てながら、都市に向かう討伐隊の行きと帰りの数を照らし合わせ、青色の誤差1、緑色の誤差8という情報を得ていた。
そして青色の誤差は、キッドである。
ミサキとて死んだNPCに何も思わない訳では無かったが、同じ数のプレイヤーが死ぬよりは成功に程近いだろうと無理矢理自分を納得させている。
バンピーは短く「そう」と答える。
生命感知を持つミサキでも、彼女がなぜ不機嫌なのかは分からなかった。
「セオドールもお疲れ様。色々あったみたいだけど、セオドールを同行させて良かったよ」
「最善を尽くしたまでだ」
修太郎はセオドールから武器を託したい事や、PKを殺した事も念話を通して聞いており、ミサキの身に起こっていた事は全て把握していた。
一時は人の死を間近で見て衝撃を受けていたと聞いていたが、瞳に強い意志が戻ったミサキの表情を見て、修太郎は安堵の笑みを浮かべる。
その後、しばらく談笑したのち、修太郎が切り出した。
「本当は都市の中を見て回りたかったけど、僕が行っても混乱しそうだから一度帰ることにするよ」
「えっ」
ミサキはあからさまに落胆の表情を浮かべるも、これ以上彼等に我が儘は言えないと自重し、小さく頷いた。
「……なら、私もアリストラスに帰りますね! 紋章ギルドの皆さんの様子も気になりますし」
「そっかそっか。それなら、ここから城壁まで少し距離があるし普通にmobも出るから送っていくよ!」
「いえ、いえ大丈夫です。不相応に上がったレベルとセオドールさんから頂いた武器もありますし、一人で戻れます!」
どこまでも優しい人だなと、ミサキはますます修太郎達との別れが惜しくなる気持ちに耐えつつ、精一杯強がってみせた。
現在のミサキのレベルは28。
PK三人から得た経験値である。
それを聞いた修太郎が「わかった!」と答えると、両隣に魔王二人が移動する。そして修太郎が何かを操作するのを見て、ミサキは直感で別れが近い事を感じ取っていた。
「セオドールさん、色々とありがとうござきました。貴方からいただいた物、言葉、経験は私一生忘れません!」
勢いよく頭を下げるミサキに対し、腕組みをしながら微笑むセオドール。
「日々鍛錬だぞ」
その言葉に、ミサキは何度も何度も頷く。
貰った武器に恥じぬよう、毎日の自己鍛錬を誓うミサキ。それを見たセオドールもまた、満足そうに頷いた。
「それじゃミサキさん。またどこかで!」
手を振る修太郎。
ミサキは唇をぎゅっと結びながら、無理矢理に笑顔を作ってそれに応えた。
一瞬眩い光に包まれたのち――次の瞬間には、修太郎達の姿は跡形もなく消えていた。
静寂に包まれる森の中。
鳥のさえずりだけが聞こえてくる。
しばらく彼等の余韻を見つめていたミサキは踵を返し、アリストラスに向かって歩き出した。
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