ラブドール

倉藤

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最終章 ハッピーエンドとは、ただひとりに捧げるために作られた悲喜劇だ

97 舞台の中心に立つ

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 葬式のような空気の中で残り時間を過ごす。
 どうしてこんなにも理不尽なのだろう。やっと二人にとっての希望を見出し、共に生きる道をひらいたところだったのに。
 譲はヴィクトルと離れがたくて甲板からは動けず、操縦室が見える場所で待機していた。
 床に座って膝を抱え、数刻前の皆の会話を思い出す。ヴィクトルが最良の選択をしたことを伝えると、意外な顔で驚く者がいた。殆どがそうだった。
 黙ってトーマスの要求に従えば敵味方関係なく他の乗組員は全員助かる。本来のアゴール公爵であれば、決してしなかった選択なのかもしれない。だが驚いたにせよ、誰もが安堵し感謝していた。
 皆、知らないのだ。ヴィクトルがどういう人間なのかを。ヴィクトルが譲にどんなに優しいか。
 ヴィクトルがトーマスの要求を呑んだ真の理由は譲であり、譲はそれがやるせなくて胸が張り裂けそうだった。
 あの後、ヴィクトルは譲に操縦室を出て行くよう命じ、レニーランドに着いたら直ちに艦を降りるよう言った。
 ヴィクトルはまた譲を庇って命を差し出そうとしている。平気な顔をして、譲の為なら本望だと笑って死ぬのだ。
 階段を踏みしめた軋んだ音がする。ナガトが甲板に上がってきた。
 ナガトはヴィクトルに替わって食堂に人を集めて説明を行い、不安がる乗組員たちを鎮めてくれていた。

「これで終わりじゃないだろうさ」

 ナガトが譲の横に立つ。
 譲は膝に顔を埋めたまま口を動かした。

「ナガトにはわからない」
「へぇ、ならお前にはわかるって?」
「わかる」

 ギュッと膝を抱く。
 もうどうしようもない。

「泣き寝入りか?」
「したいわけじゃない」
「当たり前だろ」

 ナガトは諦めていない様子だ。

「無駄だよ。これ以上の代案がある?」
「ぎりぎりまで考えるんだよ。後から後悔するぞ」

 亡国王室の末裔であるナガトの発言には嫌に重みがある。彼自身も後悔したことがあったのだろうかと思わされる。多くあったに違いない。
 けれど一理ある。匙を投げてしまうのは簡単だが、足掻くこともまだできるのだと気づかされた。結果は関係ないのだ。大切な者の為にどれだけの努力を尽くしたか。誰に馬鹿にされようと、過ごした時の価値を決めるのは自分である。
 ヴィクトルの判断に最後まで抵抗する。
 これは譲が示してあげられる愛だ。他の主張や意思は全て手折られて踏み躙られてもいい、だがこのことだけは伝え続けなければならない。

(公爵が死んだら俺は悲しいよ)

 これからも一生をかけてヴィクトルに。
 譲はパシンと自分の頬を叩いて気合いを入れた。



 ◇◆



 到着の汽笛が鳴らされる頃になる。
 譲は甲板で膝を抱えているのをやめ、ナガトと艦内を駆け回っていた。
 しかしながら爆発を回避する手掛かりと呼べそうなものは見つけられないままだった。

「くそっ、自力で解除するのは待ち合わなかったか」

 譲は壁を強く殴打する。

「落ち着け。焦って自暴自棄になった時点で負けだからな。港に着いちまったら指示に従って下船しよう。外見がバレている譲と俺はテティスに身を潜めてどうこうはできない」
「・・・・・・」
「指示に従いながら、でも頭で考え続けるんだ。最後の最後まで諦めないでいよう」
「わかってる」

 この時の譲は悲痛な面持ちでいたことだろう。

「行こう。トーマスの奴を刺激しないことが先決だ」

 ナガトが顎をクイっと甲板に向ける。譲は従った。
 レニーランド港には軍艦テティスを迎えようとする国民が詰めかけている。艦の無事の帰還を見ればセレモニーは成功したのだと思うだろう。国民はお祝いムードに沸いている。
 トーマスに操縦室が占拠されていた為、無線で陸に信号を伝えるのは不可能だった。
 何も知らないでいる国民達は、だがタラップを渡された甲板に姿を見せるのが来る人も来る人も兵士ばかりで、着飾った富裕層の一行が見えないと眉を顰め始める。
 譲は後ろ髪を引かれる想いで、一番最後にタラップを渡った。
 テティスを降りた譲の後ろにトーマスが現れる。
 拳銃を突きつけられているヴィクトルに国民の中から悲鳴が上がった。

「お集まり頂きありがとう。私はロイシアから参った、ヴィクトル=アゴールである」

 ヴィクトルが喋らされている。アゴールという名は広く知られており群衆が騒めいた。

「驚かせて申しわけない。数日前の出航時とは顔ぶれも変わり、人数も大いに減った。この惨状は国内に蔓延っていた革命軍との衝突によるものである。革命軍だ、アレグザンダー=ムーア氏が市長の立場を濫用しイェスプーンに悪鬼の如き組織を創り上げていたのだ。我々は彼等に勝利した。しかし、この有り様である」

 ヴィクトルは群衆の前で降参を示すよう両手を挙げた。
 トーマスが歓喜しニヤついた顔になる。

「皆しかと見届けよ、このトーマス=ヘボットが悪の帝王アゴール公爵を殺す。今日の日に歴史が塗り替えられるのだ!」

 譲は奥歯を噛んだ。集まった国民達は「あの男は誰だ」「トーマス=ヘボットだって? 知らないな」と、突然舞台の中心に躍り出た凡庸な男に混乱している。中には「金持ち共の手の込んだショーだ」と勘違いして楽しんでいる声もあったが、トーマスを不快に思う者が大多数だった。

「退け、あんたはお呼びじゃないよ」

 甲板上に野次が飛ぶ。

「今のうちに好きに言え。明日には言ってることがきっと変わっているぞ」

 トーマスは嘲笑った。
 その時だった、ザザ・・・ザザ・・・と砂を流したような音がした。多くの人間には聴こえない程度の小さな音だが、テティスの近くにいた譲の鼓膜に届いた。
 譲に聴こえているなら、甲板の上にいるトーマスとヴィクトルの耳にも届いたはずだ。

「またか。あのポンコツ機械はつまみが壊れているのか?」

 トーマスは操縦室を見る。
 操縦室とあの音から導かれるものは無線機だ。
 開け放したドアから音が漏れるくらいに音量を最大にしているせいで音が割れているのかもしれない。

(またかって、何度も応答要請があった?)

 譲は頭を働かせる。騒然とする場でヴィクトルだけは状況を理解していた。

「トーマス=ヘボット。取引をしようじゃないか」
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